case5ー1.招かれざる客(1)
case4.エピローグの続きです。
エレノアは店に入ってきた男に最大限の警戒を向けていた。
ゆるく癖のある、少し長めの黒髪。細い切れ長の目。
着崩された黒のシャツとスラックス。袖まくりしたシャツからは、入れ墨が彫られた腕が覗いている。
かつて写真で見たその男は、かすかな笑みを浮かべながら真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「あんたがここの店主だな? 噂以上の美人で正直驚いた」
その男――ジョン・ラッセルは、三人の手下を引き連れていた。その誰もが、まだ二十歳にもなっていなさそうな年若き青年だ。
「何の用だ」
エレノアが鋭い視線とともに問いただすと、ジョンはさらに口角を上げた。
「その反応は、俺のこと知ってるな? 嬉しいねえ」
ジョンとその手下は店の入口付近に、エレノアは店のカウンターの中にいる。一定の距離は保っているものの、店には張り詰めた空気が漂っていた。互いが互いの腹の中を探りながら、おかしな動きをすればすぐに攻撃を仕掛けようという雰囲気だ。
「俺のことを知ってるなら、何で俺がお前のところに来たのかもわかってるんじゃねえのか?」
ジョンが試すようにそう尋ねてきたので、エレノアはやれやれと溜息をついた。
「まさか本当に勧誘しに来るとはな」
ウィリス・ウェストゲートの懸念は的中したようだ。
彼は「ジョン・ラッセルがエレノアを自分の陣営に取り込もうとする可能性がある」と忠告してくれていたが、本当にその通りになってしまった。
しかし、ジョンがこの場に現れた以上、やるべきことは明白だ。ジョンを捕らえ、ウィリスに突き出せばいい。
用心深いジョンがこうしてノコノコと姿を現したのは、「エレノアは容易に脅せるひ弱な女」だと思っているからだろう。侮られているのはこちらにとって非常に好都合だ。相手が油断している方が断然捕えやすい。
すると、ジョンはエレノアに向けて手を差し出してきた。
「その通り。俺はお前を勧誘しに来た。俺とともに来い、エレノア。悪いようにはしない」
「ハッ。女を口説くのに手下を三人も連れてくるとは、随分と情けない男なんだな」
エレノアが思いっきり嘲笑を浴びせると、ジョンは可笑しそうに笑っていた。
一方、周囲の手下たちは、信じられないというように目を見開いている。彼らはエレノアのことを「なんて怖い物知らずな女だ」とでも思ったのだろう。
ひとしきり笑い終えたジョンは、口角を上げたまま再び口を開く。
「いいねえ。勝気な女は嫌いじゃねえ。で、どうする? 大人しく俺についてくるか、抵抗するか。あ、もちろん抵抗する場合は、こっちもそれ相応の対応をさせてもらう」
「それ相応の対応」というのは、もちろん武力行使のことだろう。こちらも元よりそのつもりだったので問題ない。
しかしエレノアは、戦闘に移る前にいくつか質問をしておくことにした。この男には聞きたいことが多すぎる。
「ついて行くかの判断を下す前に、いくつか質問をさせてくれないか?」
「ああ、いいとも」
快諾したジョンは、非常に落ち着いていて余裕のある様子だ。しかし、場の緊張感が失われるということはない。悠然と構えているように見えて、彼には隙がなく、いつでも攻撃態勢に移れる姿勢を取っている。
エレノアは警戒を続けながら、まず一つ目の質問を投げかけた。
「アンナ・スミスを殺したのはお前か?」
聖女様と呼ばれた少女アンナ・スミスは、学友を殺害した罪で警察に逮捕された。そして、逮捕の翌日、首を吊って獄中死を遂げたのだ。
エレノアは彼女の死を疑問に思い、口封じのために何者かによって殺されたのではないかと考えていた。その犯人として最も怪しいのが、このジョン・スミスという男だ。
しかし彼は、エレノアの直球な問いに訝しげな表情を浮かべた。
「アンナ・スミス? 誰だそりゃ?」
そう言う彼は、腕を組みながら「そんな奴いたっけな」と懸命に思い出そうとしている。
本気で誰だかわかっていない反応に、エレノアは呆れて溜息をついた。
「ロゼク国立高等学校に通っていた平民の少女だ。彼女を使って、グリーンベルという麻薬を学校にばら撒いたのはお前だろう」
その言葉でようやく思い出したのか、ジョンはパッと目を見開いた。
「ああ! あいつな! 小銭稼ぎはさせてもらったぜ。だが俺はあいつに麻薬を渡しただけで、別に学校にばら撒けなんて指示はしてねえよ」
ジョンはそこまで口にすると、何かに気づいたように首を傾げた。
「ん? お前、俺がそいつを殺したって言ったか? あいつ死んだのか? 警察に捕まったんじゃなかったのか?」
ジョンのその反応は、到底演技には見えなかった。アンナが死んだことを、たった今初めて聞いたという反応だ。
その事実に驚き、エレノアは片眉を跳ね上げた。
「まさか……本当に知らないのか?」
「あいつの行く末なんざ知らねえよ。そもそも俺があいつに会ったのも一回きりだしな。なんで俺があいつを殺さなきゃなんねえんだ。流石に俺もそこまで暇じゃねえ」
アンナは本当に自殺だったというのか。
ジョンの一連の反応から、彼女に何の指示もしていないというのも、あながち嘘ではないように思えてくる。
「では、オーウェンズ病院にグリーンベルの入った箱を置いたのはお前か?」
「オーウェ……何だって? お前、さっきから訳わかんねえ質問ばっかりだな」
「…………」
エレノアはかすかに息を飲んだ。
アンナの死も、オーウェンズ病院に違法麻薬グリーンベルが置かれてあったのも、てっきりジョンの仕業だと思っていた。しかしこの反応は、明らかに無関係だ。
真相が一気に遠ざかり、エレノアは少しばかり気が滅入ってしまった。
「わかった。質問を変える。お前はなぜ裏社会の秩序を乱すような真似をしている? 違法麻薬の密売は帝国では重罪だということを知らないのか?」
その質問には答えられる、というように、ジョンは薄く笑った。
「違法なのは当然知ってるさ。だがな――」
そこで彼は腕を大きく広げ、まるで演説をするかのように大仰な身振り手振りで話を続けた。
「俺は貴族が大嫌いなんだ。富も権力も独り占めして偉ぶって、何様のつもりだってな。クソ貴族がいるのは表社会だけで十分だってのに、裏社会まで貴族が支配してやがる! そんなの、俺たち日陰者は息苦しくて仕方がないだろ? だから秩序なんかめちゃくちゃにして、行き場のねえ日陰者たちを解放してやるのさ。お高く止まったいけ好かねえお貴族様からな。貴族が支配する世界なんざつまらねえ!!」
ジョンの語り口から、彼が相当貴族嫌いなのが伝わってくる。
エレノアも貴族制度はあまり優れたものではないと思っているが、彼の言い分には賛同できなかった。
秩序が保たれているからこそ、裏と表は衝突せずに済んでいる。その秩序を乱す行為は、愚かとしか言いようがない。己の領分はわきまえるべきだ。
それにしても、裏社会を支配している貴族というのは言わずもがなウェストゲート公爵家のことだ。彼はウェストゲート家に何か恨みでもあるのだろうか。
だがそうすると、ひとつの疑問が生じる。




