case1ー1.銀の鋏(ぎんのはさみ)
ここは、大国オルガルム帝国の首都に隣接する都市ロゼク。
その街のとある入り組んだ路地裏の先には、「銀の鋏」という小さな文具店が存在する。最近、若い令息令嬢の間でまことしやかに噂されている店だ。
なにしろ、ある品を店主に注文すると、婚約破棄を代行してくれるという。
そこに今日もまた、一人の客が訪れていた。
その客――アメリ・レイクロフトは店に入ると、おずおずと控えめな声を出す。
「あの……こんにちは……」
「「いらっしゃいませ、お客様」」
アメリを出迎えたのは、瓜二つの双子の兄妹だ。二人ともまだ幼く、十歳やそこらに見える。
アメリは店員がまさか子供だとは思わず、驚いて目を丸くし、そしてその双子があまりにも可愛らしかったのでつい見惚れてしまった。
二人とも美しいプラチナブロンドの髪に、大きくてまん丸とした金色の瞳を持っている。少年の方は短いサラサラの髪で、少女の方は腰まで伸びるウェーブがかった髪。それ以外は本当にそっくりで、まるで一対の人形のようだ。
ただただ双子を見つめるアメリの様子を見かねてか、少年の方が声をかけてきてくれた。
「私はミカエルと申します。隣は妹のマリア。お客様、本日はどういった物をお探しですか?」
声をかけられたアメリはハッと我に返り、緊張した面持ちでとある商品を要求する。
「あの……鋏は売っていますか?」
この店は一見するとただの文具屋だ。ただし、店が扱っている商品はどれもこれも一級品ばかりである。貴族がこぞって通いそうなのに閑古鳥が鳴いているのは、店が街の非常に奥まった場所にあるからだろう。
そして、この店には文具屋でありながら鋏だけが置かれていない。
それこそが、婚約破棄代行を依頼するときの合言葉なのだ。
アメリは「路地裏の文具店で鋏を要求すると店の奥の応接室へと通され、店主が婚約破棄の代行を引き受けてくれる」と噂で聞き、祈るような思いでこの店を訪れたのである。
すると、少女マリアが可愛らしくにこりと笑う。さながら壁画の天使のような微笑みだ。
「もちろんです。どうぞこちらへ」
マリアはそう言うと、アメリを店の奥の応接室へと案内してくれた。そして、アメリが部屋の中央にあるソファに腰掛け少し待っていると、ミカエルがお茶を持ってきてくれた。
「ただいま店主を呼んでまいります。こちらでしばらくお待ちください」
ミカエルはそう言うと、マリアと共に部屋を出ていった。
待っている間、アメリは応接室の中をキョロキョロと見回して驚いていた。部屋の中の調度品がどれもこれも超が付くほどの一級品ばかりだったからだ。
一介の文具屋にしては一室にかけられている金額がおかしい。余程裏稼業が儲かっているのだろうと、アメリは邪推していた。
そして、紅茶をいただこうとカップに手を伸ばした時、荒れている手が視界に入りアメリの気分は少し沈んだ。髪も顔も美しく磨き上げているのに、手だけが荒れてしまっているのだ。
しかし、紅茶を一口飲んだ途端、暗い気分が一気に吹き飛んだ。その紅茶が今までにないほど美味しいものだったからだ。
茶葉そのものも一級品なのだろうが、きっと少年ミカエルの淹れ方が特別上手いのだろう。茶葉の良さが最大限に引き出されている。
「本当に、不思議なお店……」
アメリがポツリとそうつぶやいた時、フロックコートを身にまとった長い銀髪の人物が部屋に入ってきた。アメリは一瞬その人物を男性かと思ったが、胸のあたりが膨らんでいたので男装した女性なのだろうと思い直す。
その女性はスラリとした長身で、見事に男性物の服を着こなしていた。
切れ長の淡いブルーアイにスッと伸びた鼻筋を持ち、眉はキリリとしていて中性的な顔立ちだ。見た目は十代後半から二十代前半くらいに見える。
「お待たせして申し訳ありません。店主のエレノアと申します」
女性にしては少し低めのよく通る声で、エレノアは挨拶をしてきた。
アメリは彼女のあまりの美しさに思わず息を飲んだ。その立ち居振る舞いは貴族よりも貴族らしく、その威厳や風格はまるで女王を連想させる。ただの文具屋の店主には到底見えなかった。
アメリが呆然としてエレノアに見惚れていると、彼女はアメリの対面に座り穏やかに微笑んだ。
「はじめまして、お客様。本日は当店をご利用いただき誠にありがとうございます」
その言葉にハッと我に返ったアメリは、慌てて挨拶を返す。
「はじめまして。わたくし、レイクロフト伯爵家のアメリと申します」
「よろしくお願いいたします、アメリ様。今回は、婚約破棄の代行に関するご依頼でお間違いありませんか?」
店主エレノアの言葉に、アメリは目を輝かせた。やはり噂は本当だったのだ。
「はい……!」
アメリは嬉しくなってしまい、思わず笑みを浮かべていた。対するエレノアは微笑み返しながら本題へと話を進める。
「では早速ですが、あなたのご依頼をお伺いしましょう」
「お恥ずかしい話で大変恐縮なのですが……」
そして、アメリは自分の身の上話を始めた。
アメリは十五歳の頃、ジール侯爵家の長男であるウィラードと婚約を結んだ。
しかし、アメリがウィラードと共に貴族学校に入って一年ほどが経った頃、彼は同級生のキャサリン・ブロンソン子爵令嬢とだんだん距離を縮めていった。
それと同時に、アメリが嫉妬のあまりキャサリンを虐めているという噂が立ち始める。しかしこれは全てキャサリンの自作自演で、アメリを含め勘の良い生徒たちは事の真相に気づいていた。
いじめの件を信じたウィラードはアメリを度々叱責し、次第にキャサリンへ入れ込むようになる。
アメリは何度も無実を訴えたが、恋に盲目になったウィラードにはその声が届かなかった。そして三日前、貴族学校の卒業パーティーで、アメリはウィラードから婚約破棄を告げられてしまったのだ。
話し終えたアメリは、こぼれてしまった涙を指で拭った。
「わたくしは、まだウィラード様のことが諦められなくて……」
終始真剣に話を聞いていたエレノアは、射るような視線をアメリに向けてくる。
「なるほど。つまり、その子爵令嬢から婚約者を取り戻したい、と」
「はい。心から愛していた方だったので……」
アメリはか細い声でそう言うと、目を伏せて俯いた。涙がポタポタとアメリの荒れた手に落ちていく。見かねたエレノアが、そっと白いハンカチを手渡してくれた。
「あ……ありがとうございます」
ハンカチで涙を拭いながら、アメリは再び顔を上げる。エレノアを見ると、彼女は難しく考え込むような表情を浮かべていた。
「本来であれば、当人以外の婚約破棄に関してはご依頼をお受けしていないのですが――」
「えっ!?」
話の途中で思わず大声を上げてしまったアメリは、ハッとして口元を両手で覆った。依頼を受けてもらえない可能性に焦り、淑女にあるまじき品のないことをしてしまった。
アメリが羞恥心で顔を赤らめていると、エレノアは表情を崩して優しく微笑みかけてくる。
「事情が事情です。その依頼、お引き受けいたしましょう」
「本当ですか……! ありがとうございます……!」
無事依頼を受けてもらえそうなのでアメリは心から安堵し、エレノアに深々と礼を言った。そして、婚約者と恋敵に関してエレノアからいくつか質問を受けた後、アメリは少額の前金を払って店を後にした。
* * *
アメリが去った後、エレノアは応接室に双子の兄妹を呼び、今回の依頼内容を説明した。
「お姉さま! 何すればいい?!」
妹のマリアが大きな金色の瞳をキラキラと輝かせてそう言った。どうやら久々の仕事でワクワクしているらしい。
「姉さま、僕たちはいつも通り情報収集でしょうか?」
そう尋ねる兄のミカエルもどことなく嬉しそうだ。エレノアは軽く頷いてから二人に指示を出す。
「ああ。二人はターゲットの情報収集を頼む。今回はキャサリンとウィラードの二人分だが、いけるか?」
エレノアがそう問うと、双子たちは自信たっぷりに頷いた。
「任せて、お姉さま!」
「もちろんです、姉さま」
ミカエルとマリアはエレノアが拾った元孤児で、血の繋がりはない。だが、彼らは命を救ってくれたエレノアのことを本当の姉のように心から慕っている。
そしてエレノアは、ミカエルとマリアを拾ってからというもの、この二人にあらゆる事を叩き込んでいた。
礼儀作法はもちろん、一般教養から武器の扱い、諜報活動のやり方まで。そのため、双子にとってはただの貴族の情報を集めてくるくらい朝飯前なのだ。
「姉さまはキャサリンへの接触の準備を?」
「ああ、それもやるが……二人とも、あの依頼人を見てどう思った?」
エレノアはどこか試すような口調で双子にそう問いかけた。ミカエルはこれが姉からのテストだと思ったようで、顎をつまみながら考え込む様子で口を開く。
「髪も顔も手入れが行き届いているのに、手だけ荒れていたのが気になりました。何かにかぶれたような……ただの手荒れにしては少し不自然でした」
「よく観察できている。他には?」
すると、今度は眉根を寄せたマリアが、一生懸命言葉を選びながら自分の考えを述べた。
「ええと、ええと。なんだか変に思ったわ。なんと言うか……大好きな人にフラれたのに、あんまり悲しくなさそうっていうか……」
「悲壮感がない?」
エレノアが言葉を繋いでやると、マリアの表情がパッと明るくなる。
「そう! 本当に愛している人にフラれたんだったら、もっと泣き腫らして眠れなくて目の下にクマができていてもおかしくないのに、あの人、とても綺麗だったわ!」
マリアの回答に、エレノアは満足気に頷いた。
「私も特に気になったのはそこだ。愛しの婚約者を取られた女には、どうにも見えなかった」
エレノアは「アメリ」という依頼人をひと目見た瞬間、そこはかとない違和感を抱いた。彼女からは婚約破棄を依頼しに来る人間特有の、強い怒りや悲しみや憎悪、あるいは困惑や焦燥といった鬼気迫るものが感じ取れなかったのだ。
そして彼女から事情を聞いて、違和感は確信に変わった。この女には裏がある、と。あの涙も、嘘っぽくて仕方がない。
エレノアは、双子に尋ねるようにこう続けた。
「それに、愛する人に婚約破棄を突きつけられてから、たった三日でこの店に来るという発想になるだろうか。まるで、あらかじめそうなることがわかっていたように思えないか?」
アメリがウィラードを本当に愛していたなら、果たして三日で深い悲しみから立ち直り、キャサリンから婚約者を取り戻そうと奮い立つ事ができるだろうか。彼女は余程強かな性格なのか、あるいは――。
エレノアの言葉に、ミカエルがハッとした様子で顔を上げたが、すぐに「ううん」と考え込む。
「アメリ本人がわざと婚約破棄されるように仕向けたということですか? でもだとしたら、どうして婚約者を取り戻そうとしているんでしょう……」
「それは、これから調べてみればわかるさ」
そう言って、エレノアは目を眇めてニヤリと笑った。