case3ー10.父親
アーレント公爵家の屋敷は、ウェストゲート公爵家から馬車で数分のところに位置していた。
ウェストゲート家同様、アーレント家も古くから続く歴史ある一族である。屋敷もかなり立派だった。
「では行きますよ、ジェシカ」
「はい、お嬢様」
エレノアがジェシカを引き連れ屋敷に入ると、使用人たちが一斉に駆け寄ってくる。
「お嬢様!! 探したのですよ!?」
「一体どこに出かけておられたのですか!?」
「今は複雑な時期だから外出は控えよと、旦那様が口酸っぱく仰っていたではございませんか!」
ジェシカによると、使用人のほとんどは、アーレント公爵がフェリクス暗殺未遂の首謀者であることや、オリヴィアの暗殺を企てていることは知らないらしい。
オリヴィアの軟禁についても、「皇太子暗殺未遂の容疑がアーレント家にかかっている今、外に出ては危険だから公爵が閉じ込めている」という認識のようだ。
「心配かけてごめんなさい。でも、ジェシカがついてきてくれたから大丈夫。危ないことは何もなかったわ」
エレノアは使用人たちを適当にあしらうと、ジェシカと共にオリヴィアの自室に向かった。この屋敷の地図はジェシカに聞いて頭に叩き込んであるので、迷うことはない。
無事部屋に入ると、ジェシカがどっと疲れたように息を吐き出した。
「ひ、ひとまず使用人たちにはバレていないようですね……」
ジェシカの油断っぷりに、エレノアは心の中で思いっきり舌打ちをする。
部屋の中と言えど油断はできない。誰かが聞き耳を立てている可能性だってある。
それに、見られていない時も完璧に演じていなければ、肝心な時にボロが出る。それが素人ならなおさらだ。
エレノアはジェシカに近づき、耳元で囁いた。
「そういう発言は控えてちょうだい、ジェシカ。わたくしがこの格好をしている限り、あなたはわたくしをオリヴィアとして扱いなさい。バレたら終わりよ。わたくしも、あなたも」
「もっ、申し訳ございません! 失礼いたしました!」
ジェシカは自分が軽率な発言をしていたと理解したようで、顔を青くして謝っていた。
その後エレノアは、オリヴィアの自室をくまなく調べつつアーレント公爵の帰りを待った。期待はしていなかったが、案の定この部屋から証拠らしいものは何も出てこなかった。
そして、日も沈んでしばらく経った頃、家令の男が部屋の戸を叩いて声をかけてきた。
「オリヴィア様。旦那様がお呼びです」
「今行くわ」
殺したはずの娘が生きて帰ってきて、何事もなく家にいる。アーレント公爵はさぞ困惑していることだろう。
公爵がオリヴィアを呼び出した理由はもちろん、娘の今の状況を確認するためだ。彼はオリヴィアにジェシカ以外の見張りを付けていなかった。そのため、娘の外出中に一体何があったのか何も知らないのだ。
「失礼いたします」
エレノアが公爵の自室に入ると、彼は難しい顔でソファに座っていた。
アーレント公爵は恰幅が良く、身長はさほど高くない。目はツリ目がちで小さく、オリヴィアには全く似ていなかった。
「座りなさい」
公爵に促され対面に座ると、彼のでかい腹がよく見えた。
(随分と脂肪の詰まった腹だ)
数時間前にウェストゲート卿と会ったばかりということもあり、その差が顕著に感じられた。
するとアーレント公爵は、渋面で責め立ててくる。
「オリヴィア、なぜ部屋から出た? あれだけ家にいろと言っただろう」
彼は、ジェシカがただ計画に失敗しただけの可能性もあると考えているのだろう。もし娘が毒殺計画のことを知らないままなら、その方が都合がいい。まずは素知らぬフリをして、こちらの出方を見るつもりのようだ。
そんな彼に、エレノアは乾いた笑みを返した。
「白々しいですわね、お父様」
「なに?」
「実の娘を殺そうとするだなんて、ひどいではございませんか」
「…………」
アーレント公爵は「やはり知っていたか」というように眉根を寄せた。そして、ひとつ溜息をついてから口を開く。
「ジェシカが失敗したか」
「ジェシカを怒らないでください。彼女は非常にうまく立ち回っておりました。ただ、わたくしがお父様より上手だっただけのこと」
「ほう?」
エレノアの挑発に、公爵は片眉を跳ね上げ目を眇めた。
ジェシカが失敗したのは事実だ。しかしこのままだと、彼女の家族に危害が加わる可能性がある。
そのためエレノアは、責任を転嫁する必要があった。この場合、実行犯ではなく、首謀者の責任にしてしまえば良いのだ。
「毒にタリステアを選んだのは間違いでしたわね、お父様。香りですぐにわかりましたわ。おかげで毒を摂取せずに済みました」
エレノアが微笑みながらそう言うと、公爵は声を上げて笑い出した。
「はっはっは! なるほど、それは油断した。まさかお前がそんなに毒に詳しいとは知らなんだわ」
彼はひとしきり笑い終えると、スッと笑みを消し、鋭い視線を向けてきた。
「で、お前はなぜこの家に戻ってきた? 私に殺されかけたというのに」
普通なら、自分を殺そうとしている人間の元に帰ったりはしない。彼はこちらの意図を探ろうとしているようだ。
エレノアは、公爵を見据えながらはっきりと告げた。
「お父様。わたくしに、お父様の計画をお手伝いさせてください」
「なんだと?」
予想外の答えだったのか、公爵は怪訝そうに眉を顰めていた。彼の反応には構わず、エレノアは続ける。
「いい加減、目が覚めましたの。わたくしはこんなにもフェリクス殿下を想っていたのに、彼は一度も振り向いてはくださらなかった」
ここで一度、物憂げな表情を作る。そして、自嘲気味な笑みを浮かべながら再度口を開いた。
「実は今日、こっそり殿下にお会いしてきましたの。そしたら彼、ひどいんですのよ。わたくしの顔を見た途端、『また俺に毒を盛りに来たのか。お前の顔など二度と見たくない。即刻帰れ』ですって」
「殿下と会ったのか……!」
「もちろんお父様のことは何も話しておりませんのでご安心を。そんな事を話す前に、すぐに追い返されてしまいましたので」
エレノアが悲しげな表情でそう言うと、しばしの沈黙が流れた。
公爵は眉間にシワを寄せながら何やら考え込んでいる。こちらの真意を見極めようとしているのだろう。
そして公爵はしばらくの後、冷笑を浮かべて言った。
「そんな言葉を信じるとでも思ったか? 私の味方になるふりをして、殿下暗殺の証拠でも掴もうという魂胆なのだろう。殿下の入れ知恵か?」
ここで「はいそうですか」と信じてくれる阿呆なら良かったのだが、やはり一筋縄ではいかない。そもそもそんな間抜けな男なら、とっくに捕まっているはずだろう。
そこでエレノアは、力強い眼差しを公爵に向けた。
「お父様がわたくしをお疑いになるのは当然です。これまであれだけ反発していたのですから。ですが、一度だけ機会をいただけませんか? わたくしに良い考えがあるのです」
その言葉に公爵は片眉を上げ、フッと笑いを漏らした。この私を説得できるものならやってみろ、とでも言いたげな顔だ。
「申してみよ」
公爵に促され、エレノアは考えていた計画を話した。
フェリクスを誘い出し、彼を暗殺する方法を。
「いかがでしょうか。わたくしをお疑いになるのなら、四六時中見張りを付けていただいても構いません。怪しいと思えば、すぐに殺していただいても結構です」
計画を話し終えたエレノアは、最後にそう付け加えた。視線は逸らさず、ただ公爵を見据え続ける。
公爵は険しい視線をこちらに返しながらしばらく黙っていたが、程なくして口を開いた。
「なぜそこまでする?」
悪くない反応だ。少なくとも拒絶はされていない。
エレノアは公爵に向ける視線に鋭さを加え、ぎゅっと手を強く握る。
「恋心を弄んだ男に、復讐したいだけですわ」
婚約者に冷遇され、怒りに燃える女。誰からもそう見えるように演じた。
あとは、公爵がどう出るかだ。
公爵はしばらく考え込む様子を見せた後、大きく息を吐いた。
「ジェシカを呼んできなさい」
(釣れた)
エレノアは心の内でニヤリと笑った。
急ごしらえで少々ずさんな計画だったが、それでも乗ってくるということは、やはり公爵もだいぶ焦っているようだ。
何度も送り込まれる刺客に、フェリクスは相当警戒心を強めている。皇太子を討つチャンスはもう残りわずかだということを、彼も理解しているのだろう。
「ありがとうございます」
エレノアはそう言って一度部屋を出ると、ジェシカを連れてすぐに戻った。
公爵の自室に入るやいなや、ジェシカは恐怖で震え出した。公爵が彼女をきつく睨みつけたからだ。
「だ……旦那様……」
「お前には失望したぞ、ジェシカ」
公爵が低く唸るようにそう言うと、彼女はすぐさま頭を下げた。
「も、申し訳ございませんでした! どうか、どうか家族だけは……!」
ジェシカは謝罪をする間もブルブルと震えていた。彼女のそれは演技ではなく、本気で彼を恐れているのだろう。
「今回はオリヴィアが一枚上手だったということにしておいてやる。お前の失敗は不問としよう」
「あ、ありがとうございます……!」
彼女の表情が一瞬安堵で緩んだが、公爵の次の言葉ですぐにまた怯えた顔になる。
「オリヴィアを見張れ。おかしなところがあればすぐに報告しろ。次はないぞ」
「は、はい……し、承知、いたしました」
ジェシカは顔を強張らせて何とか声を出していた。
だが、見張りがジェシカのままなのは非常に好都合だ。これでかなり自由に動ける。
「お父様、ありがとうございます。では早速、明日にでも殿下にお会いして参ります」
エレノアがそう言うと、公爵は鋭い視線で睨みつけてきた。
「いいか、オリヴィア。私はお前の全てを信じているわけではない。それを忘れるな」
こちらが下手な動きをしたら本当に殺すつもりなのだろう。
だが、望むところだ。目の前の娘が偽物だとも気づかないような愚か者に、遅れを取るつもりはない。
エレノアは彼の牽制を意にも介さず、挑発するような笑みを向けた。
「お父様こそ、次は仕留め損なわないよう、腕利きの暗殺者をたくさん用意しておいてくださいね」
* * *
その晩、皆が寝静まった夜更け頃。
エレノアは証拠品を見つけるべく、アーレント公爵家を地下室から屋根裏部屋までくまなく調べていた。もちろん、アーレント公爵の自室もだ。
音もなく忍び込んだエレノアに気づくことも無く、公爵はグースカいびきをかきながら眠っていた。
エレノアは夜通し屋敷内を探し回ったが、どこを探してもフェリクス暗殺計画に関わるような証拠を見つけることはできなかった。
この分だと、証拠は全て処分されている可能性が高そうだ。
(明日の夜はブレデル侯爵家を調べてみるか……望みは薄そうだが)
あまり長々と潜入していては、正体がバレるリスクも高まる。それで危険に晒されるのはオリヴィアだ。今回は短期決戦の必要がある。
勝負は一週間後の生誕祭まで。一分一秒も無駄にはできない。
エレノアはこの事件が片付くまでの間、不眠不休を覚悟していた。




