case2ー7.依頼人、再び
バークレーが店に来てから数日後。
この日、店の応接室には、依頼人であるローリー・ヘンストリッジの姿があった。
彼の目の下にはクマができており、疲れている様子ではあるが、思ったよりも元気そうで安心する。
「なかなか店に来れず、すみませんでした。早く事情を説明しに伺いたかったのですが……」
そう言って、ローリーはエレノアに向かって心底申し訳なさそうに頭を下げていた。そんな彼に、エレノアは最大限気遣うような言葉をかける。
「お気になさらないでください。あんな事件があったんです。無理もありません」
三ヶ月後に結婚を控えた相手の家で火災があり、しかもそれが殺人事件だっとあらば、ヘンストリッジ子爵家も相当ごたついていたことだろう。依頼のことなんて頭から抜け落ちてもおかしくはない。それなのに、こうしてわざわざ挨拶に来るとは、彼はとても律儀な青年だ。
「エレノアさん。今回の依頼はなかったことにさせてください。混乱させてしまってすみませんでした」
案の定、後継者のいないマイソン子爵家は取り壊しとなり、イリスとローリーの婚約はなくなった。同時に、エレノアがこなすべき依頼もなくなったのだ。
「いえ、構いませんよ。むしろ訪ねてきてくださり、ありがとうございます。大変なときでしょうに」
エレノアが穏やかな声でそう返すと、ローリーは少し困った様子で眉を下げた。
「イリスは我が家の使用人として引き取ることになりました。でも、マイソン子爵家の使用人全員を雇うことは流石にできなくて、今は知人の協力を得ながら雇ってくれる家がないか当たっているところです」
「そうですか」
彼の言葉に安堵する。少なくとも彼女が、いや、彼女たちが路頭に迷うことはなさそうだ。
そしてエレノアは、半ば確信を持ってこう言った。
「お二人を、守ることに決めたのですね」
「――……っ!!」
ローリーはハッと息を呑んで目を見開いた。しかし彼の顔はすぐに青ざめ、恐怖に歪んでいく。
「あ、あなたは……ど……どこまで……知って……」
「何も。真実は何も。ただ得た情報から、そうだろうなと思っただけです」
落ち着いた声でそう返したが、ローリーは依然として青ざめていて、体がわずかに震えている。そんな彼を安心させるために、エレノアは努めて優しく声をかけた。
「ご安心ください、ローリー卿。私は彼女たちを警察に突き出すつもりは一切ありません」
バークレーには悪いが、今回の事件は協力してやれない。真相を暴いても、誰も幸せにならないからだ。
エレノアは別に、犯罪者を取っ捕まえたいからバークレーと協力関係にあるわけではない。それに、今回の犯人はこれ以上犯罪に手を染めることはないだろう。
「ほ、本当、ですか……?」
「はい。依頼人の秘密は守ります。こちらも守秘義務がございますので」
エレノアがそう言って微笑みかけると、ローリーはようやく安心したようにホッと息を吐いていた。体の震えも収まり、顔色も戻ってきている。
「ローリー卿。どうか、彼女たちのことを幸せにしてあげてください。それができるのは、あなたしかいません」
「はい。無論です……!」
ローリーの眼差しは強く、言葉ははっきりとしていた。
この様子だと大丈夫だろう。きっと彼が、二人を守ってくれる。
「もし困ったことがあれば、いつでも私たちを頼ってください。これでも各方面に伝手があるので、多少はお役に立てるかと。マイソン子爵家の使用人の件も、解決が難しそうであればお任せください。どうか、お一人で抱え込まないよう」
エレノアは様々な皮を被って多方面で仕事をしているので、恐ろしいほど顔が広い。そのため、使用人の雇用先を見繕うくらい容易いことだった。
「ありが……ありがとう、ございます……何とお礼を言えばいいか……」
深く頭を下げる彼の声はくぐもっていた。少し泣いているようだ。頼れる人が見つかり、重い肩の荷が下りて安心したのかもしれない。事件が起きてからずっと張り詰めていた緊張が、ようやく解けたのだろう。
「ローリー卿。ひとつお願いが」
「は、はい。なんでしょう?」
彼はぐいっと乱雑に涙を拭ってから顔を上げた。目が少し赤くなっているが、その表情は決して暗いものではない。そんな彼に、エレノアは穏やかな視線を向ける。
「一人だけ、彼女の無事を知らせたい人物がおりまして。彼女が亡くなったと思って、きっと落ち込んでいると思うので、少しばかり安心させてやりたいのです」
予想外の言葉だったのか、ローリーは意表を突かれたように目を見開く。
「それは……一体どなたですか?」
「オーウェンズ病院の院長、アレン・オーウェンズ。アニー嬢の怪我を診ていた医師です」
検死を行ったのも彼だとは伝えなかった。わざわざ伝える必要もないだろう。
ローリーはアレンの名を知っていたようで、「ああ」と思い出したように声を上げた。しかし、すぐに不安そうな表情になる。
その事実を知る者は、できる限り少ないほうが良い。彼の心情もよく分かるので、エレノアは言葉を付け加えた。
「大丈夫です、口は堅い男ですから。それに彼女を匿うなら、事情を知る医者が一人いた方が、何かと便利かと」
ローリーはしばらく逡巡していたが、程なくして覚悟を決めたようにひとつ頷いた。そして、こちらをしっかりと見据えながら口を開く。
「わかりました。あなたを信じます。その方にも、いずれご挨拶に伺いますね」
「ありがとうございます」
マイソン子爵家の事件が起きてから、アレンには会っていない。彼が今どういう心境にいるかはわからないが、彼女――アニー・マイソンが生きていると知って喜ばない男ではないだろう。
「では、失礼いたします」
帰ろうとするローリーに、エレノアは優しい眼差しを向け言葉をかけた。
「あなた方の未来に、多くの幸福があらんことを」
彼らはこの先、様々な苦難に出くわすだろう。だがどうか、少しでも穏やかな日々が続きますように。
エレノアはそう願ってやまなかった。
一方のローリーは、まさかそんな事を言われるとは思わなかったのか、驚いたように目を丸くして固まっていた。しかし、すぐにくしゃりと笑う。
「ありがとうございます。あなたに出会えて良かった」
そうしてローリーは帰っていった。今日はここ最近にしては珍しく、気持ちの良い温かな陽光が降り注いでいた。




