case1ー2.依頼人の噂
アメリの依頼を受けた翌日から、エレノアたちは早速調査へと乗り出した。
双子の兄妹、ミカエルとマリアは、ターゲットであるキャサリンとウィラードの調査で既に出かけていた。
対するエレノアはと言うと、依頼人であるアメリを調査すべく、ちょうど自室で化粧を終えたところだった。自らを着飾るためではなく、変装のための化粧である。
エレノアは千の顔を持ち、その変装術は誰にも見破ることができないほど精巧である。そして、声も変幻自在だ。ある時は快活な青年に、そしてある時は皺くちゃの老婆に、依頼に合わせて老若男女になりすます。
今日はアメリが通っていた貴族学校に向かうため、デリンジャーという架空の男性教師の皮を被っていた。
そもそも、エレノアが街で素の姿をさらすことは滅多にない。婚約破棄代行という裏稼業をしているというのもあるが、単純にその美貌ゆえに目立つからだ。
エレノアは貴族学校に到着すると、迷いなく学校の敷地を抜けていく。
そして敷地の奥、校舎から外れたところにあるベンチに腰掛ける。とある人物との待ち合わせ場所だ。周囲に人影はなく、シンと静まり返っている。
すると、程なくして若い男性教師がこちらに向かって歩いてきた。エレノアはそんな彼に向けて声をかける。
「久しぶり。クロムウェル先生」
「お久しぶりです、デリンジャー先生」
彼は軽く挨拶をしてエレノアの隣に座ると、面白そうにニヤリと笑いながら小声で尋ねてくる。
「今日は一体誰の情報を仕入れに? それともまた潜入ですか?」
クロムウェルはこの貴族学校の教師であり、エレノアの協力者でもある男だ。この学校には過去に仕事で何度か潜入したことがあり、その度に彼が手を貸してくれていた。
エレノアと双子がこの国に来てからまだ一年ほどしか経っていないが、エレノアは既にこういった協力者を各所に何人も作っている。もちろん「エレノア」という正体は隠して、だ。
「今日は情報を。レイクロフト伯爵家のアメリという令嬢を知っているか?」
エレノアの問いに、クロムウェルは片眉を跳ね上げた。
「おや、時の人じゃないですか。もちろん知ってますよ。どこから話しましょうか。卒業パーティーで婚約破棄を突きつけられたことはご存知で?」
やはりアメリの婚約破棄騒動は学校内でも有名らしい。卒業パーティーで大々的に断罪されれば、噂にするなという方が無理がある。
「ああ、それはもう知っている。まずは彼女の人柄を」
「優等生を絵に描いたような子です。品行方正、成績も優秀ですこぶる聡明、それに性格もいい。彼女を慕う友人は多いですよ」
クロムウェルの回答を聞いたエレノアは、怪訝に思い眉根を寄せた。
「そんな素敵な女性だというのに、ジール侯爵家のウィラード卿はなぜ他の女に懸想をしたんだ?」
もっともな問いに、クロムウェルは苦笑を浮かべながら答える。
「ああ、それは……ジール侯爵家はお堅くて有名ですから、女慣れしてなかったんでしょうね。彼を見事奪い取ったブロンソン子爵家のキャサリン嬢は、自分より高い身分の男なら誰彼構わず色目を使ってたらしく、彼が運悪く引っかかってしまった、というわけです」
そう言うと、クロムウェルは呆れたように肩をすくめていた。
どうやらキャサリンはなかなかに強かで欲深い人間らしい。婚約者がいる男にも色目を使っていたなら、女生徒からは相当嫌われていただろうと容易に想像がつく。
「他に聞きたいことはありますか?」
「アメリ嬢の家庭事情について知りたい」
婚約や結婚には必ず親が絡む。そのため、婚約破棄代行を請け負う際は、親の人柄と親子関係を知っておくことも非常に大切なのだ。
「両親と兄が二人います。レイクロフト伯爵は優しく温厚な方で評判もよく、ご夫人もとてもいい方だとか。アメリ嬢は父親と兄とは血が繋がっていませんが、家族仲はとても良好みたいですよ」
「? 再婚か?」
エレノアが目を眇めて尋ねると、クロムウェルは大きく頷いた。
「お察しの通りです。確か、アメリ嬢が十四歳のときです。実の父親が心臓発作で急死して、でも母親は実家と不仲で帰るに帰れず、親子揃ってこれからどうしようと困っていたところ、昔から懇意にしていたレイクロフト伯爵家から再婚話が来たそうです。なんでも、アメリ嬢の母親が伯爵と昔からの知り合いだったらしく」
「なるほど」
聞いた情報を脳内で反芻しながら、エレノアは続けて質問をする。
「レイクロフト伯爵は前妻と離婚を?」
「いえ、レイクロフト伯爵もその数年前に奥方を亡くされてたんですよ。それで、再婚を。当時は伯爵家と男爵家の身分違いの結婚、だなんて言って、社交界でちょっとした話題になったものです」
これまでの話を集約すると、どうやらアメリは元々は男爵家の令嬢で、十四歳でレイクロフト伯爵家の子になり、十五歳でウィラード・ジール侯爵令息と婚約を結んだらしい。
男爵家から伯爵家へ身分が上がった話が有名なら貴族学校でからかいの的になりそうなものだが、そうならなかったのは彼女の人柄故か。
そして、社交界デビューの十六歳よりも前に婚約を結んでいたということは、ウィラードとの婚約は両家の親が取り付けたものなのだろう。
「実の父親は女好きの浮気性で相当なクズだったという噂もありますし、アメリ嬢は伯爵家に拾われてからの方が幸せだったんじゃないですかね。まあ、婚約破棄された今は不幸のドン底かもしれませんが」
「不幸のドン底、ね……」
エレノアはポツリとそうつぶやいていた。
昨日見たアメリという少女からは、不幸の匂いが一切しなかった。クロムウェルから聞いた話だけだとさほどおかしな点は見当たらないが、どうもきな臭くて仕方がない。
「面白い情報をありがとう、十分だ」
エレノアは礼を言って、分厚い封筒をクロムウェルに渡す。
「今回の報酬だ。いつも助かる」
「こちらこそ、毎度どうも。何かあれば、またいつでも」
封筒の膨らみに満足した様子の彼は、にこりと会釈をして去っていった。
***
別日。
エレノアはうら若き令嬢の皮を被ってとある夜会に参加していた。目的はアメリの婚約破棄騒動に居合わせたご令嬢たちに当時の話を聞くためだ。
人の不幸は蜜の味。少し話題に出せば、みなアメリを不憫に思っているふりをしながらペラペラと話してくれた。
「婚約破棄を告げられた後、アメリ様はそれはもう大層泣き崩れておられて、見ていてとてもつらかったですわ……」
「アメリ様はウィラード様を心から愛していらっしゃったのに、本当にお可哀想……」
「虐められたというのはすべてキャサリン様の自作自演でしたのに、無実の罪で断罪されてしまうなんてあんまりですわ。ウィラード様も最後までアメリ様が犯人だと信じて疑わなかったようですし……」
令嬢たちから話を聞く限りでは、アメリは婚約破棄当日は相当ショックを受けていたようだ。そして、アメリがウィラードを心から想っていたことも周知の事実。
「アメリ様は、卒業パーティーでご自身が婚約破棄されるとわかっていらっしゃったのかしら……」
エレノアが素知らぬ顔でそうこぼすと、令嬢たちは少し言いにくそうに顔を見合わせた。
「あれほど泣き崩れていらっしゃったので、アメリ様が予期されていたのかはわかりませんが……でも、ウィラード様とキャサリン様のご様子を見ていたら……ねえ?」
「……最悪そういうことになるかもしれない、とは、みな思っていましたわ」
周囲でさえそう思っていたのに、アメリ自身が婚約破棄を予想していなかったということがあるだろうか。最後までウィラードを信じていたのか、それとも、婚約破棄されそうな現実から目を逸らしていたのか。
「ウィラード様がキャサリン様に気持ちを傾け始めた時、アメリ様は何もしなかったのでしょうか?」
普通、愛する婚約者が自分から離れていきそうになったら慌てて引き止めるものだ。
アメリが嫉妬でキャサリンに嫌がらせをしたというのが冤罪であるならば、アメリはウィラードが去っていくのをただ黙って見ていたということになる。彼女は本当に婚約者のことを愛していたのだろうか。
「最初はとても焦った様子でウィラード様と何度も話し合いをされていましたけれど、途中からはただ二人の成り行きを見守っていらっしゃったわ」
「あまりにも二人の仲がよろしいから、取り付く島もなさそうな感じでしたものね」
今の話からすると、アメリは必死にウィラードを引き留めようとしたが、既に手遅れで彼への説得を諦めたようだ。
令嬢たちからの話を聞く限りは、アメリは「愛する婚約者を奪われた哀れな令嬢」という印象を受ける。それ故に、依頼しに来た時の「アメリ」の違和感がますます強くなってくる。
その後、この場でこれ以上の情報は得られないと判断したエレノアは、早々に夜会会場を後にするのだった。