第三話 花は必ず散る
「はぁはぁ。ここまで走ってくれば大丈夫だろ。」
私たちはあの後、3キロほど走って逃げた。
「そう、です、ね。はぁはぁ。人間の姿だとすぐ息切れちゃいますよ。てか、これからどうするんです?もう辺りも暗くなってきましたよ。」
「宿を探すしかないよな。結局。」
しかしここは見ず知らずの土地。何もわからないので、人通りが少なくなる前に、道ゆく人に聞いて回った。
聞いて回るうちに、酔っ払った女に話かけてしまった。
「宿をぉ探してるんだったねぇ。うふふ、じゃあ私ん家いこーよ、ねぇ?それか私と飲んでく?」
そう言ったあと、盛大にゲボを吐いた。
腕などに擦り傷が沢山ある。きっと何度もこけたのだろう。
おいおい大丈夫か。この調子だとたぶん危ないぞ。
そう思い、私はこの人を家まで送り届けることにした。
宿探しはその後だ。はぁー失敗した。
「まだ未成年なので酒は飲めないですよ。支えてあげますから、家に帰りましょう。」
「あれぇ、そういう話だっけ?まぁいいや。よろしく〜。」
彼女の名前はキャロル・グレーシ。年齢は29歳で、娘さんが1人いるらしい。
もう本当に酔いすぎててそれぐらいしかまともな会話ができなかった。そして私も一つの問題点に気づいた。
酔っ払いに道案内を任せたことである。
「キャロルさん、ここ前に通りませんでしたっけ?」
「あららー。間違えちゃったかな!あはははは。でも大丈夫!この世界は狭いから、いつか見つかるさ!」
おーいペイルさん。なんで姿を隠すのかな?ずっと思ってたけど。なに、俺を手伝ったりしないの?
「リアンさんと私2人で宿探してるって言ったら、あっち系の宿を紹介されそうだなーって思って。」
今はいいだろ今は!さっさと実体化して一緒にキャロルさんを支えてくれ!
「いや、急に私が、手伝いますよ、って登場したとして、家に到着したら、そこでもう関係終了しちゃうじゃないですか。」
「俺だって送り届けりゃ関係終了だよ。」
「確かにそうか。あ、ヤベ。めっちゃ口滑らしてるな私。ま、いっか。とにかく私は手伝いません。」
「関係終了ってぇ、なんのこと〜リアンくん?急に喋り出したと思ったら変なこと言ってたから。」
マズイ。つい声に出してしまった。
「いえいえ。なんでもありませんよ。家に急ぎましょう。」
そのちょっと後、ようやく家に着いた。
その家は、1階でキャロルさんが店をやっていて、2階が自宅になっていた。
「着いた着いた!おーい、イリス!帰ったよー!」
娘さんの名前は今ここでわかった。キャロルさんがそう大声で言うと、ちょっと時間が経ってから店のドアがあいた。
出てきたのは私と同年代ぐらいの女の子であった。クリーム色の髪の毛をポニーテールでまとめている。
「ちょっとママ、それ恥ずかしいからやめてって言ったよね......だ、誰!?」
「俺はただの道の通行人です。そこで擦り傷だらけのキャロルさんを見つけて家まで送ってきただけなので。はい。」
「あ!そうだったんですね。申し訳ないですうちの母が。ど、どうぞ上がってください。何かお礼をしなきゃ。」
「いえいえ、気持ちだけで十分ですよ。俺はこれから宿を探さなければいけないので。」
「だったら、是非うちに泊まってください!わ、私ご飯も作れるので。部屋もありますよ!」
もしやペイルが言ってたのはこのことか?
だとしたら、確かにあそこでペイルが登場してたらペイルだけここで関係終了だな。
え、もしかして未来が見えるの?ペイル。やば。あとでしっかり問い詰めてやるから覚悟しろよ。
「いいんですか?そうなると断る理由もないので本当に泊まっちゃいますけど。」
「やったー♪どうイリス?ママやっぱりイケメンつるの上手でしょー。」
「ママ!本人の前で何でそう言うこというの!!酔いすぎ。本当にもう。」
そうして私は今夜グレイシー家に泊めてもらうことになった。
賑やかな家族に拾ってもらった私は、とても幸運だ。
2階に上がるとリビングに繋がる短い廊下があり、その廊下の途中に寝室に入るためのドアがあった。
あれ、部屋2つしなかないじゃん。まいっか。
リビングに着き次第、ソファーに寝っ転がってキャロルさんは寝てしまった。
「リ、リアンさん。何か食べたい物とか、ある?」
「俺も料理できるので手伝いますよ。食材さえ見せていただければ、つくれそうな料理がわかるので。」
「えっと、今日買ってきた分も含めてこんな感じです。」
「ふむふむ、鮭二匹に小麦粉とバターと、おお!黒胡椒。ムニエルが作れますね。というか何ですか。この中がすごい冷え冷えのクローゼットみたいなのは。」
「氷魔法陣を使った食料保管庫ですね。ほら、家は魔道具店なので、そういうのを売ってもらったり買ってもらったりしているんですよ。」
「ほえー!すごいですねイリスさん!」
「えへへへ、そんなそんな。って、逆にムニエルって何ですか?私作れないかもです。」
確かにムニエルってなんだ?何でそんな知らない料理の作り方を知ってるんだ?私は。
「じゃあちょっと俺を手伝って貰えれば嬉しいです。どんな料理かはできてからのお楽しみということで。」
「はい!」
そして私とイリスは黙々と料理を作った。
出来上がった頃には、リビングに食欲をそそる香りが立ち込めていた。
「はーい。出来上がり!」
「はわわわわ!美味しそう!え、リアンさん最強ですか?凄すぎる。なんか申し訳ないです。お客さんに料理を振る舞っていただいてしまって。」
イリスは本当に嬉しそうに料理を眺めている。温かい料理は腹だけでなく、心も満たすとは、まさにこのことだろうか。
私自身も心の底から作ってよかったな、と思った。
「いえいえ、本当に私は泊めてくれるだけでありがたいと思っているので。せめてこれくらいのお礼をしないとね。」
「あ、ありがとうございます。」
そう言うと彼女は下を向いて、もじもじしてしまった。
あれ、なんか変なこと言っちゃったかな。
「いや鈍感すぎでしょ、リアンさん。イリスちゃん大変だぞーこれは。」
ペイルが久しぶりに喋ったと思ったら、また意味のわからないことを言っている。
「さぁ!食べましょう!」
「は、はい!」
うん。我ながら良い出来だ。美味しい。イリスも美味しそうに食べている。よかった、よかった。
食事の間に私は色々なことを聞いた。
イリスは14歳で私より一歳下だった。彼女の父親、グレーシ・ストラトスは、戦争に駆り出され亡くなったらしい。今はキャロルさんと2人暮らしだそうだ。
父親が亡くなってから、キャロルさんは酒に逃げるようになったそうだ。旦那さんの死の悲しみや、受け継いだ魔道具店の経営、1人での子育ての不安などが、弱い29歳にのしかかるわけだ。そうなっても仕方ない。
「リアンさんってどこか学校とか行ってるんですか。」
「行ってないよ。というか、行かなくても生活できるからいいかなーって思って。あ、年も近いから、さんって付けなくていいよ。」
「え、じゃあ、えーと、リアン、くん。」
またもじもじさせてしまった。あれー?おかしいな。ネイデルもこういう感じで、上手く話を回してなかったっけ?
「じゃ、じゃあ、私を呼ぶ時も、さん付けなくて、いいよ。」
「はい。ということで改めまして、今日はありがとう!イリス!」
「こ、こちらこそだよ。リアンくん!」
ある程度打ち解けられたと思うので、私はイリスに相談をした。そう。仕事だ。丁度同い年ぐらいだから、この年にできる良い仕事を知ってるんじゃないかと思ったので。
「学校には行かないけど、仕事をしたいんだよね俺。なんかいい仕事知ってる?」
そう問うと彼女は、何やらブツブツと小さな声で独り言をしゃべりながら考えた。そして少し緊張した様子でこう言った。
「ここで働いてみてはどうですか?なんなら住み込みで。」
その手があったか!!
私は体に電流が流れたような気分になった。
「いいんですか!ありがとうございます!!でもその話をキャロルさんが承諾してくれるかどうか。」
と、私が少し不安に思っていることを言うと、イリスがとても食い気味に答えた。
「そこは心配しなくても大丈夫です!何があっても必ず私が説得しますので。」
その後、キャロルさんが私がここで働くことを快く受け入れてくれたので、住み込みで働くことが決まった。
最近1日1日が、内容の濃いものでとても疲れる。
私は結局一つしかなかった寝室でイリスと同じ部屋で寝ることになった。
思春期の女の子にとってみれば最悪なんじゃないか、これは。何も私が廊下で寝れば問題解決なのに。
たぶんイリスは優しいから、無理して「同じ部屋でいいですよ」って言ったんだろうな。
それにしても今日会った知らないヤツと娘を2人で寝かすのはちょっと危なくないか?
なんか疑われるのは嫌だし、早く寝よ。
明るい日の光が窓から差し込み、私の顔を照らす。
朝だ。
寝起きには少し眩しいすぎるくらい強い朝日だ。今日はそれくらい天気がいいらしい。
早速今日から仕事が始まる。気合いは十分だ。
そして私はベッドから起き上がった。もう一つのベッドにイリスはいない。
まずはみんなに朝の挨拶をしなくては!
私は寝室のドアを開けて廊下にでる。
廊下で着替えていたイリスとバッチリ目があった。
「お、おはようございまーす。」
私はそう言ったあとすぐ寝室に逆戻りした。
あー。終わった。
そうだよな。寝室でなんか着替えないもんな。なにせ私がいるし。うわー失敗した。
ペイルが大笑いしている。
何がおかしいってんだよ、くそ。
寝室のドアがノックされた。私は土下座でスタンバイした。裁きの時に備えて。
ドアが開く。
「えぇ!どうしたの。って、あぁ、あれか。うん、まぁちょっと恥ずかしかったけど大丈夫だよ。私も今度から着替える場所気をつけるね。」
「本当にごめんね。はぁーやってしまった。」
「いや!そこまで落ち込まなくていいよ!私は別にリアンくんなら、その、許せるというか。はっ!何でもない!何でもない!とにかく、大丈夫だよ。」
優しすぎないか。私は幸せ者だ。こんなにも人に恵まれるとは思いもしなかった。
「鈍感すぎないか!?というか言葉の意味わかってる!?」
何のことだペイル。私はいまこの恵まれた環境に感謝している最中なんだ!意味のわからないことを言って邪魔しないでくれ。
「はぁー。イリスちゃん、頑張って。コイツは私にはもうどうにもできない。」
朝食は二日酔い中のキャロルさんが作ってくれた、パンと温かいスープだ。
こうして朝ごはんが用意されている生活が、どれだけ恵まれていることなのかは、よくわかっているつもりだ。
朝食を食べ終えたあと、私は用意された服をきて、キャロルさんから仕事の内容を伝えられた。
まずは開店前の掃除から。床の拭き掃除と窓拭きなどなど、とりあえずは掃除から。だそうだ。
段々と慣れてきたら、仕事を増やしてくれるらしい。
報酬に関してだが、ちょっと小競り合いが起きてしまった。
私はもう、朝、昼、晩とご飯も出て、住むところも提供してくれているのだから、給料はいらないと言ったのだか、キャロルさんが認めてくれない。
「生活費は引くけど、お給料は絶対渡します!!」
の一点張りだ。
まぁ私も
「こんなによくしていただいているのにお給料なんて頂けません!!」
の一点張りだ。
結果として、私の給料の問題は保留となり、その分のお金をグレーシ家で保管しておくことになった。まぁそれが一番の最適解だ。
最終的にそれを受け取らなければいいのだから。
そうこう考えているうちに、イリスが学校へ行く時間になった。
イリスがそもそも可愛いので制服を着ると、鬼に金棒状態だった。
「いってらっしゃい!イリス。」
「うん、行ってきます。あの!お、お仕事頑張って。」
「うん、ありがと。」
見送りを終えたので、早速掃除に取り掛かる。
開店まであと少しのギリギリの時間で何とか掃除を終わらすことができた。
「キャロルさーん。終わりました。」
「はーい。ありがとうね!じゃ今日はこれでおしまい。自由に過ごしてもらっていいよー。」
急に自由になると少し困ってしまう。さて、どうしたものか。するとペイルが急にしゃべりだす。
「そろそろ頃合いですかね。私の登場の。」
どうやって登場するんだ?
「店にリアンさんの姉として登場するんです。」
いやそんな無茶苦茶な。というか食費とか増えたら困るんだけど。それならもういっそのこと、神媒者だって言ったほうが良くない?
「うーん。まぁそれもありか。でも恐れられそうで怖いですからね。」
確かにそれは嫌だわ。うーん。じゃああと残っている設定としては.....恋人とか!そうすればずっと家にいなくてもよくなるじゃん。
「おいおい、君は本当にわかってないな!それだけは絶対ダメ!てか普通に姉だとしても、一緒に住む必要はないでしょ。」
確かに。
こうしてキャロルさんに、私の姉としてペイルを紹介することとなった。
「街をぶらぶら歩いてたら再開したので紹介します。こちらが私の姉です。」
「わ、わーお。とんでもなくべっぴんさんね。こんなに美しい人初めてみたかも。」
キャロルさんが引いてる。
「いつも弟がお世話になっております。これからも弟のことをよろしく頼みます。」
「もちろん。任せてください。」
ペイルはこれ以降私の姉として登場しなければならなくなった。
「いいのか?自分に縛りを増やしたようなもんだぞ?」
「別にどうってことはありませんよ。ほら早く買い物いきましょう。」
そう。あの後キャロルさんに何かして欲しいことを聞いたら、今日の夜ご飯の食材を買ってきて欲しいと言われたのだ。
なので、いま八百屋に向かっている。グレーシ家の立地はとても良い。なぜならもうこの家が、市場の中に建っているからだ。
八百屋も歩いてすぐだ。必要なものを全て買ったので今度は魚屋へ向かった。
その道中に、ここの町の掲示板を見つけた。その中で、真新しい掲示物に目がいった。
それは戦死者リストだった。
一枚の紙に約50人くらいの名前が書かれており、そういった紙が20枚ほど重ねて貼ってあった。
一枚めくり、1人1人の名前を読んでいく中で「グレーシ」という名字の男性を見つけた。
やるせない気持ちが私のなかをめぐる。
なぜこの世には戦争という無意味な争いがあるのだろう。私にはたぶん一生理解できないだろう。
いや、そんなもの理解できないほうがいい。
「ただいまー。」
ペイルにはもう姿を見えないようにしてもらい、家に帰った。
「おかえり。リーくん。もう本当助かるわー!」
キャロルさんこそ優しすぎます、と言ったらまた褒め合いバトルが始まりそうだったのでやめた。
さて、ちゃちゃっと昼飯作るか。
もうずっとこうして過ごしていたい。美しい
「花」のような、煌びやかで可憐な日々を。
生きる目標なんてなくたっていい。富や名声なんて必要ない。私はただ、必要最低限の生活圏で、大切な人たちとずっと幸せに生きていたい。
お金だけが富ではない。いまそこにあるもので幸せを感じることができる感性こそ、究極の富だと私は思う。
「ジューーーー」
あ、やべ!焦げちゃう、焦げちゃう。料理に集中しなきゃ。
出来上がった料理をキャロルさんと食べたあと、私は特にやるとこがないので寝た。
下の階から聞こえる泣き声で私は起きた。
あれはイリスの声だ。
私は急いで階段を駆け下りた。
そこにはキャロルに抱き締められているイリスの姿がある。
「もう学校なんてイヤ!行きたくない!!」
耳の鼓膜を針で通すような高い叫び声が響きわたる。
「よし、わかった。じゃちょっとママ学校に相談してみるね。大丈夫、大丈夫だよ。ママはいつだってイリスの味方だから。」
娘を抱きしめる母の背中は小さく、けれども大きかった。
同時に私は彼女たちとの、決してつまることのない無限の距離を感じた。
血が繋がっているわけでもないし、まだ出会って数日しか経っていないのだから当然ともいえる。
だがしかし、私はその距離感を無視することは、できなかった。
それを見て初めて、自分の大切な記憶に大きな穴が空いていることに気づいた。
私にもあのような母親がいたのだろうか。
3人とも2階に上がると、リビングでイリスから詳しい話を聞いた。
どうやらイリスは、いじめを受けている。
クラスの中心的な存在の男子生徒に目をつけられてるらしく、何度も暴言を吐かれたり、物を隠されたりされているそうだ。
それも日常的に。ふん、ガキが舐めやがって!
結局学校なんてそんなもんだ。精神的に幼い奴らとおんなじ所で生活していてもないもいいことなどない。
あと我々が、そのガキの精神的成長の踏み台になる必要もない。
だから関わらないのが一番だ。
そして私は考えを口にした。
「私が勉強を教えましょうか?」
と。
2人揃って「え?あなたが?」みたいな顔をされたが大丈夫。私、記憶にはないけど結構勉強してたっぽいんですよ。
「俺、普通に読み書きできるし、あと計算も、加法と減法はもちろん、乗法と除法もできますよ。」
キャロルさんが疑わしそうな顔で聞く。
「えー?リーくんが?本当に?じゃあ121÷11は?」
「12!あ、間違えた。11だ!!」
クソ!ちょっと間違えた。おいペイル笑うな!!
「ん?うーん。正解だね。すごーい。まさか勉強できると思わなかったよー。じゃあイリスの勉強の面倒、見てもらっていい?」
泣き止んだイリスが鼻をすすってこっちを見る。
「リアンくん、私に教えてくれないかな。勉強。」
おいおいそんな可愛い顔で言われたら嬉しくなっちゃうでしょうが。
「喜んで。学校にいるバカどもより数倍できるようにしてあげよう!」
「リーくん。それはちょっと言い過ぎ。もうイリスのこと好きすぎててしょうがないんね。」
「はい!それはもう!」
「ブーーーー!」
「ヒェ!?」
「はっはっはっはー!」
ペイルが吹き出しだし、イリスが変な声を上げて真っ赤になった。キャロルは大笑いをしている。
あれ、あんまり人のことを好きになっても、それは言わない方が良かったのかな。まぁいいか。私も笑おう。
「はっはっは!」
これからの生活は、学校がなくなったイリスがいるためちょっと変わる。
朝早くに起きて、イリスの着替えが終わるまで寝室で待機。
終わったらリビングへ行き朝ごはんを食べる。イリスは学校へ行かないので朝の店掃除を手伝うこととなった。
それが終わったらひたすら勉強。夕方になったら最後のまとめで復習問題を解く。
ひたすら勉強はちょっと可哀想だけど、キャロルさんに、「甘やかしちゃいかんよ!」と釘を刺されているので仕方ない。
しかし、イリスが楽しそうなのが不可解だ。
まぁ楽しんでくれていることにこしたことは無いのだが、てっきり途中で嫌がると思っていたので、少しびっくりしている。
この生活が始まってから、これでもう6日目となった。店の掃除も流石にこなれてきた。
開店する時間よりもずいぶん前に掃除を終わらせることができた。さぁ次は勉強だ。
「リアンくん。今日もよろしくね。」
「ふふーん。まかせなさい!」
今日は三桁の数の足し算をやる日だ。
イリスはとても地頭がよいらしく、一度手法を教えればそれをガンガン使ってバンバン解いてしまう。
私がひとつひとつ手書きで書いた問題が瞬殺されていくのを見て儚い気持ちになる。
いじめっ子に目をつけられてしまったのも、たぶんイリスの能力への嫉妬、といった所だろうか?まぁ理由がどうであれ、私が許すことは無いからな。
「ねぇ、リアンくん。こ、この前にさ、その、わ、私のこと好きって言ってたじゃん。」
私が考え込んでいる間にもう問題を全て解いてしまったらしい。なんてこったい。ならもう雑談しててもいいよな。
「うん。大好きだよ。」
そう私が言うと、またイリスの顔が真っ赤になった。何か言いたそうだが声が出ないらしい。口がぱくぱくしている。
「その、ええーと、わ、私もリアンくんのこと、だ、大好きだよ。って伝えたいと、思って。」
「え!?あ、ありがとう。」
私の心拍数が暴れ始めた。
まさかそんな風に思ってくれていたなんて。てっきり私が一方的に思いを寄せてるものだと。
ペイルが空中をのたうち回っている。
「私ね、パパが死んじゃったり、学校でいじめられたり、最近悲しいことばっかだった。生きていくのが辛くて。もういっそのこと死んじゃおうかな、なんで考えたこともあった。」
イリスが椅子から立ち上がり、私の手をとる。
「でもね、リアンくんっていう大好きな人ができてから、もうちょっと生きてみようかなって、そう思ったんだ。」
彼女の微笑む顔には涙が流れていた。私も目から熱いものが込み上げてきた。
彼女にとって、今までの出来事がどれだけ辛かったかは私には計り知れない。わからないなら、わからないままでいい。もう、なんでもいいから、彼女を包んであげたい。
私は椅子から立ち上がり、イリスを引き寄せそっと抱きしめた。彼女もまた、私を抱きしめた。
そして耳元で繰り返し伝えた。
「生きててくれて、ありがとう。愛してるよ。」
「私も愛してる。」
しばらく私たちはそのままずっと抱き合っていた。




