第56話(ステファン視点)
ライガに前で抱えられたレイラが手を組んで祈ると、ぼわっと僕たちを包むように白い薄い光の壁のようなものが生まれた。
僕たちのほうに長い尖った2本の前歯を光らせて向かってくる一角兎は、その光に押し返された。
これなら……行ける!
「ライガ!」
僕の声を合図に、僕らはソーニャの方へ走り出した。
「ステファンっ、ライガ!」
ソーニャは突然出てきた僕らの姿見つけて、驚いたように叫んだ。
「何で、ここに……」
「ソーニャ、久しぶり! そのまま燃やしててくれ! 今行くから!」
そのまま兎を光の壁で兎を蹴散らして、彼女のところに向かう。
彼女の放っている炎も、レイラの祈りの壁で超えた。
「その子……! それに、ジャンも……」
ライガの背中くくりつけられている仲間の剣士を見て、ソーニャは息をつまらせた。
呪文の詠唱を止め、杖を下げて炎を消す。
レイラは引き続き祈りの言葉を呟きながら手を組んでいる。薄い光の壁に角の生えた兎の頭が牙を突き立て跳ね返された。
一角兎はとても凶暴な魔物だ。テリトリーに近づくと、鋭い牙と素早い動きで襲い掛かってくる。
とはいっても、別に4・5匹くらいなら別に、初心者の冒険屋が手間取るような魔物ではない。だけど、今目の前にいるのは、全部で百匹以上は軽くいそうだ。しかも、真っ赤な目は怒りに満ち満ちていて、普通の状態じゃなかった。
……このまま撒いて逃げられないこともないけど、放置はまずいよな。
他の山に入った冒険者なんかが出くわしても大変だし、下手するとこのまま山を下って村や街の方へ行ってしまうかもしれない。
……一気に燃やすか。
僕は背負った荷物から瓶を出すと、ソーニャに言った。
「ソーニャ、これが落ちて割れるタイミングで、君の得意な爆発魔法を頼むよ」
「えっ、それ、何?」
「よく燃える燃料。頼りにしてるよ」
答えると、僕はずっと祈りの言葉を呟き続けているレイラに囁いた。
「レイラ、大きい音がするけど、僕が肩を叩くまで、そのまま祈りを続けてくれ」
大きく振りかぶって瓶を兎の群れの中心に放り投げた。
ソーニャがさっと杖を構えて、振る。
ドンッ
爆発音とともに、視界が炎に包まれる。炎は兎を巻き込んで、渦になった。
ライガがジャンを担いだままレイラを持ち上げて踏み出す。僕はソーニャを担ぎあげると、ライガに合わせてレイラの祈りの壁に守られたまま、渦巻く炎から飛び出した。黒い煙があたり一面に立ち込めて、思わず咳き込む。
「もう大丈夫だよ、ありがとう」
炎の渦を抜けたとこで、僕はとんっとレイラの肩を叩いた。
祈りを止めて、ぱちりと目を開いたレイラは、目の前の光景にぽかんとした表情をした。
「燃えてます!」
「燃えてるね」
「消しましょうか!」
「助かるよ」
彼女がまた祈ると、シューっと音を立てて煙だけを残して火が消えた。あとに残ったのは大量の黒焦げの一角兎の骨だけだった。
「――すごい」
その様子に、ソーニャが信じられないという声を漏らした。
魔法使いとして優秀なのもあって、ふだん人を見下しがちな彼女が、こんな風に感嘆して驚くなんて珍しいと思いながら、僕も頷く。
――最初、レイラが兎を鎮められなかったときは、彼女の祈りの力に何か異変があったかなと思ったけど――、あの守りの壁と炎を鎮めたのは、さすがだ。
「あの炎で兎を全部やっつけたんですね……。あれも、ソーニャさんの魔法ですか?」
「そうだよ」
僕が答えると、レイラは目を輝かせた。
「魔法……ソーニャさんの魔法、すごいんですね……」
「……まぁね……」
ソーニャはローブのフードを被ると、フードの両端を手で押さえて、ぼそりと呟いた。
「ソーニャは火の魔法が得意なんだ。魔法都市の名門学校を飛び級してる、優秀な魔法使いなんだよ」
そう補足すると、ソーニャはフードを被ったまま「……まぁね」と俯いた。
「ステファン、こいつの治療してやってくれ」
ライガが背中に背負ったジャンを下ろす。怪我はひどいけど、命に別状はなさそうだ。
僕は荷物から布を取り出して噛まれた箇所を縛ると、ひどい傷を塞ぐ程度の回復魔法をかけた。
「応急処置はしたけど、街に戻ったら、治療院でしばらく入院しないといけないね」
「――ありがとう――」
痛みが減って意識がはっきりしてきたのか、ジャンがたどたどしく言葉を発した。
「ソーニャは……無事……?」
「無事よ、無事……!……っ……うぅ」
ソーニャはローブのフードを押さえたまま、嗚咽して膝をついた。
「――ジャンこそ、無事で良かったぁ……死ぬかと思ったぁ」
それから、そのまま僕たちの方をぐるりと見てから、うずくまった。
「来てくれて、……ありがとぉ……っ、うわぁぁん」
緊張の糸が切れたのかもしれない。
肩を叩こうかと思ったけど、見守ることにした。
ソーニャはぐすぐす鼻を鳴らしてから、しばらくすると、すっと立ち上がって、ジャンに向かって言った。
「――まぁ、あなたを逃がしたりしないで、初めから1人だったら、あんなに追い詰められたりしなかったんだけどね!」
――気持ちの立て直しが、できたみたいだ。良かった。
「何があったのか、詳しく教えてもらえる?」
少しソーニャの気持ちが落ち着いたみたいなので、二人に問いかけると、顔を見合わせ答えてくれる。
「……ジャンが魔法草を落とすための穴を掘ろうとしてたの……。そしたら、土の中から、一角兎が飛び出してきて、ジャンが穴の中に引きずり込まれてしまったの」
「ソーニャが魔法で攻撃してくれて、なんとか穴から這い出したんだけど……、そしたら、土の中からどんどん出てきたあいつらが、みんなソーニャの方に向かって行って……、ソーニャが逃げろって言うから、俺はそのまま逃げて、そしたら運よく、あなたたちに会えたんだ」
「土の中……、足のないたくさんの一角兎……」
僕は彼らの言葉を反復する。
一角兎は確かに土の中に巣を作る。だけど、一つの巣に暮らすのは一家族多くて5・6匹だ。あんなにたくさんが穴の中にいることなんてない。しかも足がないなんて……。
新種? ――いや。
「また、魔物の違法取引かも」
竜の卵に続いて……最近一体、何なんだ。
「違法取引?」
レイラが首を傾げる。
「一角兎の足は高額取引されるんだよ。幸運のお守りとか、安産のお守りとか、そういう魔法道具の素材用に。――誰かが、そういう素材用に一角兎を大量に養殖して、足を切って、切った後の足以外を穴に埋めたのかもしれない。――きちんと、死体の処理をしないで」
――または、とどめをささずに、足を切ったまま、そのまま埋めたのかも。
そう思ったけれど、口に出すのさえ嫌な気持ちになって、一瞬黙った。
「……だけどこの辺りは魔法草が多くて、地中に魔力が多いから……、屍鬼として復活しちゃって、そこをジャンが掘り当てちゃったんじゃないかな。魔物の遺体はきちんと処理しないと、余計に凶暴化した【屍鬼】になってしまうことがある」
人に痛めつけられた魔物が屍鬼になると、元より攻撃性が増して、とても凶暴で厄介な存在になる。魔力が強く他害性の強い動物を総じて【魔物】と呼ぶけど、魔物だって動物だ。
人に害をなす場合や、魔法研究のために駆除するのは仕方ないけれど、無駄に苦しめるのは駄目だ。僕だって、魔物を仕留める時は首を落としたり、できるだけ一撃で絶命させるよう心掛けている。
「――面倒だな」
重い気持ちのまま、呟いた。




