case3ー15.追い詰める
エレノアはブレデル侯爵の屋敷を出た後、アーレント公爵の帰路に先回りし、路地裏に身を潜めていた。
今はまだオリヴィアの格好のままだが、目立たないようにローブを羽織り、フードを目深に被っている。
公爵は今頃馬車に乗り、勝利を確信して盛大な笑い声を上げていることだろう。邪魔だったフェリクスとオリヴィアを、同時に消し去ることができたと思っているのだから。
そんな男の絶望した顔を見るのが、今から楽しみで仕方がない。
程なくして、一台の馬車がエレノアの元に近づいてきた。その馬車には、アーレント公爵家の紋が入っている。
(来たな)
エレノアは、馬車が目の前に来るタイミングでさっと路地裏から出ると、御者台に飛び乗り、御者の男に向かって拳銃を突きつけた。
そして、地声で低く告げる。
「今すぐ馬車を止めろ。私が合図を出したら急いで中央広場に向かえ。わかったら頷け。声を上げたり、首を横に振れば殺す」
御者は驚きと恐怖で震えながら、コクコクと首を縦に振り、急いで馬車を止めた。彼は公爵家に仕える人間だが、こちらの容姿を確認する余裕もないようだ。
その時、馬車の中からアーレント公爵の怒鳴り声が聞こえてくる。
「おい! なぜ止まる!!」
急停止したことに怒っているようだ。
エレノアは御者台から降りると、馬車の扉に手をかけようとした。が、その前に内側から扉が開く気配がしたので、サッと拳銃を構える。アーレント公爵が外に逃げ出さないようにするためだ。
そして、扉を開けた公爵は、エレノアと目が合った途端、信じられないというようにその場で固まった。
まるで幽霊でも見たかのような反応だ。殺したはずの娘がこんなところにいれば、困惑するのも無理はない。
そんな公爵に向かって、エレノアはニコリと微笑みかけた。
「実の娘を二度も殺そうとするだなんて、ひどいではございませんか、お父様」
そしてエレノアは拳銃を公爵に突きつけたまま、降りようとしていた彼を馬車に押し戻し、自分もそこへ乗り込んだ。
「出して」
御者に合図を出すと、馬車はすぐさま走り出した。こちらの指示通り、中央広場に向かってくれたようだ。
対面に座る公爵は、目を見開きながらわなわなと震えている。そして、エレノアを指さしながら声を絞り出した。
「お、お前……なぜ……なぜ、生きて……」
「事前に何の毒を飲まされるかわかっていれば、対処も可能ですわ……って、もう声を変える必要もないか」
エレノアが途中で地声に戻すと、公爵は驚きと怒りが混じったように顔を歪めた。そして、すぐに怒鳴りだす。
「貴様! 一体何者だ! 娘は、オリヴィアはどこだ!!」
「私が何者かなど、これから死にゆく者に教えるだけ無駄だろう。それにオリヴィア嬢のことに関して、お前に教えることは何もない。実の娘を二度も殺そうとした、腐った父親に教えることなど、何も」
エレノアは静かにそう言って、銃口を公爵の額に押し当てた。
すると彼はみるみるうちに顔を青ざめさせ、焦ったように早口でまくし立ててくる。
「か、金か!? 金ならいくらでもやろう! お前の雇い主より二倍……いや、三倍の金を出してやる! だから命だけは助けてくれ、な? そうすれば、お前の望みをなんだって叶えてやる!」
「随分とよく鳴く豚だ。一回黙れ」
エレノアはそう言いながら、公爵の立派な腹をツンツンと銃口でつついた。
つつくたびに腹がポヨポヨと揺れる。これまでに悪どい手段で稼いできた金が、全てこの中に詰まっているのだろう。
公爵は恐怖のあまり、ただなされるがままだった。
しかし、この状況で命乞いとは呆れる。今までも都合が悪くなれば金で解決してきたのだろう。
「お前の脳ミソには、随分と立派なお花畑が咲いているようだ。脂肪という栄養がしっかりと行き届いているらしい」
そしてエレノアは、銃口を再び彼の額に戻した。そのまま引き金に指をかけると、公爵は「ひっ」と短い悲鳴を上げてガタガタと震え出す。顔は恐怖に歪み、呼吸は荒く乱れていた。
(この姿を、せめてオリヴィアに見せてやりたかった)
実の娘を道具としか思わず、用済みになればあっさり切り捨て、殺そうとした男。そんな外道に、容赦するつもりは一切ない。
エレノアは冷たい視線を公爵に向けながら、静かに言葉を放つ。
「安心しろ。私はお前を殺しに来たのではない」
その言葉に公爵はあからさまにホッとした様子を見せたが、エレノアは表情ひとつ変えず公爵の手を撃ち抜いた。
「あがあっ! 手がっ、手があっ!! ああ!!」
公爵は撃たれた手をもう片方の手で抑え、悲鳴を上げながら狭い馬車の中をのたうち回っていた。
「それくらいで喚くなよ」
エレノアは銃口を公爵に向けたまま続ける。
「お前の命には、まだ利用価値がある。皇族暗殺などという愚かな計画を立てる輩が金輪際出ないよう、精々良い見せしめになってくれ。その大役を果たすために、お前の首はまだ繋がっている必要があるのさ」
その言葉に、公爵はハッと顔を上げた。
「そうだ、フェリクス! 奴はどうなった!」
公爵は痛みに堪えるように顔を強く歪め、エレノアを鋭く睨みつけている。その額には脂汗が滲んでいた。
「フェリクス殿下は無事だ。お前が刺客を向かわせた馬車に、殿下は乗っていないのだからな」
「何だと……!? だが確かに私は、殿下が馬車に乗るところをこの目で見たんだぞ!?」
公爵は何がなんだか理解できないという様子だった。だが、詳細を教えてやる義理もない。
エレノアは答える代わりに、盛大な嘲笑を浴びせてやった。
「ハハッ! お前が私の手のひらで踊る様は、見ていて実に滑稽だったよ」
「何を……! 貴様、どうせ卑しい身分の諜報員か何かだろう!? 使い捨ての駒の分際で!!」
馬鹿にされた公爵は、怒り狂ったように叫んだ。
これまで彼の周囲の人間は媚びへつらう者ばかりで、蔑みの言葉など言われたことがなかったのだろう。こういう人間は、自分が下に見られることを心底嫌う。
「公爵。ひとつ良いことを教えてやろう。私は一週間前からオリヴィア嬢に成り代わっていた。お前に殿下暗殺の計画を持ちかけたのも私だ。実の娘かどうかも見破れないとは、本当に愚かな男だよ、お前は」
エレノアが口角を上げながらそう言うと、公爵はギリリと悔しそうに歯を食いしばっていた。そしてまた、うるさく喚き出す。
「やはりフェリクスの差し金だったか! こんなことをして、ただで済むと思っているのか!? 証拠もないのに私を捕らえるつもりか!!」
「証拠ならある。今日の暗殺計画のために、お前は刺客を大勢雇っただろう? その記録を取らせてもらった。あれだけ証拠があれば、もう言い逃れはできないだろうよ」
「そんなはずはない! ハッタリだ!」
この状況でもなお、公爵は自分が逃げ切れると思っているらしい。
確かに公爵は用心深かった。罠の可能性を考えてか、こちらが提案した殺し屋を雇うのはことごとく避けていたのだ。
だが、エレノアは公爵がそうするであろうことを見越して、あえて殺し屋の候補を彼に伝えていた。
この国で腕が立つ殺し屋集団は限られている。そのため、公爵が雇いそうな殺し屋を絞り込むのは簡単だった。事前にどこに依頼するかある程度予測できれば、証拠集めもそこまで難しくはない。
エレノアはその候補をフェリクスに伝え、彼の部下に見張らせた。そして、公爵と殺し屋集団の取引内容を全て記録させたのだ。
公爵が雇った殺し屋たちが実際に皇太子用の馬車を襲ったとあらば、もはや言い逃れはできないだろう。
「まあ、お前が信じようが信じまいが、正直どうでもいい。お前がこれから裁かれる事実は変わらないのだから」
「そんな……まさか、本当なのか……?」
エレノアの冷めた態度と言葉に、公爵はどうやら自分が本当に追い込まれていることを悟ったらしい。彼の顔が次第に青くなっていく。
「お前が残された時間にできることは、一秒でも長生きできるよう神に祈ることくらいだ」
エレノアがそう言うと、公爵は先程までうるさく喚いていたのが嘘のように黙り込んだ。彼の表情は絶望にまみれ、力なくうなだれている。自分の終わりを理解したようだ。
そしてエレノアたちを乗せた馬車は、程なくして目的地に到着した。
「ほら、着いたぞ。降りろ」
エレノアが拳銃を突きつけたまま指示すると、公爵は抵抗することなく馬車を降りた。すると、途端に帝国軍の連中が公爵を取り囲む。
ここは、偽フェリクス及び帝国軍と、公爵が雇った刺客たちが殺り合った中央広場だ。
辺りには倒された刺客たちがゴロゴロ転がっており、街灯がただ静かに彼らを照らしている。本物のフェリクスは、今頃無事皇城に着いている頃だろう。
「アーレント公爵。フェリクス殿下暗殺未遂の容疑で連行する」
そうして公爵は、帝国軍に連れて行かれた。
彼はもう二度と、日の光を浴びることはないだろう。次期皇帝の暗殺は、国家転覆とも捉えられる重罪だ。未遂とはいえ、死罪は免れない。
エレノアが公爵の小さくなった背中を見送っていると、不意に聞き慣れた声で呼ばれた。
「姐さーん! おつかれっす〜!」
声の方に視線を向けると、スノウがヒラヒラと手を振りながらこちらに近づいてきていた。
彼はすでに変装用の皮を脱いでおり、素顔に戻っている。戦闘で邪魔になったのだろう。
「スノウ、無事で何よりだ……って、随分派手にやったな」
近くでよく見ると、スノウの顔や服には誰のものかわからない血がべっとりと付着していた。そして広場には、あちらこちらに薬莢が落ちている。一体、何発使ったのやら。
するとスノウは、夕焼け色の瞳を細めて満面の笑みを浮かべた。
「いやあ、こういうの久しぶりだったんで、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃいました」
確かに最近、彼の周りでは荒事が少なかったように思う。久々に体を動かせて余程楽しかったのだろう。
「まあでも、ようやく片付きましたね。フェリクス殿下も無事皇城に着いたみたいっすよ。ほんと、お疲れ様でした」
スノウはそう言いながら、広場を見回した。帝国軍の面々は、エレノアたちを気にすることなく刺客の捕縛作業などを続けている。
彼らにはエレノアやスノウの正体は明かしておらず、「フェリクス殿下の部下」として説明している。皇太子が裏の人間と関わっていると知られると、色々と都合が悪いからだ。
エレノアも裏稼業のことを表の人間にあまり知られたくはなかったので、こちらとしても好都合だった。
「ああ、スノウもお疲れ様。今回は本当によくやってくれた。この礼はいずれ」
エレノアはスノウに労いの言葉をかけると、さっさとその場を後にした。向かうのは、オリヴィアのいるオーウェンズ病院だ。




