case5ー11.マリアを探せ
エレノアがマリアの捜索を開始したのは、彼女が買い出しに出かけてから三時間ほど経った頃だった。
普段から道草を食って帰りが遅くなることがしばしばあるので、最初は今日もどこかで遊んでいるのだろうと思っていた。
しかし、連続少女誘拐事件のことが脳裏にチラつき、念の為ミカエルとともに探しに出たのだ。
商店街に向かい、行きつけの肉屋を訪れると、店主が心配そうな表情で事情を説明してくれた。
マリアは肉を買ったは良いものの、急用ができたと言って購入品を店主に預けてどこかに行ってしまったらしい。
加えてマリアは、店主に「人助けに路地裏に行く」という言伝を残していた。エレノアかミカエルが来たら、そう伝えてくれ、と。
その言伝を頼りに路地裏に行ってみると、ところどころ道路に傷がついているのを発見した。追ってくれと言わんばかりのその傷は、どうやらナイフで付けられたもののようだ。
エレノアはこの傷がマリアによって残されたものだと判断し、一定間隔で付けられた傷を辿った。
そして、道路の傷に導かれた先にあったのは、埠頭にある一棟の倉庫だった。もうすぐ夕暮れ時の埠頭に人の気配はなく、エレノアとミカエルは拳銃を片手に倉庫へと近づく。
正面の扉は大きく開かれており、中に人気はない。銃を構え警戒しながら中に入ったが、どうやら無人のようだ。しかしそこには、はっきりと血の匂いが残っている。
エレノアは銃を下ろすと、照明の電源をつけに分電盤へと向かった。分電盤を操作し明かりを灯したが、それでもまだ薄暗い。エレノアは加えて携帯用のライトも取り出し、辺りを照らす。
「さて、ミカエル。現場の状況から言えることはなんだ?」
ロープに、薬莢に、血痕。倉庫の中には、ここで起きた出来事を推察できるだけの十分な証拠が残されている。
それらの証拠を注意深く観察していたミカエルは、ひとつの薬莢を拾い上げて言った。
「床にはいくつかの弾痕があります。落ちている薬莢の型からして、撃ったのはマリアでしょう。血痕の散らばり方を見るに、敵は七人ですね」
ミカエルの幼い手に乗せられたその薬莢は、マリアが普段使っている拳銃に込められているものと同じだった。エレノアがウェスト商会から購入し、彼女に与えたものだ。
するとミカエルは薬莢をぽいと投げ捨て、今度はロープが落ちている場所へと向かった。
「そして、落ちている六本のロープには皮膚片が付着していて、わずかに血が滲んでいるものもあります。恐らく手首を縛っていたのでしょう」
ミカエルは一本のロープの先端をつまむと、それを掲げてみせた。
「ロープの長さからして、捕まっていたのは子供。ロープの切り口はとても綺麗で、鋭い刃物で切られたと考えられます。囚われていた六人の子供たちを、マリアが逃がしたのでしょう」
「上出来だ」
いつもなら褒められて喜ぶところだが、ミカエルの表情は険しいままだった。妹が姿を消し、内心穏やかではないのだろう。エレノアももちろん心配していたが、彼ほど悲観はしていなかった。
七つの血痕はどれも引きずった形跡がなく、その場で傷を手当してから移動したことがわかる。負傷したまま動けば、もっとそこかしこに血が散らばっているはずだ。
「負傷した敵の姿が見当たらないということは、恐らく仲間が来て運び出したんだろう。敵の仲間が来たのに、マリアが抵抗せずただ捕まるとは思えない。何か事情があったはずだ。捕まったわけではなく、敵の跡を付けていっただけの可能性もある。その場合なら直に帰って来るだろうし、わざと捕まったなら、何か手がかりを残すか合図を出すかするだろう」
エレノアがそこまで言うと、ミカエルの表情がほんの少し明るくなった。しかし、すぐにまた険しい表情に戻り、こちらをじっと見上げてくる。その瞳には、怒りの炎が静かに燃えていた。
「姉さま。ジョン・ラッセルを見つけたら、殺しても構いませんか?」
囚われた六人の子供たちと、連続少女誘拐事件。そして、ジョン・ラッセルによる人身売買の噂。それらを結びつけて考えるのは、ごく自然なことだ。
ミカエルは、マリアがいなくなったのはジョンのせいだと考えたのだろう。エレノア自身も、その可能性が高いと踏んでいた。
実はエレノアは、ポールに誘拐事件の情報を聞いたあの日から、誘拐された少女について独自に調査を行っていた。
ポールが言っていた通り、少女たちの身分や年齢は様々で、一見関連性がないように思われた。しかし、調査を進めるにつれ、二つの共通点が浮かび上がってきた。
ひとつは、容姿が非常に整っていること。そしてもうひとつは、歌や踊りなどの芸事に秀でていることだ。
それはつまり、商品価値の高い少女に狙いを定めて攫った、ということだろう。
エレノアは少し屈んでミカエルと目線を合わせると、頭を優しく撫でながら穏やかな声で諭した。
「お前の気持ちもわかる。が、あんな男のためにお前が手を汚す必要はない。それに、あれはウェストゲートの獲物だ。横取りしてやるな」
「…………わかりました」
そう返事が返ってきたものの、ミカエルは唇を尖らせて不服そうだ。そんな彼に、エレノアはもう一度優しく言い聞かせる。
「マリアは自分の意思でいなくなった可能性が高いと思う。きっと大丈夫だ。あの子は黙ってやられるほどヤワじゃないからな。まずは、マリアの行き先を考えよう」
ミカエルはエレノアのその言葉でようやく怒りを鎮め、力強く頷いた。その金色の瞳には怒りではなく、必ず妹を見つけ出すという強い意志が宿っていた。
そうして二人は、マリアの行方の手がかりになるものがないか、倉庫内をくまなく調べることにした。エレノアは一階、ミカエルは二階を担当している。
一階には壁に沿ってたくさんの木箱が積まれており、全てを調べ尽くすには少々骨が折れそうだ。
「黒幕がジョンと仮定すると、誘拐の目的はやはり人身売買だろう。どの誘拐事件も身代金の要求はないみたいだからな」
エレノアは二階にいるミカエルに話しかけた。吹き抜けになっているので、声がよく通る。
「この国では人身売買は禁止されていますし、行き先はやはり国外でしょうか?」
「そうとも限らない。ウィリス様が言っていたが、国外に通じる全ての検問所で厳しく調べても、人を国外に運ぼうとする輩は今のところ見つかっていないそうだ。ウェストゲートの包囲網をすり抜けられるとは思えない」
「では国内ですか? でも、国内で人買いをする人なんているんでしょうか……リスクが高すぎませんか?」
「確かにリスクは高い。取引現場を押さえられたら、そこで人生が終わるんだからな。だが裏を返せば、バレなければ良いだけの話でもある」
この国の治安は比較的良い方だが、とはいえ犯罪がゼロになることはあり得ない。軽犯罪も含めれば、表立っていないものは数多く存在するだろう。
「人を買うには金がかかる。買い手は間違いなく貴族だろう。少なくとも六人の少女を売ろうとしていたなら、買い手の数もある程度多くなければならない。誰がどの少女を気に入るかなんてわからないしな」
「うーん……買い手である貴族の家を、少女を連れて一軒一軒回る、なんてことはないでしょうし……」
「何人もの少女をまとめて売りたいなら、そんな面倒なことはしないだろうな。商品と買い手を一つの場所に集めて、一気に売りさばくはずだ。つまり――」
「貴族が大勢集まっても怪しまれない場所、ということですね」
二階の調査が終わったようで、ミカエルが一階に下りてきた。二階にはそもそも物がほとんどなく、残念ながら手がかりになるようなものは何も見つからなかったようだ。
彼は一階の調査に加わりながら、会話を再開させる。
「でもその場所ってどこでしょうね。皇城……は流石にないでしょうし、社交クラブとかでしょうか。どこかの貴族の屋敷という可能性もありますね」
社交シーズンの今、地方貴族たちは首都に持っている別邸――タウンハウスに住んでいる者が多い。裕福な貴族のタウンハウスには舞踏会を開けるだけの大きな広間があり、そういった場所が使われる可能性ももちろんあるだろう。
「あとは、教会とかな」
エレノアがさらりとそう言うと、ミカエルは何とも言えない表情になった。
「……その可能性は、あまり考えたくないですね」
「同感だ」
その後、三十分ほど探しても目ぼしいものは見つからず、そろそろ引き上げようかと考え始めた頃。
とうとうエレノアは、ロープが落ちていた場所の近くの木箱に、一枚の紙が挟まっているのを見つけた。
「これは……」
その紙が思いがけないものだったので、エレノアは大きく目を見開いた。マリアのあまりの強運に、思わず笑いが込み上げてくる。
「ククッ。全くあの子は本当に……幸運の女神でもついているのか?」
こちらに寄ってきたミカエルも、エレノアが手に持つそれを見て目を丸くする。
「それ……! オペラのチケット……!」
エレノアが見つけたのは、肉屋の店主の妻がマリアに渡した新作オペラのチケットだった。そのオペラは、初公演を明日に控えている。
「マリアが無意味にこれを残していったとは思えない。人身売買が行われるのは、オペラが開催される国立劇場と見て間違いないだろう。そして恐らく、人身売買の決行は明日の夜。公演初日が一番賑わうからな。貴族を隠すのには持って来いの場所だ」
「なんて大胆な……」
この国最大の大きさを誇る国立劇場の歴史は古く、増築や改築を何度も繰り返している。そのため中が非常に入り組んでおり、管理人が把握しきれていない部屋や裏口も多いという。
そして、国立劇場には今は使われていない地下ホールがあり、そのスペースがあれば少女の競売会を行うことは十分可能だろう。
売り手であるジョンたちは数多くある裏口から人目を忍んで侵入することができるし、買い手の貴族たちはオペラの観客に紛れて堂々と正面から入ればいい。
「よし、ミカエル。ジョン・ラッセルも人買いの貴族も、一網打尽にしようじゃないか」
ようやく一連の事件にカタが付きそうで、エレノアは思わず口角を上げるのだった。




