case1ー4.大嘘つきの大仕事
後日、エレノアはスミス・ウィンターソン伯爵という架空の人物になりすまし、とある貴族が主催している夜会に参加していた。
もちろん、この場にはキャサリンもいる。彼女は父親のブロンソン子爵に連れられて来たようだ。
ウィラードとの関係が膠着状態にある今、キャサリンが取る行動は「ウィラードとの婚約が破談になった時のために保険となる男を見つけておく」ということだ。
計算高い彼女は手当たり次第夜会に参加し、めぼしい男を漁るだろう。そんなキャサリンの前に好条件の男として現れれば、彼女は必ず食いついてくるとエレノアは踏んでいた。
エレノアが扮するスミス・ウィンターソン伯爵は、社交シーズンに合わせて田舎の領地から首都に出てきている、という設定である。
貴族に変装するのは小国であればその数が限られているので少々苦労するが、ここオルガルム帝国は大陸の中でも随一の大国だ。爵位持ちの家はかなりの数に上るので、すぐにバレることはない。
キャサリンを探すと、彼女は意外にも壁の花となっていた。
周囲の会話に聞き耳を立てると、どうやら婚約破棄騒動の悪評が広まり、誰も彼女に近寄ろうとしなくなったらしい。ウィラードとの婚約が拗れていることも噂として漏れ出ているようだ。
令嬢たちはキャサリンを遠巻きに見ながら、コソコソと悪口に花を咲かせている。
仏頂面で会場を見回しているキャサリンに、エレノアは低くよく通る男性の声で話しかけた。
「浮かない顔ですね、お嬢さん」
不意に声をかけられたキャサリンは、驚いたようにエレノアを見上げた。
「……あなたは?」
エレノア扮するスミス・ウィンターソン伯爵は、彼女好みの見た目に仕上げている。
スラリとした長身に切れ長の瞳。眉目秀麗の美青年に声をかけられたキャサリンの頬は、ほんのりと薄紅色に色づいていた。
「私はスミス・ウィンターソン。爵位は伯爵です。普段は地方にいるのでご存知ありませんよね。今は社交界シーズンに合わせて首都の方にまで出てきているんです」
「そうですの。わたくしはブロンソン子爵家のキャサリンと申します。以後お見知りおきくださいませ」
「素敵な名前ですね。こちらこそ、よろしくお願いします」
にこりと微笑みかけてやると、キャサリンはますます頬を赤らめた。
ウィラードは地位はあれど、見た目は平凡だ。双子の調査報告書でも、彼女はウィラードの容姿にはさほど惹かれていないと書かれていた。
そしてエレノアは世間話から始め、自分は未婚であり気の合う女性を探していること、家業が順調で資金が潤沢にあることをそれとなく彼女に伝えた。
ジール侯爵家は昔から続く歴史ある家柄だが、今はやや落ち目にある。金に目がないキャサリンがどちらを選ぶのかは考えるまでもない。
その後、エレノアは夜会が終わりに近づくまで様々な話題で彼女を楽しませた。そして、とうとうお開きになる頃合いになった時、キャサリンは目を潤ませ上目遣いにこう言ってきた。
「とても楽しかったですわ、スミス様。今夜限りなのが、本当に残念……」
そして彼女はエレノアの手をそれとなく握ってきた。エレノアは心の内で「落ちた」と思いつつ、彼女の手をそっと持ち上げその甲に軽く口付けをする。
「願わくば、私はあなたともう少しお近づきになりたいのですが」
熱い眼差しでそう言ってやると、キャサリンは顔を真っ赤にして惚けていた。エレノアは彼女に一枚の紙切れを手渡すと、耳元でこう囁く。
「もしあなたが嫌でなければ、この紙に書かれた時間と場所で落ち合いましょう。あなたが来るまで、ずっと待っています」
最後ににこりと微笑みかけ、エレノアは会場を後にした。これで仕事の半分は片付いたようなものだ。
その後、エレノアはスミス・ウィンターソン伯爵としてキャサリンと逢瀬を重ねた。そして何度目かの逢瀬の時、とうとうトドメを刺しにいったのだ。
「私の妻になってはもらえませんか。キャサリン様」
彼女の両手を取り真剣な眼差しでそう告げると、キャサリンの瞳にみるみるうちに涙が溜まっていった。そしてくしゃりと笑ったその目から涙がこぼれる。
「嬉しい……!」
そう言って勢いよく抱きついてきた彼女を難なく受け止める。エレノアはあらゆる武術や剣術を極めており普段から体も鍛えているので、令嬢ひとり抱きついてきたくらいで体の芯がブレることはない。
すると、キャサリンはすぐにエレノアから離れ、笑顔を消して表情を暗くした。
「でもわたくし……結婚を約束したお相手がいて。といっても両家で揉めていて、正式な婚約には至っていないのだけれど……黙っていて本当にごめんなさい。あなたに嫌われたくなくて、言い出せなくて……」
キャサリンの言葉や仕草、表情は全てが計算しつくされていた。結婚相手がいながら逢瀬を重ねていたのは双方の男に対して完全な裏切り行為であるが、こちらを限りなく怒らせないように健気でいじらしい女を演じている。
「そうだったんですか……こちらこそ、何も知らずに言い寄ってしまって申し訳ない」
ショックを受けた表情で一歩引くような言葉を放つと、キャサリンはぎゅっと手を握ってきた。続けて、上目遣いで乞い願うように言う。
「わたくし、あなたと一緒にいたい」
その言葉にエレノアは一瞬驚いた顔を作った後、すぐに優しく微笑んだ。そして、彼女を引き寄せ抱きしめる。
「私を求めてくださるのなら、何だっていたしましょう。あなたの結婚相手の件も、全て私が何とかしてみせます」
「スミス様……!」
キャサリンはエレノアの胸の中で喜びの声を上げた。そんな彼女の頭を優しく撫でながら、エレノアはこう告げる。
「穏便に済ませられるよう計らってみますので、それまで待っていてもらえますか?」
「もちろんですわ!」
* * *
数日後、エレノアはキャサリンになりすまし、街のカフェテリアでウィラードと会っていた。
「わたくし、もうあなたのことは諦めます」
そう告げられたウィラードは、ショックのあまり言葉を失っていた。顔は血の気が引き真っ白になっており、絶望の表情を浮かべている。エレノアはそんな彼に追い打ちをかけた。
「他の方と結婚することにいたしました」
「そ、そんな……嘘だろ……? 嘘だと言ってくれ、キャサリン!」
彼は必死にエレノアの手を取り言い縋ってきた。突然大声を上げた彼に客の視線が集まったが、すぐにざわざわとした喧騒が戻って来る。そのタイミングで、エレノアは泣きそうな笑顔を作った。
「……ずっと待たされる身にもなってくださいませ。親の反対を押し切っての結婚など、決して幸せにはなれません」
「そんなことは……僕が……僕が必ず両親を説得してみせるから!」
彼の言葉にエレノアは悲しげな表情で首を横に振る。
「わたくしはあなたに謝らなければならないことがございます」
そして、目を伏せてこう続けた。
「わたくしは嘘をついていました。あなたに振り向いて欲しくて、アメリ様を貶めてしまった」
「え……?」
困惑した表情を浮かべるウィラードに、エレノアは深く頭を下げる。
「わたくしは、アメリ様に虐められたことなど一度もございません。全てはわたくしの自作自演だったのです。本当にごめんなさい」
「……そんな……」
「ですが、あなたを愛していたのは本当です。あなたに愛されたくて、愚かな真似をしてしまいました。罰ならいくらでも受けます」
そう言い切ってエレノアが顔を上げた時には、ウィラードはショックを受けたように俯いていた。そしてそのまましばらく押し黙っていたが、彼は程なくしてか細い声を上げた。
「罰を受けるのは僕の方だ……僕は……僕はなんてことを……」
ウィラードは俯いたままで表情は伺えないが、その声音には後悔と自責の念が強く滲んでいた。
「あなたと愛し合った日々はかけがえのないものでした。ですが、それももう今日で終わり。アメリ様はあなたのことを心から想っていらっしゃいます。あなたは、アメリ様の元に戻られるべきです。その方がお互い、きっと幸せになれます」
その言葉にウィラードはようやく頭を上げた。その顔はひどく歪んでいる。
「キャサリン……」
「さようなら、ウィラード様。あなたの幸せを、心から祈っております。今までありがとうございました」
エレノアが泣きながら笑ってそう言うと、彼も歪んだ顔のままいびつに笑って涙を流した。
「キャサリン、僕も、君を愛していたよ。ありがとう。さようなら」
* * *
そのまた数日後、エレノアは再度スミス・ウィンターソン伯爵に扮し、ウィラードとの縁談が正式になくなった旨をキャサリンに告げた。そしてその日以降、彼女の前から姿を消したのだ。
エレノアはここ数日の間、一日に複数の役をこなし続けていた。流石に骨が折れたが、しかしこれで依頼は完了したようなものだ。あとは、事が転ぶのを待つだけである。