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case1ー5.感謝する依頼人

 

「この度は、本当にありがとうございました」


 この日、依頼の報酬を渡しにアメリが店へと訪れていた。応接室のソファに座った彼女は、対面のエレノアに向かって深々と頭を下げている。


「いえ、私共は依頼をこなしたまでですから。どうか顔を上げてください」


 その言葉に促され頭を上げたアメリは、心底不思議そうにこう尋ねてきた。


「でも、どうやってウィラード様を説得したのですか? ある日突然家にいらっしゃったかと思ったら、まるで人が変わったように『全部僕が悪かった。これからは君だけを愛するから許してくれ』なんて仰られて、わたくし本当に驚きましたの」


 事の顛末はこうだ。


 エレノア扮するキャサリンに別れを告げられたウィラードは、すぐさまレイクロフト伯爵家に謝罪し、再度アメリとの婚約を申し込んだ。


 レイクロフト伯爵は都合の良いウィラードを叱責し追い返そうとしたが、その場でアメリが彼との結婚を強く望んでいると父に訴えたため、伯爵は渋々彼を許したのだった。


 こうしてアメリとウィラードは再度結ばれ、三ヶ月後に結婚する予定になっている。今は花嫁支度で忙しい日々を過ごしているようだ。


 一方のキャサリンはというと、結婚するつもりだったスミス・ウィンターソン伯爵からの連絡が途絶え、流石におかしいと思った彼女は伯爵の素性を従者に調べさせた。するとそんな人物はこの世に存在しないことが判明し、彼女は自分が結婚詐欺に遭っていたと気づくことになる。

 

 しかし、その時には既にウィラードとアメリが婚約を結び直しており、キャサリンにはどうすることもできなかった。こうなってはジール侯爵家に怒鳴り込みに行っても、子爵家の令嬢など軽くあしらわれるだけである。


 彼女は今、自暴自棄になって屋敷で荒れ狂っているという。


 エレノアは「どうやってこの依頼をこなしたのか」というアメリの問いに一言こう返した。


「それは企業秘密ということで」


 微笑みながら唇の前に人差し指を立ててそう言うと、アメリも釣られたように微笑んだ。


「フフッ。それでは、わたくしもこれ以上は聞かないことにいたします」


「助かります」

 

 そんなやり取りの後、アメリは一枚の小切手を差し出してきた。


「こちら、今回の代金です」


「確かに」


 エレノアは小切手に書かれた金額を確認してひとつ頷くと、居住まいを正してアメリに挨拶をする。


「この度は当店をご利用いただき、誠にありがとうございました。アメリ様の幸せが末永く続くことを心よりお祈り申し上げております」


「はい。こちらこそありがとうございました」


 そうしてアメリは幸せそうな笑顔を浮かべ、店を去っていった。


 店の外でアメリを見送った後、エレノアは応接室に戻りミカエルに小切手を手渡す。


「ミカエル、今回の報酬だ。管理を頼む」


 小切手に書かれた金額を見て、ミカエルはギョッとしたように目を見開いた。


「一千万シリカ?! 珍しいですね、こんなに高額なお金を取るなんて。いつもの二十倍くらいじゃないですか」


 エレノアは普段はなけなしの代金しか受け取らない。依頼主は大抵が少年や少女で、大金を自由に扱える身分にないからだ。前途有望な若者を借金苦にしてしまっては、せっかく叶った幸せが台無しになってしまう。


 そもそも、エレノアは婚約破棄代行で生計を立てているわけではないのだ。もちろん閑古鳥が鳴いている文具屋で儲けているわけでもない。


 ではどうしているかというと、ある時は富豪の息子の家庭教師に、ある時は国一番の商会の相談役に。頭脳明晰で多方面への造詣が深いエレノアは、様々な皮を使い分けてありとあらゆる仕事を行っていた。


 婚約破棄代行業は依頼の遂行に多額の資金が必要になるため毎度大赤字になるのだが、エレノアはたった一人でそれを補って余りあるほどの金を稼いでいる。


「ああ。これから何かと入り用だからな」


 エレノアはソファに座って頬杖をつきながら、目を眇めてミカエルを見遣った。彼はその返答の意味が理解できなかったようで、不思議そうに首を傾げている。


 するとちょうどその時、マリアの元気な声が廊下から聞こえてきた。


「お姉さま! アレンが来たわ!」


 マリアが応接室の扉を開けて中に入ってくると、彼女に続いて白衣を着た青年が姿を見せた。


「こんにちは、エレノア。それに、ミカエル君も」


 黒髪に灰色の瞳を持つ青年は、人好きのする笑顔を浮かべて挨拶をしてきた。


 彼はアレン・オーウェンズ。エレノアが懇意にしている医者だ。柔和な面持ちで、人の良さそうな見た目の男である。


 アレンはまだ二十歳と若いがオーウェンズ男爵家の当主であり、小さいながらも祖父の代から続く病院を経営している。そして、病院経営の(かたわ)ら自身も医師として働いており、しかも彼は超が付くほどの腕利きなのだ。


 エレノアは今まで色んな医者に出会ってきたが、その中でも彼が群を抜いて優秀だと密かに思っている。本人に欲がないこともあって、病院が大繁盛しているだとか、国中から彼の腕を求めて患者が押し寄せてくるといったことには全くなっていないのだが。


「久しいな、アレン。そろそろ来ると思っていた」


「久しぶり。調子はどうだい?」


「ああ、悪くない」


 世話焼きのアレンは、エレノアと初めて出会った時からこうしてちょくちょく様子を見に店にやって来る。大病を患っている訳ではないのだが、以前から不眠症に悩まされており、その経過観察をしてくれているのだ。


 双子たちが部屋を出ていった後、アレンはエレノアの隣に座り、鞄から聴診器を取り出した。


「じゃあ、少し触れるね。嫌だと思ったらすぐに言って」


「いちいち許可を取らなくてもいいと、いつも言っているだろう」


 エレノアが眉根を寄せて煩わしそうにそう言うと、アレンは困ったように眉を下げて苦笑する。


「そうは言ってもね」


 この男は無頓着なようで意外と頑固者だ。譲らない彼にエレノアはやれやれと軽く溜息を漏らす。そしてアレンは真剣な表情でしばらくエレノアの体内の音に耳を傾けていた。


「うん。顔色もいいし、脈も正常だね。最近寝付けないことは?」


「あまりない」

 

 エレノアの不眠症は幼い頃から続いていた。しかしアレンと出会い彼の治療を受けてから、みるみるうちに改善したのだ。


「前に渡した睡眠薬は服用してる?」


「いや。最近はお前が調合してくれた茶で十分眠れている」


「それは良かった。睡眠薬は依存性があるからね。これ、追加分の茶葉」


 そう言って、アレンは紙袋を渡してきた。


 彼はエレノア専用に安眠効果のあるハーブティーを独自に調合してくれている。その茶葉が無くなりそうな頃合いを見計らって、様子を見がてらわざわざ店に来てくれるのだ。


「じゃあ、また来るよ」


 用が済んだ彼は会話もそこそこに立ち上がり、早々に帰ろうとした。彼は院長業務をこなしながら、院内診察はもちろん手術や訪問診察なども自らやっており、多忙な身なのだ。


「アレン」


 エレノアは振り返った彼に向かって、続けざまにこう言った。


「近いうちに、お前の病院に患者を一人送り込む。悪いが診てやってくれ」


 その言葉にアレンは思いっきり眉根を寄せる。


「……物騒な話?」


「いいや、人助けの話だよ」


 エレノアが目を眇めてそう言うと、彼は困ったように眉を下げた。


「わかった。でも、エレノア。あんまり危ないことはしないようにね。流石に死んだ人間を生き返らせることは僕にもできないから。必ず生きて帰ってくるように」


 アレンはエレノアの裏稼業のことを知っている数少ない人間の一人だ。


 彼はエレノアが危険な事件に首を突っ込むことを非常に嫌がり、こうして再三注意してくる。それは恐らくエレノアが彼の患者であり、その患者がいつも無茶なことばかりするからだろう。


 もちろん注意された当の本人は、全くと言っていいほど聞く耳を持っていないのだが。


「了解、先生」


 エレノアがにこりと微笑みながらそう返すと、アレンはやれやれと軽く溜息をついて帰っていった。


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