第84話
大司教様がエイダン様とハンナ様を連れて謝罪に来てから3日になる。
夕食後――私は宿屋の自室でベッドに腰掛けながら大司教様が私に渡して行った小さい水晶玉を見ながらため息を吐いた。このことはステファンやライガやナターシャさんには話していない。話すことになると、大司教様とのやりとりも話すことになりそうだったから何となく気が引けたからだ。
『お前はわかっていないんだよ。お前の内面は他を顧みず自己の欲求に忠実な魔族そのものなんだ、本当は』
大司教様の言葉が頭に響きわたる。
――何なんですか、大司教様は、人のことを好き勝手に言って! 自分が欲深くなったのは私のせいだとか、キアーラの人たちが大変なことになってるのは私のせいだとか、全部私のせいにされたって知りませんよ!
私はぎりっと奥歯を噛みしめた。
『私はお前が何だろうと待っているよ。お前は私が育てた子どもだし、お前がいたからこそ今の私があるのだから』
――大司教様になんて、待たれても嬉しくないですからね! もう私に構わないで、ほっといてください!
水晶玉を握りしめる手に思わず力が入る――その瞬間。一瞬掌がぶわっと熱くなった。
「熱っ」
思わず手を離して、小さな水晶玉は床に落ちて転がる。追いかけて拾おうとして手を伸ばして自分の服の袖が焦げていることに気づいた。
――焦げ? ……火?
『機嫌が悪くなると瞳を赤くし睨んでくる、周囲の物を燃やしたり魔法のような力を使って気に入らないものを壊す』
大司教様の言葉を思い出して、私は机の上の鏡を覗き込んだ。そして、思わず息を呑んだ。
……緑色の、見慣れた自分の瞳の縁がぼんやりと、赤く光っている気がした。
慌てて鏡を顔にくっつけるように近づけると、そこにはいるもどおりの自分の瞳がある。
――見間違い?
心臓がバクバクする。祈るときのように胸の前で手を合わせて目を閉じると祈りの言葉を唱えて心を落ち着かせた。
ゆっくり瞳を開くと、胸に手を当てた。
今、熱いってなったの何? 炎を出した? ステファンの話だと、私、耳がないとそういうのできないはずだよね? それに――私、今『怒って』た?
心を落ち着かせたはずなのに、大司教様の言葉を思い出すと、すぐに意識がぐちゃぐちゃしてきてイライラして考えがまとまらなくなる。――それは初めての感覚だった。
神殿では祈ってる間に1日が終わってしまって――食事のときに寂しいなとかもっと食べたいなとか、綺麗なドレスの貴族の女の人を見て、ああいうの着たいなとか思うことはあったけど、ぼんやりそう思うだけで、あとは、また寝て起きて祈っての繰り返しだから、あんまり自分の感情に目を向けることはなかった。
――神殿を出てからは、目にすること全部が新しくてわくわくすることや楽しいことばっかりだったし――、こんなイライラして、爆発しそうな気持ちになったことはなかった。
――誰かに対してこんな風に感じるのは初めてかもしれない。
ソーニャとこの前カフェで話した会話を思い出した。
『……あなたはちょっと、ステファンに似てるわね』
『え? 似てますか? どのへんが?』
『ステファンも、怒らないじゃない?』
ソーニャ、全然似てなかったですよ……。私、普通に怒るみたいです。
たらりと冷や汗が流れた。
私が魔族だって大司教様が言ってからのホッブズさんの反応を思い出す。
『ナターシャ……、その子が魔族だというのを、知っていたのか? 何で報告しない?』
それは――恐ろしいものを見るような、魔物を怖がる農家さんみたいな反応だった。
あれが、魔族に対する普通の反応?
もし――ステファンやライガとか、ナターシャさんがそんなふうに私を見てきたら?
嫌だ。
心の底からそう思った。全身が冷たくなる。
ああ、これは『怖い』だ。
私ははっきりと、その感情を初めて感じた。
みんなにそんな目で見られることが――私は『怖い』。
「怒るのは、駄目ですね」
私は自分に言い聞かせるために呟いた。
『成程、一見お前は確かに可愛らしい無害で心優しい少女かもしれない』
大司教様の言葉がまた頭の中を巡る。
そう、みんながホッブズさんみたいに私を怖がらないのは、きっと私のことをそう認識しているからだ。
――可愛らしく、無害で、心優しく。そういうふうに振舞わないと、いけない。
その時、トントンっと部屋の扉がノックされた。
「レイラ――、夜にすまない、まだ起きてるか?」
ナターシャさんの声だった。私は深呼吸して笑顔を作ってから扉を開けた。
「起きてますよ、何でしょうか?」
扉の先には困り顔で耳を垂れたナターシャさんがいた。
「――関所の門番が冒険者ギルドに来てな、門のところに、身分証も何もないボロボロの男女の旅人が来て――、身元を証明する人間として、お前を指定したらしい。エイダンとハンナと名乗っているそうだが――、あの王子とその恋人だよな?」
「エイダン様とハンナ様が門のところに?」
私はびっくりして思わず大きい声を出した。
大司教様と3日前にキアーラに帰ったはずじゃ……。
「悪いが、来てくれないか?」
ナターシャさんと一緒に私は宿屋を出て、街への入り口である関所の門に向かった。




