第81話
翌朝私はいつもよりもっと早く、日の出よりずっと前の――まだ夜の気配しかしない時間に目を覚ました。
昨日ホッブズさんのお屋敷から帰るとき、ライガと話していて感じた違和感が頭にひっかかっていた。
――キアーラの人たちが魔物で苦しんでるかもしれないっていうのに、自分のことばっかり考えてるのは、私は――悪い?
私は立ち上がると、竜皮のローブに着替えた。ちょっと外の空気を吸いたかった。
今日も朝から冒険者ギルドで出発する冒険者の人たちに祈りをする予定だし――、ちょっと街を散歩してから行こう。
「あれレイラちゃん、早すぎないかい。女将さんまだ起きてねぇからサンドウィッチねぇぞ――」
宿屋の夜番の女将さんの息子さんが声をかけてくれるので、「今日は大丈夫です」と伝えて外へ出た。
通りはまだ暗くて、静かで人気がない。少し肌寒いのでローブのフードを被って歩き出した……ところで、名前を呼ばれた。
「レイラ」
「大司教様?」
私はびっくりして振り返った。白い神官服が暗闇にはっきり浮かんでいた。
「キアーラにお帰りになったんじゃないんですか?」
「これから発つところだ。他の者は門のところで待たせている。発つ前に、お前と話しておこうと思ってな。朝、ギルドへ仕事に行くとは思っていたが、早すぎではないか。――何か思い悩むことでもあったか?」
「いえ、別に。お話って何でしょう……」
私はそう返事してから、大司教様を見つめて聞いた。はっきりさせたいことがあった。
「私も、お聞きしたいことがあるんですが」
「何だい? 何でも聞いてごらん。私の話は後にしよう」
「――昨日、大司教様がされた私の両親の話は嘘なんですか?」
「なぜ、嘘だと?」
「――私、耳がないと火を出したりとか、そういうことはできないはずなのに――、親が耳を切ってから、そういうことがあったって話してたから――」
「ああ――そうか。そういえばそうだな」
くつくつと大司教様は笑った。
「確かに、作り話だよ」
言葉を失う。この人の話す言葉に、本当のことなんてあるんでしょうか。
私はしばらく黙ってから、聞き直した。
「私は、どこから来たんでしょうか? きちんと教えてくれませんか?」
「――キアーラに戻ってくるなら、教えてやろう」
私は首を振る。
「それは嫌です」
「そうか……、じゃあ、私についての話でも、この機会にしておこうか」
大司教様は腕を組むと私をじっと見た。
「いえ、そんな話、別に聞きたくないですけど……」
思わずそう言うと、大司教様は「そんなことを言うんじゃない」と拗ねたように言ってから勝手に話し出した。
「レイラ、お前は、私がどんな人間だと思う?」
「どんなって――、キアーラの教会で一番偉い方でしょう」
「地位じゃない、人間性だよ、善い人間か悪い人間か、どちらだと思う」
……大司教様は昨日から何が言いたいんだろう。私は眉をひそめた。
「――そんなことを聞かれても、私は――人間じゃないらしいですし……人間性についてなんて、わかりません」
「そうか」と頷いて、大司教様は話し始めた。
「私はね、もともとはとても『善い』人間だったんだよ、レイラ。私の出身はキアーラからかなり離れた小さな国の、小さい村だ。小さい頃村が魔物に襲われてね。運が悪いことに両親が襲われて喰われて、孤児になった私は光神教の教会に引き取られた」
私の相槌も待たずに、言葉は続く。
「そこで神官の祈りには魔物を退ける力があると知り、自分も神官になりたいと志したよ。自分のような思いをする子どもを出さないようにね。そして――、神官になり、光神教の総本山であるキアーラの神殿で務めることになった」
大司教様は視線を遠くに向けた。
「キアーラこそ光の女神様の理想郷を実現した国だと思ったよ。先々代の国王様が建立された大神殿を中心に各地に教会を立て、それぞれ白水晶で作られた女神様の像を通じて神官の祈りが拡散され、国が祈りで満たされ――、人々は魔物に脅かされることなく平和に暮らしている。私はその姿に感銘を受け、毎日祈りに励み――やがて大司教になった」
そう言ってから、彼はじっと私を見た。
「そして、お前を引き取ったんだよ、レイラ。魔族の子どもでも、子どもは子どもだ。かつて自分が教会で育てられたように、親のいないお前は、私が親の代わりとして育ててやらねばと思ったよ。そうしたら、お前は可愛らしいことに、私の真似をして祈りの真似事をするようになったじゃないか――そうしたら、女神像が私が祈るよりも明るく――輝いたんだ」
「――そうですか。……それで?」
「何かの間違いじゃないかと思ったね。魔族のお前が、ずっと教会のために尽くしてきた私よりも女神様を輝かせたなんて――、と同時に私は自分の中に抑えて居た欲望を確かに実感したんだ――、この子に私の代わりに祈ってもらえば、私はもう祈らなくて良いと」
大司教様はまた遠くを見つめる。
「私は内心――魔物に脅かされれない平穏な日常に慣れ切ったキアーラの民を憎んでいたことに気付いたんだ。神殿で祈りに励む我々神官を顧みず享楽に走る貴族たちには、特に腹が立っていた。それで考えたんだよ、祈りはお前に任せて、私も彼らのように自分の欲求を叶えようと」
大司教様は肩を揺らして笑った。
「最初は、そう――、伯爵家の奥方で信仰深い美しい奥方がいてな。私はずっと彼女に心惹かれていた。よく神殿に来ては、夫の不貞は自分に原因があるのかと悩んでいたよ。私は、本来であれば、そんな男よりも自分が彼女を妻にするべきだと思ったね。だから、自分の欲に従い、彼女がいつものように礼拝に訪れたときに、彼女を――最初は嫌がっていたがね、私のものとした。まあ――済んでしまえばこんなものかと思ったよ。彼女は誰にも言わなかったし、――そして私は誰にも咎められなかった。――なぜって、私は大司教だからね。清い神殿で一番偉い人間だ」
大司教様は、にたりと口元を歪ませ私を見た。
ぞわっと悪寒が走る。
ちょっと……本当に、何の話してるんですか、この人。
私は嫌悪感で寒気がしてローブのフードをぎゅっと引っ張った。
「大司教様、あなたが、どうしてそのような話を今、私にするのか全く理解できなきないです。私は――、あなたには――育ててもらって、祈りや文字を教えてもらった御恩を感じていたのに……」
そう、私は別に大司教様のことを嫌いではなかった。——今、この瞬間まで。
キアーラの大神殿にいた頃の記憶は日がな1日小部屋で祈って、同じような日々を過ごしていたせいか記憶が薄いけれど。ぼんやりと覚えている、自分がすごく小さかった頃は、大司教様は私を膝に乗せて、絵がたくさん描かれた女神さまの経典を読み聞かせしてくれていたこともあった。私はその時間が好きで、文字を覚えて経典を読むと、大司教様がすごく喜んでくれたので頑張って文字を覚えた記憶がある。聖女に任命されてからのキアーラでの生活は退屈で今思い返すと辛かったけど、別に小さなころから不幸だったわけではなく、幸せだった時間も確かにあったとは思う。
けれど、今、目の前で口元を歪めて笑うこの人の膝の上で本を読んでもらっていたのかと思うと、全身に鳥肌が立つような気持がした。
「この話をしたのはお前が初めてだよ、レイラ。——お前が来てから、私は、自分がこんなにも醜い人間だと気がついたんだ」
大司教様は急に笑顔を消すと、縋るような目で私を見た。
「これは、お前の責任だよ、レイラ。お前が私の隠していた欲望を大きくさせたのだ。その結果が今だろう。もう、このまま行くしかないんだ。お前は戻ってきて、その責任をとる必要がある」
責任って言われても……。あなたが勝手にそうなったんでしょう……。
私がふいっと視線をずらすと、大司教様は声を荒げた。
「お前は――キアーラの民が魔物に苦しみ出したと知っても、何の胸も痛んでないだろう。そんなことより、自分の出自を気にしている」
私は図星を言い当てられて、唇をつぐんだ。
「この街の冒険者ギルドの連中にえらく気に入られたみたいじゃないか。成程、一見お前は確かに可愛らしい無害で心優しい少女かもしれない。――だが実際は? 自分がいなくなったことで、キアーラに魔物が出ようがどうなろうが、知ったことか、自分は神殿の窮屈な生活から解放されて、外で楽しんでいるからそれでいい、そんな風に考えてるんじゃないか。お前は、自分のおかげで平穏な暮らしをしているキアーラの人間を内心憎んでたんじゃないか? ――そういう意味では、私と同じだ」
「――どうでもいいですから、私がどこから来たのか、本当のことを教えてくれませんか?」
「キアーラに戻ってきたら教えてやろう。お前の両親のことも――本当のことをな」
大司教様は私の手に小さい透明な水晶玉を握らせた。
「それに向かって祈れば、私の持っている水晶に繋がる。戻る気になったらいつでも連絡しなさい。早急に迎えにきてやろう」
「――戻るのは嫌ですって、言ってますよね」
「お前はわかっていないんだよ。お前の内面は他を顧みず自己の欲求に忠実な魔族そのものなんだ、本当は。キアーラの神殿でキアーラの民に、欲を捨て尽くすことで覆ってきた仮面はすぐに剥がれてくる。そうしたら、お前の周りの人間は失望し、お前の周りから去っていくだろう」
「だが」と大司教様は肩をすくめると、慈愛に満ちた神官の顔で私を見た。
「私はお前が誰に見捨てられようが、待っているよ。お前は私が育てた子どもだし、お前がいたからこそ今の私があるのだから」
「……大司教様が何を言っているのか私はわかりませんが」
「まぁ、後々よくわかるだろうよ。――お前がすぐに戻らないと言うなら、私もやることが多いのでな。もう発つよ」
大司教様は門に続く道を歩いて、夜明け前の暗闇に消えて行った。




