3話 路の怪
その日、三隈は昼過ぎまでダラダラと家で過ごした後、夕食の買い出しに近くのスーパーマーケットまで向かった。平日のせいか時間帯のせいか、店内には人もまばらだった。
今後の仕事の予定を考慮しながら、三隈は暫く分の食料を買い込んだ。
店外に出ると、むわりとした熱気が肌を撫でた。
見上げた日差しに目を細めた三隈は、出来るだけ日陰を選んで歩き始めた。
近くと言っても、三隈の住むマンションからは徒歩で十五分程掛かる。駅に向かう方面にも小型スーパーマーケットはあるが、そちらは仕事帰りに総菜を買うくらいでしか利用しない。やや価格が高いのだ。
ぼんやりと考え事をしながら自宅への道を歩いていた三隈は、ふと足を止めた。
周囲を見回し、眉根を寄せる。
──違和感。
しかし、何処を見回しても違和感の正体は掴めなかった。
三隈は、家に着いたら飲もうと思っていた炭酸飲料をエコバッグから取り出し、喉を潤した。
再び自宅に向けて歩き出す。
今度は考え事をせず、注意深く周辺の様子に意識を向ける。
赤い屋根の家。見事に庭の手入れがされた家。凝った装飾の家。長いこと空き家のままの、蔦の絡んだ家。公園。この時間と気温では子供の姿もない。車庫を広く取った家。角を曲がる。少し登った先に自宅の白い壁とベランダの鉄柵が見える。1LDKの部屋が並んでいる。自宅のベランダには朝のうちに干しておいた洗濯物がはためいているのが見えた。
数段の階段を上り、角を曲がる。
赤い屋根の家。見事に庭の手入れされた家。凝った装飾の家。長いこと空き家のままの、蔦の絡んだ家。公園。
──公園?
三隈は、再び足を止め、後ろを振り返った。通り過ぎた家々を見やり、眉を寄せる。
──此処は、さっき通った筈だ。
前を向き、やや速足で通りを歩く。
車庫を広く取った家。角を曲がる。少し登った先に自宅の白い壁とベランダの鉄柵が見える。1LDKの部屋が並んでいる。自宅のベランダには朝のうちに干しておいた洗濯物がはためいているのが見えた。数段の階段を上り、角を曲がる。
その先に見えたのは──赤い屋根の家。
「……なんだ?」
小さく呟いた三隈は、暫し考え込んでから道を戻った。
階段を下り、広く取られた車庫を見やる。公園横を通って、蔦の絡む家を通り過ぎる。そして赤い屋根の家まで着いた時、その先はスーパーマーケットに繋がってはおらず、下りの階段が待ち構えていた。
「……戻ってるな、これは」
三隈はその後も、家々の間の僅かな道を抜けてみたりしたが、結果は同じだった。気がつけば元の道に戻っている。
暑さもあって、疲労を感じた三隈は、公園の東屋に腰を下ろした。木々が東屋の周囲に影を落とし、抜ける風が涼しい。既に少し温くなっていた炭酸飲料で喉を潤した。
スマートフォンで地図を開き、大体の範囲を確認する。半径四百メートルくらいだろうか。その範囲を行ったり来たりしている。……考えられないことに。
三隈は、通りを歩く内に、自分以外の人間が一人も居ないことに気が付いていた。人間だけではない。よく姿を見掛ける野良猫も居なければ、庭に繋がれている犬も居なかった。散歩に出ていたからではなく、単純に〝此処〟では、存在しないらしい。
一体、いつ、このような場所に迷い込んでしまったのか。思い当たる節はない。
ただ、普段通り買い物を済ませて帰路に就いただけだ。
「怪異か」
その言葉は、虚しく響いて消えた。此処には答える者は居ない。
三隈は、自分の置かれた状況を頭の中で整理し、ここの所身の回りで起きた怪異を思い返した。
怪異というのは、そう簡単に起きるものではない。
幼い頃から怪談を始め、広義でのオカルトに触れてきたが、ここまではっきりとした怪異に巻き込まれるのはここ最近のことだ。そちらに関しても、何故そうなったのか思い当たる節はなかった。
如何にして此処から脱出するかと考え込んでいた三隈は、ふと顔を上げ、スマートフォンを取り出した。メッセージアプリを開き、一番上の人物をタップする。登録された連絡先は決して少ない訳ではないが、三隈の感覚で頻繁に連絡を取り合うのは一人しかいない。
稲田卓也。
稲田に向け、メッセージを送る。
『この範囲から出られない。ヘルプ』
メッセージと共に、周辺の地図を送る。
送れないことも考えたが、メッセージはあっさりと送信済みになった。
続いて、時報に掛ける。
ピ、ピ、ピ、ポーン──ビビッ──。
問題なく聞こえていた筈の音は、歪んで聞こえなくなった。
「……駄目か」
電話が駄目なら、一見無事に送れたように見えるメッセージも駄目かもしれない。
三隈は周囲を見回した。
人間の気配は未だない。しかし、陽は徐々に傾き始めている。昼の残りの暑さが辺りに漂っているが、直に涼しくなるだろう。炭酸飲料のボトルを見下ろし、残りを確認してから少しだけ喉を潤す。
──さて、どうしたものか。
ふいに、何処かへ迷い込んでしまった場合、ある程度の時間経過で元に戻れるケースがある。あるいは、敢えて動かずにその場で煙草を吸う。しかし、三隈は非喫煙者だ。他の方法を考えなければならない。
稲田が言ったように、怪異に対する対抗策、解決策を揃えておいた方がいいのかもしれない。そう考えながら、ふと公園の外に目をやった三隈は、通りを何かが動いて行くのに目を止めた。
──何だ、あれは……?
それは、影が凝ったような深い暗闇だった。
暗闇が、ゆらゆらと通りを横切っていく。よく見れば暗闇は沸き立ち、ゴポゴポとどす黒いものを滴らせていた。
ゾクリ、と肌が粟立った。
三隈は、自身の息が緊張で浅くなっているのに気が付いた。
──本能的に、恐怖を感じている……。
得体の知れないものでも、見た目はただの暗闇だ。あらゆる〝怖いもの〟に触れてきたし、想像もしてきた。廃工場で幽霊らしきものも目撃した。それなのに、体が小さく震え出している。
ハッ……ハァッ……ハッ……。
自身の呼吸音が妙に大きく聞こえている。
……ハッ。
三隈は、呼吸を止め、隠れるようにその場に屈みこんだ。口を引き結び、僅かに鼻から浅い呼吸を繰り返す。
……フッ……フッ……フ……。
〝それ〟は、ゆっくりとこちらに頭を向けた。いや、何処が頭なのかははっきりとしない。しかし、三隈はそう感じ取った。
ゆっくりと、三隈の方に、頭を向け……。
──何だ、あれは。何だ、何だ、何だ。落ち着け。考えろ。あれは、何だ。
ふと、三隈は背後に気配を感じた。
息を飲む。
背後からの圧迫感に、三隈はゆっくりと振り向いた。
「みぃツけタ」
──居る……!
瞬間、三隈は駆け出した。後ろを振り返らずに公園を抜ける。絡まる足に力を込め、走る。駆ける。
──何だ、あれは。何だ何だ何だなんだなん、だ……!
〝それ〟は見ていた。頭らしきものの中で、僅かに窪んだ幾つもの空洞から三隈を見ていた。そして、嗤っていた。
全身を恐怖が駆け抜けた。般若心経など唱える余裕もなかった。
恐怖から逃れようと走る。駆ける。息が上がる。
蔦の絡んだ家。凝った装飾の家。見事に手入れされた家。赤い屋根の家。角を曲がる。階段を降りる。角を曲がる。車庫を広く取った──。
三隈は足を止め、後ろを振り返った。
──居ない。何処だ。こんなにあっさり逃げられる筈が……。
沸き上がる恐怖に、頭を振る。
通りの先を見る。暗く沈み始めた通りの先により深い暗闇が蠢く。
三隈は、前後に視線を振り、車庫の広く取られた家の敷地に入り込んだ。
通りを逃げても道は繋がり戻される。逃げられない。
口元を押さえ、荒い呼吸を抑え込む。息苦しさに視界が滲む。
三隈は、意識を支配しようとする恐怖に顔を歪めた。少しでも気を緩めそうになると、恐怖は三隈の体を這い上り、支配しようと迫る。強い恐怖に、何故か唇は笑みの形を作った。大声を上げて笑いたい気分だ。しかし、それを必死に抑える。そんなことをしたら、終わりだ。全てが。
「オおぉオい」
その音に、三隈の心臓は跳ねた。口元を強く押さえる。心臓の音がバクバクと鳴る。その音に合わせて体が震える。出来るだけ体を縮こませ、庭の鉢植えの間に体を潜ませた。
おぉい、おぉい、と歪な音は通りを近付いてくる。
「おォォおい」
〝それ〟は、ゆっくりと通りを進んで行く。歪な音は、三隈を探す。
おぉい……おぉい……おぉおい……。
目の前の通りを〝それ〟は進む。そして──止まった。
三隈の視界は恐怖で歪んだ。
──駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。
〝それ〟は、ゆっくりと……。
三隈は、それを見届けずに駆け出した。家の横を抜け、反対の庭に出ると、柵を越える。隣家に入り、その先に抜ける。通りを曲がり、駆ける。
電灯の足元だけが白く浮かぶ。暗闇が濃く沈む。駆ける。息が上がる。何だあれは。駄目だ。何だ何だ何だ。一体どこに。
「オォおおイ」
歪な音が追いかけて来る。
──駄目だ駄目だ駄目だだめだにげろはしれだめだいきが、くるしい……。
何度目かになる角を曲がった三隈は、すぐ目の前に立った影に息を飲んだ。恐怖と疲労に震える足から力が抜ける。その場に崩れ落ちる。
──終わった……。
三隈は、滲む視界で、その影を見上げた。
暗闇に浮かぶその姿に、しかし、恐怖よりも安堵感が湧き起こる。
「退いてろ!」
声が三隈の横を過ぎる。おぉいと追い掛けてくる歪な音が──ふいに止んだ。
三隈は、ゆっくりと後ろを振り返った。
見覚えのある後ろ姿が、肩で息をしながら三隈を振り返った。
「何だ、あれ。つーか、このお札……効いてよかった」
はぁ、と息を吐いた稲田が、汗を拭いながら三隈に歩み寄った。途中で後ろに目をやり、〝それ〟がすっかり姿を消したのを確認する。
「つーかさ、本当なんだよあのメッセージ。『この範囲から出られない。ヘルプ』って。訳判んねぇって。お前を見つけたと思ったら、なんかやべー奴に追われてるし」
稲田の声を聞きながら、どうにか長い息を吐いた三隈は薄く笑った。
「……遅かったな、稲田」
三隈の言葉に、稲田は苛立たしげに髪を搔き上げる。
「いやいやいや、超特急だって。俺は今日仕事だったの。仕事終わりに全力疾走だって。何でこうも怪──というか、お前顔色死んでるぞ。どんだけ怖い思いしたんだよ」
立てた膝に額を押し付けた三隈は、もう一度長く息を吐いてから言った。
「生き物の本能だ」
「なんだよ、それは」
稲田は、そう言いながら三隈の腕を引いて立ち上がらせた。奇妙な顔で三隈を見やる。
「すげー顔。お前もそんな風に怖いとか感じるんだな。いつもはニヤニヤしてるくせに」
むっと口を曲げ、言い返そうとした三隈は、通りの奥から聞こえた声に肩を震わせた。
「おーい! そこの人ー!」
場違いに明るい声が近付いて来る。
三隈は、反射的に身構え後ろに退いた。
通りの先から手を振りながら駆けて来た女が、三隈と稲田を見比べた。
「大丈夫でした?」
三隈の様子を心配そうに見つめてから、稲田に目を向ける。
「えっと、何が?」
稲田の言葉に、女は「あっ」と口に手を当てた。
「ごめんなさい。えっと、今、この辺りに閉じ込められてましたよね? って、言って判りますか?」
そう言ってから、「この言い方も怪しいか」と眉根を寄せる。その様子を見つめてから、三隈は答えた。
「何故、そう思う?」
女は三隈の警戒を感じ取ってから、小さく頷いた。
「お札。あそこの角に貼ってあったから。覗いてみたら嫌な感じがしたし、何かあるんだなと思って。あのお札は私が書いたものなんです」
「……え?」
稲田が間の抜けた声を上げた。女は、稲田のポケットを指さし、笑う。
「それ、皆川先生から貰ったんですよね?」
ポケットから札を取り出した稲田は、札と女を交互に見比べてから答えた。
「いや、これは、俺のばあちゃんが友達の知り合いから貰ったって……え、もしかして、その知り合いって、君?」
女は、可愛らしく小首を傾げる。
「多分。そのお友達って、ピアノの先生してますよね。私、先生の生徒なんです」
少しの間考え込んだ稲田は、納得したような声を上げた。
「あぁ、そうか。確かにばあちゃんの友達にピアノの先生って居るわ。確か皆川さんって人だった。会ったことはないけど。え、そうなんだ。ばあちゃんの友達の知り合いってことだから、てっきりばあちゃんと同年代だと思ってたけど……君が、例の?」
「はい。あのお札は確かに私が書いたものです。あ、私、高野姫っていいます。初めまして」
深々と頭を下げる高野に釣られるように、稲田も頭を下げた。
「あ、俺は稲田卓也っす。で、こっちのは──三隈清孝」
黙りこくったまま高野を見つめている三隈に代わり、稲田が言った。
「あの、大丈夫ですか、三隈さん。あ、ハンカチ──」
鞄からハンカチを取り出した高野に断り、首を振った三隈は、袖で汗を拭った。稲田が眉を寄せる。
「高野さんの話を聞きたいところだけど、お前、早く帰って休んだ方がよくねぇ?」
三隈は小さく首を振った。
「いい。聞かせてくれ。その前に確認したいことがある」
三隈は、そう言って歩き始めた。稲田と高野が目を見合わせ、後ろに続いた。
角を曲がろうとした三隈は、塀に貼られた細長い紙に目を向けた。
『通行許可』
足を止めた三隈に、後ろから明るい声が掛かる。
「あ、それ、この辺りが閉ざされてる感じがしたから中に入りたくて書きました。入った後に嫌な感じは消えちゃいましたけど」
そう言ってから、高野はペリッと札を剥がして鞄に仕舞った。訊きたいことは山程あったが、三隈はひとつ頷いてから道を急いだ。
公園に戻り東屋に入った三隈は、隅に放置されたエコバッグを見つけ、舌打ちした。バッグに染みが出来ている。中を覗けば、買い込んだ幾つかの冷凍食品がぐったりと溶けていた。
長い息を吐いてから、一番上に置いてあった炭酸飲料を飲む。すっかり炭酸が抜け、温くなっていた。
「あー、お前だけ飲むなよ。俺も何か買ってくる。高野さんは飲めないものとかあります?」
一緒に行こうとする高野を「いいから」と押しとどめて、稲田は近くの自動販売機まで走った。人気のなくなった公園に、白い光が煌々と照っている。ガコンと商品が落ちてくる音が聞こえた。
「あの、話の前にいいですか?」
稲田を見送ってから、鞄から紙を取り出して何やら書き込んでいた高野が立ち上がった。手にした紙を掲げ、それをぼんやりと見つめる三隈の目の前に持っていくと、額に貼り付けた。
三隈は、突然のことに身動き出来ないまま、半分隠れた視界の中で高野を見上げた。高野は真剣な顔で三隈を見下ろしている。
「お待たせー。高野さん、お茶で良いすか? ──何やってるの?」
訝しげに首を傾げた稲田が、三隈の額に貼られた札に目をやり、思わずと言った風に口端を上げる。
「安心安全?」
「はい。多分、今の三隈さんに必要なことなので書きました。どうですか、三隈さん?」
高野は心配そうに三隈を見つめた。三隈は訳が判らないまま眉根を寄せた。
「どうって……どうにも」
「体が震える感じとかないですか。呼吸が苦しいとか」
「……多分、ない」
「じゃあ、大丈夫ですね。顔色も少し良くなったみたいだし」
高野は額から札を取り除くと、鞄から札サイズのファイルを取り出しその中に札を仕舞った。二人の視線に目を上げる。
「あ、使用済みのお札はこうして持って帰って、家で燃やすんです。お焚き上げ、みたいな。燃やさなくてもいいんですけど、念の為」
高野は稲田から受け取ったペットボトルを開け、美味しそうに茶を飲んだ。
「とても、信じられないが」
たっぷり黙ってから、三隈は言った。高野は、困ったように笑う。
「そうですよね。私も急にこんなこと言われても信じられないですもん。えーと、どうやって話そうかな」
そう首を傾げてから、高野は自身の持つ力について話し始めた。
曰く、幼い頃に七夕の短冊に書いた願いが叶ったこと。その後も何かを強く願い書き出したことが叶っていくこと。ある時、心霊スポットに行ってから体調を崩したという友達に乞われ、冗談で札を書いたところそれが効果てきめんだったこと。それ以来、人からの紹介で札を書くことがあること。しかし、自身に不思議な力があるとは思っていないこと。
「もしかしたら、色んな偶然が重なって、そこに私がタイミングよく居合わせただけかもしれないですから。でも、今の所は効果があるみたいなので、安心して下さい!」
高野は、ドンッと胸を叩いてみせた。
「前に心霊スポットに行った時もこの札で助かったから、高野さんの力は実際あるんじゃないかなぁ」
稲田が言うと、高野は「えっ」と顔を顰めた。
「心霊スポットに行ったんですか? 危ないですよ」
「いや、俺はコイツを助けに。もっと叱ってやって、高野さん」
稲田の言葉に、高野は気まずそうな顔をした。
「そういう私も……心霊スポットにはよく連れて行かれてしまうんですけどね」
「えっ」
高野は困ったように眉を下げた。
「別にそういうのが好きって訳じゃないんですけど、噂が変に広まってしまって……。最近はお札を代わりに渡してますけど。怖いので」
稲田は気の毒そうに高野を見やると、はぁ、と息を吐いた。
「まぁ、ともかく三隈が無事でよかったわ。高野さんともこうして顔見知りになれたし」
「そうですね」
「高野さんは──」
三隈が言い掛けた時、高野のポケットでメッセージの受信を告げる音が鳴った。申し訳なさそうにした高野が、スマートフォンを取り出し画面に目を落とした。暫く画面の文字を追っていた高野は、眉間に皺を寄せた。しかし、返事を打たずに、改めて三隈に顔を向ける。
「すみません。えっと三隈さん、お話はなんですか?」
そう言って小首を傾げる高野に、三隈は問い返した。
「そっちこそ大丈夫なの。悩んでるみたいだったけど」
困ったように笑った高野は、事情を話し始めた。
「実は、SNSで知り合った子が居て、その子が心霊現象に困ってるみたいで助けに行きたいんですけど、少し遠くて、どうしようかと思ってて。お札を郵送しようか、って言ったんですけど、親にバレたくないからって言ってて」
「それ、怪しくない?」
稲田の言葉に、高野は目を瞬いた。
「SNSで知り合ったってことは、会ったことない相手でしょ? しかも郵送はしないでって言うのも怪しいし。高野さんを呼び出そうとしてるんじゃないの」
そんなことは、と言い掛けた高野は、しかし、それ以上何も言わずに黙り込んだ。
「その相手が住んでる所って何処なんだ?」
三隈の問いに、高野はS県と答える。確かに、気軽に行ける距離ではなかった。
ちら、と稲田を見やってから、指で示す。
「じゃあ、コイツの車で行けばいい。二人だと心配だろうから俺も一緒に行く。男二人が心配なら、高野さんの信用の置ける誰かを連れて来ても良いし」
「おい、勝手に決めんなよ。いや、別に連れて行くのは構わないけど、俺とお前じゃ休みも合わないだろ」
「まぁ、それは何とかする。今、閑散期だし」
「お前なー、心霊現象って聞いて興味沸いただけだろ。さっきまで青い顔してたくせに」
三隈は稲田を無視し、高野に問うような視線を向けた。高野は、二人を交互に見比べてから、申し訳なさそうに、しかし期待を込めた瞳をした。
「稲田の事は気にしなくていい。あぁ、そうだ。その皆川先生と、稲田のばあさんも立ち合いのもと一回食事でもすれば、少しは安心出来るかも──」
「勝手に俺のばあちゃんを巻き込むな! というか、そんなことするつもりだってばあちゃんに知られたら、普通に止められて終わりだっつの。しかも、後で叱られるのは俺だけだからな。正直、俺も止めた方がいいと思うけど……何か、止めても行きそうだよね、高野さん」
稲田の言葉に、高野は困ったように笑って、小さく呻った。図星のようだ。稲田がぐぅと唸り、頭を掻く。長い息を吐いてから、高野に向き直った。
「判った。じゃあ俺が連れて行くよ。今日はとりあえず解散しよう。駅まで送ってくよ」
「あ、大丈夫です。まだ早い時間ですから。人通りもありますし」
高野の言う通り、公園横の通りには、仕事帰りの人々が多く歩いている。
「あの、本当に、いいんですか?」
遠慮がちに訊く高野に、稲田はひとつ頷いた。
「任せて。ま、何か危険なことがあったらその時は俺らに任せて貰って。あと、とりあえずばあちゃんには高野さんと会ったって伝えておくんで」
「すみません、頼らせて下さい。有難うございます」
高野は深々と頭を下げた。釣られて稲田も頭を下げる。
連絡先を交換すると、高野は手を振って公園を出て行った。
どっと疲労を感じた三隈は、長い息を吐いてから、エコバッグを手に立ち上がった。
「じゃあな。明日仕事の予定を確認しておく」
おー、と気の抜けた返事をしながら、稲田は三隈の後に続いた。
「駅はあっちだぞ」
「知ってる。というか、感謝はねーのかよ、感謝は」
その場で立ち止まった三隈は、じっと稲田を見つめてから「助かった」とだけ言った。こうして無事に帰れた今でも、あの出来事を思い返すと、胸が冷える感覚があった。
ひとまず満足したのか、じゃあなーと駅に向かう稲田を、三隈は呼び止めた。
「溶けた冷凍食品をこの後全部どうにかしないといけない。一人じゃ難しいから手伝ってくれ」
三隈の言葉に、稲田はニンマリと笑った。
「お安い御用だぜー。何買ったの? さっき炒飯は見えたけど。お前、これ好きだよな」
「お前もだろ。他には、パスタとお好み焼きと焼きおにぎりとピラフと──」
「献立ぐちゃぐちゃね」
「仕方ないだろ。別に今日一日で食べきるつもりじゃなかったんだから」
「ま、食わせて貰えるなら文句は言わねぇよ。ちょうど今日は変に早い時間に昼飯だったから、めっちゃ腹減ってるし」
「そうか」
二人は歩き始めた。
公園を過ぎる。車庫を広く取った家の角を曲がる。階段を上がり、その先の角を曲がる。
果たしてその先には、見慣れたマンションのエントランスが見えた。