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婚約破棄の代行はこちらまで 〜店主エレノアは、恋の謎を解き明かす〜  作者: 雨沢雫@3/5「つまらない女」発売
case6.嫉妬と自尊心は身を滅ぼす

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case6ー7.普通などつまらない


 屋上でタバコを吹かしていたエレノアは、近くに見える森林公園の木々を眺めながら、今まで集めた情報を脳内で整理していた。


 情報をつなぎ合わせて仮説を立てようとするが、何度やっても黒幕にたどり着くことができない。まだまだ証拠が足りないようだ。


 何本目かのタバコを取り出そうとしたとき、屋上の扉がガチャリと開き、アレンが姿を見せた。


「エレノア、お待たせ……って、あれ? 変装、解いたの?」


「ああ。流石にあの顔のままじゃ、職員たちがビビるだろう? 帰りは適当にフードでも被って誤魔化すよ」


 エレノアは屋上に着いてすぐ、若医者の変装を解いた。エイデンを殴り飛ばし拳銃を突きつけた男の顔は、もう使わないほうが良いだろう。


「セレーナは?」


「大丈夫、落ち着いたよ。今は少し休ませてる」


 アレンはエレノアの隣に並ぶと、屋上のフェンスにもたれかかった。カシャン、と控えめな音がする。


「ごめん、色々と巻き込んでしまって」


 アレンは気落ちした様子だった。空はこんなにも晴れているのに、彼の表情はとても暗い。


「別に、お前は何も悪くないだろう。感謝は受け付けるが、謝罪は受け付けない」


 エレノアが励ますようにそう言うと、彼は小さく笑みをこぼした。


「ふふっ。ありがとう、エレノア」


 彼の笑顔に少し安堵したが、しかしその表情はまたすぐに曇ってしまった。


「セレーナから少しだけ事情を聞いたよ。さっきの男に無理やり婚約をさせられて、それで君に婚約破棄の代行を依頼したって。詳しい話、聞かせてくれる?」


 セレーナは依頼してきたとき、兄には絶対に秘密にしてくれと言っていた。しかしこうなっては、説明するほかなかったのだろう。エイデンが病院であそこまでの騒ぎを起こしてしまった以上、流石に隠し通すのは無理がある。


 そしてエレノアは、すべての事情をアレンに説明した。彼は終始黙って聞いていたが、話が進むにつれ、つらそうに顔を歪めていった。

 

「……気づいてあげられなくて、情けない兄だな。一人で抱え込ませてしまった。僕じゃきっと、頼りなかったんだね」


 話を聞き終えたアレンは、悔しそうに両の拳をギュッと握りしめていた。そんなに力を入れては右腕の傷が開かないかと心配になる。痛みを感じないから加減ができないのかもしれない。


「あまり力むな。傷に障るぞ」


 エレノアがアレンの右手をそっと取ると、彼は目をまん丸にしてこちらを見てきた。エレノアは気にせず、まだ握られたままの拳をゆっくりと広げていく。


 その手には所々にタコができており、これまで積み重ねてきた彼の努力の証が刻まれていた。


「そう自分を責めるな。セレーナはお前に心配をかけたくなかったんだ。私の方こそ、事情を知っておきながら未然に防げなくてすまなかった」


「エレノア……」


 ポツリとつぶやく彼は、依然として驚いた顔をしている。


 彼の右腕から力が抜けていることを確認したエレノアは、スッと手を離した。


「傷は大丈夫なのか?」


「うん、平気だよ」


 アレンは包帯の巻かれた腕を優しくさすりながら、曖昧に笑っていた。


 やはり今日はどこか様子がおかしい。セレーナの一件が余程ショックだったのだろうが、なんだかそれだけではない気がする。


「痛くないからといっても怪我をしているんだ。あまり無茶はするなよ」


 怪我人をいつまでも外に留まらせるのは良くないだろう。事情も話し終わったのでそろそろ院内に戻ろうかと思っていると、アレンが暗い顔で控えめに尋ねてきた。


「……おかしいだろう? 痛みを感じないのに、医者をやってるだなんて」


「おかしい? どこが?」


 エレノアが素直に問い返すと、彼はその場で体の向きを変え、遠くの景色を見つめた。どこか昔を思い出している様子だ。


「父はとても厳格な人だったけれど、患者一人ひとりに真摯に向き合う、医者の(かがみ)のような人でね」


 アレンが唐突に家族のことを語り始め、エレノアはわずかに目を見張った。


 両親が既に亡くなっていることや、セレーナが彼の継母の連れ子だということは聞いていたが、それ以上の詳しい話は知らない。


 あまり踏み込まれたくない様子だったので、あえて尋ねるようなことはしなかったのだ。


「父は医者として、街の皆からとても信頼されていた。そんな背中を見て育ってきたから、僕も将来、父のような医者になりたいと思っていたんだ」


 アレンの語りは凪のように穏やかで、とても静かだった。


 彼は自分の奥底にくすぶる感情を吐露しようとしている。そう感じ、エレノアは聞きに徹した。


「でもある日、父に言われたんだ。人の痛みがわからない人間に、医者が務まるわけがないって」


 今の言葉で理解した。なぜ先ほど彼が「痛みを感じないのに医者をやっているなんておかしいだろう?」などと尋ねてきたのか。


 父親の言葉が(くさび)となり、彼の心にずっと突き刺さっているのだ。


 アレンはフッと自嘲の笑みを浮かべた。


「父の言う通りだと思ったよ。でも、どうしても諦めきれなくて、父の反対を押し切って医者になった。いつか認めてもらえる日を夢見てね。そう思って努力を続けてきたんだけど、父は事故で呆気なく亡くなってしまって……結局父に認めてもらえないまま、僕は医者を続けてる」


 父親との確執。医者としての葛藤。


 胸の内に抱えていたものをすべて吐き出せたのか、アレンは黙り込み、ただ遠くの風景を眺めていた。その横顔をチラリと見遣ると、灰色の瞳が不安げに揺れている。


(なるほど。アレンの様子がいつもと違って見えたのは、私に無痛症であることがバレてどう思われるのか怖かったからか)


 非難されると思ったのだろうか。お前のような人間が医者を名乗るな、と。


 だとしたら、とんだ杞憂だ。


「フッ。お前のお父君の予想は見事に外れたな」


「え……?」


 思っても見ない返事だったのか、アレンは目を丸くしてこちらに視線を向けた。エレノアはその瞳をしっかりと見つめ、力強く語りかける。


「お前は痛みがわからないからこそ、誰よりも人の痛みを理解しようとした。そうして努力を重ねた結果、お前は誰よりも有能な医者になった。患者をひと目見ただけで症状を言い当てられる医者が、一体どれだけいると思う? 少なくとも私はお前以外に会ったことはないよ」


「…………っ」


 アレンは目を大きく見開き、しばらく言葉を失っていた。目から鱗が落ちたような、視界がパッと開けたような、そんな表情をしていた。


 アレンは痛みがわからない分、患者をひたすら観察し続けてきたのだろう。表情、視線、クセ、ちょっとした動作。それらをひとつも見逃さず、相手のことを理解しようとした。


 その結果、彼は患者の症状を見抜く特異な能力を身に付けた。


 そんなアレンが医者として相応しくないなどあり得ない。


 エレノアは彼の背中を軽く叩いた。


「胸を張れ。お前は間違いなく、大陸一の医者だ。私が保証する」


「……ありがとう、エレノア。君がそう言ってくれると、本当にそうなんじゃないかと思えてくるよ」


 アレンは少し照れくさそうに、くしゃりと笑った。先程までの不安げな様子は完全に消え去っている。安心させられたなら何よりだ。


 彼は再び遠くを見つめる。今度は、清々しい表情で。


「父の言葉がずっと胸に刺さってて、自分は一生本物の医者にはなれないんだろうと思ってた。それでも父のような医者に近づくために、普通の人間になろうと必死だったんだ。痛みを感じないことに対して、気味悪がられることもたくさんあったから。……僕は、普通の人間になりたかった」


 生まれつき無痛症なら、幼少期から周囲の無理解に苦しんできたのだろう。心無い言葉をかけられることもあったのかもしれない。


 それなのに、彼は心を歪めることなく、誰よりも優しい医者として街の皆から好かれている。妹と同じく、兄も相当強い人間だ。


 するとアレンは、でもね、と続ける。


「エレノアの今の言葉のおかげで、僕は僕でいいんだと思えたよ。本当にありがとう」


 微笑む彼に、エレノアも釣られて頬を緩める。


「普通などつまらん。他人と違うところにこそ、魅力は生まれるものだ」


 それを聞いたアレンはまたハッとした様子で目を丸くしていたが、今度はすぐに言葉を返してくる。


「エレノアの言葉って、本当に不思議だな。力があるというか、すごく、元気をもらえる」


「そう? そりゃどうも」


 エレノアが軽く返すと、アレンは「うん、ありがとう」と言って笑っていた。


 そうして語り終えた二人は、揃って院内へと戻るのだった。


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