case2.エピローグ(2)
「わかってるくせに。僕が警察に告げ口するとは思わなかったのかい?」
その可能性を考えなかったわけではなかったが、エレノアは彼がそんなことをする男ではないと確信していた。まだほんの一年ほどの付き合いだが、彼の人となりは、よくわかっているつもりだ。
「お前ならそんなことはしないと、そう信じている」
「それは……捉え方に困る返事だね」
アレンは苦笑してそう言った後、すぐにまた尋ねてきた。
「逆に失望しないのかい? 人の命を救う医者が、人の命を奪った殺人犯を見逃すのかって」
「全く。むしろ、綺麗事を並べ立てるヤツより余程信用できる」
頭の固い人間であれば、双子の姉妹は罪を償うべきだと、すぐさま警察に突き出すだろう。しかしそういう人間は、大抵自分の勝手な正義感に酔いしれているだけだ。自分が正しいと思う行いをして、気持ちよくなりたいだけなのだ。
そしてエレノアは、少しおどけた調子で言葉を付け加えた。
「それに、犯罪者を捕まえるのは警察の仕事だろ? お前の仕事じゃない」
エレノアの無茶苦茶な言い分に、アレンは笑いをこぼす。
「フフッ。随分な屁理屈だ」
クスクスと笑う彼に釣られ、エレノアも笑みを漏らした。そして、自分がアレンを信じた理由を話し始める。
「昔、こう言ってただろう? 『僕にできることは、目の前の命を救うことだけだ。それ以外のことはできないし、する資格もない』って」
アレンと出会ってしばらく経った頃、初めて彼を事件に巻き込んでしまった時のことだ。巻き込んだと言っても、とある令嬢の治療を頼んだくらいなのだが、彼はその事件の時にそう言っていたのだ。何の事情も知らない自分が、事件についてとやかく言える立場ではない、と。
「これまでお前は、どんな事件にも首を深く突っ込むことはなかった。医者として、ただ目の前の命を救うことだけに注力していた。だから事件の詳細を聞いても、お前は別に何もしないだろうと思ったのさ」
「……なるほどね。僕のことをよくわかってる」
アレンはそう言って苦笑していた。
基本的に彼は事件に深入りしない。事件で亡くなった人を生き返らせることは出来ないし、罪人を裁く権利など自分は持ち合わせていないと、そう考えているからだ。彼がやるのは、ただ生きた人間を救うことだけ。
「ローリー卿がいずれここにも挨拶に伺うと言っていた。双子の姉妹に何かあった時は、ぜひ診てやってほしい」
「わかった。ありがとう、エレノア」
そう言うアレンの表情は、すでに明るさを取り戻していた。少しは元気づけてやれたのだろう。知恵を働かせて事件を解いた甲斐があったというものだ。
要件が終わったので帰ろうかと思ったところ、廊下からパタパタと誰かが走って近づいてくる足音が聞こえてきた。そしてすぐに、扉がバンと大きな音を立てて開く。
「エレノア! 今日は一体何の用!? また兄さんに面倒事を押し付けに来たんじゃないでしょうね!!」
現れたのは、エレノアが先ほど院内で見かけた白衣の少女だ。
彼女はアレンの妹で、名をセレーナという。歳はアレンの二つ下で十八歳だ。彼女もこの病院で働いており、今は医者見習いとして修行中の身らしい。
妹と言ってもセレーナはアレンの継母の連れ子なので、この兄妹に血の繋がりはない。ちなみに、彼らの両親はすでに皆他界している。
そんなセレーナは額に青筋を浮かべ、眉を吊り上げながらエレノアをきつく睨みつけていた。用が終わって急いで駆けつけてきたのか、少し息が上がっている。
彼女が怒っている理由は、エレノアが以前ウィラード・ジールの治療をアレンに頼んだからだろう。アメリ・レイクロフトに毒を飲まされていた、あの男だ。
「久しぶり、セレーナ。そんなに怒っていたら、せっかくの美人が台無しだぞ? お前には笑顔のほうがよく似合う」
エレノアが目を眇めてそう言うと、セレーナは顔を引き攣らせながら無理やり笑みを作った。よく見ると、額の青筋の数が増えている。
「……あんたほどの美人に言われても、嫌味にしか聞こえないんだけど?」
セレーナはエレノアの素顔を知っている。この病院で素顔を知る者は、この兄妹だけだ。
そして彼女は、今エレノアが変装しているこの若医者の顔もよく見知っている。だから彼女は先ほどこの顔を見つけた途端、エレノアに向かって鋭い怒りの視線を向けてきたのだ。
するとセレーナは、エレノアの方にズカズカ進むと、両手を腰に当てながら鬼の形相で叫んだ。
「と、に、か、く! 兄さんを変なことに巻き込まないで! いつも言ってるでしょう!?」
セレーナが突っかかってくるのはいつものことだ。言われ慣れているエレノアは、彼女の文句など意にも介さず、静かに言葉を返す。
「安心しろ。もしお前の大好きな兄さんに何かあったら、私が全力で守ってやる」
「なっ……!!」
セレーナは言葉が出てこないのか、顔を真っ赤にして、ただ口をパクパクと動かしている。顔が赤いのは、エレノアに対する怒りと、兄に対する羞恥心ゆえだろう。
彼女はアレンの事を好いている。兄としてではなく、男としてだ。
そして彼女は、何を勘違いしてか、エレノアのことを勝手に恋敵だと思っている。そのため、エレノアにだけやたらと当たりが強いのだ。
ちなみに、アレンはセレーナの恋心には全く気づいていない。セレーナも兄に女として見られるべく涙ぐましい努力をしているのだが、この男はどうにも色恋には疎いらしい。患者の異変にはすぐに気がつくくせに、妹の懸命なアピールには気づいてやれないのだ。
兄の方を見ながら顔を赤くするセレーナが何とも可愛らしくて、エレノアは思わず笑みをこぼした。
「フフッ。そろそろ帰るよ。邪魔したな。これ、クレヴァールの菓子だ。余っていたからやる」
クレヴァールはこの国で最も格式高い洋菓子店だ。歴史は古く、皇族御用達の店でもある。
エレノアは各方面で仕事をしている関係上、お礼や挨拶代わりなどで頻繁に贈り物をもらうのだ。そのため、双子と三人では食べきれない量の菓子がいつも家にある。
「いいのかい、エレノア! ここのお菓子、一回食べてみたかったんだよね……!」
そう言うアレンは、まるで少年のように目を輝かせている。彼は甘い物に目がないのだ。今すぐ食べたいと言わんばかりに、受け取った箱を食い入るように見つめている。
「もう、兄さん! 子供じゃないんだから、お菓子なんかに釣られないで!!」
セレーナは眉を跳ね上げながら兄を窘めていた。恋敵が自分の想い人を喜ばせていることが、余程面白くなかったのだろう。
そんな兄妹のやり取りに、エレノアは思わず吹き出してしまった。
「フッ、ハハッ! お前は本当に可愛いな、セレーナ」
「気持ち悪いこと言わないで、エレノア!!」
その後、アレンからは感謝の笑みを、セレーナからは怒りの視線を向けられながら、エレノアは院長室を後にした。




