case3ー4.二人目の依頼人(1)
今回の依頼人――皇太子フェリクスの婚約者オリヴィアは、店の応接室で姿勢良く座っていた。後ろには、お付きの侍女が控えている。
エレノアはオリヴィアを招き入れるか、正直かなり悩んだ。しかし、フェリクスに巻き込まれそうになっている今、少しでも状況を把握しておいたほうが良いと判断し、ひとまず話を聞くことにしたのだ。
「こちら、よろしければ」
オリヴィアが差し出してきたのは、皇族御用達の高級洋菓子店、クレヴァールの焼き菓子だ。流石は五大公爵家の娘。資金は潤沢らしい。
「これはこれは、大層なものを。ありがとうございます」
「お茶請けにどうかと、ジェシカが勧めてくれたんですの。本当に気が利く、優秀な侍女なのですよ」
オリヴィアはそう言いながら、後ろに控えている侍女に視線を送った。そのままオリヴィアが微笑みかけると、侍女ジェシカは不自然に視線を逸らした後、ペコリと頭を下げていた。
茶髪にそばかすが印象的な彼女は、気弱そうな見た目の女だ。年齢は二十代半ばあたりだろうか。
優秀な侍女と言う割に、ジェシカはどうも落ち着きがない。辺りをキョロキョロと見回し、片方の手をもう片方の手でぎゅっと握ったり組み直したりと、かなりソワソワしている様子だった。
少し不審に思いつつ、エレノアはオリヴィアに視線を戻す。
「さて。では早速ですが、オリヴィア様のご依頼内容をお聞かせ願えますでしょうか」
「長い話になります。召し上がりながらお話ししましょう」
オリヴィアはそう言うと、ミカエルが持ってきてくれた紅茶を一口飲んでから、エレノアをしっかりと見据えた。緊張しているのか、体がわずかに強張っている。
そして彼女は、意を決したように口を開いた。
「わたくしの父は、フェリクス殿下の暗殺を計画しています」
そこから彼女は、自分とフェリクス、そして父アーレント公爵にまつわる話を始めた。
オリヴィアは六歳の頃にフェリクスと婚約したそうだ。この時、フェリクスは十二歳。初めは兄のような存在として慕っていたが、年齢を重ねるにつれ、異性として恋い慕うようになっていった。
オリヴィアはフェリクスに見合う人間になるべく、幼い頃から妃教育に励んだ。しかし、フェリクスの態度は終始素っ気ないものだったという。それどころか、「お前を愛することはない」とまで言われたそうだ。
その理由はどうやら、フェリクスの政治方針がアーレント公爵の考えと合わなかったからのようだ。
アーレント公爵家は昔から貴族優遇派の一族だった。一方のフェリクスは、貴族も平民も関係なく、秀でた者は積極的に起用すべきという考え方。反りが合わなくて当然だ。しかしそのせいで、頻繁に衝突が起きていたという。
その後もフェリクスとの仲が深まることはなく、八年の月日が経った頃。ちょうど今から一年ほど前から、フェリクスの暗殺未遂事件が度々起こるようになった。
幸い、フェリクスの命に関わるようなことは一度もなかったらしい。しかし、いずれの事件でも実行犯しか捕えられず、いつまで経っても首謀者が特定できないでいた。
そして、つい一ヶ月ほど前。とうとうフェリクスが毒を飲んでしまった。
処置が早かったおかげで大事には至らなかったが、フェリクスは半月ほどの療養が必要になったそうだ。昨日、彼の体調が優れなかったのは、まだ毒の影響を引きずっていたからだろう。
皇太子の身にいよいよ危険が迫り、皇帝は首謀者の特定に全力を注いだ。そこで疑いがかかったのが、アーレント公爵家だったというわけだ。
しかし、いくら調べ上げても決定的な証拠が見つけられず、断罪できずにいるようだ。いくら皇族とは言え、五大公爵家を確かな証拠もなく裁くことは難しいらしい。
「父は何度も取り調べを受けていました。フェリクス殿下は……わたくしも暗殺に関与していると思っていらっしゃるかもしれませんね」
そう言うオリヴィアは、悲しそうに眉を下げて笑っていた。その言葉や表情に嘘は感じられない。恐らく彼女は、本当にフェリクス暗殺計画には関わっていないのだろう。
そしてここからは、オリヴィアがつい先日、父親の会話を盗み聞いて知った話だ。
元々、アーレント公爵の狙いは「娘を次期皇帝に嫁がせ、この国を裏から牛耳る」というものだったそうだ。
娘をフェリクスと婚約させたところまでは良かったが、そう上手くはいかなかった。政治方針の相違に加え、フェリクスがあまりにも優秀だったため、付け入る隙がどこにもなかったのだ。
そこで公爵は二年ほど前から、フェリクスを暗殺し、娘を第二皇子であるアレックスと結婚させようと画策し始めた。
第二皇子アレックスは、フェリクスの腹違いの弟だ。まだ九歳の、あどけない少年である。加えてその能力はフェリクスよりも数段劣るという。公爵は、アレックスならばフェリクスより余程操りやすいと考えたのだろう。
「父の話を聞いたわたくしは、すぐさま抗議しました。こんなこと、すぐに止めるようにと。しかし父は逆に、わたくしに殿下の暗殺を手伝うよう迫ってきました」
もちろんオリヴィアは断った。しかしそのせいで、彼女は屋敷に軟禁されてしまったのだ。
放っておけば、オリヴィアは確実にフェリクスに告げ口をする。アーレント公爵が取る行動としては、オリヴィアの軟禁は全くもって当然の対応だった。
「今日は見張りの目を盗んで、何とか屋敷から抜け出してきたのです。ですが、すでに捜索が始まっているかもしれません」
婚約破棄の代行を請け負う店に来ていると知れたら、アーレント公爵は激怒するだろう。オリヴィアがフェリクスとの婚約を破棄すれば、フェリクスは早々に他の女と結婚する。もし世継ぎでも生まれようものなら、アーレント公爵の計画も全て水の泡だ。
侍女のジェシカがずっと落ち着かない様子なのも、公爵からの罰を恐れているからなのかもしれない。
「次はいつ外に出られるかわかりません。ですから、代金はこの場で全額お支払いいたします。どうか、どうか殿下をお助けください」
オリヴィアはそう言って、深々と頭を下げた。
(……思った以上に厄介な話だ)
オリヴィアが屋敷から抜け出したと知られれば、監視の目が強化されるのは確実だ。彼女が次に外に出られるのは、フェリクスが暗殺されたときか、証拠が集まりアーレント公爵家が断罪される時だろう。
彼女の身動きが全く取れない状況の中で、婚約破棄まで持っていくのはかなり難しい。
エレノアはオリヴィアに頭を上げるよう促してから、眉根を寄せて言った。
「事情はわかりましたが、どうして私に依頼を? このまま皇城に行って、皇帝かフェリクス殿下に訴えたほうが確実だったのでは?」
もっともな問いに、オリヴィアはゆっくりと首を横に振る。
「今日は父が皇城に出ていて、鉢合わせる可能性がありました。それに、父はとても用心深い人です。わたくしが抜け出すのを見越して、部下に皇城周辺を見張らせているかもしれません」
そして彼女は、恐怖を抑え込むように手をぎゅっと握り込み、声を震わせながら言った。
「わたくしの周りは敵ばかり。第三者のあなたしか、頼れる人がいなかったのです。この店の評判は噂でよく聞いておりましたので、すがるような思いで参りました。巻き込む形になってしまうのは、大変心苦しいのですが……」




