case2.エピローグ(1)
ローリー・ヘンストリッジが店に挨拶に来た、翌々日のこと。
エレノアは若い男の医者に扮して、アレンが院長を務めるオーウェンズ病院へと足を運んでいた。この病院を訪れる時は、悪目立ちしないよう決まってこの格好をするのだ。
院内に入ると、待合にはチラホラと患者が座っていた。流行病の時期などは患者で溢れかえっている日もあるのだが、今日は普段より随分と落ち着いた日のようだ。
院長室を目指しスタスタと院内を歩いていると、途中で赤毛の少女を見かけた。
白衣を纏ったその少女は、エレノアを見つけた途端、その大きな赤茶色の瞳でギロリと睨みつけてきた。その視線で射殺さんばかりの勢いだ。
彼女は何か言いたげな様子だったが、患者の対応中らしく悔しそうに歯噛みしていた。その反応が何とも可愛くて、エレノアはクスクスとつい微笑んでしまう。しかし今は忙しそうなので声はかけずに、また廊下を進み始めた。
そして院長室の前にたどり着いたエレノアは、その扉を数回叩いた。すると、中からアレンの優しげな声が聞こえてくる。
「どうぞ」
入室の許可を得て中に入ると、アレンは執務机に向かって事務作業をしているところだった。そして彼は書類から顔を上げ、にこりと人好きのする笑みを浮かべる。だが、その笑顔には疲労の色が見え隠れしていた。
「やあ、エレノア。君から来るのは珍しいね」
アレンは入ってきた若医者がすぐにエレノアだと気づき、何の違和感もなく話しかけてきた。病院を訪れる時はいつも同じ皮を被っているので、アレンももう見慣れているのだ。
エレノアはいつものように変装を解くことなく、若い男の声のまま言葉を返す。
「忙しいところすまないな。時間を取ってもらって」
「大丈夫だよ。今日は比較的穏やかな日なんだ。で、用ってなんだい?」
彼はそう言いながら立ち上がり、部屋の中央にあるソファへと移動する。エレノアも彼の正面に座ると、優しい視線を向けて言った。
「落ち込んでるお前を励ましに来た」
「?」
発言の意図が理解できなかったらしく、アレンは首を傾げている。そんな彼に、エレノアは穏やかな笑みを向けた。
「アニー・マイソンは生きているよ」
「…………っ!!」
アレンは驚きのあまり、しばらく言葉を失っていた。灰色の瞳を大きく見開き、まるで時が止まったかのように動かない。
そして程なくして、彼は両手で顔を覆い俯いた。
「そうか…………そうか……」
アレンは何かを噛みしめるように言葉を漏らした。その声は、わずかに掠れていた。
そして彼は、一度顔を上げてエレノアを見据えた後、こちらに向かって深々と頭を下げた。
「伝えに来てくれて、本当にありがとう。エレノア」
「別に、礼には及ばない」
なんて事ないというようにそう返すと、彼は眉を下げて笑っていた。
そしてアレンは少し遠い目をしながら、アニーとの話をしてくれた。
「彼女は僕の患者でね。初めて病院に来てくれた時、体中に痣があったんだ。すぐに虐待を受けているとわかったよ。警察に相談しようって何度も言ったんだけど、頑なに『黙っていてくれ』と言われてしまってね。……そして最後に見た彼女は、焼死体になっていた。死体を解剖して……拳銃による自殺だと思った」
彼はそこまで言うと言葉に詰まり、苦しそうに目を伏せた。
「……激しく後悔したよ。もっと早くに自分が動いていれば、助けられたんじゃないかって」
自分の患者らしき人物の遺体が運ばれてきて、さらにはその検死をしなければならなかったのだ。普通の人間ならメンタルをやられる。やはりこの男も、相当なダメージを負っていたようだ。
「あまり自分を責めるな。己の手で助けられる人間の数は限られている。それに警察に相談したところで、子爵は法では裁けなかっただろうさ」
「……そうだね」
弱々しくそう返すアレンに、エレノアは補足で説明を加えた。
「お前が検死した焼死体は、恐らくこの街に流れ込んできた難民の少女だ。そしてその少女の死因は、拳銃によるものでも火災によるものでもなく、寒波によるここ数日の寒さが原因である可能性が高い。アニーが殺したわけではないと思う」
それを聞いたアレンはわずかにホッとした様子を見せたが、すぐに複雑な表情に変わった。確かに難民の少女のことを考えると、痛ましく思うのも仕方ない。
エレノアはその後、事件の概要をかいつまんで説明した。
マイソン子爵を撲殺したのは恐らく妹のイリスであること。アニーは妹をかばうために自らを殺人犯に仕立て上げ、自分の死を偽装したこと。双子はローリーの元で保護されていること。アニーが生きていることは、警察には伝えていないこと。
話の間、アレンの表情は終始暗かった。凄惨な事件に心を痛めているからなのか、彼女たちの未来を案じているからなのかはわからない。
このままだと沈んだ雰囲気にしかならなさそうだったので、エレノアは少し話題を逸らした。
「心配するな。あの姉妹は、これからきっと幸せになる」
力強くそう断言すると、アレンは意表を突かれたように目を丸くしていた。そして、ようやく彼の表情が緩む。
アレンはエレノアの発言を励ましの言葉と捉えたのか、わずかに泣きそうな笑顔で礼を言ってきた。
「ありがとう、エレノア。実は結構落ち込んでたんだ。君のおかげで心のモヤが晴れたよ」
そして、続けてこう尋ねてくる。
「でも事件のことって、僕が聞いても良かったの?」
「何かまずいことでも?」
エレノアが目を眇めて問い返すと、アレンは困ったように眉を下げた。




