第210話
このまま辺境地に抜けられると思っていたのに……。
エルフの里に戻るというエドラヒルさんの後ろをついていきながら、私たちは顔を見合わせました。
「……戻って大丈夫なのか?」
「外へ出られない以上、戻るしかないだろう。このままではずっとここを彷徨うことになる」
ライガの問いかけに、エドラさんはため息を吐きながら答えます。
――裏切者
――魔族は滅ぼす
――滅ぼす
エルフの里の方向へ進むたび、耳に絡みつく大樹の精霊の声が大きくなっていって、耳を澄まさなくても耳元に聞こえるようになってきました……。
私は両耳を押さえると、エドラさんを見ました。
「エルフの里で何かあったんですかね?」
「何か、あったんだろうな」
エドラさんは頷く。そうですよね。これ、明らかに何かあった感じですよね。
私は背筋を正した。大樹がまばらになっていく。
もうちょっとで、族長さんがいる悠久の大木……。
「――」
そこで、先頭を行くエドラさんが足を止めて、驚いたように息を呑んだ。
すっかり暗くなった中、悠久の大木を囲むようにゆらゆらと耳の長いシェルエットのエルフの影が揺れている。
行くときに族長さんを空間魔法で隔離するって、エルフの人たちがみんなで木を囲んで魔法唱えてましたけど……まだいたんですね……。だけど……何か……。
私の思った事と同じことを横でステファンが呟いた。
「――様子が、おかしいな」
エルフの影はみんなふらふらと揺れてるんです。
酔っぱらった人みたいに……。
それに、こんなにたくさんいるのに話し声も何も聞こえない……。
「近づきますか……?」
私はエドラさんに声をかけました。もっと近くに行かないとどうなっているのかわかりません……。
その時、後ろで「うわぁ」とライガの声がした。
振り返るとライガが大きく後ろに飛びのくのが見えた。その動きを追うように周囲から蔦が伸びて襲い掛かってく。蔦は執拗にライガが背負っているお父さん目掛けて絡みついた。
「ちょっと、待て」
ライガが手を伸ばしたけれど、お父さんはあっという間に蔦に絡めとられて、ふらふらしているエルフたちの影の方に向かって引っ張られた。
「お父さん!!」
私は思わず叫ぶと、火の精霊を集めてお父さんを引っ張って行く蔦を爆発させた。
周囲が炎で赤くなって、蔦が焼き切れてお父さんがどすっと地面に落ちる。
慌てて駆け寄ろうとする私のローブの襟首をステファンが掴んだ。
「レイラ、危ない!」
ぐいっと後ろに引っ張られた瞬間、目の前で風を切る音が響いた。
「……え?」
右側の編み込みの先端が切れて、毛先が暗闇に舞った。
……風の刃? ……魔法?
「……行かせる、ものか」
耳にまとわりつくような恨みがましい声が木の精霊の言葉じゃなくて、実際の声として周囲に響いた。顔を上げると、ふらふらと立つ金髪のエルフの人が私たちに向かって手をかざしていた。
「リンドールさん……?」
びっくりしすぎて、口をぱくぱくしてしまう。
今、魔法で攻撃してきたの、まさかリンドールさんですか?
だって、リンドールさんはお父さん助けるの協力してくれたじゃないですか……。それが、何で……。
「レイラ!」
ステファンがまた私の襟首を掴んで引っ張りながら、剣を抜いた。
見えない空気の刃と剣がぶつかる。
私を引っ張ったままステファンは後ろに飛びのいた。
その間にまたどこからか生えてきた蔦がお父さんをリンドールさんの方へ引っ張って行く。
「リンドールさん!」
私はリンドールさんに向かって叫んだ。だけど、私の声に反応を示す様子もない。
エドラさんが首を振って呟きます。
「――駄目だ。操られている」
蔦に絡ませたお父さんを近くまで引き寄せたリンドールさんの顔を私はじっと見つめた。
青い瞳はぼんやりしていて精気がなくて……、それに何より、額を覆うように蔦のようなものが生えてる……。
ぼんやりとした瞳で私を見つめるリンドールさんが急に口を開きました。
「この森で生きるエルフは全て大樹の申し子。その意思に反するとは何と馬鹿なことか」
背筋がひんやりする。リンドールさんはこんなこと言わないですよね……。
これって……。
「……リンドールさん……じゃない、ですね」
エドラさんが聞き返します。
「――族長か」
「いかにも」
そう呟いたリンドールさんは嘲笑したように言いました。
「――肉喰らいの悪食よ。私の意思が通じぬとはお前の身体はもう森の者ではないようだ」
これ……話してるのは族長さんですよね……。
私は背筋がぞわっとした。あっちにいるエルフの影もみんな族長さんに操られてるってことですか……?
リンドールさんの口を借りて、族長さんは話を続けます。
「まさか、里の者たちが私の意思に反し、こともあろうか、私を魔法で封じ、裏切者を逃がそうとするとは」
そう言うと、リンドールさんは魔法を唱えました。
小さな竜巻が起こって、足元に蔦に絡めとられて転がってしまったお父さんの木みたいになった体の表面をなぞりました。
「う……ぁ……、アイグノール……」
木くずのようなものが舞って、空中で血に代わって地面にぽたぽたと落ちました。さっきまで力尽きたのか眠ったようになっていたお父さんが痛そうな呻き声を上げます。
「何するんですか!」
私の言葉を無視して、族長さんはお父さんに話しかけました。
「目が覚めたかマイグリンよ。――大樹の森での会話は全部、私の耳に聞こえていたよ。――隠れ里に逃れた魔族は、他種族喰らいをやめて、自ら滅びていくのを受け入れている、と?」
はっと笑って、リンドールさんの身体の族長さんはお父さんを踏みつけました。
「私の妻を、仲間を喰らい、息子を殺した魔族は同じくらい苦しめて滅ぼさねばならぬ。どこまでも追いかけて討伐せねばならぬ」
「――お前の息子が――エレクシスや……他の討伐部隊……が殺されたのは――、お前が魔族を憎んで最後まで滅ぼせと……命じたからだろう……」
苦し気に言葉を返すお父さんを族長さんは睨みつけました。
「そうだ。私の命を守って息子は魔族と戦って死んだ。それがお前はどうだ? 親を魔族に喰われたお前を育ててやって送り出したというのに、魔族の娘に取り入り1人だけ生き残り、あまつさえ、子どもまで作るとは?」
「――俺は――親の顔なんか覚えていない――、魔族に、喰われたことも、覚えていない。ただ、お前に、魔族を憎んで滅ぼせと育てられて――、しかし、実際に見た彼らは、俺たちと変わらない姿で――俺には、できなかった」
お父さんの声が周囲に響きました。
族長さんはリンドールさんのまま金髪の長い髪を掻きむしった。
「何故、私の気持ちを皆理解しない? リンドールも里の者ももはや魔族を追うのは嫌だと言う。かつて我々エルフが受けた痛みを何故返そうとしてくれない? 当時の痛みをはっきりと覚えているのは最早私のみ。他の者は皆、私に恨みを晴らしてくれと言葉を残して大樹となった。彼らの気持ちを晴らせるのは、私のみ」
「族長は、エルフの中でも特に長命だ。実際に魔族と争った世代は……族長を残して、皆森に還った」
エドラさんが小さく呟きます。
年を取ったエルフは大樹の森で木になる……って言っていましたっけ。
私はあの森の木が繰り返していた恨みの言葉を思い出した。
みんな魔族に恨みがあって……その気持ちがずっと残ってるんでしょうか……。
髪を乱しながら、族長さんは独り言のように呟きます。
「魔族の石、があると言ったな……。石は、入口を、示す」
私は咄嗟に、首からローブの下に下げた緑の石を握りました。
森での会話、全部本当に効いていたんですね……。
「娘」
恨みにとり憑かれたような目で、リンドールさん……の身体の族長さんの青い瞳が私をとらえて、身体が強張る。
「その魔族の石を、よこせ」




