case2ー6.瓜二つ(3)
「少し集中して読ませてくれ」
バークレーにそう断りを入れてから、エレノアは再び調査資料に目を落とし、情報を拾い始めた。
火災発生前夜、二十一時半頃。
この日もイリスは姉の待遇改善を訴えるため、父親の部屋を訪れていたらしい。マイソン子爵の部屋からいつもより殊更激しい口論が響き渡っていたらしく、屋敷中のほとんどの使用人が彼らの声を聞いている。
イリスが父親の部屋を出て自室に戻ったのは二十二時頃。これはイリス本人の証言だ。
そしてそれ以降、マイソン子爵の生存を確認した者はいない。マイソン子爵は、イリスと揉めた後は決まってすこぶる機嫌が悪くなるので、そういう時、使用人は誰も子爵に近寄らないのだという。
その後、時間は飛んで翌日の深夜二時頃。
マイソン子爵の部屋に一番近かったイリスが、いち早く火災に気づく。彼女が自室を出たときには、すでに父親の部屋から激しく火の手が上がっており、もはや近づくことはできなかったらしい。
父親の救出を諦めたイリスは、姉と使用人たちを起こして逃がすために、屋敷中を走り回った。幸い、イリスがすぐに火災に気づいたおかげで、使用人は誰ひとり怪我することなく屋敷の外へ逃げることができた。
しかしイリスは唯一、姉がいる物置部屋にだけは行かなかった。正確には、行こうとしたが物置部屋に向かうにつれて炎が激しくなり、たどり着くことができなかったのだ。
最も激しく燃え落ちていたのが子爵の部屋と物置部屋だったため、出火元はその二箇所だと思われている。使用人の証言によると、屋敷のところどころから油の匂いがしたという。
「屋敷の見取り図は?」
「ああ、あるぞ。ほら、このページだ」
そう言って、バークレーが見取り図の描かれたページを開けてくれた。
マイソン子爵の部屋は二階の一番奥、イリスの部屋はマイソン子爵の二つ隣。使用人の寝室は、女性が屋根裏部屋、男性が地下室のようだ。そしてアニーがいた物置部屋は、どの部屋からも外れた一階の隅にあった。
イリスが辿ったルートはこうだ。
二階の自室を出たイリスは、まず屋根裏部屋の女性使用人たちを起こしに向かった。その後二階へ戻り、念の為誰かいないかと声をかけて回った後、地下室に行き男性使用人たちを起こしてから一階へ。先に地下室に向かったのは、姉の部屋より近かったからだろう。
そしてイリスは姉の部屋へ向かいながら、一階の各部屋に声をかけて回った。しかし、姉の部屋に向かうにつれ火の勢いが強くなり、イリスはメイドに半ば強制的に外へと連れ出された。
「何だ。なんかおかしなところでもあったか?」
「いや。特には」
エレノアは調査資料のページをめくり、さらに読み進める。そして、気になる部分で目を留めた。
どうやら、イリスが火災に気づいたのとほぼ同時刻に、数名の使用人が銃声で目を覚ましたらしい。
使用人たちは、一体何事かと音のした方へ確認しに向かおうとしたが、すでに火の手が上がっており逃げざるを得なかった。
いま思い返せば、銃声はアニーのいた物置部屋から聞こえた気がすると、その使用人たちは証言している。
「凶器についての記載は?」
「それならこのページだ」
エレノアは指定されたページを開き、目を通す。
マイソン子爵の撲殺に使った鈍器も、アニーが自殺に使ったであろう拳銃も、見つけることはできなかったと記載されている。恐らく、いずれも火災で燃えてしまったのだろう。それは予想の範囲内だ。
一方で、拳銃はマイソン子爵が自室で保管していた物である可能性が高いようだ。子爵は毎日のようにお気に入りの銃を磨いており、家の者なら誰しもその保管場所を知っていたという。誰でも持ち出し可能ということだ。
しかし、銃は基本的には裏ルートでしか手に入らない。それなのにどうして子爵が所持していたかというと、彼が裏社会の人間と繋がっていたからだ。
ここ数年でマイソン子爵家が急速に力を伸ばしていたのは、裏であくどい商売をしていたかららしい。そんな子爵を恨んでいる人間も多かったようだ。
「なあ。外部犯の可能性って、あると思うか?」
第三者の怨恨の説も、一応は考えたのだろう。
バークレーが顎を撫でながら尋ねてきたが、エレノアはすぐにその説を否定した。
「可能性は低いだろうな。外部犯だった場合、皆が寝静まった頃に屋敷に忍び込み、マイソン子爵を殺害したと考えられる。しかしその場合、撲殺である必然性がない。相手が寝ているなら、ナイフで心臓を一突きしたほうが確実だからだ。それに、物置部屋の死体の説明がつかない」
「だよなあ……だとしたらやっぱり、アニーが犯人なのか……? いや、でも……」
腕を組みながら何やらブツブツつぶやいているバークレーをよそに、エレノアは一度立ち上がって応接室の扉を開けた。
「ミカエル、マリア。少し来てくれ」
店の方に向かって少し声を張り上げて双子を呼ぶと、店番をしていた二人がすぐに駆けつけてくる。
「どうかしましたか? 姉さま」
「何かお仕事?」
エレノアは双子を応接室に招き入れると、ソファの空いているところに二人を座らせ、調査資料を渡した。
「二人とも、この資料に目を通しておきなさい」
調査資料を読み終えたエレノアは、すでに今回の事件の真相をある程度掴んでいた。ただし証拠が不十分なので、あくまでも今ある情報から立てた仮説だ。
双子に調査資料を見せるのは、彼らにも仮説を立てさせ、後でその答え合わせをするためである。数ある情報から矛盾ない結論を導き出す、一種の思考訓練だ。
「おいおい。一応それ、極秘資料だぞ?」
バークレーは渋い顔でそう言うが、すでにエレノアに見せているくせに、今さらそれを言うかという感じである。
「いま見せなければ、どうせ私が内容を話す。同じことだろう」
「くれぐれも秘密にしておいてくれよ、おい」
依然として顔を顰めているバークレーに、双子たちはにこりと微笑みかけた。
「心配しないで、バークレー警部」
「僕たち、口は堅いので」
そうして双子たちは、二人で仲良く調査資料を読み込み始めた。エレノアは暇を持て余し、バークレーに向かって徐に雑談を持ちかける。
「お前がこの事件を蒸し返したい理由はなんだ? 報奨金狙いか?」
「違えよ! ただ真犯人がいるなら取っ捕まえたいだけだ」
金目当てかと聞かれて、バークレーはひどく不本意そうだった。
彼は正義感の強い男だが、それなりに融通が利く男でもある。裏社会の人間であるエレノアと協力関係を築いているくらいだ。表の領分と裏の領分を、よくわきまえている。
彼が熱くなる時は大抵、殺人や強盗、強姦といった凶悪犯罪を追っているときだ。娘が安心して暮らせる街にしたいと、いつも口癖のように言っている。殺人犯がもしまだ生きているなら、何としても捕まえたいのだろう。
しかしそれ故に、エレノアは自分の推理をこの男に話すつもりはなかった。
その後、適当な雑談を続けた後、エレノアは不意にあることを尋ねた。
「そう言えば、バークレー。最近この辺で、少女が行方不明になる事件はあったか?」
「少女? いや、ないな」
「そうか」
聞きたいことが聞けたエレノアは、バークレーとの雑談をやめ黙り込んだ。
双子は黙々と資料を読み進め、対するエレノアは自分の考えを話す様子がない。そんな彼女らに痺れを切らしたのか、バークレーが急かすように問いかけてくる。
「なあ、エレノア。どうなんだ。なんかわかったのか?」
エレノアはすでに彼との会話に飽きており、頬杖をついて窓の外を眺めていた。外は木枯らしが吹いていて、ひどく寒そうだ。
彼を一瞥し、素っ気なく返事をする。
「何も」
「何もって……じゃあ、なんでアニーはわざわざ火を付けたんだよ」
「さあ。父親を殺して気が動転してたんじゃないか?」
そして、エレノアはバークレーを見据えて本心を伝えた。
「私が言えるのは、これ以上この事件を追っても、良いことは何もないということだ」
エレノアの冷たく鋭い視線に、バークレーは一瞬気圧されたような反応を見せたが、すぐに諦めたように溜息を吐いた。
「そうか……まあ、お前がそう言うなら、そうなんだろうな」
彼はまだ納得しきれていない様子ではあるものの、「絶対に真犯人を見つけてやる」というような気概はすでに感じられなくなっていた。
ちょうどその時、双子たちが調査資料を読了したので、バークレーは資料を仕舞って立ち上がった。
「時間取らせて悪かったな。お前の助言通り、ローリー・ヘンストリッジを訪ねてみるよ。それでダメだったら、きっぱり諦める」
バークレーはそう言うと、寒そうに首を縮めながら帰っていった。




