8話 訪問者の怪・後編
「おーい、三隈。俺だ。開けてくれー」
扉の向こうから聞き慣れた声が聞こえてくる。
期待の目をして立ち上がりかけた高野を、三隈は手で制した。玄関に向かって声を張る。
「どちらさん?」
「おい、ふざけんなよー。俺だって。稲田。早く開けてくれよー」
三隈は、スマートフォンを取り上げると、稲田に電話を掛けた。暫しの呼び出し音の後、ガサガサという物が擦れる音に次いで「もしもし」と稲田の潜めた声が返って来る。
「お前、今、会社に居るよな」
「いや、電車。なんだよ、ヘルプって。色々調整して会社出てきたけど──悪ぃ、今車内だから一回切る。待ってろ──」
「判った。ちなみに、お前、今うちの玄関先に居るぞ」
「は?」
そのまま電話を切った三隈は、高野に視線を向けた。どうします、と小さく言う高野に、手で座るように示した。
「おーい。三隈? 居るよな? 開けろって」
コンコンコンコンコン。
何者かが扉を叩く。
「本当に稲田さんでは、ないんですか」
高野の問いに、三隈は小さく頷いた。
「アイツは今電車に乗ってる。あと、家に来るとしてもあんなノックはしない。俺が鍵を開けたままにしているか、そうでなければインターホンがあるんだからな」
その言葉に応えるように、ピンポーンとインターホンが鳴った。
高野が小さく悲鳴を上げて耳を押さえた。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
三隈は立ち上がって、インターホンのモニターに向かった。
「何してるんですか」
高野の声に、三隈がモニターの通話ボタンを指さすと、高野は怯えたように体を引いて、首を振った。
三隈は、構わず通話ボタンを押した。モニターはドアスコープで覗いた時のように真っ黒だ。うぅ……うぅ……と呻く声が聞こえてくる。少し間を開けてから、呻いていた声が段々と言葉を形作った。
『う、うぅ……み、すみ……三隈、三隈ぃ、三隈三隈三隈三──』
三隈は通話ボタンをもう一度押して、通話を切った。
──こちらの様子が判っている。そして、俺に執着している……?
扉は再びドンドンという音を立て始めた。
「三隈開けてくれよ。開けろよ三隈、三隈三隈。おい、開けろよ。三隈」
三隈は溜息を吐くと、ヘッドホンを取り上げて、震える高野の頭に装着した。端末の再生ボタンを押すと、一瞬怪訝な顔をした高野が、肩をビクつかせた。
「か、怪談……!」
「間違えた」
三隈は、タブレットを操作して適当に音楽を流すと、それを高野に手渡した。
再び椅子に腰掛け、玄関の扉を見やる。
「三隈……おい、開けろって。俺だよ、稲田だよ。三隈、三隈三隈三隈」
──三隈三隈、煩い。しかも稲田の声で言うせいで若干腹も立ってくる。さて、どうしたものか。
扉を開けるのは駄目だ。札も直接作用させねばならない。そうなると、今は稲田を待つしかない。
三隈は、スマートフォンの時計を確認した。
稲田の会社から三隈の最寄り駅までは約二十分。駅からは徒歩で十五分程だが、稲田のことだから走って来るに違いない。
──それでも、まだ掛かる、か。
それまでは、三隈と呼ばれ続けることに耐えねばならない。
突然、共用部からドサリと何かが落ちる音が聞こえてきた。思わず腰を上げた三隈の様子に、高野がヘッドホンを取り、玄関に視線を走らせる。
ダダダッと駆ける音が近付いて来ると、扉に何かが叩きつけられる音が響いた。一度ドアノブが下がり、暫くの後、インターホンが鳴った。
ピンポーン。
三隈はスマートフォンを取り上げ、稲田に電話を掛けた。
扉の向こうで何かが動く気配がすると、ぜぇぜぇという荒い呼吸音が電話口から聞こえてきた。
「なん、か……消した、ぞ。とりま、開けて」
三隈がインターホンの通話ボタンを押すと、モニターに汗を拭う稲田の姿が見えた。稲田が顔を横に向け、「煩くしてすいません!」と謝っている。隣人が覗いていたようだ。
三隈が玄関の扉を開けると、袖で汗を拭った稲田が長い息を吐いた。
「早かったな。稲田」
「おー。めっちゃ走ったもん、俺。──あ、ちょっと待って。荷物」
そう言って稲田はエレベーターホールの隅に投げ出された荷物を取りに、共用部を戻って行った。
部屋に入った稲田は、高野の姿を見とめ、軽く手を上げて挨拶をした。
「うーす。高野さん、大丈夫だった?」
「はい。稲田さんこそ、大丈夫ですか。お仕事は……?」
そう言って、稲田が持つ大量の紙袋を見やる。
「今週中にって先方と話してた件を今日にして貰ったの。昼休憩も込みで早めに出てきたから、大丈夫。正直この荷物で全力疾走はキツかったけど……。三隈、何か冷たい飲み物頂戴。あと消臭剤貸して。流石に汗臭いまま行けないって。あと昼飯も食わせてくれー。あー、疲れた」
そう一気に捲し立てると、稲田は床に寝転んだ。
三隈は、卓の上に麦茶の入ったグラスと消臭剤を置いてから、冷凍庫を開けた。
「いつもの炒飯で良いか?」
「おー。食わせてくれんなら何でもー。……というか、アレなに。何かウゾウゾしてたんですけど。あと、何で高野さんが此処に居るの?」
三隈は、温めた炒飯を稲田の前に置き、時計を見やって自身と高野の分の昼食を用意しながら、朝からのことを話した。
「はぁ。つまり、俺がなんかよく判んねぇものを何とかするぞっていう思い……願いをこの札は叶えてくれる訳だ。でもそれは〝何とか〟してくれてるだけで、除霊をしてる訳じゃないってことね」
「高野さんの話と、実際に起きたことを考えるとそうなる」
ふぅん、と言ってグラスを傾けた稲田は、思い出すように視線を上向けた。
「まー、確かに、そう言われるとしっくりくるな。あの廃倉庫の霊だって、結局まだ居るんだろ? だったら、除霊した訳じゃない。聞いた通りだった訳ね」
「すみません……」
高野が頭を下げると、稲田は「いやいや」と手を振った。
「十分、助けられてるし。いいんじゃない。そういう力もさ。何の力も持ってない俺らからしたら、マジですげーって。なぁ?」
そう問う稲田に頷いた三隈は、改めて高野に目を向けた。
「確かに、興味深い力だな」
「そう、ですか」
その時、稲田が時計を見て、あっと声を上げた。
「俺、そろそろ行かねーと。悪い。この話は今夜──は、無理だな。どっかで時間作るからその時聞かせてくれ」
慌ただしく荷物を抱えて玄関に向かった稲田は、扉を開けて部屋を振り返った。
「助かった」
稲田が何かを言う前に、三隈は言った。稲田は一瞬呆けたような顔をしてから、ニッと笑った。
「おぅ。じゃ、またなー。あ、今日は高野さんのこと、ちゃんと家まで送ってくんだぞ。何が起こるか判んねぇからな」
そう言って、稲田は扉を閉めた。
三隈は、ゆっくりと玄関から横に立つ高野に視線を移した。
「あ、大丈夫ですよ。一人で帰れます。明るいですし」
高野は小さく手を振ったが、しかし三隈は首を横に振った。
「いや、流石に今日は送って行こう。帰り道に何かあったら困る」
うーんと首を傾げた高野は、頭を下げた。
「では、甘えさせていただきます」
そう言って顔を上げた高野は、ふいにぷぅと頬を膨らませた。
「……今日は三隈さんに凄い怖い思いをさせられましたから。幽霊も怖かったですけど、やっぱり三隈さんも怖いです」
「送って行く間も、怖い思いをするかもしれないぞ」
表情を硬くした高野に、「冗談だ」と三隈は笑った。
「明るい内に送って行く」
聞き出した高野の最寄り駅は、三隈の最寄り駅から三つ先だった。時間を掛ければ歩けない訳でもないが、大人しく電車に乗っていくことにする。
「では、お邪魔しました」
玄関先で頭を下げた高野は、そのまま顔を上げず、玄関扉横のメーターボックスに目を釘付けた。
「高野さん?」
三隈の呼び掛けにも答えず、ボックスを開けるとその中を見回し始めた。突然ボックスの中に手を伸ばすと、暫くして取り出した何かを手のひらに乗せ、悲鳴を上げた。
それは、木でできた人形だった。
「ど、どうしましょう。触っちゃいました」
慌てる高野の前にハンカチを出して人形を受け取った三隈は、玄関の鍵を開けて、手を洗ってくるように言った。高野が部屋の中に姿を消す。
三隈は人形をじっくりと観察した。
まだ真新しい木で作られた人形は、それでもメーター内の土埃で汚れていた。
──呪い、か。いや……。
呪いとは、掛けられた相手が〝呪いに掛けられた〟と気が付かなければ成立しないものが殆どだ。三隈は一切気が付いていなかった。
──これは、今までの怪異とは別の呪いなのか。それとも……。
考える内、玄関扉が開いて高野が戻って来た。
「三隈さん、それ……もしかして、呪物、ですよね?」
「……だろうな」
三隈は、ハンカチごとメーター内に戻すと、手を払った。
「とりあえず、高野さんを送って行く。これの正体はゆくゆく考えるさ」
高野が、怖々と三隈を見やった。
「三隈さん。怖くないんですか……?」
「まぁ」
そう言って、三隈はエレベーターホールまで歩き始めた。
高野の最寄り駅へと着いた三隈は、高野に続くようにして歩き出した。
たった三駅先だというのに、街並みは随分と違って見えた。瀟洒な建物が、大通り沿いに続く。
「この道を行った先にうちのフラワーショップがあるんです。我が家は、そこの手前の角を曲がった先です」
そう高野が指さす先を見やると、家というよりは屋敷と呼んだ方が適しているような建物が続いていた。
「薄々思ってたけど、高野さんってお嬢様だよね」
えぇっ、と戸惑いの声を上げた高野だったが「そんなことは、ないと思います?」とやや自信なさげの答えが物語っていた。
大通りを渡り、小道に入る。小道とはいえ随分と広いのだが、人通りはなかった。
──恐らく、徒歩ではなく車移動が主なんだ。
勝手にそう判じた三隈は、小道を歩き始めた。
その時、笑顔を浮かべて話していた高野が、ハッと後ろを振り返った。釣られて後ろを振り返った三隈は、駆け寄って来る人影に、咄嗟に高野の腕を引いた。
腕に痛みが走る。
人影は、二人を通り過ぎるとこちらに顔を向けた。
──あの、女だ。
三隈は息を飲んだ。
金縛りを起こし、三隈の頸を絞めたあの女。
姿形は異なっていたが、虚ろの中に深い怒りを滲ませた瞳を見て、直感した。
三隈は、高野の腕を掴んだまま道を戻ろうと体を反転させた。
その瞬間、けたたましい音が響く。車がすぐ目の前まで迫っていた。三隈は道の端に体を避けると、女が立っていた方を見やった。
──居ない。
「君達、危ないじゃないか!」と窓を下げて言う運転手に頭を下げ、三隈は息を吐いた。
「大丈夫か」
高野は青い顔をして、小さく頷いてから三隈の腕を見やった。目を見開き、わたわたと鞄を漁る。
「ち、血が出てます。止血、止血しないと」
「あぁ、これくらい──」
言い掛けた三隈は、しかし放置出来るような傷でもないことを確認して、辺りを見回した。
「薬局に行くよ。まずは高野さんを家に送って──」
「何言ってるんですか! 私の家はすぐそこですから。来て下さい」
高野は三隈の腕をぐいぐいと引いていく。一瞬だけ足を止め、三隈を振り返った。
「さっきのは、何だったんでしょうか」
「判らん。だが、多分家に出た女だ」
高野は、不安げに三隈を見つめた。
「で、包帯ぐるぐる巻きなのね」
「ぐるぐる巻きではないがな」
数日後、三隈の家を訪れた稲田が、腕を見下ろしながら言った。
「ついに怪我しちまったじゃん。やっぱり危険だぜ、オカルトってやつはさ」
そう言う稲田を無視し、ふいと顔を背けた三隈に、稲田は呆れたように笑う。
「ま、それでお前が変わるとも思えないけどさ。本当、気を付けて欲しいわ。ヘルプって言えばどこに居ても俺が駆けつけるって思ってるかもしれないけど、俺は超能力とか持ってる訳じゃないし。判ってるとは思うけど」
稲田の言葉に、三隈は包帯を巻いた自身の左腕を見下ろした。
「あの女だが」
「はいはい」
稲田は、卓に肘を突いたまま三隈を見やった。そのままチューハイの缶を持ち上げてグビリと飲む。
「確実に見覚えはない。ただ、アレが俺の周辺をうろついているのは確かだ。この人形が恐らく原因なのだろう、と思う」
稲田が卓の上に置かれた人形に目を落とした。家に持ち込む際に、稲田の持つ札で包んだお陰か、特に怪異は起きていなかった。
「これが原因なら、お前、呪われてるってことじゃん」
「恐らくは、そうなんだろう」
「思い当たる節はねぇの」
三隈は考えた。しかし、どうにも懸念すら湧かなかった。
「ないな。そもそも女に見覚えはないんだから、一方的に恨みを買った可能性が高い」
「あー……」
稲田は三隈の顔を見回して、高校時代の記憶を呼び起こしていた。
三隈は冷たそうな見た目とは反して、話してみると意外と気さくなところがある。人間関係を絞っているせいで、逆に誰に対しても分け隔てなく接するところがあるのだ。その上、全くの他人に対して無自覚に、または意識的に良い顔をすることが多いから、それである種の思い違いを生んでしまうのだった。極めつけは、そこそこ整った顔だった。
「……なんだ?」
怪訝そうに言う三隈に、稲田は「なんでもー」と誤魔化し、チューハイを飲んだ。
「俺の予想だけど、この人形といい、所謂〝生霊〟って奴じゃねぇの」
稲田の言葉に、三隈は顎に手を当て考え込んだ。
──確かに、そう考えれば全ての事が結びつく……か?
考え続ける三隈に、稲田は人差し指でこめかみを軽く叩きながら続けた。
「この辺りを歩いてた女ってのは、お前を探して徘徊してた。それで、お前の家を突き止めて人形を仕込んだ。それから怪異がお前の周りで起きるようになって、ついには生霊まで出てきたって訳」
「……少し無理があるような気もするが」
「つってもさ、そう考えないと色々納得できないじゃん。まぁ、徘徊してた女は別だとしても、ここんところのお前、急に怪異に遭遇しだすしさ。きっかけ、だよ。その女の呪い。だから、その女は取っ捕まえる……というか、何とか出て来てもらって通報、だな。流石に人間には札も利かないだろうし」
三隈は、高野が言っていたことを思い出した。
「高野さんは人間に試したことはないって」
「え、何が」
「消えること」
たっぷりの沈黙をした稲田は、眉間に皺を寄せ「俺はやらねぇよ」と言った。
「判ってる。俺もそんなこと試すつもりはない。むしろ、高野さんの札に頼りすぎるのもどうかと思っていたところだ」
二人の間に、妙な緊張感が走った。
稲田が、はぁ、と息を吐く。
「まぁ、俺も判ってる。お前は物騒なことは言うけど、そういうことはしないもんな」
「当たり前だ」
「危ない目に遭いそうになったら、ちゃんと側にいる人を助ける奴だからな、お前は」
稲田は、包帯の巻かれた三隈の腕を見やって、小さく笑った。とにかく、と続ける。
「その女をどうにかしないとなー。まぁ、力負けするってことはないかもしれないけど、生霊とかになってくるなら話は別だよな。──金縛りとか復活してないよな?」
「あぁ、してない」
三隈は、考えた。生霊を飛ばしてくるストーカー。一体、どう対処したものか。
暫く考えていた三隈は、ふうと息を吐いて天井を見上げた。
──どうしろというんだ。
「やっぱり、使うか、札」
「使わねぇって」
稲田が卓に置いたチューハイの缶が、高い音を立てた。
書類のチェックに注文書の作成、各部署への確認をしているうちに、あっという間に昼休憩の時間になった。勿論、結婚式の相談をするのに様々な都合をつけて訪れる新郎新婦が殆どの為、例え十二時であろうが予約が入れば受け付けることになる。
この日、三隈の予定は夕方に一件打ち合わせの予約が入っているだけだった。三隈だけでなく、多くのプランナーがそのようで、事務室の端にあるテープルで弁当を開く者が多かった。
三隈は多くの日が、仕出し弁当を注文していた。書類をぼんやりと見やりながら、唐揚げ弁当を食べ進める。
「それでぇ、その子彼氏も家族も総動員でストーカーを捕まえたんだってぇ」
その話し声に、三隈は耳をそばだてた。こわーいと数人が声を上げる。
「ストーカーってねぇ。こっちはどうしようもないよね。何でストーカーされるのか、とか。何が目的なのか、とかさぁ」
内心で三隈が頷いていると、それはさぁ、と声が答える。
「ちょっとしたことで勘違いする人が居るんでしょ。たまたま前を通ったから、でストーカーになったって話もあったじゃん」
「あぁ、アレ」
──アレ。
三隈は、弁当を食べ進めながら、ぼんやりと〝アレ〟の正体を記憶の中に探った。
──そうだ。一か月程前に、ストーカー事件があったんだ。
スマートフォンを取り出し『ストーカー 事件』と検索する。
関連記事はすぐに出てきた。
何気なくニュースサイトを開いた三隈は、表示された画像に目を見開いた。
──あの、女だ。
三隈の腕を切り裂いた女。金縛りを起こし、三隈を寝不足に追いやった女。
逮捕時の、遠くを睨み付けるようなその顔は、見覚えのあるそれだった。
メッセージアプリを開いた三隈は、ニュース記事のURLを稲田に送信した。『この女だ。逮捕されてる。他にもやってた』と添える。
少しばかり肩の荷が下りた気がして、三隈は息を吐いた。
「三隈さん、どうしたんですか。お疲れみたいですね」
同僚の佐藤がチョコレートを差し出しながら、言った。「有難う」と笑顔で受け取った三隈は「ちょっと書類が溜まっててね」と誤魔化した。
伺うように小首を傾げた佐藤に、そういえば、と仕事の話を振った三隈は、内心こうも気が楽になるのかと思っていた。
──同時期に、複数人をストーカーしていたとは、解せないが。
仕事を終え、帰り支度をしながらスマートフォンを確認した三隈は、ふと手を止めた。
新着メッセージには、稲田から『それはなくて?』と、誤字まじりに送られてきていた。『なにが』と送り返してから帰路に就く。
自宅に着いた辺りで、スマートフォンが着信を告げた。稲田からだった。
「もしもし」
『あー、三隈。今、家?』
「今着いたとこ」
鍵を掛け、靴を脱ぐ。
若干暑さの残る部屋に、冷房を点ける。
『あのさー、昼に送ってきた記事あるじゃん』
「あぁ。あれが付きまとい犯の正体だ。生霊を飛ばす、な」
スマートフォンをスピーカー設定にし、手洗いうがいをする。
『それは……ねぇと思う。他の記事って読んでない?』
「他の記事?」
三隈は、タオルで手を拭くと、スピーカー設定のまま『ストーカー 事件』と再び検索した。画面をスクロールすると、すぐにその見出しに行き当たった。
【ストーカー犯獄中で死亡】
黙り込んだ三隈に、電話口から「おーい」という稲田の声が聞こえてくる。
『見つけた? そのストーカー犯、一か月半くらい前に死んでんだよ。原因不明で』
「それだと……確かに、合わないな。どういうことだ?」
電話口でも稲田が唸った。
『ちょっと考えてみたんだけどさ……。幽霊が生霊を飛ばすって、在り得んの?』
稲田の言葉に、三隈は眉を寄せた。それは、と答えかけて、ゆっくりとソファに腰掛けた。
「俺は幽霊じゃないし、そういう専門家でもないから判らないが……幽霊が生霊を飛ばすというのは、聞いたことがない。そもそも生霊というのは生きている人間の強い感情などが霊の形をとる、というものだし」
『でもさぁ、全部幽霊の仕業って考えるのも無理だよな。全部幽霊なら、何で金縛り起こしたのに、玄関の扉ノックしたりすんだよ』
三隈の脳裏に、高野の「遊ばれている」という言葉が蘇る。
「いや、だが……」
コンコンッ。
その時、玄関から音が聞こえてきた。
『あれ、今なんか聞こえなかった?』
稲田が、緊張をはらんだ声で訊く。
「あぁ、玄関からだ」
三隈は立ち上がり、玄関扉を見やった。
コンコン。
コンコンコンッ。
「三隈ぃ。ここ、開けてくれよ。俺だよ、稲田だよ」
コンコンコンッ。
三隈ぃ三隈ぃと声は続ける。
「玄関前にお前が居る」
『またか⁉』
「あぁ、しつこい奴だ。死んでるくせ──」
「三隈さん」
三隈は、目を瞬いた。高野の声だった。しかし、それは有り得ないことだった。高野は今、家族で北海道旅行に行っているのだと、昨夜連絡を受けたばかりなのだから。そもそも夜に突然三隈の自宅を訪れる理由がない。
──益々もって目的が判らない。いや、付きまとうこと、それ自体が目的か。
コンコンコンッ。
「三隈さん。高野です。開けて下さい。稲田、デす。開けて、みスみさン。開けて、開けて開けて」
ドン。
ドンドンドンドン。
扉を叩く力は強く、激しくなっていく。
三隈は、スマートフォンを口元に寄せた。
「稲田。ヘルプ」