case4ー1.平民に婚約者を取られた令嬢
「聖女様?」
エレノアは聞き慣れない言葉に眉根を寄せた。
正面には、依頼人の少女が暗い顔で座っている。
「はい。聖女様が現れてから、すべてがおかしなことに」
今回の依頼人は、ファインズ伯爵家の長女、エリザベス。十六歳。
彼女は例に漏れず、まことしやかに囁かれる噂を頼りに、文具屋「銀の鋏」を訪れた一人だ。
さて、彼女がここまでに語ってくれた話をまとめよう。
彼女には幼い頃からの婚約者がいた。相手はロイド伯爵家の長男、トムだ。
歳を同じくする彼女らは、昨年、揃ってロゼク国立高等学校に入学した。
ロゼク国立高等学校は、この国でも極めて入試難易度の高い学校だ。高度な教育レベルが求められる上、学費もかなり高額なので、そこに通えるのは必然的に貴族のみだった。
しかし今年、学校始まって以来初めてとなる、平民の少女が入学したそうだ。
名前はアンナ・スミス。有名な商家の娘でも、宮仕えの娘でもなく、ただの鍛冶屋の一人娘だという。
彼女はとある貴族から匿名の推薦を受けたことにより、入学が許されたそうだ。その学力は推薦を受けるだけあって、学年でもトップクラスらしい。
アンナが入学した当初は、生徒たちのほとんどが「平民だから」という理由で彼女を敬遠したそうだ。
しかし気づいた頃には、彼女の周囲には大勢の取り巻きができていた。取り巻きというより、熱心な信者と言ったほうが良いかもしれない。皆、アンナを崇拝し、敬意を込めて「聖女様」と呼んでいるからだ。
残念なことに、その信者の中にエリザベスの婚約者であるトムも含まれていた。トムは日に日にアンナに陶酔していき、今ではエリザベスの目も気にせずアンナにべったりだという。
元々エリザベスとトムの仲は良好だったが、聖女の出現をきっかけにその関係が破綻してしまった。
肝なのは、信者には男性だけでなく女性も含まれる、ということ。エリザベスのように、聖女に婚約者の心を奪われてしまった令嬢令息が他にもいるそうだ。
アンナというたった十五歳の少女が「聖女」などという仰々しい呼び名で呼ばれているのには、一応理由があった。
彼女は元気のない生徒に声をかけては、彼らの悩みを聞き、寄り添い、励ましていったそうだ。
学校に通う生徒たちは皆、子供から大人に成長する過程の不安定な年頃だ。悩みも尽きないだろう。
アンナはそんな生徒たちを次々に取り込み信者にしていった、ということらしい。
「エリザベス様のご両親はなんと?」
「ロイド伯爵が平民との結婚を許すはずがないから、トム様の熱が冷めるまで我慢しなさい、と」
トムは長男だ。ゆくゆくはロイド伯爵家を継ぐ立場。確かに彼の親が平民との結婚を許すとは思えない。
しかしエリザベスは目を伏せ、ゆっくりと首を横に振った。
「でもわたくし、目の前で浮気されたのに、その方と添い遂げるなんて絶対にできませんわ。だから、婚約を解消した上で、それ相応の慰謝料をいただきたいと思ってますの」
「なるほど」
彼女がこの店に訪れたのは、自分の両親に訴えかけても無駄だと判断したからのようだ。
両親としてはトムがどういう男であっても娘をロイド伯爵家に嫁がせたいのだろうが、それは親の勝手な都合である。
「わかりました。そのご依頼、お受けいたしましょう」
「ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします」
エリザベスはそう言って深々と頭を下げていた。その両手は、色が変わるほど強く握られている。
平民に婚約者を取られた彼女の心境は、さぞ穏やかではないだろう。
(さて、慰謝料をふんだくるために、どういう作戦でいこうか)
両家とも裁判は望まないだろうから、示談で解決するとして。
そのためにはまず証拠だ。トムがアンナに入れ込んでいるという証拠を集める必要がある。互いの両親が「エリザベスの心が大いに傷つけられた」と明らかにわかるような、そんな証拠が。
「エリザベス様。私は近い内に、生徒として学校に潜入してみようと思っています」
「潜入……ですか?」
「ええ。アンナさんには、いつどこに行けば会えますか?」
エレノアがそう問うと、エリザベスは顎をつまみながら「そうですね……」と考え込んだ。そして考えがまとまったのか、ゆっくりと答え始める。
「朝は始業ギリギリにいらっしゃることが多いので、少々難しいと思います。ですが、いつも放課後に取り巻きの方々と温室でお茶会を開かれてますわ。確実に会えるのはそこかと。でも、どうなさるおつもりですの?」
怪訝そうに首を傾げるエリザベスに、エレノアは目を眇めてニヤリと笑ってみせた。
「まずは、私も信者の一人になってみようかと」




