case3ー13.アーレント公爵の企み
第二皇子アレックスの生誕祭当日、夜。
ブレデル侯爵家には大勢の貴族たちが集い、思い思いにパーティーを楽しんでいた。
かくいうアーレント公爵も、他の貴族たちとの会話に花を咲かせている。
「アーレント公爵。例の件では災難でしたな」
とある伯爵家の当主が、声を落としてそう話しかけてきた。
例の件というのは、言わずもがな、第一皇子フェリクス暗殺未遂の容疑がかけられていることについてだろう。
フェリクスの暗殺未遂事件には箝口令が敷かれているが、王城に出入りする者なら大抵が知っている。そして、我々アーレント家が疑われていることも。
アーレント公爵は苦笑を浮かべながら言葉を返した。
「いやはや、身に覚えのない罪で問われるというのは、何とも苦しいものです。やっていない証明ほど難しいものはないと、痛感いたしましたよ」
今日は第一皇子フェリクスは欠席の予定だ。この話題について話すなら今しかないと、他の貴族たちもこぞって事件の裏事情を尋ねてきた。
アーレント公爵はそんな貴族たちを適当にあしらいながら、フェリクスの到着を待った。今日は娘のオリヴィアが、奴をこの場に連れてくる算段になっているのだ。
フェリクスが王城にいては警備が厳重で手出しできないからと、奴を誘い出す計画を提案したのはオリヴィアだ。
アーレント公爵は、一週間前の娘との会話を思い出す。
『わたくしがお父様の罪を密告するフリをして、フェリクス殿下に取り入ります。アレックス殿下の生誕祭でお父様が共犯者と接触するからその現場を押さえましょう、とでも言えば、食いついてくるかと』
娘はそう言ったが、頭の切れるフェリクスがそんなに都合よく餌に食いつくとは思えなかった。
フェリクスはつい一ヶ月程前に毒を盛られたばかりで、今は警戒心が特に高まっている時期だ。おいそれと王城から出てくることはないだろう。
その事を指摘すると、娘は淡々とこう答えた。
『罠だと思われたなら、なおさら食いついてくるはずです。フェリクス殿下は、なかなか首謀者が捕らえられず焦っておられます。決定的な証拠が見つからない今、自らが囮になってでもお父様を追い詰めようとなさるでしょう』
確かにその可能性はある。
こちらとしても、度重なる暗殺失敗に焦っていた。
失敗を重ねる毎に警備は厳重になり、刃が届きにくくなっている。警戒が最高潮に達している今、もはやほとぼりが冷めるまでしばらく待つしかないと思っていた。
『お父様は、殿下の帰りの馬車を狙ってください。もちろん護衛がついていると思いますし、相手はあの戦神フェリクス殿下です。今度は仕留め損なわないよう、刺客を大勢送り込んでください。次が恐らく最後の機会でしょうから』
それからオリヴィアは、腕の立つ暗殺者集団をいくつか列挙した。彼らを雇えば、相手がフェリクス殿下であっても落とせるだろう、と。
いずれも裏では有名な暗殺者の集団で、確かに彼らを全員雇えばフェリクス暗殺も可能かもしれない。しかしなぜ、娘がそんな事を知っているのか。そこはかとない気持ち悪さを感じた。
どこでその暗殺者集団のことを知ったのだと娘に聞くと、とある情報屋から仕入れたのだと言っていた。
昔から強かな娘ではあったが、こんなにも頭の回る子だっただろうか。
わずかにそんな疑問が生じたが、子とは親の見ない間に成長するという。子育ては妻に任せきりで、特に子どもと向き合うことはしてこなかった。知らないうちに聡い子に育っていたのだろう。
そう思い、まずは娘の提案内容を吟味することにした。
この提案には、こちら側のデメリットが見当たらない。
オリヴィアが無事フェリクスを誘い出せれば良し。もしそれに失敗したら、計画を中止すればいいだけのこと。
しかし、あれだけフェリクスに執心していた娘が、どうして急に心変わりしたのか。それが気になって仕方がなかった。もしかしたら、実は娘はフェリクス側についていて、自分を陥れようとしているのかもしれない。
なぜそこまでするのかと聞くと、娘は怒りに燃えた瞳で答えた。
『恋心を弄んだ男に、復讐したいだけですわ』
声は怒気に溢れ、握られた拳は色が変わるほどに力が込められている。これが演技だとは、到底思えなかった。
結局、アーレント公爵は娘の提案を呑むことにした。
もし娘がフェリクスの差し金だったとしても、証拠を掴ませるようなヘマはしない。
「フェリクス兄様! 来てくださったのですね!!」
第二皇子アレックスの幼く可愛らしい声で、アーレント公爵は現実へと引き戻された。
声のした方に視線を向けると、フェリクスの登場に驚きつつも喜んでいるアレックスの姿があった。
他の貴族たちも、まさかフェリクスが来るとは思っていなかったのだろう。皆揃って目を丸くしている。元々フェリクスは体調不良で欠席の予定だったので、驚くのも無理はない。
アレックスは兄に駆け寄り、嬉しそうに顔を綻ばせていた。まだ九歳のアレックスは兄とは似ておらず、オレンジがかった金髪に大きな金色の丸い瞳が印象的だ。
「ああ。遅れてすまない」
そう答えるフェリクスの隣には、娘のオリヴィアがいた。どうやら首尾よくフェリクスをおびき出せたらしい。
よくやったと言わんばかりに娘に目配せをすると、オリヴィアはわずかに口角を上げていた。
その後、生誕祭はつつがなく進んだが、フェリクスは終始こちらを警戒している様子だった。容疑者がいつ動き出すか見張っているのだろう。
しかし、フェリクスがいくら待っても、こちらの証拠を掴めることはない。そもそも、この場で共犯者と接触するなんて情報はオリヴィアの作り話で嘘っぱちなのだから。
アーレント公爵は内心ほくそ笑みながら、フェリクスの元から一旦離れた娘に近づく。ひとつのグラスを手に持って。
「ほら、オリヴィア。せっかくなら楽しみなさい。お前の役目はもう終わったのだから」
そのグラスを手渡すと、オリヴィアは少しホッとした様子を見せていた。父親から労いの言葉をもらい、ようやく安心できたのだろう。
「ありがとうございます、お父様」
オリヴィアはそう言って微笑むと、グラスを傾けて美味しそうに味わっていた。
(飲んだ……!)
グラスの中身は、毒入りの果実酒だった。
前回は香りで気づかれたが、今回の毒は無味無臭だ。同じ轍は踏まない。
その毒は遅効性で、じわじわと体を蝕み、帰宅途中には命を落とすだろう。
フェリクスを誘い出せた今、オリヴィアはもう用済みだ。フェリクス暗殺計画を知られた時から、口封じとして殺すつもりだった。
いくら自分の娘だろうが、己の道の邪魔になるものは排除する。今までもそうやって地位や権力を手にしてきた。
すると案の定、オリヴィアの顔色は徐々に徐々に青白くなっていった。そして一時間も経った頃には、立っているのもやっとの状態になった。
「どうしたんだ、オリヴィア。随分と顔色が悪い」
「お父様……申し訳ございません。少し、体調が優れないようで……」
そう言うオリヴィアは、ふらふらと足元がおぼつかない様子で、今にも倒れてしまいそうだ。
「先に帰りなさい。後は私が何とかする」
「申し訳……ございません。よろしくお願いいたします」
そうしてアーレント公爵は娘の背中を見送った。次に会うときは、冷たくなっているだろうと思いながら。
その後、程なくして生誕祭はお開きとなり、貴族たちは皇族の面々に別れの挨拶を告げていた。かくいうアーレント公爵も、満面の笑みを浮かべながら挨拶をする。
「アレックス殿下、本日は誠におめでとうございました。フェリクス殿下は体調が優れないと伺っておりましたが、回復されたようで何よりでございます。どうかお気をつけてお帰りください」
アーレント公爵の言葉に、フェリクスは実に悔しそうに顔を顰めていた。せっかく出向いたというのに何の証拠も得られず、かなり苛立っているのだろう。
もうしばらくすれば、この男も死ぬ。帰りの馬車で、刺客に襲われて。
フェリクスはアレックスとは別の馬車で帰るため、アレックスが危険に晒されることはない。生き残ったアレックスと自分の娘を結婚させ、アレックスを己の傀儡にするのだ。
勝利を確信した途端、心の内で笑いが止まらなかった。しかしまだ、顔に出してはならない。吹き出すのを懸命に我慢した。
その後、フェリクスが馬車に乗り帰路についたのを確認した後、自分もブレデル侯爵家を後にした。
そして、自分の屋敷に向かっている途中、我慢できなくなって馬車の中で盛大に笑い声を上げた。
「あーっはっはっは! 今日は何とめでたい日よ!!」
帰って祝い酒でも飲もうかと考えていたところ、突然馬車が急停止する。おかげでバランスを崩し、頭を盛大に打ち付けてしまった。
アーレント公爵はぶつけた箇所を押さえながら、思わず怒鳴っていた。
「おい! なぜ止まる!!」
せっかくの良い気分が台無しだ。
御者に文句を言うために馬車の扉を開けた、次の瞬間。
アーレント公爵は信じられない光景にその場で固まった。
(な、なぜここにいる……! 今頃、死んでいるはずでは……!!)
「実の娘を二度も殺そうとするだなんて、ひどいではございませんか、お父様」
そこには、ニコリと微笑みながらこちらに拳銃を突きつけている、オリヴィアの姿があった。




