case6ー5.お仕置き(1)
翌日の昼前、十一時ごろ。エレノアは若い男の医者に扮して、オーウェンズ病院へと向かっていた。
昨日セレーナに「聞きたいことがあるから会えないか」と伝えたところ、アレンに事情を悟られないよう、二人で外に出ようという話になった。そういうわけで、彼女を迎えに病院へ向かっているのだ。
オーウェンズ病院は、ロゼクの大通り沿いから少し外れたところにある。今日は休日とあって、大通りは大勢の人々で賑わっていたが、病院の周辺は静かなものだ。近くには森林公園もあり、とても爽やかな空気に満ちている。
エレノアはしばらくの間、鳥のさえずりを聞きながら気分良く歩いていた。しかし、そんな心地よい散歩を邪魔するかのように、突然ガッシャンという大きな音が響いてくる。それに続き、複数人の悲鳴。
病院の方からだ。
エレノアはすぐに走り出し、急いで病院へと駆けつけた。
まもなく正門へと着いたが、エントランスのガラスが割れている。中に目を向けると、一人の男が怒鳴り散らかしながら暴れまわっていた。
怯えきった医師や看護師たちが勇気を振り絞ってその男を取り押さえようとしているが、男が病院のものであろう椅子を振り回しているので、近づくに近づけないようだ。
目を凝らし男の顔を確認すると、昨日双子が見せてくれた似顔絵と一致していた。エイデン・ティンダル当人だ。
急いで病院の中に入ると、「エレノア!」と名を呼ばれた。声の方をバッと見ると、そこにはセレーナの姿が。彼女は恐怖に顔を歪めながら隣にいる人物の体を支え、必死に助けを求める視線をこちらに向けている。
自然とセレーナの隣の人物に目が行く。それが誰で、どんな状態か理解すると同時に、エレノアの心臓はキュッと縮み上がった。
アレンが腕から血を流していたのだ。あろうことか、彼の利き腕である右腕から。
よく見ると、ガラス片がアレンの腕に突き刺さっている。恐らくエントランスの割れたガラスだろう。彼はエレノアと目が合うと、驚いたように目を丸くしていた。
「なんだお前は? 痛い目見たくなけりゃ、さっさと出ていけ!」
エレノアの存在に気づいたエイデンが、こちらに近づきながら椅子を振り上げてきた。
(……確かにミカエルの言う通りだ。こいつは一度、痛い目を見ないとわからんらしい)
怒りという名の激情を心の奥に押し込み、冷静さを保つ。エレノアはエイデンに近づきながら、彼を鋭く睨みつけ、強烈な殺気を放った。
エイデンは一瞬怯んだが、それでもなお攻撃を仕掛けてくる。彼は椅子を思いっきり振り下ろしてきたが、エレノアは片手で椅子の脚を掴むと、振り下ろされた勢いを利用してそのままグイッと引っ張った。
「うおっ!」
体勢を崩したエイデンは前につんのめり、そのまま床に倒れた。ガタン、と椅子が床にぶつかる音がする。
「……ふざけやがって!!」
額に青筋を浮かべたエイデンはすぐさま立ち上がり、怒りのまま殴りかかってきた。が、遅い上に動きも雑だ。騎士団でもまともに訓練していないことが窺える。
エレノアは上体を傾け難なくかわすと、そのままエイデンの腹に拳を一発打ち込んだ。
「ぐっ、ガハッ! ゲホッ!」
エイデンは苦しそうに腹を押さえ、その場にうずくまった。エレノアはエイデンを冷たく見下ろしながら、静かに問いかける。
「アレンの腕はお前がやったのか?」
エイデンはゼエゼエと荒い呼吸をしながらこちらを見上げ、睨みつけてくる。殺意を込めて睨み返すと、アレンの諭すような声が聞こえてきた。
「エレノア、落ち着いて。これは自分の不注意だよ」
アレンに視線を向けると、彼は心配そうにこちらを見つめていた。彼の腕からは、未だ血がダラダラと流れ続けている。
すると、セレーナが今にも泣きそうになりながら声を上げた。
「違うっ! 兄さんはそいつに突き飛ばされたの! 私を守るために……! 私の、せいで……!」
いつも凛としている彼女の顔が、恐怖と自責の念で大きく歪んでいる。エレノアは小さく息を吐き、静かに答えた。
「そうか」
視線を戻すと、ちょうどエイデンが立ち上がるところだった。彼は依然として興奮した様子で怒り狂っている。
「貴様っ! 俺を誰だと思ってる! 俺は――」
エイデンが最後まで話し終えることはなかった。エレノアがその顔面を思いっきり殴り飛ばしたからだ。ヒュッと風を切る音がした瞬間、エイデンは数メートル後方に吹っ飛び、そのまま床に倒れた。
「エイデン・ティンダル。十九歳。ティンダル伯爵家の次男」
静かに語りかけながら、ゆっくりと近づいていく。
対するエイデンは、口から血を流しながらなんとか上体を起こしていた。それなりの強さで殴ったので、歯の一本や二本は折れているだろう。
「貴族学校では散々問題を起こした挙げ句、全ては両親にもみ消してもらったそうだな。そして去年、帝国軍第一騎士団に入団」
「なっ……」
個人情報を見ず知らずの人間からこうも詳細に語られたら、誰だって恐怖を覚えるだろう。エイデンは目を大きく見開き、顔をヒクヒク引き攣らせている。
「コネで入団したくせに自分の実力だと勘違いし、周囲に自分の地位を自慢してひけらかす残念な男。そうした態度から、騎士団の人間には白い目で見られているのに、それに気づいていない阿呆」
「俺は気に入られている!」
エイデンがカッとなって言い返してきたが、エレノアは構わず続ける。
「家では未だに母親のことをママと呼び、眠れない時は子守唄を歌ってもらっているマザコン」
「そっ、それは今関係ないだろ!!」
エイデンは顔を真っ赤にして怒鳴ったが、すぐに青ざめ黙り込んだ。エレノアが懐から拳銃を取り出したからだ。
エレノアは彼の目の前で立ち止まり、その額に銃口を向ける。
「お前みたいな男、セレーナにフラれて当然なんだよ」




