第95話(そのころマルコフ王国王都にて)
「あいつ――、獣人のくせに大工の真似事か?」
マルコフ王国西端の街を離れ、宮殿修理のため修行先の大工の親方とともに王都を訪れていたノアは、作業場の一角で他の大工見習の少年たちの呟きに耳をぴくりと動かした。
「――お前ら、今何か言った?」
振り返って睨みつけると、ノアについて噂話をしていた少し年上の少年たちは、手のひらを上げて、笑って言った。
「人の話盗み聞きしてんじゃねぇよ」
「怖ぇ、ひっかかれたら、どうしよ!」
「――獣人ってすぐキレるよな。そんなんで細かい仕事できんのかよ」
「……」
ノアがぎりっと拳を握りしめたところで、頭上から親方の声が降って来た。
「ノア、5番と12番ののみ、持ってきてくれないか」
親方は今、組んだ足場の上で作業していた。
ノアはささっと工具箱から工具を持ち出すと、上に向かって大声で返事した。
「すぐ持って行きます」
そのままジャンプして足場に手をかけると、他の大工見習の少年たちが瞬きを一回する間に一番上まで登りきる。少年の一人は思わず「すっげー」と感嘆の声で呟いた。
工具を渡すと、親方は下の少年たちを見ながら、たしなめるような優しい口調で言った。
「――ノア、気にするなよ。今回は色んなところから職人が呼ばれてるから――色んなやつがいるのさ。怒っても――喧嘩はだめだぞ、喧嘩は。先に手を出したら負けだからな」
「聞こえてたんですか……。――わかってます」
ノアは「ちっ」と舌打ちしながら答えた。
王都に来てしばらく過ぎ、「獣人が大工?」と言われるのにも慣れてきた。
最初そう言われたときは、何を言われてるかわからなくてぽかんとしてしまった。しかし、しばらくするうちに、だんだんと事情がわかってきた。
今まで育った西端の街には獣人が多く、料理人としてレストランで働いたり、花屋で働いたりと色んな仕事に就いている獣人も多かったので意識したことはなかったのだが――街の外ではそれは珍しいことだったのだ。
王都でも獣人を見かけることはあったが、たいていは農作物などが入った荷車を引っ張って主人と思われる人間の横を歩いていた。
街の外では獣人は下働きの力仕事をする存在で、獣人が道具を使って複雑な作業を行う職人仕事をしているのは珍しいことなのだ。
「よし、じゃあ、レリーフを飾るか」
親方とノアは一緒に足場を降りた。壁に立てかけてある、真新しい木彫りのレリーフを担ぐと、親方は近くでその様子をじっと見ている先ほどの少年たちを睨んだ。
「お前ら、この木彫り、誰がやったと思う? ――この子だよ」
親方はノアの背中をぽんっと叩いた。
「ほら細かいだろ。お前らにこれ彫れるか?」
少年たちはじっくり木目を見ると、黙ったまま首を振った。
「だったら、うちの大事な弟子に余計なこと言うんじゃねぇよ!」
親方は一喝するとまた足場の上へ登って行った。
***
「これで作業はひと段落だ」
作業を終えた親方は地上に降りるとノアの肩を叩いた。
「せっかく王都に来たのに、ずっと仕事だったな。明後日まで休みをやるから好きにするといいよ。ほれ、小遣い」
親方はじゃらりと音を鳴らせて小さな袋をノアに渡した。
ノアは思わず跳ねた。
「やった!」
「おう。家族に土産でも選んできたらどうだ」
「そうします!」
袋を持つと、ノアは街の中心部の方へと駆け出した。
***
「――たくさん人がいるなぁ――」
中心広場を行き交う人々を見てノアは思わず呟く。
周りを見回せば、西端の街にはないような色々な店があった。
「母さんと――ちびたちと――レイラと――あと父さんと――、何買って行こうかなぁ……」
ぐるぐると広場の周りを歩き回りながら考えていると、近くで「きゃぁ」という女の声がした。はっとして視線を声の方に向けると、地面に女が転んでいる。その脇を黒ずんだ汚い洋服の小さな影が勢いよく通り過ぎて行った。
「私の、荷物がっ……!」
女はその影に向かって手を伸ばした。ノアはその小さな影がバッグを抱え込んでいるのをはっきり見た。
(速いけどな……足なら負けないぜ!)
ノアは勢いよく地面を蹴ると、その影を負った。
スリは建物の間を通り抜け、塀を飛び越し逃げていく。
(人間の動きじゃねーな……)
ノアは建物の窓に向かって飛ぶと、屋根の上まで這いあがった。下を見ると逃げた影が路地裏で後ろを振り返ってきょろきょろしている。
(ばーか、上だよ上)
目を凝らすと、バッグを抱えて周囲を見回しているスリの子どもの頭の上には耳が見えた。
(獣人の子ども? 俺よりだいぶ下っぽいじゃん。――スリなんかしてんじゃねぇよ)
ため息を吐いて立ち上がって、そのスリの子どもの方へ飛び降りようとしたところで、路地裏から大きな影が二つ、その子どもに近づいていくのが見えた。
(何だ……? こっちも獣人?)
大きな影――二人の男にもふさふさした耳が生えているのが見えた。
二人は何か話すような仕草をすると、スリの子どもに向かって飛び掛かった。
あっという間に子どもは大きな麻袋の中に入れられてしまう。
(何だこれ……? 人攫い?)
ノアは身を屈めた。男の1人が「大人しくしろ!」と激しく動く麻袋に向かって拳を振り上げる。
(母さんなら……、助けるはずだ!)
ノアは立ち上がると、男たちに目掛けて飛び降りた。爪を出し、落下に合わせて相手に突き立てる。
「ぎゃあ!」という男の悲鳴とともに血が舞った。
麻袋は地面に落ち、スリの子どもが中から這い出してくる。
「さっさと逃げろ!」
ノアは子どもの前に立つとしっしと手を振った。
「お前……、だれ? なんで、助け……」
言いかけた子どもの言葉を遮り、ポケットから親方から預かった財布を出すとその子どもに押し付けた。
「これ持って宮殿の修理現場に行け。中身はやるから、後でそのバッグは持ち主に帰せ。いいな!」
背中を押すと、スリの子どもはノアを見ながら、路地の反対側へ走り出した。ほっと息を吐いて、血が出た頭を抱えて呻く男たちに向き直る。
「街中で誘拐なんかしてなぁ、冒険者ギルドが黙ってねぇぞ!」
「は? 冒険者ギルド? ガキが何言ってんだ」
茶色い小さい丸い耳の体格の良い男はじろりとノアを睨みつけ、それから笑った。
「――お前、その耳の柄――豹族の獣人か? 変な位置に耳があるな」
「うるせぇよ! 何だっていいだろ」
気がつくともう一人、狼のような灰色の耳の男が後ろに立っていて、ノアは通路に挟まれていた。冷や汗が頬をつたう。
(上に逃げるか? 二人を相手にすんのは無理だな)
茶色い耳の大柄な男は頭から流れた血を拭うと満足そうに呟いた。
「――活きの良い、獣人の子どもを探しててね。良い拳だったよ。素早さも申し分ない」
「は?」
聞き返すと、男は笑った。
「――お前、もっとその力を活かしてみないか」
刹那――脇腹に鈍い衝撃が走って体が宙を舞った。
どさりと勢いよく地面に叩きつけられて、頭が真っ白になり、ノアは意識を失った。




