case5.エピローグ
ジョンが捕らえられて五日が経った頃、エレノアの元に一通の手紙が届いた。
それはウィリスからのもので、今回の人身売買事件を解決に導いた礼と、事の顛末やジョンから聞き出した情報が記載されていた。
ジョンがこの国を訪れたのは、今から半年ほど前。
彼は違法麻薬の密売に加えて、複数回に渡って人身売買を行っていたようだ。
最初は捨てられた子供や訳ありの女を拾って売りさばいていたが、今回は見た目が良く芸事に秀でた少女を狙って攫い、物好きな貴族たちに高値で売り飛ばそうとしていたらしい。
ジョンから全てのアジトの場所を聞き出したウィリスは、すぐさまジョンの組織を壊滅させた。これで違法麻薬の蔓延も収まるだろうとのことだ。麻薬の件が片付いたため、オーウェンズ病院の警備に当たっていた傭兵団たちも今は撤収している。
手紙の最後には、ジョンがこの国に来た動機と、彼がベルガー王国の出身だということも記載されていた。
「――さま、お姉さま! ねえ、お姉さまったら!」
店のカウンター内の椅子に座っていたエレノアは、マリアの声に引き戻され、対面の彼女にハッと視線を向けた。
「悪い。何の話だった?」
マリアは無視されたことに拗ねているのか、カウンターに頬杖をつきながら可愛らしく頬を膨らましている。
「だから、今週末、お兄さまと三人でオペラを観に行きましょうっていう話よ! 肉屋のおばさまにチケットを一枚もらったの。確か、家にチケットが二枚あったわよね?」
「…………」
エレノアはここ最近で一番の焦りを感じた。これはまずい。
押し黙るエレノアを不審に思ったのか、マリアは訝しげに首を傾げる。
「あれ? お姉さま、取引先からもらったのでしょう?」
「…………」
まさかマリアがオペラに行きたがっていたとは知らなかった。以前マリアとミカエルに「二人で行っておいで」と言った時は断られたので、てっきり興味がないのだとばかり思っていたのだ。
あの時二人が断ったのは、まさか三人で行きたかったからだったとは。
結局誤魔化すこともできず、エレノアは正直に答えた。
「……すまない。一枚ポールにやってしまったんだ……」
「ええっ!? そんなあ……」
あからさまにしょんぼりした顔になるマリア。今にも泣き出しそうな彼女に、エレノアは慌てて声をかける。
「本当にすまない。なんとかしてあと一枚入手するから、な?」
「ううん……大丈夫……流石にもう売り切れてるだろうし……。でも、行きたかったなあ……」
うなだれる彼女をどう慰めようか。もう一枚のチケットはどこから入手しようか。
大慌てでそんなことを考えていると、店先の掃除をしていたミカエルが戻ってきた。
「マリア。ヴィオレッタ嬢がいらっしゃったよ」
そう言う彼の後ろから、燃えるような赤髪の少女がひょっこりと顔を出す。そして彼女は、にこりと微笑みながら挨拶をした。
「こんにちは、マリア。それにエレノアさんも」
「こんにちは、ヴィオレッタ様」
「ヴィオ! いらっしゃい!!」
マリアは途端にパッと表情を明るくし、ヴィオレッタに駆け寄った。
「早速お買い物に行きましょうか!」
今日は二人で買い物に出かけるらしい。どうやらジョンに囚われている間に約束を交わしていたようだ。
マリアに友人ができたことは嬉しく思いつつも、エレノアは「皇族の忠犬」であるレッドフィールド家の令嬢が表立って裏社会の人間と親しくして大丈夫だろうか心配していた。
しかし、ヴィオレッタがここにいることがその答えだろう。もし問題があれば、当主である彼女の父親が止めるに違いない。
現当主は真面目一辺倒な男と聞いていたが、柔軟な面もあるようだ。あるいは、同じ五大公爵家であるウェストゲート家と懇意にしている少女なら、ということなのかもしれない。
「外に御者を待たせてあるから、馬車で行きましょう。でも、マリア。ついさっきまで落ち込んでたみたいだったけど、どうかしたの?」
そう尋ねられたマリアは、「ええと……その……」と言い淀み、もじもじしていた。駄々をこねているところを見られたと思って、羞恥心に駆られているのかもしれない。
代わりにエレノアが事情を説明すると、ヴィオレッタは「なるほど」と頷いた。
「そういうことなら、チケットを用意するわ。あのオペラの主催者、私のお父様なの」
「ええっ!? 本当!? いいの!?」
「もちろん。助けてもらったお礼よ。直接謝礼金は渡せなかったし、これくらいはさせてよ」
「やったあ! ありがとう、ヴィオ!!」
そう言ってマリアは、ヴィオレッタにガバッと抱きついた。
今回の事件は全てウェストゲート家が解決したということになっているのもあり、レッドフィールド家から直々の礼はなかった。裏社会の人間に金を流したという記録が残るのは流石にまずいのだろう。
しかし、レッドフィールド家からウェストゲート家には「娘を救ってくれた礼」として謝礼金が送られ、そしてウェストゲート家からエレノアには「事件解決に協力してくれた礼」として謝礼金が送られたので、実際はレッドフィールド家から礼を受け取ったようなものなのである。
すると、ヴィオレッタに抱きついていたマリアは、顔だけでこちらに振り向いた。
「これで一緒に行けるわね、お姉さま! お兄さまと三人で行きましょう!!」
そう言うマリアは満面の笑みだ。正直チケットの当てがすぐには思いつかなかったので、本当に助かった。
「ああ、皆で行こう。ヴィオレッタ様も、お気遣いいただきありがとうございます」
「いいえ。これくらいお安い御用ですわ。マリアの――大切な友人の頼みですもの」
ヴィオレッタは抱きついているマリアの髪を撫でながら微笑んでいた。まるで妹を可愛がる姉のようだ。
「それじゃあ、お姉さま、ヴィオとお買い物に行ってくるわねっ! 夕方までには帰って来るから!」
「ああ。気を付けてな」
嵐のように出かけて行った二人を見送ると、店内は随分と物静かになった。
扉を見つめて佇むミカエルに、エレノアは声をかける。
「妹を取られて寂しいか?」
すると彼はくるりと振り返り、にこりと微笑んだ。
「いいえ。マリアに友達ができて、純粋に嬉しいんです」
そしてコツコツと近づいてくると、目を眇めていたずらっぽく笑う。
「それに、その方が姉さまを独り占めできますしね」
「フッ。言うようになったな」
エレノアがミカエルの頭を優しく撫でると、彼は嬉しそうに笑っていた。
その後、ミカエルも夕飯の買い出しに街へと出かけて行った。シンとした店でしばらく店番をしていると、カランとドアベルの鳴る音が聞こえてくる。
今日は来客が多いなと思いながら、読んでいた新聞から顔を上げると、扉の前には思いがけない人物が立っていた。アレン・オーウェンズの妹、セレーナだ。
「セレーナ……? 店に来るなんて珍しいな。どうした?」
彼女の突然の来訪に、エレノアは眉を跳ね上げて尋ねた。
セレーナがこの店に来ることは滅多にない。彼女はエレノアを一方的に毛嫌いしているので、この店に近づきたがらないのだ。
たまにアレンのお使いで、不眠症に効く薬や茶を渋々届けに来ることはあるが、しかし今は薬も茶も十分に足りている。一体何の用事だろうか。
扉を閉めて中に入ってきたセレーナは、バツが悪そうに視線を逸らした。
「ええと……その……鋏を、売って欲しいの」
「……………………は?」
セレーナには婚約者などいない。しかし今のフレーズは、婚約破棄代行の依頼を意味するものだ。
彼女が何を言わんとしているのか全く理解できず、エレノアの思考は停止した。
固まるエレノアを見て、セレーナは焦れったそうに声を上げる。
「ああ、もう! だから! あんたに婚約破棄の依頼をしに来たって言ってんの!!」
彼女の来訪をきっかけとして、社交界を揺るがす大事件にまで繋がっていくのだが、このときのエレノアは知る由もないのだった。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございます!
次章でcase4からの一連の事件にカタがつきます。
どういう展開になるか予想しながら最後までお楽しみいただけると幸いです!




