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婚約破棄の代行はこちらまで 〜店主エレノアは、恋の謎を解き明かす〜  作者: 雨野 雫
case4.聖女様

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case4ー10.賢い女(2)


「遺書にはこう書かれていました。『僕はこんなにも君を想っているのに、どうして君は振り向いてくれないんだろう。もう君に恋するのが苦しい』と。この遺書を見て、何か変だと思いませんか?」


 エレノアが問いかけると、アンナは少し身を乗り出して、遺書をじっくりと観察する。そして程なくして、彼女は首を横に振った。


「いいえ……失恋したショックで自殺したようにしか思えませんが」


「確かにこの文章だけ見るとそう感じますよね。ですが、この紙の形、どうもおかしくありませんか? まるで便箋の一部を切り取ったように妙に横長です」


 そしてエレノアは、トムの自室で見つけた便箋の束のうち、一番上の一枚をテーブルに広げた。鉛筆で全面を薄く塗りつぶしているため、筆圧で紙にできていた凹凸が文字として浮かび上がっている。


「実は遺体発見現場に残されていた紙は、遺書ではなく、恋文の一部だったんです」


 全文はこうだ。



〜 〜 〜


 アンナへ


 君と出会ってから、もう一ヶ月も経つんだね。


 日に日に君を想う気持ちが強くなっていく。心から、君を愛しているんだ。


 僕はこんなにも君を想っているのに、どうして君は振り向いてくれないんだろう。


 もう君に恋するのが苦しい。


 そう思うのに、君に恋するのをやめられない。


 そんな僕をどうか許して欲しい。


 君が振り向いてくれるまで、僕は諦めない。


 君が平民だなんて関係ない。僕が君を、絶対に幸せにしてみせる。


 だからいつか、君が振り向いてくれることを祈ってる。


 愛しているよ、アンナ。

 

 トム


〜 〜 〜


 

 アンナは無表情でその手紙を眺めていた。彼女にはまだ焦りも動揺も見られない。


「さて、アンナさん。ここからは私の推測を述べさせていただきます」


 エレノアはそう前置きし、自らの考えを話し出した。


「あなたはあの日、お茶会の後、トム卿から何度目かわからない告白を受けた。もしかしたらその日は、脅迫まがいの告白だったのかもしれませんね。身の危険を感じたあなたは、彼を殺害することにした」


 トムの荷物から発見された果物ナイフ。明らかに学校に不必要なそれを、彼はアンナに突きつけたのかもしれない。


 だが、これはエレノアの想像の域を出ない仮説だ。動機は後ほど本人に話してもらう必要がある。


「あなたはトム卿に、まずはお茶でも飲んで落ち着いて話そう、とでも言ったんでしょう。そうしてあなたは、グリーンベルを大量に入れたお茶をトム卿に飲ませ、殺害した」


 アンナの表情は依然として変わらない。ただ無表情のまま、エレノアの話を黙って聞いている。


「遺体は温室近くの園芸用倉庫にあった荷車で運んだのでしょう。そして、同じく倉庫にあった重石を彼の体にロープでくくりつけ、池に沈めた」


 この学校の敷地には石畳が敷かれているので、荷車のタイヤの跡は残らない。もし地面が石畳ではなく土だったら、遺体を自殺に見せかける事はできなかっただろう。


「あなたはトム卿から受け取った恋文を、必要な部分だけ切り取って遺書として使った。遺書と彼の靴を池の脇に置いたのは、恐らく殺害翌日の夜明け前あたりでしょう。殺害後早々に警備員に見つかってしまえば、直前に会っていたあなたが真っ先に疑われますから」


 エレノアはそこでひとつ呼吸を挟み、はっきりと力強い声で続ける。


「あなたは自分のアリバイを作るためにも、遺体発見を遅らせ、死亡時刻を曖昧にさせる必要があった。寮が寝静まっている時間なら、誰にもバレずに遺書を置いて戻ってくることは十分可能です」


 そしてアンナは大勢の前で、トムがさも自殺したような発言をし、その場にいた全員に「これは事件や事故ではなくトムの自殺である」と印象付けたのだ。


 遺体が最初から解剖されていたら、死因の偽装はすぐに見破られ、警察も他殺として捜査を続けていたに違いない。生きたまま池に飛び込んで溺れ死んだなら、胃や肺が池の水で満たされているはずだが、トムの遺体はそうはなっていなかったからだ。


 恐らくアンナは、ロイド伯爵夫妻が息子の体から薬物が検出されるのを恐れ、解剖を断るところまで読んでいたのだろう。


 そして、万が一、死因がグリーンベルの過剰摂取だとわかった場合でも、トムが自分で購入していた物を自分で摂取したのだ、と主張できる。


(全く、相当な切れ者だよ、この女は)


 彼女がまだほんの十五歳の少女であるという事実が恐ろしい。


 彼女の才能を見出した推薦人の目は確かだったが、いかんせん才能の使い道が最悪だ。


 するとアンナがひとつ溜息をついてから、眉を顰めて口を開いた。


「確かに私はトム様からこの手紙を受け取りました。でも、これだけでは私が犯人という証拠にはなりません。私はこの手紙を受け取ってすぐ学校のゴミ箱に捨てました。誰かが私を陥れるために、それを拾って利用したのかもしれません」


 アンナの言葉に、今度はエレノアが溜息をつく。そして、困ったように眉を下げた。


「ここで自白いただけると楽だったのですが……やはり(しら)を切りますか」


「白を切るって……やってないのに罪を認めろと言うのですか?」


 アンナはエレノアに険しい視線を向け、呆れたように言葉を続ける。


「それに、私はそのグリーンベルという麻薬を所持すらしていません。それなのにどうやって彼を殺せるというのです?」


「ええ。私もこの温室など色々と探しましたが、残念ながらあなたの周辺からグリーンベルは見つかりませんでした」


 恐らくアンナは、トムを殺害後すぐに全ての麻薬を処分したのだろう。


 トムの死亡後にお茶会が開かれなくなったのは、ほとぼりが冷めるまで様子を見るという側面もあったのだろうが、そもそも振る舞う茶が無くなったからだと考えられる。


 とはいえ、アンナが犯人だという決定的な証拠が欠けているのは事実だった。だから、何としても彼女を自白させなければならないのだ。


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