第82話(キアーラ王国に向かう街道で)
マルコフ王国西端の街の関所を出たミハイル大司教の馬車は、キアーラへの帰路を走っていた。
馬車の中でミハイルは大きく深いため息をついた。
「全く、王子に謝罪までさせて迎えに行ってやったというのに、あの我儘娘め――」
ミハイルにとっては、レイラが強く「戻らない」と自分で主張したのは意外だった。彼の記憶の限りでは、レイラが今まで自分の言ったことに逆らったことは、一度もなかった。だから一時的な気まぐれで出て行ったとしても、迎えに行って押し切れば、戻ってくるだろうと本気で思っていたのだった。
「――っ、――!!!」
ミハイルの横には、手を縛られ口輪をされたエイダンがわめいていた。
彼が言葉にならない声で叫んでいたのは、『無駄足だったじゃないか、馬鹿野郎! それに、あいつが魔族だというのはどういうことだ!』だった。
(どこから魔族をもらってきた? そんな話は王族には全く伝わってきていない。神殿め、勝手に怪しげなことをしやがって!)
エイダンは叫ぶことに疲れるとぐったりし、揺れる馬車に身をゆだねながら心の中で悪態をついた。
(それに、マルコフまで行ったのも無駄足じゃないか、馬鹿め!)
牢に入れられ、「ハンナ共々国外追放になりたくなければ、レイラに謝罪に行け」と言われたのを承諾したのは、父親である国王が自分の話を聞く気が全くなく、ミハイルの側についたことを悟り――であるならば、キアーラに発生した魔物の問題を収めるには、ひとまずミハイルの話を聞き入れ、レイラに戻ってもらうのが一番早いと判断したからだった。
(この移動の間に、どれだけ地方の農民が犠牲になってると思ってるんだ)
あの骨になった農夫の姿が頭をよぎり、エイダンはぎりっと口輪を噛んだ。
彼の横でハンナは終始怯えたように前で縛られた手を見つめている。
そんなふうに街道を走り続けて夜になりかけたころ、ミハイルの指示で神官が走らせる馬車は道の途中で向きを変え、街道横の道のない草むらの方へと進んだ。がたがたと馬車の揺れが激しくなった。しばらくそのまま進むと、ミハイルは馬車を止めさせた。
馬車の扉が開けられ、神官たちがエイダンたちを馬車の外に引きずり出す。
「――ッ、――!」
「ど、どこへ連れて行くのですか!」
困惑する二人を街道から離れた周囲に森が広がる草原に投げ捨てると、ミハイルは言った。
「お前たち二人は――、聖女を追い出し、キアーラを危機的状況にした罪で、国外追放だ」
「――ッ!」
「お話が違うではありませんか、大司教様……。エイダン様と私はレイラに謝罪に行きました!!」
喋れないエイダンの代わりにハンナは涙声でミハイルの足元にすがった。それをミハイルは足で払いのけると、2人に告げる。
「レイラは『戻りたくない』と戻ってこなかったのだから、当然だろう。私は『あの子が戻ってくるのなら』国外追放まではしないと言ったのだ。お前たちの謝罪が足りなかったのだから、自業自得だろう」
ミハイルは土まみれになった二人を一瞥して笑うと、馬車に乗り込んだ。
「お待ちください、大司教様!」
ハンナは馬車に縋りついた。カシャン、と窓を開けてミハイルは顔を出すと、思い出したようにエイダンに告げる。
「――エイダン、キアーラについては安心して私に任せてくれ。私とて――あまり魔物に国土を荒らされても困るのでな、対応はするよ」
そして、口元に笛のようなものを当てて、それを吹いた。
――ピィィィィィ
高温の笛の音が周囲に響き渡る。
「――それでは」
馬車の窓は閉じられ――馬車は街道の方へと戻って行った。
手を縛られたまま置き去りにされたハンナは呆然と馬車を見送る。
一方、エイダンはじっと森を見据えていた。夜の闇の中、街道から離れた暗い木々の中からは狼の遠吠えのような声が聞こえた。――暗闇に響いたミハイルの笛の音は、暗闇に潜む彼らの注意を集めるのに十分だった。




