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箱庭物語  作者: 彩都 らく
第三章、レイ
24/37

3-2、写真②

 〇×


「そんなっ、……わたしが、わたしが! なんであの人を殺さなくてはならないの。こんなに、……こんなに愛しているのに。疑われる理由のひとつもないじゃない! あなたたち、おかしいわよ……」

「おかしくなんかないさ。主人の死亡推定時刻はおおよそ二時間前。さっき、あの探偵とやらも言っていただろう。アリバイがないのは、あんたしかいないんだよ。そもそも、つい数日前にもくだらないことで揉めていたじゃないか」

 

 舞台の中央で、二人の演者が言葉を紡ぐ。

 Tシャツにジャージと軽装で身を包んだ彼らは、集中した様子で演技をする。

 

 ――あれ……?

 

 俊介はそんな二人の様子を舞台袖から見守りながら、首を傾げた。今回の演目は、ひっきりなしに誰かが話しているはずだ。静かになる時間など一秒たりともないはずであるのに、今、この場は妙に静かで……――。

 

「……おい、俊」

 

 肩を小突かれて咄嗟に振り向けば、尚也が心配そうな表情でこちらを見ていた。舞台に顔を向ければ、壇上の二人――(れい)兼吾(けんご)もまた、こちらをじぃっと見ている。

 

「あ」

 ――ああ、さいあく。

 

 次の台詞は、自分の番だ。小学生探偵である自分の、明朗快活な再登場シーンであり、観客の視線を一度に浴びることの出来る最高の場面だった。

 

 ふと力の抜けた足でその場に蹲ると、「おい、大丈夫か」という尚也の柔らかい声が落ちてくる。と、思えば。

 

「はいはい、ストップ、ストップ。名探偵くん、大丈夫かーい」

 

 反対の幕から走ってきた部長――黒澤陽光(くろさわようこう)が、大きな声で呼びかけてくる。その音と声に顔をあげると、周りの視線の全てが自身へ突き刺さっていた。ただ静かに、こちらを心配するその光景に、俊介はいてもたってもいられなくなる。

 だから、咄嗟に口元を緩ませて、出せた言葉はひとつだけ。

 

「頭冷やしてきます」

 

 すぐ側にいた尚也の手が伸びてきて、陽光の「ちょっと待てって」という声が飛んできて、それでも、その全てを振り払うように舞台袖を飛び出した。


 ◯×


 ――消化なんて出来るわけがない。

 

 オカルト研究サークルのアマノくんから、“うわさ”の怪異の写真が送られてきたあの日より、二週間が経った。例の怪異は、この二週間息を潜めているようだ。

 

 練習から逃げ出した俊介は、辿り着いた御手洗の入り口で、上がりきった呼吸を整えていた。洗面台の蛇口を捻り、意味もなく水を流し続ける。

 

 二週間。十四日。三百三十六時間。

 長いようで短いその時間、俊介は悩み続けていた。

 

 サークルの練習で毎日のように顔を合わせる「白石伶」は本物か。本物だとして、彼女は「人間」なのか『怪異』なのか。

 白石伶の姿を前にする度、携帯に保存した写真の女性が脳裏に浮かぶ。目にすればするほど、何度も写真を見れば見るほど、映る女性は「白石伶」の姿で間違いなかった。

 

 ――万が一にも怪異だとして、伶先輩は……。

 

 人を、殺そうとした。

 人を、傷つけようとした。

 考えれば考えるほど、深みに落ちていく思考は止まらない。


 俊介は流しっぱなしにしていた水を両手で掬い上げると、勢いよく顔を洗った。

 この二週間、俊介の日常は散々だった。毎晩寝不足になるほどのめり込んでいた模型作りは、もうしばらく手をつけることができていない。それどころか、そこそこ努力していたはずの勉学もいまいちである。机に向ったっとて、ペン回しをする無駄な時間を過ごすだけだった。

 

 終いには、周りへ必死に食らいつこうとしていた演劇すらあのザマだ。出番を忘れるどころか、台詞を飛ばしたり、立ち位置を忘れたり。初心者でも中々しないようなミスを繰り返していた。

 

 ――伶さん、あなたは……。

 

 「白石伶」の姿が視界に入るだけで、『仮面の怪異』を目の前にした日を思い返してしまう。

 「白石伶」の顔が視界に入るだけで、あの写真を見てしまった時の衝撃を思い返してしまう。

 

 自身の視線が伶に釘付けになってしまって、その場の何もかもが失われていく。音という音、においというにおい、自身がその場に存在するという感覚さえもが消えていく。

 このままではいけないと、分かっているはずなのに動くことは出来なくて。ただ、恋焦がれるような虚しき青年としてその場に固まることしか出来なかった。

 

 俊介がもう一度顔を洗うと、御手洗場に誰かが入ってくる足音がする。わざとらしいその足音はきっと、彼なりの優しさだろう。

 

「……俊、どうしたんだよ」

 

 濡れたままの顔を声が聞こえた方へ向ければ、やはりそこには、随分と見慣れた同期――古川尚也が立っていた。呆れるわけでもなく、嘲笑うわけでもなく、心配の色を載せた声が静かに響く。

 

「タオル、どーぞ」

「……ありがとう」

 

 手渡されたタオルで顔を拭きながら、俊介は大きく息を吐き出した。

 

「先輩たち、何か言ってた?」

「あー。まあ、とりあえず俊が出ないシーンの練習進めるらしいから気にすんな、とは言ってた」

 

 尚也は淡々と言葉を紡ぐ。それでも、先まで浴びていた冷水よりは幾分も温かい。

 

「……そっかぁ」

 

 俊介はまたひとつ。いっとう深い呼吸を繰り返すと、壁に背を預けながらしゃがみ込んだ。

 その様子をすぐ横で見ていた尚也は、瞳をわずかに開いて驚いた様子を見せるものの、口は閉じたままだった。

 

 ――声に、出してみた方がいいのかなあ。

 

 現在練習している演目の発表まで、残り一週間を切っていた。練習は、すでに佳境へと入っている。本番同様のセットで、持ち得る時間の全てをリハーサルに費やす段階だ。何度も演目を繰り返し、詰めるところを徹底的に詰めていく。

 

 今この瞬間、自分のせいで練習を止めてしまっていることは紛う事のない事実だった。

 

 さらには、ここ最近の自身の様子は誰が見てもおかしいようで、ここまで共に過ごしてきた先輩や同期はもちろんのこと、数週間前に入部したはずの後輩――嶋山凌雅にすら「大丈夫ですか?」と心配された始末だ。

 

 ――でも、分からない。

 

 俊介自身が抱えこんだ「写真」と、心の奥に秘めた違和感を、いざ言葉として声に出してしまった先にある未来が一体全体どんなものであるのか。想像のひとつも出来やしない。

 

「俊、顔色悪いぞ」

 

 思わず、気が付けば固く閉じていた目を開く。声の方を見れば、尚也は腕を組んで壁に寄りかかっていた。真っ黒い双眸を細めて、ただ静かにこちらを見つめてくる。

 だから。

 

「尚也」

「ん?」

「……頼みがある」

「おお」

 

 勢いをつけて立ち上がると、尚也は興味が湧いたとでも言うかのような声を漏らした。

 だから、だから。

 

「今夜、練習が終わったあと。二年生だけで話し合いがしたい」

 

 ゆっくり、丁寧に、そして真剣に。

 こちらを見続ける尚也の視線からは少し逃げるように、俊介は言葉を吐き出した。

 

「……うん、もちろん。早く戻ってこいよ。俺は先に戻る」

 

 俊介の言葉が意外だったのか、尚也は一拍おいて返事をした。大きく頷いて、それから、俊介の手から濡れたタオルを奪い取っていく。

 不器用な尚也の背中が見えなくなるまで追いかけて、完全にその気配が消えるのを確認してから、俊介はもう一度深呼吸を繰り返した。

 

 ――もう、多分きっと、元の日常は帰ってこない。

次回更新▷▶▷2/3 19:00 『EP.3-2、写真③』 『EP.3-3、写真④』

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