2-4、照明室
照明室は、ホール全体を見渡すことが出来る場所に位置していた。
このホールで劇を演じる際、大学の設備である照明もまた、自由に使うことが出来るのである。次に予定している公演は、一か月後。それまでに劇の内容を詰めることは勿論、こういった細かい舞台装置にも拘る必要性があった。
――信頼されてはいるんだろうけど。
尚也は大きなため息を吐きだすと、手にしていた原稿を机の上に広げた。
照明台本を作って欲しいと陽光から頼まれたのは、昨日の事。原作者である兼吾が取り入れて欲しいと思う演出が記載された台本と共に、「あとは尚也の好きなようにやって」と丸投げされたのだ。
照明台本とは。演劇舞台において、照明転換のタイミングなどの全てを具体的に明記した台本の事である。今から作るものは初稿となるが、本番までの短さを思うと、この時間で決着をつけなくてはならないだろう。
尚也は設置された操作盤の前に立つと、複雑に存在するスイッチに指を這わす。それから、未だ舞台上で打ち合わせをしている三年生に視線を向けた。陽光が何かを指さしながら指示をしていて、それに従うように兼吾が動き、ワンテンポ遅れて伶が動く。
――……クソ。
カチ、カチ、と。
どこのスイッチがどこの照明と対応しているかを確かめるように、ひとつずつ押していく。そうすれば、不自然に薄暗かった舞台上へあかりが灯る。それに気が付いた先輩たちは、はるか上にあるこの照明室に向けて各々手を振った。
だから、尚也も大きく手を振り返した。
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黒澤陽光は、『怪異』である可能性が高い。
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古川尚也の任務、それは、黒澤陽光の正体を暴くこと。そして、その正体が『怪異』であるのならば、この世界から抹消することだった。
事の発端は、数年前に遡る。
宵の口大学近辺では、快楽的ともとれる大量殺人事件が頻発していた。小学、中学、高校、大学。幾多の教育機関において、数多のグループ――部活やサークル――やクラスルームが一夜にして壊滅してしまう、非人道的かつ残虐的な事件があちこちで起きたのだ。
その数は、三年の間で全十五件。死者数は七十人を上回り、負傷者に至っては数百人を下らない。
全国から非難を受けたこの事件は、未だ解決していなかった。
この快楽大量殺人事件の犯人には、複数の人物が候補としてあげられていた。
すべての被害者がそれぞれ繋がりのあった者を片っ端から調べあげ、複数の事件に少しでも共通する人物を炙り出す。結果として、候補は数名に絞られた。
その中の一人が、黒澤陽光という男であった。
では、何故。
名前まで絞り、その容姿まで特定しているのに、抹消することが出来ないのか。
答えは単純である。
黒澤陽光が『怪異』であった場合。もちろん、彼の核を壊してしまえば良い。虚無になり逃げられる前に、一刺ししてしまえば解決だ。
しかし、そう簡単にはいかないのが現実だ。
万が一、黒澤陽光が『人間』であった場合。
彼が百パーセント『怪異』であるという確証がない今、彼を容疑者であると囲み込むことは、リスクしかなかった。核を壊そうと試みること、それは、人間で言う心臓を貫くことと同義である。
数日、数ヶ月。黒澤陽光を観察し、接触を試みるも、『怪異』である証拠は得られぬまま。
それであるからして、黒澤陽光が所属する団体へ人を派遣する。内部から探り、真偽を確かめる。
それが、怪異対策本部の取れた最大手であった。
――……しかし。
怪異対策本部 川崎支部、支部長である古川尚也がこの任務を引き受けるにあたって、様々な批判を受けた。それもそのはずであり、姿を隠匿すべき怪異対策本部が、ましてやそのトップが潜入捜査に行くなど有り得ない、と。各方面から厳しい意見を受けても尚、古川尚也はこの任務に志願した。
理由は、ひとつ。
快楽殺人事件に巻き込まれた全ての団体が、過去、古川尚也に関わりのある団体ないしは、知り合いの所属する団体だったからである。ボランティアで知り合った子どもたちや、学生生活で出会った友人、過去お世話になった施設の人々、等。とにかく、尚也が名前を知る団体・人物が、ことごとく狙われていた。
これが偶然か、はたまた計算されたものなのかは、分からない。
でも、だからこそ、この潜入捜査の座だけは譲れなかったのだ。
あと一年で本件は怪異対策本部の中での時効を迎える。例え、未解決の暁には怪異対策本部 支部長の座を降りることになったとしても、絶対に。例え、来年にはこの暁から姿を消すことが確約されているとしても、絶対に。
絶対に、突き止める。
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尚也は下唇を噛みながら、再びホール全体を見渡した。舞台の真ん中で、あいも変わらず身振り手振りで指示を繰り広げる陽光は、どうにも楽しそうに笑っている。
「……先輩?」
後方で扉が開く音がして、それと同時に聞き馴染んだ声が耳に届いた。
「ああ、凌雅」
「ども。忙しそうですね。なんか俺に手伝える事ありますか?」
軽快な足取りですぐ隣までやって来た彼は、複雑な操作盤を覗きながらそう問うた。
「んー……」
尚也は少し考えてから「今は特にないな」と答えると、「さいですか」とつまらなさそうに言って、近くのパイプ椅子へ腰掛けた。
そんな凌雅を横目に、尚也は照明台本と向き合う。
――このシーンはこの照明で、こっちのシーンは舞台転換が必要だからあっちの照明で。
そこらに転がっていた鉛筆で、スラスラと、ところどころ迷いながらも書いていく。ホールの声が微かに聞こえる照明室には、ただ鉛筆走らせる軽快な音と、スイッチの音だけが響いていた。
それから、どのくらい経った頃だろうか。
「ねぇ、先輩」
パイプ椅子をぎぃぎぃと鳴らしながら遊んでいた凌雅が、突然口を開いた。
「……どうした?」
深刻そうな声色に思わず視線を向けると、彼は真剣な表情を浮かべていた。有無を言わせないその姿に、言葉が詰まるものの、なるたけ優しく聞き返す。
「先輩は、黒澤陽光に本部の人員を割くことが正しいと言い切れますか」
勢いよく立ち上がった凌雅は、口を真一文字に結んだままホールの方へ視線を向けた。そして重たく、一音ずつ丁寧に紡いでいく。
「俺は、先輩を信じています。尊敬もしています。でも……」
凌雅は、息を吸っては吐いて、窓の向こうに見える陽光を見つめる。
「あの人は非の打ち所がないと言い切れるほどに完璧です。たった一週間で実感しました。誰の上にでも立てる、誰の上でも自分の力を最大限発揮できる。そういう能力を持っていると思います。
「だから疑わない、疑えない、という訳ではありませんが、疑うだけ無駄なのかもしれないと思ってしまったのも事実です。
「それで、尚也先輩はどう思ってるのかなって。……すみません、急に」
ひと息で言い切った凌雅は、気まずそうに視線を逸らした。
――言いたいことは、分かる。
黒澤陽光とは、僅か数日……否、数十分ともに過ごすだけで、彼が持ち得る人間性に感銘を受ける人がほとんどだ。
優しい、だとか。良い人、だとか。そういった薄っぺらい評価ではない。十人いればその十人が、百人いれば百人が、千人いれば九百九十九人が、彼を素晴らしい人間だと評価するだろう。天は二物を与えず、とは大ウソである。
――それでも。
尚也は、黒澤陽光を疑い続けていた。
「俺は、黒澤陽光がクロであり、そして、彼を追うことに間違いはないと信じてるよ。もう、ここまできたらやるしかないんだ」
鉛筆を強く握りしめ、尚也は陽光から視線を逸らして凌雅へ顔を向けた。すると、凌雅の真っ直ぐな茶色い瞳がこちらを縫いつけて離さない。
「その言葉は支部長として? それとも、尚也先輩として?」
「……どっちもだよ」
一呼吸置いてから返事をすれば、ふふっと砕けた笑い方をした凌雅は、再び「さいで」と続けた。
凌雅の気持ちも、痛いほど分かる。
尚也が宵の口大学に入学し、演劇サークル【暁】に所属し、一年が経った。
その一年間、『怪異』の出現は過去最低と言われるほどに減ったのだ。先日のような騒ぎは幾多あれど、少し前まで頻発していた集団殺人事件はゼロ。他にめぼしい大きな事件や被害も無し。
怪異対策本部や世間からして見れば、それはもう喜ばしいことであるものの。
――……気味が悪い。
これが、嵐の前の静けさであるか、はたまた単なる偶然の連続か。
どこまでが予想通りで、どこからが敵の手の内なのか。
先日の怪異出現といい、この一週間の怪異出現数は異常を訴えるには十分だった。だからこそ、余計に。目には見えない不安が募るばかり。
「人殺しには、なりたくないからね」
「……、それは……、誰だってそうですよ」
尚也はジャケットのポケットへ隠した折り畳みナイフにそうっと触れると、短く息を吐き出した。
すると、少し考え込んだような素振りを見せた凌雅が、ひとつ。
「俺、外の空気吸ってきます」
「うん、いってらっしゃい。あと数分もすれば、練習が始まるよ」
分かりました。凌雅のそんな返事は、照明室の重たいドアが開く音に掻き消されてしまった。同時に、彼の姿もまた、閉まりゆくドアの向こうへ溶けていく。
尚也はその姿をただ見つめて、立ち尽くしていた。
――演劇サークル、暁。
あっという間に過ぎてしまった一年。
一歩後ろから眺め続け、沈黙を貫いた一年。
たった一年、されど一年。
尚也は深呼吸をすると、自身の両手で自身の両頬を勢いよく挟み込んだ。今やるべきことは、照明台本の完成だ。
如何に疑われずに、如何に懐へ潜り込むか。
信頼を重ね、新たに任務として投入された凌雅と連携を組みつつ、如何に情報を引き出すか。
改めて、操作盤と台本に向き合いながらも、思考だけは止めないように。
尚也は一瞬放り投げていた鉛筆を手の内に、目の前の事柄へ集中した。
改稿│誤字訂正




