case3ー14.裏側
時は、エレノアがフェリクスを連れ、ブレデル侯爵家に到着した頃まで遡る。
生誕祭の会場に入る直前、オリヴィアに扮したエレノアは、フェリクスにしか聞こえない小声で言った。
「殿下は今日、生きて帰ることだけを考えてください。公爵はこちらで何とかしますので。くれぐれも、料理には手をつけないでください」
「ああ、わかっている」
フェリクスはまだ剣を抜いて全力で戦えるほど体調が回復していない。そのため、できる限り危険からは遠ざける作戦内容になっている。万が一に備え、警備体制も万全だ。
会場の扉を開けると、真っ先に第二皇子アレックスが喜びの声を上げた。
「フェリクス兄様! 来てくださったのですね!!」
アレックスは兄に駆け寄り、嬉しそうに顔を綻ばせていた。
エレノアはそれとなく二人の皇子を見比べる。フェリクスの瞳は切れ長で冷たい印象だが、アレックスは丸い大きな瞳を持ち、あどけなく可愛らしい印象だ。二人とも全く似ていないが、母親が違うので当然と言えば当然である。
しかし、どちらも非常に整った顔立ちであることに変わりなく、二人が並び立つ姿はどこぞの絵画のようだ。
「ああ。遅れてすまない」
フェリクスがそう答えた時、エレノアは嫌な視線を感じ取った。そちらの方に顔を向けると、アーレント公爵がよくやったと言わんばかりに目配せをしてくる。
どうやら、娘が首尾よくフェリクスを誘い出してくれて大層ご満悦らしい。エレノアはわずかに口角を上げ、公爵に視線を返しておいた。
その後、エレノアがフェリクスから離れたタイミングで、アーレント公爵が近づいてきた。彼は液体の入ったグラスを持っている。
「ほら、オリヴィア。せっかくなら楽しみなさい。お前の役目はもう終わったのだから」
そう言って彼はグラスを手渡してきた。
これは毒入りだ。公爵は懲りもせず娘を殺そうとしている。用済みだからと、消そうとしているのだ。
(思った通りのゲスでむしろ安心した。これで思う存分、叩きのめせる)
こうなることは読めていた。情報屋のポールから、公爵がとある毒を購入したという報告をもらっていたからだ。
エレノアは公爵家に潜入している間、昼間はオリヴィアとして振る舞う必要があるため思うように動けない。そのため、ポールにアーレント公爵の動向を探るように依頼したのだ。
ポールは基本ポンコツだが、こちらが指示をすればそれなりにその情報を取ってこられる人物だった。
そして、公爵が毒殺を企んでいる事を悟ったエレノアは、解毒剤の用意をアレンに依頼し、昨晩取りに行ったというわけだ。
「ありがとうございます、お父様」
そう言って微笑むと、エレノアはグラスの中身を全て飲み干した。
アーレント公爵は表情ひとつ動かさなかったが、内心ほくそ笑んでいるに違いない。
だが、その企みは失敗に終わる。
エレノアは事前に解毒剤を飲んでいるため毒にやられる心配はないし、そもそも目の前の女は彼が殺したい娘ですらないのだ。
ちなみに、解毒剤は念のためフェリクスにも飲ませてある。公爵が毒を購入したと聞いた時点で、恐らく娘を消すために使うのだろうと踏んでいたが、用心するに越したことはない。
そしてその後、エレノアは体調が悪いふりをして会場を出た。もちろん、そのまま帰るわけではない。向かうのは、会場の大広間を出てすぐの一階の部屋だ。
その部屋に入り、エレノアは素早く鍵を締める。中には誰もいない。
ここは、皇族の控室としてブレデル侯爵が用意している部屋だ。エレノアはフェリクスに頼み、この場所を自由に使えるようにしてもらっていた。
そしてエレノアは窓際に行き、手近な窓を開け放つ。窓から顔を出して暗闇に目を凝らすと、ひとつの人影が見えた。その人影に向かって手招きをする。
すると、人影がサッと近寄ってきて、部屋から漏れ出た明かりに照らされた。その正体は、ウェスト商会若旦那、スノウだ。
エレノアは彼の手を掴み、部屋に引っ張り上げた。すると彼は、いつもの微笑みを浮かべながら軽く挨拶をしてくる。
「お疲れ様っす、姐さん。相変わらず完璧な変装ですね」
「スノウ。よく来てくれた」
昨晩エレノアがスノウに渡した紙には、この時間にこの屋敷に来るようにと書かれていたのだ。これから彼には、大仕事をしてもらわなければならない。
「いえいえ。それより、体の調子は大丈夫っすか? 毒、飲んだんっすよね?」
「ああ。アレンからもらった解毒剤のおかげで何ら問題ない」
「それなら良かった。姐さんの調子が悪そうなら、引っ張ってでも連れて帰ってこいってアレンさんに言われてたんで」
その言葉に、エレノアは思わず苦笑した。今この時も心配をかけていると思うと、少し申し訳ない気分になってくる。
するとその時、扉を叩く音とともに「俺だ」という低い声が聞こえてきた。
エレノアが鍵を開けそっと扉を開くと、声の主がスルリと部屋に入ってくる。フェリクスだ。
スノウは皇太子を見た途端、いつもの砕けた態度とは打って変わって、恭しく一礼しながら挨拶の口上を述べた。
「これはこれはフェリクス殿下。お初にお目にかかります。わたくし、ウェスト商会のスノウ・ホークスと申します。以後、お見知りおきを」
「ああ。今日はよろしく頼む」
フェリクスがこのタイミングでこの部屋に来たのは、スノウと顔合わせをするためだ。これからスノウには、フェリクスの影武者をやってもらうのだ。
二人は背格好は似ているものの、もちろん顔は全く似ていない。そのため、そこはエレノア得意の変装術でそっくりに似せていく。
スノウを椅子に座らせテキパキと顔を作り変えていると、近くに佇んでいたフェリクスが顔を顰めながら声をかけてきた。
「それよりお前、体は大丈夫なのか?」
無論、毒のことを聞いているのだろう。フェリクスを一瞥すると、随分と心配そうにこちらの顔色を観察していた。
「ええ、この通り」
エレノアが微笑みながらそう返すと、フェリクスは少し呆れたように溜息をついた。
「自分から進んで毒を飲むとは、本当に無茶苦茶な奴だな」
「わたくしも同意します、殿下」
スノウがそう言いながら笑ったので、エレノアは眉を顰めた。
「おい、スノウ。まだ顔を動かすな。化粧がヨレる」
「あ、すんません」
そんなやり取りをしながら、エレノアはものの数分でスノウを仕上げた。彼がフェリクスと同じ服装に着替えると、見た目だけは完璧に皇太子そのものになる。
スノウは鏡を見るやいなや、感嘆の声を上げた。
「おお〜! 流石は姐さん! どこからどう見てもフェリクス殿下っすね!」
フェリクスの澄まし顔からスノウの口調でそんな言葉が飛んできたのが可笑しくて可笑しくて、エレノアは思わず笑ってしまった。
「フフッ。スノウ、お前、絶対に喋るなよ?」
「わかってますって。姐さんみたいに声、変えられないですし」
対するフェリクス本人は、変装したスノウを頭の先から爪先までまじまじと見ながら、称賛の言葉を漏らす。
「お前の技術は本当にすごいな。実によく出来ている」
「お褒めに預かり光栄です」
エレノアはスノウの完成度に満足すると、フェリクスに最後の指示を出した。
「では殿下。あとは手筈通りに。アーレント公爵と別れの挨拶をする際は、心底悔しそうな顔をしておいてくださいね」
「ああ、わかった」
この後、スノウはフェリクスに成り代わり、皇太子用の馬車に乗り込む算段になっている。そしてアーレント公爵の刺客たちを迎え撃つのだ。
「スノウ。武器の用意は十分か?」
「もちろん。久々で腕が鳴りますよ」
スノウは商いだけでなく、戦いの腕も立つ。フェリクスの影武者に彼を選んだのは、背格好が似ているというのもあるが、何より彼なら危険な戦闘でも死なないだろうという信頼が大きかった。
もちろん戦力はスノウひとりだけではない。帝国軍から一個中隊が派遣されているので、いくら腕利きの刺客たちが襲ってこようが、負ける可能性はゼロに等しい。
この場での仕事が終わったエレノアは、アーレント公爵を捕らえるために、先んじてブレデル侯爵家を後にした。




