第80話
ホールから大司教様たちが連れ立って出て行くと、ナターシャさんが舌打ちした。
「何だ? あいつら?」
それから髪を掻きむしってもう一度呟いた。
「色々と言いたいことはあるが、まとめられない。とりあえず――何だ、あいつら?」
「同感です」
ステファンは頷くと、私の肩に手を置いて私と目線を合わせると、優し気な口調で語りかけた。
「レイラ――大司教が話していた、君の両親のくだりは――、嘘だから、何も気にしなくていいんだよ」
「嘘?」
「大司教は『君の親が君の耳を切り落としたけど、機嫌が悪くなると――周囲の物を燃やしたり魔法のような力を使って気に入らないものを壊す』って言っていたけど、たぶん、君は耳がないから精霊の気配がわからなくて――、今魔法が上手く使えないだろう? だから、彼の言っていることは少しおかしいと思うんだ。耳を切り落としてから、魔法のような力を使ってたってあたりが……」
私は自分の耳を手で撫でた。
ちょっと、自分についての新しい情報が多すぎて頭がついていかない……。
確かにテオドールさんに回復魔法を習っていても、「精霊の気配を感じてください」って言われても何が何やらわからなかったけど……。
「――耳があると、精霊っていうのが、わかるんですか? 私?」
「――たぶんね。エルフや魔族の長い耳は精霊の声を聞いて、交信するための大事な器官だっていうから」
「たぶん」ですか……。
「可能性がある」「たぶん」「だと思う」「たぶん」「たぶん」「たぶん」
曖昧な言葉が頭の中をぐるぐると泳ぎ回る。
私は、何?
私は耳から手を離すと、じっと自分の手の平を見つめた。
「ナターシャ……、その子が魔族だというのを、知っていたのか? 何で私に報告しない?」
ホッブズさんの声が聞こえて、顔を上げるとホッブズさんがナターシャさんに詰め寄っていた。
「報告しなかったのは、悪かったかもしれない」
「――けどね」と今度は逆にナターシャさんがホッブズさんに詰め寄る。
「魔族だったら何の問題が? レイラはうちの大事な冒険者です。しっかり仕事をしてくれて、アンタの領地の平和に貢献してくれてる。それで何の問題が?」
ナターシャさんに押されて、ホッブズさんは壁際にじりじりと追いやられて行く。
「……問題は、ないが、しかし……」
「――だったらいいだろ。それでアンタはどうするんだ? 王都に報告する? それこそアンタの嫌がる『大きい問題』になるんじゃない? アタシをギルド所長から解任する? 今までどれだけ、アンタの領地の問題解決してやったと思ってんの?」
ダンっとナターシャさんが壁に手をついてホッブズさんに迫った。ホッブズさんは私とナターシャさんを見比べる。
ステファンが私の後ろに立って、ホッブズさんににっこり笑いかけた。
ホッブズさんは「はぁ」とため息をついてから私たちに言った。
「……キアーラの大司教方もこのまま帰るということだから、まぁ、これは……これで終わりだな。今日はご足労、感謝するよ」
帰りの馬車に乗り込む前に、ナターシャさんはライガに声をかけた。
「……ここ数日、ノアのことでアンタに当たって悪かった。あの子が戦い方を教えてもらいたいって――何か自分からしたいっていうのは……、まぁ成長の証だよな。アタシもムキになり過ぎてたよ」
狼化したライガは、牙のあたりを掻いた。
「――ナターシャがそうしてほしくないってのは俺もわかるよ。でも、ノアは本気だし――、俺も会うたびに殴りかかられるのも嫌だし。ちょっと相手になってやるのはいいかなって俺は思うんだ」
「そうだね。王都から帰ってきたら適度に相手してあげてよ」
馬車に乗り込むナターシャさんに頭をぽん、と叩かれてライガは気まずいのか耳をパタパタさせた。
あんな風に耳が動いてるの初めて見る……。
私がじーっと見ていると、視線に気づいたライガが勢いよく振り返った。
「――何見てるんだよ」
「ううん。今の耳の動きが可愛いなって」
「は?」
ライガは両手で耳を押さえると私を逆にじっと見て、聞いてきた。
「――お前、大丈夫? 久しぶりにキアーラのやつらに会って」
「――大丈夫だよ、うん。ありがとう」
「気にすんなよな。向こうが大変になってたって、それは向こうの問題で、お前のせいじゃないんだからな」
私はふっと止まった。
ライガはキアーラで魔物が出て農民の人とかが苦しんでるのを、私が自分がいなくなったせいだって思って落ち込んでるって思ってくれてるんだ。
私――、私はじぶんでもびっくりするくらい、魔物が出て苦しんでるというキアーラの人について、考えをめぐらせていなかったことに、今――気づいた。
私が大司教様の言葉で負担に感じたことは――、育ててもらったのに、その恩を返してないって言われたことで――、その後ろでキアーラの人が魔物で苦しんでるってことは、頭の中にあんまりなかった。
キアーラにいたころは、彼らが平穏無事な生活を送れるようにってずっと祈ってたっていうのに。
今、私が気にしていることは――、そんなことより――、自分が何なのかっていうことだ。
「レイラ?」
ライガが心配そうに私の顔を覗き込んだので、私ははっとした。
頭がまたがんがんする。私がいなくなったことで、キアーラの人たちが魔物で困ってしまっていることを気に病んでいるのが――、ライガの考える、善い私?
私は、俯くと呟いた。
「キアーラの魔物……、出なくなるといいね……」
ライガはぽんぽんと励ますように私の頭をふさふさした手で叩いた。




