case6.プロローグ
「case5.エピローグ」の最後、セレーナが店を訪れる直前のお話からスタートです!
本章でcase4からの事件がひと段落します。
セレーナ・オーウェンズは、兄を愛している。
ただ一人の家族として。医学の師として。そして、一人の異性として。
アレン・オーウェンズは戸籍上はセレーナの兄に当たるが、血の繋がりはない。互いに連れ子だからだ。
アレンの母親は、彼が幼い頃に病気で亡くなっている。セレーナの父親は、あまり褒められた人ではなかったようで、物心がつく前に両親が離婚していた。
そうしてアレンの父親であるオーウェンズ男爵とセレーナの母が出会い再婚したため、アレンとセレーナは家族となったのである。
しかし、数年前に両親が事故で他界したため、今はたった二人だけの家族だ。
アレンは家督を継ぎ、立派に病院の経営をしている。そんな兄の役に立ちたくて、セレーナは自身も医療の道に進んだ。まだまだ見習いの身ではあるが、最近は少しずつ病院経営に貢献できている実感がセレーナにはあった。
セレーナが兄のことを好きだと自覚したのは、もう随分と前のことだ。あれはまだ、十二歳かそこらの頃だっただろうか。
アレンは昔から、医師として類まれなる能力を持っていた。だがそれ故に、他人と違うことに対して人一倍悩んでいた。
昔からアレンの苦悩を見てきたセレーナは、いつしか兄をそばで支えたいと思うようになった。
兄に恋心を抱いてから、セレーナは女として見てもらえるよう色々と努力をした。しかし、結果は惨敗。彼は色恋に相当疎いのか、こちらのアピールに気づく様子は一切見られなかった。
とはいえ、アレンに婚約者はおらず、恋人を作る様子もない。セレーナは、立場上複雑な恋なのだからと、時間をかけて彼を振り向かせるつもりだった。
そんな状況が一変したのが、約一年前。この街に、エレノアという正体不明の女が現れた。
恐ろしく整った美貌を持つ彼女は、可愛らしい双子の兄妹を引き連れ、この街に住み着いた。出自は不明で、オルガルム帝国に来る前は、いくつかの国を転々としていたということしか知らない。
セレーナが彼女のことで他に知っていることと言えば、変装の達人で、武術に長け、婚約破棄の代行とかいう怪しげな商売をしていることくらい。とにかく物騒な女なのだ。
ひょんなことからエレノアと出会ったアレンは、すぐに彼女の抱える問題に気づき、治療を行おうとした。どうやら彼女は、長きに渡って不眠症を患っているらしい。
しかしすぐに治るようなものではなく、アレンは経過観察を続けている。エレノアから不眠症の原因を聞き出したいらしいのだが、彼女に心を開いてもらうにはまだまだ時間がかかりそうだと、アレンは苦笑していた。
アレンはどんな患者に対しても非常に真摯に向き合うが、エレノアへの態度はどこか違う気がする。
そのわずかな差は、幼い頃からアレンを見てきたセレーナにしかわからない。おそらくは、彼自身も気づいていないほどの、ほんのわずかな差。
――きっと兄は、エレノアのことを好きになる。
そんな確信めいた予感が、ずっと頭の片隅に引っかかっている。
(はぁ……エレノアに借りを作るような真似は絶対にしたくなかったのに……)
セレーナは街中を歩きながら、陰鬱とした思いと共に大きな溜息をついた。向かうは、文具屋「銀の鋏」だ。
セレーナがなぜ天敵であるエレノアの元に足を運んでいるかというと、彼女に「婚約破棄代行」の仕事を依頼するためである。
セレーナはここ最近、困った男に付きまとわれていた。元々はオーウェンズ病院に通っていた患者だ。
その男はティンダル伯爵家の次男、エイデン・ティンダル。
患者から好意を寄せられることは、これまでにもしばしばあったが、今回は本当にタチが悪かった。
エイデンは腕の骨折を理由にしばらく通院していたのだが、セレーナに一目惚れをしたと言って、会うたびに花束を贈ってきては愛の告白をしてくるようになった。セレーナは適当にあしらっていたが、彼が諦めることはなかった。
やがてエイデンの怪我が完治し、通院する必要はなくなった。そのためもう会わなくて済むと安堵していたのだが、ある日エイデンがわざわざ病院に来てセレーナを呼び出し、あろうことか婚約を迫ってきたのだ。
エイデンは伯爵家の息子。かたやセレーナは、なんでもない男爵家の娘。
身分上断りにくいことに加え、エイデンは「婚約を断れば、誑かされたとして院長であるアレン・オーウェンズと病院を訴える」と脅してきた。
セレーナは、兄に被害が及んだらと思うと途端に恐ろしくなり、冷静な判断ができないままその場で婚約関連の書類に署名をしてしまった。
それが、つい先日のこと。
もちろん、エイデンと結婚するなど本意ではない。しかし、脅迫に抗えるだけの力がセレーナにはなかった。脅しに屈してしまったことが悔しくて、これからのことを考えると怖くて堪らなくて、その日の夜は眠れなかった。
アレンには婚約云々の話は伝えていない。心配や迷惑をかけたくないのはもちろんだが、きっと彼は、自分の立場や身分を投げ捨ててでも、妹を救おうとするだろうから。
ティンダル伯爵家と揉めれば、うちの病院は恐らく権力によって潰される。兄のこれまでの努力が水の泡になることだけは、絶対に避けたかった。
とはいえ、セレーナとしてもこのまま好きでもない男と結婚したくはない。そこで、唯一頼りになりそうだったのが、エレノアだったというわけだ。
恋敵に借りを作るような真似は絶対にしたくなかったが、今のこの状況を解決できそうなのはあの女くらいしかいないのも事実。
本当に、どうしてこんな事になってしまったのか。
セレーナの足取りは非常に重かったのだが、鬱々と歩いているうちに気づけば目的地の文具屋に到着していた。
入り組んだ路地裏の先にあるこの店は、その立地のせいか常に閑古鳥が鳴いている。どうやら今日も客はいないようだ。
(はぁ……本当に憂鬱)
セレーナはもう一度大きな溜息をつくと、意を決して店の扉を開くのだった。




