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箱庭物語  作者: 彩都 らく
第三章、レイ
23/37

3-2、写真①

 ――人間というものは、存外、身近な物事の変化に敏感なものだ。

 そう、氷沼俊介は思う。

 

 ――僕という人間は、常に観察者であり続け、当事者にはなってはいけない。

 そう、氷沼俊介は考える。

 

 ――だから、とある変化に気が付いたとて、それを口にしてはならない。

 そう、氷沼俊介は決めつける。

 

 だが、しかし。

 俊介は、自身が見たもの、見てしまったものを、記憶から消すことが出来なかった。


 ―――――――――


 事の発端は、数週間前。


 宵の口大学において広まった幽霊の“うわさ”を興味本位で覗きに行ってから、僅か一週間ほど後のこと。

 深夜二時、自室にて。ここ最近もっぱら熱を入れている模型作りが、難色を示していた。

 

「……んー、難しいねぇ」

 

 ひとりごとを呟きながら、ああでもないと、こうでもないと、試行錯誤を繰り返していた時。そこらに放り出しておいた携帯が小さく震えた。集中力が切れていた頃合いだから、ちょうどいい。

 座り込んだ床からは微塵も動かず、身体を伸ばしながら携帯を手に取った。

 

「なになに? ああ、オカ研のアマノくんかぁ」

 

 画面に表示された一件の通知は、つい最近連絡先を交換した同級生からのものだ。同じ講義で偶然隣になった子で、オカルト研究サークルに所属しているらしい。これから始まるグループワークに備えて連絡先を交換していたのだ。

 

 鼻唄を口遊みながら、軽快に携帯のロックを解除していく。

 

『氷沼くん、ヤバい』

 

 そこには、ただ、ひとことのメッセージ。

 それから、一枚の写真が添付されていた。

 

「……は?」

 ――嘘でしょ。

 

 思考よりも先に困惑の声が零れ落ちて、狭いワンルームに消えていく。

 

 その画像に映っていたのは、一人の女性だった。薄暗い背景の中、彼女が着ている純白のドレスと大粒の雫型のイヤリングが浮いて見える。これは、忘れもしない。一週間前に、同期の双子と共に宵の口大学で見た“うわさ”の幽霊、こと、怪異だ。

 

 何もないところから音も無く突然現れると、刃物を持って暴れ、再び音も無く消えていく。あの場に怪異対策本部の方々が居なければ、死傷者が出ていたかと思うと恐ろしい。

 

 あの時と決定的に違うのは、奇妙な仮面をつけていないことだった。

 美しい素顔を晒し、踊っている様が映し出されている。

 しかし、その素顔は。

 

 良く知っている、どころか、毎日のように顔を合わせている人物だった。今日も演劇サークルの練習で行動を共にし、終わった後には皆と共に夕飯を食べにいった。

 

 ――どうして、……どうして?

 

「なんで、伶さんが……」

 

 俊介は、何度も目を擦りながら一枚の画像を凝視した。何度見て、何度疑っても、画像の中で笑う女性に見間違いは無い。

 演劇サークル【暁】、三年生。副部長。白石伶――。

 

『もしもし? 氷沼くん?』

 

 嫌な夢を見ているんだ、と自分に言い聞かせるよう携帯を閉じようとした時。

 この写真を送ってきた張本人――アマノくんから電話がかかってくる。思わず電話に出ると、聞こえてきたのは興奮した様子の声だった。

 

「……、もしもし?」

 

 勝手に震える声を呑み込んで、少々演技くさい返事をする。

 

『写真、見たかい?! 先日、氷沼くんが怪異を見たっていう、例の“うわさ”! おれも気になって、今日見に行ったんだよ』

「うん」

『そうしたら、なんとビンゴ。今日、ついさっき、怪異が現れたんだ。本当に美しくて、綺麗だった。思わず見惚れる程にね』

 

 ――……そんなに楽しく語ることは、僕には出来ない。

 

 きっとアマノくんが目の前に居れば、彼は身振り手振りの全身を使って感情を表していただろう。明るく楽しそうな声に、下唇を噛み締めながら、俊介は小さく息を吐き出した。未だ話続けるアマノくんの言葉は、右から左へと通り抜けていく。

 

『氷沼くん?』

「……うん、ああ、ごめん。どうしたんだい?」

『いや、眠たかったのなら申し訳ないことをしたなあ、と思って』

「……いいや、うん、……少し、疲れているみたい。気を使わせてしまってごめんよ。怪我はなかったかい?」

 

 アマノくんの申し訳なさそうな声に、俊介は首を振った。

 

 ――少しでも、情報が欲しい。

 

 この写真の真相は分からない。それでも、少なからずとも、一年は共に過ごした先輩が関わっていることは事実だった。白石伶が怪異であるかもしれない。ないしは、……白石伶の姿を利用した怪異がいるのかもしれない。

 

『怪我人? 怪我人はいなかったよ。今日の彼女は、甘美に踊るだけだった。怪異対策本部の人々に包囲された瞬間、消えていったさ』

「そう……、怪我がないのなら、なによりだよ」

 

 再び始まったアマノくんの語りに耳を傾け、適当な相槌を打ちつつ、俊介はSNSを開いた。一週間前と比べれば“うわさ”自体は下火になったものの、未だアマノくんのような物好きは現場に張り付いているだろう。

 

 何か一つでも目新しい情報を、少しでも心の中に浮かんでは積もる不安を取り除こうと、SNSで検索を繰り返す。すると、目に入ったのはつい先に見た一枚の写真だった。

 

《幽霊、今日も現る。#幽霊 #怪異? #宵の口大学》

 

 投稿者の名前は“AMANO”。どう見ても、電話先で未だ口を開き続けているアマノくんで間違いない。未だ閲覧者は殆どおらず、大衆の目に触れているという訳ではなさそうだが。

 

 ――それは、……まずいだろう。

 

 何がまずいのかは、分からなかった。

 それでも、このままではいけないと、思ってしまったから。

 

「あ、アマノくん」

『どうした?』

「……写真、SNSにあげた?」

『うん、あげたよ』

 

 当たり前のことだ、という風に応えるアマノくんに、俊介は口を噤んだ。

 自分なら、もしこの写真に映る女性がまるっきり赤の他人であれば、アマノくんと同じような行動に出ていただろう。でも、この人は、知っている人だ。このまま拡散され、大衆に晒され、いつしか【暁】のメンバーの目に留まるようなことがあってしまえば。

 

 ――あってしまえば、どうなる?

 

 日常が崩れる? 平和な日々が消えていく? それとも、何も変わらず日々が過ぎていく?

 分からない。動揺しているからだろうか、思考が全くもって上手くまとまらない。

 

「あ、……あのさ?」

『うん?』

「分からないんだ、分からないんだよ。何でかは、本当に分からないんだけど、この写真の人さ……」

『うん』

「ぼ、僕の親戚に凄いそっくりで、さ」

『……え?』

「そんな、怪異だなんて聞いたこともなかったから、びっくりしちゃって。ごめん、その……」

 

 驚いた様子のアマノくんに申し訳なさを感じながらも、俊介は動揺しきって憔悴した人間を演じる。

 

「も、もしよかったら……、SNSに載せたものだけでも、消してくれないかい? こ、この写真で彼女が矢面に立たされるかもしれないと考えると、居ても立っても居られなくって」

 

 半分は嘘、半分は本当だ。

 

『それは、……本当に悪いことをした』

 

 静かになった電話越しから聞こえてきたのは、落ち着いた様子のアマノくんの声だった。

 

『よし、消したよ。投稿も、念のためアカウントも綺麗さっぱりさ』

「……ごめん、ありがとう。でもそこまでしな……」

『いいって、いいって。こんなことで友人を無くす方が嫌だからね』

 

 ははは、と快活に笑う様子に、俊介は小さく息を吐き出した。SNSを更新すれば、確かに、先ほどの投稿も写真も綺麗さっぱり無くなっていた。 

 

『今日は一方的に話してしまってすまなかった。……写真の件も、悪かったよ。それじゃあ、今日はここらへんでお暇しようかな! また明日』

「僕の方こそごめんね。うん、また明日」

 

 俊介はアマノくんから個別で送られてきた写真を密かに保存すると、天を仰いだ。

 それと同時に電話が切れる。部屋には静寂が戻り、いつの間にか降り出していた雨音だけが虚しく響き渡った。

 

「……どう、したらいいのかなあ」

 

 保存した画像を見た俊介は、ひとりごとを吐き出した。もう、作りかけの模型に手は伸びない。かといって、このまま寝ることも出来なくて。ただ、自身の鼓動だけが、妙にうるさく鳴り響いていた。

次回更新▷▶▷2/2 19:00 『EP.3-2、写真②』

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