2-6、仮面の対峙
深夜一時三十分。
宵の口大学、図書館前。
嶋山凌雅は、目の前に広がる光景に頭を抱えていた。
――……規制とは?
本日から三日前、うわさ好きの青年と名乗るブロガーによる記事と一枚の写真が投稿された。その内容は、飢えた世間の気を引くには十分だった。瞬く間に広がった記事は、人々の噂の中心となっていく。
一昨日、昨日と、噂の拡散状態を把握した怪異対策本部は、厳重な警戒態勢を組んでいた。件の幽霊が出るという図書館を中心に人員を配置する。そして、その時を待つ――、はずだったのだが。
大学と協力をし、深夜帯の構内は封鎖する、という話はどこへいったのやら。念のためと張られた黄色の規制テープを取り囲むかのように集まる野次馬の数は、両手には収まらない。今から大きなイベントでもあるかのように、人々はこそこそと雑談をしながらこの場に集っていた。
「俺たちの事、見えないのかねぇ?」
凌雅が小さなため息を吐きだすと、すぐ隣に居た同僚が呟いた。その呆気からんとした様子に横を見やれば、同僚の身に着けた狐の仮面が揺れ動く。
「……視界に入れないようにしているんですよ、こういうのは大抵」
「そういうもんかね」
「そういうものです」
凌雅の返事に「はあ?」と素っ頓狂な声を上げた同僚を肘で小突きつつ、凌雅は星が煌めく空を見上げた。
様々な色で彩られた狐の仮面を装着し、黒、ないしはそれに近い色のマントを身に着けた集団。怪異対策本部。随分と異質な格好しているにも関わらず、この姿は既に日常へと溶け込んでいる。だから、目の前にいる野次馬たちは此方を見向きもしない。
怪異対策本部の連中はただの警備で呼ばれていると、本当にそう思っているのだ。
「甘い菓子に群がる蟻みてぇ」
更に遠くから歩いてくる学生集団を見て、同僚が口を開く。最早声を抑える気はないようだ。
「聞こえますよ」
「いいだろ、聞こえたって」
咎めるように凌雅が言えば、くくっと意地悪く笑った同僚は、その場にしゃがみ込んだ。凌雅はそんな彼を視線で追いかけた後、左手首の腕時計を見やる。
時刻は、深夜一時四十五分。
一昨日、そして昨日。件の幽霊は出なかった。二日間ともに現場の見回りに徹していたが、そんな気配など何一つなかった。
――……気持ち悪い。
嫌な静けさだ。一昨日出なかったから、昨日出なかったから、それならば、今日は出るんじゃないかと。野次馬の量は増すばかり。いくら注意をしようとも、いくら校門を封鎖しようとも、こういった類を好きな人間は色んな抜け道を通って集まってくる。
「俺、そろそろ持ち場行きます」
「ん、……俺も行く」
凌雅は、風で乱れたマントの裾をゆっくり直すと、自身の立ち位置へ移動する。同僚も呼応し、彼の持ち場へ向かうようだ。
それから、凌雅が決められた立ち位置――図書館入り口の目の前――に移動してから、僅か数分のこと。
「うわー、本当に人凄いねぇ」
「ねぇ。出るかな、女の人の幽霊」
「出るんじゃない? 昨日も今日も出なかったらしいじゃん」
「ふふ、出たらいいねぇ」
背後から聞こえてくるのは、ここ最近毎日のように顔を突き合わせている先輩たちの声だった。思わず振り返ると、やはりそこには見慣れた顔が並んでいた。古川尚也の同期である、演劇サークル【暁】の二年生。氷沼俊介と小松みどり、小松あおいの三人。最前を死守する野次馬たちの後ろで、肩を並べて呑気な会話を繰り広げていた。
――……まじかよ。
凌雅は、感覚の鈍い左手に力を込める。そういや、「週末に行ってみよう」、なんて話をしていたか。今日も今日とて夜遅くまで練習をして、飲み会までして、元気なものである。
「……、はぁ」
また、ひとつ。凌雅は息を吸っては吐いて、微かにズレた仮面を元の位置に戻した。そして、再び腕時計を見やる。
深夜一時五十九分。
――……五十五、五十四、五十三、五十二。
残り五十一秒。一定の間隔で進む時間に、呼吸を合わせていく。
――……十、九、八、七、六。
あと、五秒。
――四、三、二、一。
その刹那。暫く止んでいた風が吹き荒ぶ。まるで竜巻のように、赤い煉瓦の地面に散りばめられた桜の花弁を巻き上げていく。
――クソッ、……。
一瞬だった。目の前には、純白のドレスに身を包んだ件の幽霊がいた。しかし、噂では美しい顔をしていると言われたその幽霊の顔は、奇妙な仮面でその半分が覆われている。
ソレは、踊る。野次馬の人数なんて、怪異対策本部が居ることなんて、何にも気にしないかのように、華やかに踊る。
凌雅はソレに視線を奪われたまま、固唾をのんだ。すると、ソレは仮面の下に隠した瞳を、此方へ向けた――……ような気がした。外気に晒された口元が大きく歪み、楽しそうに笑う。踊って、笑って、止まって。
ソレの顔が、不自然に一点を向いた。そして。
消えて、現れる。手にした短いナニかを、野次馬へ突き立てるように。
「危ない、……ぅ、」
凌雅の足は、無意識に駆けだしていた。ソレ……否、怪異が現れるであろう場所へ、一目散に走っていた。だから、そのナニかが鮮血で塗れる前に滑り込むことが出来た。
――予想は当たったとして、……どう、すれば。
凌雅が懐から取り出したナイフは、怪異による人間への殺意を確実に受け止めた。受け止めたが、怪異の身体つきからは想像も出来ない力で押し返されていく。凌雅は短い呼吸を吐き出しながら、両手に力を込めた。
怪異が持つナニか、それは柄が短く、刃先は小さい、ただの彫刻刀だ。薄闇の中でキラリと光る銀色の刃が、ふたつ。嫌な金属音を立てながら、ぶつかりあう。
――ここで押し負ければ、皆が危ない。
仮面の端から野次馬を見やると、暁の面々は後ろの方で固まっているようだった。そしてそのすぐ傍では、此方へ向かおうとしている同僚の姿があった。しかし。同僚の行く手は、野次馬の対応で塞がれている。
と。妙に落ち着いた声が、降ってきた。
「余裕あるね、キミ」
思わず怪異に視線を向ければ、ソレは笑っていた。
「……ねぇよ」
「ふぅん。ないんだ?」
奥歯を噛み締めながら、ナイフごと持っていかれないようにと右腕の全神経を使って推し返す。笑う余裕も、楽しく会話する余裕も、そんなもの何一つ持っていない。
――弾いて、はじいて、殺さないと、はやく……。
「はは、ふははっ、必死だね。キミ」
「……っ、……え」
――……は?
もっと、もっと力を入れて、まずは対峙する彫刻刀を吹き飛ばす。そう決意をした時だった。怪異が突然、力を抜く。だから凌雅の身体は思わぬ形で前のめりになり、その反射で怪異の手から彫刻刀を弾き飛ばす。さすれば、怪異は笑う。わらう。耳につけた大粒の、雫型のイヤリングを揺らして、嗤う。
「じゃあねぇ」
――駄目だ。
大きく笑った怪異は、何も持ってない両手を振った。こちらに背を向け、少しずつ離れていく。
――……動け、うごけ。
凌雅は歯を食いしばると、小さく舌打ちをした。……身体が、動かなかった。正確に言えば、消耗しきった左腕が動かなかった。昔に怪我をした後遺症がいまだ残る左腕が、左手が、左指が痺れて動かない。
――クソ、クソ、クソッ!!
刃先が崩れたナイフを投げ捨て、隠していた銃を手に取るが、もう遅い。怪異は背中を見せているのに。今、ここで確実に仕留めるには、核を壊せばいいだけなのに。身体が動かないのなら、意地でもこの銃を撃てば時間は稼げるのに。もう、届かない。
「……、……ごめん」
銃の短い射程圏内に入るため、必死に走ってきた同僚たちの静かな謝罪がこだました。
――随分と、呆気なかった。
怪異は、消えた。
音も無く、風ひとつ立てず、高らかな笑い声を残して消えた。
凌雅は、浅い呼吸の中、喉から声を絞り出す。
「これは、……ただの“うわさ”なんかじゃない。幽霊なんかでもない。……分かったでしょう」
手にした銃が、固い地面に落ちる。その音がどこまでも響く、辺りは静かだった。皆、凌雅の言葉に意識を向けていた。
「大人しく、帰ってください」
深夜二時五分。
青い狐の仮面をつけた青年の、懇願するような声が図書館前に落とされた。
次回更新▷▶▷1/26(月) 19:00 『EP.2-7、』




