case6ー7.普通などつまらない
屋上でタバコを吹かしていたエレノアは、近くに見える森林公園の木々を眺めながら、今まで集めた情報を脳内で整理していた。
情報をつなぎ合わせて仮説を立てようとするが、何度やっても黒幕にたどり着くことができない。まだまだ証拠が足りないようだ。
何本目かのタバコを取り出そうとしたとき、屋上の扉がガチャリと開き、アレンが姿を見せた。
「エレノア、お待たせ……って、あれ? 変装、解いたの?」
「ああ。流石にあの顔のままじゃ、職員たちがビビるだろう? 帰りは適当にフードでも被って誤魔化すよ」
エレノアは屋上に着いてすぐ、若医者の変装を解いた。エイデンを殴り飛ばし拳銃を突きつけた男の顔は、もう使わないほうが良いだろう。
「セレーナは?」
「大丈夫、落ち着いたよ。今は少し休ませてる」
アレンはエレノアの隣に並ぶと、屋上のフェンスにもたれかかった。カシャン、と控えめな音がする。
「ごめん、色々と巻き込んでしまって」
アレンは気落ちした様子だった。空はこんなにも晴れているのに、彼の表情はとても暗い。
「別に、お前は何も悪くないだろう。感謝は受け付けるが、謝罪は受け付けない」
エレノアが励ますようにそう言うと、彼は小さく笑みをこぼした。
「ふふっ。ありがとう、エレノア」
彼の笑顔に少し安堵したが、しかしその表情はまたすぐに曇ってしまった。
「セレーナから少しだけ事情を聞いたよ。さっきの男に無理やり婚約をさせられて、それで君に婚約破棄の代行を依頼したって。詳しい話、聞かせてくれる?」
セレーナは依頼してきたとき、兄には絶対に秘密にしてくれと言っていた。しかしこうなっては、説明するほかなかったのだろう。エイデンが病院であそこまでの騒ぎを起こしてしまった以上、流石に隠し通すのは無理がある。
そしてエレノアは、すべての事情をアレンに説明した。彼は終始黙って聞いていたが、話が進むにつれ、つらそうに顔を歪めていった。
「……気づいてあげられなくて、情けない兄だな。一人で抱え込ませてしまった。僕じゃきっと、頼りなかったんだね」
話を聞き終えたアレンは、悔しそうに両の拳をギュッと握りしめていた。そんなに力を入れては右腕の傷が開かないかと心配になる。痛みを感じないから加減ができないのかもしれない。
「あまり力むな。傷に障るぞ」
エレノアがアレンの右手をそっと取ると、彼は目をまん丸にしてこちらを見てきた。エレノアは気にせず、まだ握られたままの拳をゆっくりと広げていく。
その手には所々にタコができており、これまで積み重ねてきた彼の努力の証が刻まれていた。
「そう自分を責めるな。セレーナはお前に心配をかけたくなかったんだ。私の方こそ、事情を知っておきながら未然に防げなくてすまなかった」
「エレノア……」
ポツリとつぶやく彼は、依然として驚いた顔をしている。
彼の右腕から力が抜けていることを確認したエレノアは、スッと手を離した。
「傷は大丈夫なのか?」
「うん、平気だよ」
アレンは包帯の巻かれた腕を優しくさすりながら、曖昧に笑っていた。
やはり今日はどこか様子がおかしい。セレーナの一件が余程ショックだったのだろうが、なんだかそれだけではない気がする。
「痛くないからといっても怪我をしているんだ。あまり無茶はするなよ」
怪我人をいつまでも外に留まらせるのは良くないだろう。事情も話し終わったのでそろそろ院内に戻ろうかと思っていると、アレンが暗い顔で控えめに尋ねてきた。
「……おかしいだろう? 痛みを感じないのに、医者をやってるだなんて」
「おかしい? どこが?」
エレノアが素直に問い返すと、彼はその場で体の向きを変え、遠くの景色を見つめた。どこか昔を思い出している様子だ。
「父はとても厳格な人だったけれど、患者一人ひとりに真摯に向き合う、医者の鑑のような人でね」
アレンが唐突に家族のことを語り始め、エレノアはわずかに目を見張った。
両親が既に亡くなっていることや、セレーナが彼の継母の連れ子だということは聞いていたが、それ以上の詳しい話は知らない。
あまり踏み込まれたくない様子だったので、あえて尋ねるようなことはしなかったのだ。
「父は医者として、街の皆からとても信頼されていた。そんな背中を見て育ってきたから、僕も将来、父のような医者になりたいと思っていたんだ」
アレンの語りは凪のように穏やかで、とても静かだった。
彼は自分の奥底にくすぶる感情を吐露しようとしている。そう感じ、エレノアは聞きに徹した。
「でもある日、父に言われたんだ。人の痛みがわからない人間に、医者が務まるわけがないって」
今の言葉で理解した。なぜ先ほど彼が「痛みを感じないのに医者をやっているなんておかしいだろう?」などと尋ねてきたのか。
父親の言葉が楔となり、彼の心にずっと突き刺さっているのだ。
アレンはフッと自嘲の笑みを浮かべた。
「父の言う通りだと思ったよ。でも、どうしても諦めきれなくて、父の反対を押し切って医者になった。いつか認めてもらえる日を夢見てね。そう思って努力を続けてきたんだけど、父は事故で呆気なく亡くなってしまって……結局父に認めてもらえないまま、僕は医者を続けてる」
父親との確執。医者としての葛藤。
胸の内に抱えていたものをすべて吐き出せたのか、アレンは黙り込み、ただ遠くの風景を眺めていた。その横顔をチラリと見遣ると、灰色の瞳が不安げに揺れている。
(なるほど。アレンの様子がいつもと違って見えたのは、私に無痛症であることがバレてどう思われるのか怖かったからか)
非難されると思ったのだろうか。お前のような人間が医者を名乗るな、と。
だとしたら、とんだ杞憂だ。
「フッ。お前のお父君の予想は見事に外れたな」
「え……?」
思っても見ない返事だったのか、アレンは目を丸くしてこちらに視線を向けた。エレノアはその瞳をしっかりと見つめ、力強く語りかける。
「お前は痛みがわからないからこそ、誰よりも人の痛みを理解しようとした。そうして努力を重ねた結果、お前は誰よりも有能な医者になった。患者をひと目見ただけで症状を言い当てられる医者が、一体どれだけいると思う? 少なくとも私はお前以外に会ったことはないよ」
「…………っ」
アレンは目を大きく見開き、しばらく言葉を失っていた。目から鱗が落ちたような、視界がパッと開けたような、そんな表情をしていた。
アレンは痛みがわからない分、患者をひたすら観察し続けてきたのだろう。表情、視線、クセ、ちょっとした動作。それらをひとつも見逃さず、相手のことを理解しようとした。
その結果、彼は患者の症状を見抜く特異な能力を身に付けた。
そんなアレンが医者として相応しくないなどあり得ない。
エレノアは彼の背中を軽く叩いた。
「胸を張れ。お前は間違いなく、大陸一の医者だ。私が保証する」
「……ありがとう、エレノア。君がそう言ってくれると、本当にそうなんじゃないかと思えてくるよ」
アレンは少し照れくさそうに、くしゃりと笑った。先程までの不安げな様子は完全に消え去っている。安心させられたなら何よりだ。
彼は再び遠くを見つめる。今度は、清々しい表情で。
「父の言葉がずっと胸に刺さってて、自分は一生本物の医者にはなれないんだろうと思ってた。それでも父のような医者に近づくために、普通の人間になろうと必死だったんだ。痛みを感じないことに対して、気味悪がられることもたくさんあったから。……僕は、普通の人間になりたかった」
生まれつき無痛症なら、幼少期から周囲の無理解に苦しんできたのだろう。心無い言葉をかけられることもあったのかもしれない。
それなのに、彼は心を歪めることなく、誰よりも優しい医者として街の皆から好かれている。妹と同じく、兄も相当強い人間だ。
するとアレンは、でもね、と続ける。
「エレノアの今の言葉のおかげで、僕は僕でいいんだと思えたよ。本当にありがとう」
微笑む彼に、エレノアも釣られて頬を緩める。
「普通などつまらん。他人と違うところにこそ、魅力は生まれるものだ」
それを聞いたアレンはまたハッとした様子で目を丸くしていたが、今度はすぐに言葉を返してくる。
「エレノアの言葉って、本当に不思議だな。力があるというか、すごく、元気をもらえる」
「そう? そりゃどうも」
エレノアが軽く返すと、アレンは「うん、ありがとう」と言って笑っていた。
そうして語り終えた二人は、揃って院内へと戻るのだった。




