case4ー6.沈んだ男
翌朝。
エレノアは依頼人のエリザベスと話すべく、学校の校門付近で彼女が登校してくるのを待っていた。
時間は朝の七時半。始業は八時半からなので、この時間の生徒たちの姿はまばらだ。
それから三十分後、登校してくる生徒たちがチラホラ増えてきた頃、エリザベスも姿を現した。エレノアは素早く彼女に近づき、小声で話しかける。
「エリザベス様。銀の鋏のエレノアです。少々お話ししたいことが」
急に話しかけられ驚いた彼女は、ぎょっとしたように目を見開いたが、すぐに状況を理解したようで、エレノアを人気のない敷地の隅へと連れて行く。
そしてキョロキョロと周囲を見回し、人がいないことを確認してから、彼女は口を開いた。
「全くの別人になっていて驚きました。それは変装ですか?」
エレノアは今、メアリーという架空の女生徒に扮している。元の顔とは全く異なるので、彼女が驚くのも無理はない。
「はい。驚かせてしまって申し訳ありません。少々急を要する事態が発生しまして」
「何かあったのですか?」
眉を顰めるエリザベスに、エレノアは事情を話した。
アンナが違法麻薬を生徒たちに飲ませ、懐柔している可能性が高いこと。
それにトムも巻き込まれていること。
トムが麻薬から抜け出せれば、恐らくエリザベスへの想いを取り戻すであろうこと。
衝撃の事実に、エリザベスは小さな可愛らしい手を口に当て、しばらく言葉を失っていた。
「まさか、そんなことが……」
「依頼の件ですが、どうなさいますか? 麻薬の効果が切れれば、恐らくトム様も正気に戻るでしょう。生徒たちは騙されて麻薬を服用していたので、罪に問われる可能性も低い。彼との関係を修復する、という道も残されているかと」
エレノアが提案すると、エリザベスは不安と混乱が入り混じった表情で考え込んだ。
トムの心移りがまさか違法麻薬によるものだとは、露ほども思わなかっただろう。
本当の浮気ではないとわかった今、彼女の心中は相当複雑なはずだ。果たして、どのような決断を下すだろうか。
エレノアが見守る中、エリザベスは意を決したように顔を上げた。
「エレノア様が今仰った方向で、お願いできますでしょうか」
「承知いたしました。お任せください」
エレノアが優しく微笑みかけると、エリザベスの表情がようやく和らいだ。
その後、二人で校舎まで続く大通りへと戻ったが、何やら様子がおかしかった。生徒たちがざわめきながら、校舎とは別方向に向かっているのだ。
あれはちょうど、温室のある方向だ。
「何やら騒がしいですね。エリザベス様、今日は何かの行事でも?」
「いいえ、特に何もないはずですが。何かトラブルでもあったのでしょうか……?」
いつもと違う学校の様子に、エリザベスも不安げな表情を浮かべている。
すると、一人の男子生徒が温室の方向から走ってきて、エリザベスの近くを歩いていた別の男子生徒に慌てた様子で話しかけた。どうやら二人は友人同士のようだ。
「おい! 大変だ! 温室近くの池に、うちの学校の生徒が沈んでたんだって! 警察が大勢集まってる!」
「何だって!? 沈んでたって……死んでたってことか!?」
「ああ。水死体が見つかったんだって。噂じゃ、二年生のトム・ロイドって奴らしい。遺体は麻布で隠されてて顔を見られなかったから確証はないが、先生がそう言ってたのを聞いた奴がいた! 間違いない!」
彼らが大声で話すので、周囲の生徒たちも一斉に騒ぎ出した。隣のエリザベスはというと、顔を真っ青にして呆然と立ち尽くしている。
「嘘……トム様……? そんな……」
彼女はそうつぶやいて、わなわなと震えだす。
そして、エリザベスの手からするりと鞄が抜け落ち、ドスッと地面に落ちる音がしたと同時に、彼女が温室の方向に向かって走り出した。
「エリザベス様!」
エレノアは鞄を拾い上げ、急いで彼女を追いかける。
温室に近づくにつれ生徒たちの数がどんどん増えていき、温室を抜けた先の例の池には多くの人だかりが出来ていた。
池の周りには警察による規制線が張られており、中には入れない。しかしエリザベスは人垣をかき分け、無理やり規制線の中に入ろうとした。
「こら! 中に入ってはいけない!!」
「通して! わたくしはトム様の婚約者です! 彼に会わせて!!」
「ダメだ、ダメだ! 下がりなさい!!」
案の定、エリザベスは数人の警官によって止められていた。そんな彼女の両肩を掴み、エレノアは諭すように声をかける。
「エリザベス様、落ち着いてください。今は警察に任せましょう。邪魔をしては、解決が遅れます」
サッと池の周りを見渡すと、先程の男子生徒が言っていた麻布は既になく、遺体は運ばれた後だということがわかる。
どうやら既に捜査は終わったようで、警察たちは後片付けに徹していた。その中に、気難しい顔をしたバークレーの姿もある。
「きっと私のせいだわ」
聞き覚えのある可愛らしい声が耳に入り、エレノアはハッとしてその方向に視線を向けた。
規制線の前で青い顔をしたアンナ・スミスが、取り巻きの信者たちに囲まれているのが目に入る。
「聖女様のせいではありません。どうか気を落とされませんよう」
「いいえ、私のせいだわ。可哀想に。ずっと水の中にいて、冷たかったでしょう。どうして……どうして自殺なんか……」
アンナはそう言って涙を流しながら、両手で顔を覆った。
彼女の「自殺」という言葉に、野次馬の生徒たちは好き勝手な憶測をしだす。
「自殺?」
「ああ……確かに最近のトム様って、アンナ嬢に怖いくらいご執心だったし……」
「何度も交際を申し込んで、そのたびにフラれてたとか聞いたぞ」
「え? じゃあ、フラれたショックで自殺したってこと?」
「それはなんというか……」
「でもトム様って、婚約者の方がいたわよね?」
生徒たちのざわめきが一層大きくなる中、教師たちが慌てた様子で走ってきた。彼らも不測の事態に対応が追いついていないのだろう。
「何してるんですか! 授業が始まりますよ!」
「皆、早く教室に行きなさい!!」
教師たちに叱られ、生徒たちは渋々といった様子で校舎の方へと歩いていく。みな後ろ髪を引かれるのか、しきりに振り返っては池や警察の様子を見ようとしていた。
エレノアは生徒たちの流れに合わせ、エリザベスの肩を抱いてゆっくりと彼女を進ませる。彼女は完全に放心状態で、足元がおぼつかない。
「エリザベス様」
エレノアは彼女の耳元で、彼女にしか聞こえない声量で話しかける。
「もしこれが自殺ではなく他殺だとしたら、エリザベス様は犯人を捕らえたいですか?」
エリザベスはゆっくりとこちらに首を回すと、これでもかというほどに目を見開いた。
「まさか……誰かに殺されたというのですか……!?」
「まだ確証はありませんが」
「お願いです。犯人を見つけてください。このままでは……到底納得できません……!!」
エリザベスはすがるようにエレノアの腕を掴んだ。彼女の瞳には、悲嘆と混乱、そして強い怒りが混在している。
そんな彼女に、エレノアは大きく頷いた。
「承知いたしました。お任せを。必ず犯人を捕らえてみせます」
その後エレノアは、校舎に着くまでエリザベスを支えた。その間、エレノアの鋭い視線の先には、校舎に向かって歩くアンナ・スミスの姿があった。




