case1ー7.アメリの忙しい一日(2)
その日の夜。
アメリは従僕のリチャードを引き連れ、ロゼクの街にある埠頭を訪れていた。この時間帯に人気はなく、辺りは静まり返っている。
目的地である一棟の倉庫に入ると、十人ほどの男たちが中にいた。彼らはアメリが雇った者たちだ。
そして彼らよりもさらに奥に、椅子に縛られた女の姿があった。彼女に向かって、アメリはにこやかに挨拶をする。
「ごきげんよう、キャサリン様」
縛られた女――キャサリン・ブロンソン子爵令嬢は、アメリを見た途端、信じられないといった表情でその目を大きく見開いた。
「あなた……!」
そしてすぐに額に青筋を浮かべ、怒り狂ったようにわめき出す。
「こんなことして許されると思ってるの?! さっさと解放しなさいよ!!」
うるさく耳障りな女の声に、アメリは思わず顔を顰めた。本当に、淑女とは呼べない、ただ見た目が良いだけの薄汚い女だ。
アメリは彼女に近づきながら、やれやれというように溜息をつく。
「もう少し静かにしてくださらない? 品がないこと」
「なんですって……!?」
キャサリンは怒りにわなわなと震えながら、額の青筋の数を増やしていた。そんな彼女を見下ろし、アメリは冷たい視線を注ぐ。
「哀れね。人の婚約者を奪った報いよ。身の程知らずも甚だしいわ」
「ハッ! あんただって元は男爵令嬢でしょ? 身の程知らずはどっちよ!」
鼻で笑ったキャサリンの椅子の右横を思いっきり蹴ると、彼女はそのまま左に倒れていった。両手を縛られている彼女は受け身を取れず、頭を地面に強く打ち付け「うぐっ」と鈍い声を上げる。
アメリはキャサリンの忌々しいピンクブロンドの髪を掴み、無理やり頭を上に向かせた。そして、侮蔑を含んだ視線で彼女を睨みつける。
「子は親を選べない。だからわたくしは自分の手でここまで来たの。自分の相応しい居場所に、自分でたどり着いたのよ。そしてわたくしは侯爵家の夫人になる。男に媚びるだけしか能のないあばずれ女のあなたと、一緒にしないでいただけるかしら?」
アメリはそう言ってキャサリンの頭を思いっきり地面に叩きつけた。その衝撃で彼女のこめかみが切れ、血が流れ出る。
キャサリンは痛みでしばらくうめいていたが、こちらを見上げてキッと睨みつけると、嘲りの言葉を口にしてくる。
「あんた……役者にでもなったほうが良いんじゃない……? 大人しいふりして、いい子ぶって皆から慕われて、婚約者を取られて可哀そうだなんだと同情されて……まんまと周囲を騙して……私よりもよほど性悪じゃない!」
「…………」
アメリは何も返さず、ただ黙って口うるさいキャサリンの腹を蹴った。彼女はまた苦しそうにくぐもった声を上げたが、懲りずにこちらの怒りを煽るような発言をしてくる。
「ウィラード様を愛してるってのも嘘なんじゃないの!? あんたは侯爵家夫人っていう肩書が欲しいだけでしょ! どっちがあばずれ女よ!!」
その言葉を聞いたアメリは、腹の底から暗い感情がボコボコと湧き出てくるのを感じていた。怒り、悲しみ、呆れ、憎悪――。
「……わたくしは、ウィラード様を心から愛していたわ」
アメリはポツリと小さな声でこぼしていた。
「それなのに、あなたはわたくしからウィラード様を奪った。だから、あなたは罰を受けないと」
アメリはそう言ってナイフを取り出すと、キャサリンの目の前でしゃがみ込んだ。そして、ナイフの腹の部分で彼女の滑らかな顔をペチペチと叩く。
「まずは顔をズタズタに傷つけて男が寄ってこない見た目にしましょう。それから……男に媚びを売るあなたのその目をくり抜いて、男を誘惑するその胸を削いで、男に抱きつくその腕を切り落としましょう」
アメリの言動に、流石のキャサリンも先程までの威勢を無くし、血の気が引いたように顔を真っ青にしている。
そんな哀れな彼女の様子を見て、荒ぶった感情が次第に鎮まっていく。しかし、彼女を痛めつけるのを止めるつもりは一切ない。
「う、嘘でしょ……やめて……やめてよ……やめて……!」
震える声で訴える彼女をアメリは冷ややかな目で見つめる。
愚かな女だ。今さら懇願したってもう遅い。人の男に手を出した報いを、この女は受けなければならない。
「さあ、まずは顔からいきましょう」
アメリがナイフの刃をキャサリンの顔に突き立てようとしたその時――。
パァン!!
耳をつんざくような発砲音がして、アメリは驚いてナイフを取り落としてしまった。そして、ナイフがカランと音を立てて地面に落ちた時、アメリの後ろから聞き慣れた男の声が耳に届いてきたのだ。
「そのくらいにしておいてはいかがですか? アメリお嬢様」
その声にハッとして振り返ると、従僕のリチャードが天井に向かって銃を構えていた。先程の発砲音は、どうやら彼の仕業らしい。
「リチャード……何のつもり……?」
彼は幼い頃から仕えてくれていた、信頼できる数少ない人間だ。歳も近く、まるで兄妹のように育ってきた。
それ故に、彼は婚約破棄騒動の話を聞いて、さも自分のことのように怒ってくれた。アメリを心配し、今回の計画にも全面的に協力してくれた。男たちを集め、キャサリンを攫ってくるよう彼らに指示したのも全てリチャードだ。
だから、彼がここで止めるような真似をするはずがないのだ。もしここで止めようものなら、それは裏切り以外の何物でもない。あり得ない。
アメリがただただ信じられないという表情でリチャードを見つめていると、彼はクスクスと笑いながら言葉を発する。
「おやおや。最も信頼を置く従僕が偽物とすり替わっていることにも気づかないとは、リチャードという男も可哀想だ」
「にせ、もの……?」
「ご安心を。リチャード本人はレイクロフトの屋敷で少々眠ってもらっているだけですので」
リチャードの形をした何かは、にこりと笑ってそう言った。
彼は確かにリチャードの見た目をしていて、声だって確かに彼のものだ。幼い頃からずっと一緒に過ごしてきたのに、見間違えるだなんてあり得ない。
だったら目の前のこの男は、一体何だというのだ。
「どういうこと……あなたは一体誰なの?!」
アメリがそう叫ぶと、彼は首元に手をやり、勢いよくリチャードの皮を剥いだ。
「こんばんは、アメリ嬢。私はあなたの幸せを心から願っていたのですが、こんな結末になってしまって非常に残念です」
「あなた……文具屋の……!」
そこには、恐ろしいほど美しい、銀髪碧眼の女がいた。