case2ー5.瓜二つ(2)
予想外の展開に、エレノアは眉を顰めた。
検死結果をよく見ると、マイソン子爵の死因は「頭部損傷による脳挫傷」である可能性が高いと記載されている。どうやら遺体の頭蓋骨が陥没していたらしい。位置は後頭部だ。
「他殺か? 火災で建物が倒壊する時に、頭部を損傷した可能性は?」
「いや、それはない。火事で亡くなった場合は、ススを吸い込んで気道が黒くなる。でも子爵の遺体はそうはなっていなかったんだ」
「つまり、火災発生時にはすでに死んでいたということか」
エレノアの言葉に、バークレーは大きく頷いた。
思わぬ方向に話が進んでいき、エレノアは顎をつまみながら考え込む。依頼人であるローリーに前金を返却した後は、特にこの事件を追ったりはしていなかったが、まさか殺人事件だったとは思いもしなかった。
すると、バークレーがひとつ大きな溜息を吐きながら続きを話し出す。
「問題はもう一人の遺体の方だ。そっちはアニーのものと断定できなかった」
「なぜ?」
エレノアが眉根を寄せて尋ねると、バークレーはひどく苦い顔になった。
「アニーの歯の治療記録がなかったんだ。彼女がオーウェンズ病院に通っていたのは整形外科だった。アニーは父親から暴力を受けていて、見るに見かねた家令の男が子爵に内緒でこっそり通わせていたらしい」
一児の父親として、思うところがあるのだろう。バークレーは心底不快そうに頭をガシガシと掻いていた。
アニーが虐待を受けていたというのは、ローリーから聞いた情報と一致している。たしか彼は「最近はアニーの怪我がひどく、家令が病院に連れて行っている」と言っていた。その病院というのが、まさかアレンの病院だったとは。
すると、気を取り直した様子のバークレーが調査資料を指差しながら言った。
「次のページをめくってくれ。アニーの死因が書いてある」
言われた通り次のページに目を通すと、またしても予想外の展開に思わず吐息が漏れた。アニーも火災で亡くなったわけではなかったのだ。
そこには「気道にスス無し。顎から頭蓋骨にかけて銃弾が貫通した痕跡有り。顎の損傷が最も激しいため、顎下から頭部に向かって撃ち抜いたと考えられる」と記載があった。死因は十中八九それだろう。
これだけ見ると、アニーは自殺の可能性が高い。もし他殺の場合なら、抵抗する相手を無理やり押さえつけるか動けない状態にしてからでないと、そんな軌道で撃ち抜けないからだ。
自殺に見せかけた他殺、という可能性も残されるが、この情報だけでは何とも言えない。
エレノアが真剣に検死結果を読み込んでいると、バークレーが説明を始めた。
「拳銃で撃ち抜かれたせいか、歯がボロボロに砕けちまってたみたいでな。これじゃ遺体が誰のものであっても照合できねえ。アニーは標準的な体格で特徴もなし。彼女の安否が確認できない今、警察ではその遺体はアニーのものだと結論づけている。遺体が見つかったのも、彼女が過ごしていた物置部屋だったしな」
屋敷で安否が確認できていないのは、マイソン子爵とアニーのみ。その状況なら、そう結論づけるのが自然だろう。他に「最近街でアニーと似た背格好の少女が行方不明になった」といった事件があれば話は別だが。
「んで、だ。警察の見解はこうだ。父親からの虐待に耐えかねたアニーは、衝動的に父親を撲殺。我に返った彼女は自分の犯した罪と自らの未来に絶望し、屋敷に火を付け拳銃で自殺を図った」
彼の言う通り、マイソン子爵殺害は衝動的犯行だろう。
計画的な犯行なら、撲殺なんていう不確実な方法は取らない。一発で仕留めなければ、相手に抵抗されて殺しきれない可能性が高いからだ。どうせ遺体を焼くなら毒でも盛ればいい。
「そう結論づいているのに、私を訪ねてきた理由はなんだ?」
エレノアがそう問うと、バークレーは眉を顰めて言った。
「おかしいとは思わないか? どうして火を付ける必要があった? 自殺するなら、わざわざ火を付ける必要なんかないだろ?」
確かに、それはもっともな疑問だった。
バークレーの言う通り、アニーが屋敷に火を放った目的がわからない。
父親を殺して気が動転していた可能性も考えられるが、母親が亡くなってからずっと支え合ってきた妹を危険にさらすだろうか。妹のためにクズな婚約者を自らの手で懲らしめたくらいだ。アニーが妹を思う気持ちは本物だろう。
「俺はこう考えてる。亡くなったのはアニーではなく、双子の妹のイリスなんじゃないかってな」
バークレーの突飛な推測に、エレノアは目を眇めて聞き返した。
「アニーがイリスを殺し、妹に成り代わっていると?」
「ああ。双子の姉妹は、それはまあ瓜二つらしくてな。使用人も見間違えることがしょっちゅうだったらしい。だから双子が入れ替るのも十分可能なんだ。さっきマリアの嬢ちゃんがやってのけたようにな」
そういえば、依頼人のローリーからは彼女たちの容姿のことは聞いていなかったなと、エレノアは数週間前の会話を思い出す。
ローリーの話ぶりからすると、彼は双子を見間違えている様子はなかった。長年アニーの婚約者としてそばにいた彼なら、双子を見分けることも容易なのかもしれない。
すると、バークレーが推理の続きを話し出した。
「アニーは父親を殺した後、妹のイリスを自殺に見せかけ殺害。そして遺体を燃やして証拠を隠滅した。これでアニーは罪を被ることなく二人を殺せたことになる。顎を撃ち抜かれていたのも、万が一歯の治療記録が残っていた場合に歯型の照合を不可能にするため。どうだ? いい筋いってるんじゃないか?」
そう言う彼は少し得意げだ。どうやら自分の推理が正しいと思って疑わないらしい。
エレノアはそんな彼に呆れ、大きく溜息を吐いた。
「仮に二人を殺した犯人がアニーだとして、妹を殺す動機は? 姉妹の仲はすこぶる良好だったはずだ」
その指摘に、バークレーの目がすぐに泳ぎだす。
「妹に自分の婚約者を取られた腹いせに……とか? あー、それか、妹をクズ婚約者から助けたせいで自分が虐待を受けるようになったから、その恨みで?」
動機までは考えきれていなかったのだろう。この男は、いつもこういうところの詰めが甘い。
無理やり絞り出した理由を並べ立てるバークレーに、エレノアはやれやれという表情を向ける。
「ローリー・ヘンストリッジとの婚約の件は、全て父親のせいだろう。それなのに殺したいほど妹を恨むか? それに、妹のイリスは何度も姉の待遇改善を訴え、そのたびに父親からぶたれていた。そんな姿を見せられたら、お前ならどう思う?」
「それは……」
言葉に詰まった彼に、エレノアは畳み掛けた。
「仮にお前の推理が正しかったとしよう。だが父親殺しは間違いなく衝動的な犯行だ。それなのに妹殺しの方はどうだ? お前の推理だと明らかに計画的な犯行だろう? 自殺に見せかけて妹を殺し、入れ替わるなんてこと、事前に準備しておかなければ普通はできない。この矛盾を、お前は説明できるのか?」
バークレーは何か言おうとして口を開いたが、反論する言葉が出てこなかったのか、そのまま険しい顔になって黙り込んだ。
なぜ屋敷に火を放ったのか、という着眼点は良かった。しかし、そこから先の推測があまりにもお粗末だ。
エレノアは、あえて厳しい言葉を彼にかける。
「お前の推理は推理とも呼べない、ただの妄想だ。いつか誤認逮捕するぞ」
ぐうの音も出ないのか、バークレーは悔しそうに唇を噛んでいた。しかし彼の表情には、どうしても納得がいかないという感情がにじみ出ている。頭では理解しているが、心のどこかに違和感が引っかかっているのだろう。
「そんなに疑わしいと思うなら、生き残りの方の歯型を照合して本人かどうか確かめればいいだろう」
「イリスの方も歯の治療履歴がなかったんだよ」
そんなこと言われるまでもないといった様子で、バークレーが顔を顰めた。
アニーもイリスも歯の治療履歴がなく、生き残りがどちらであるか照合できないときた。バークレーが納得するための他の方法がないものか、エレノアは思考を働かせる。
「アニーは最近怪我が多く、病院に通院していたんだろう? 生き残りの体の状態は?」
その問いに、バークレーは首を横に振った。
「特に怪我はなかった。と言っても、俺が疑い始めて確認しに行ったときには、事件当日から結構な日数が経っててな。もし怪我があっても治っちまってただろうよ。こんなことなら、もっと早く生き残りの方を調べておくんだったぜ」
彼はひどく悔しそうに言葉を吐き捨てた。
事件発生当時は、警察もまさか今回の火災が殺人事件だとは思わなかったのだろう。しかし、検死結果が出て遺体が他殺体とわかり、ただの火災から殺人事件に捜査が切り替えられた。
それから生き残った屋敷の者たちを取り調べ、ひとつの結論を出すまでには、それなりの時間がかかったはずだ。
「それなら、ローリー・ヘンストリッジを訪ねてみろ。アニーの元婚約者だ。彼なら生き残りがどちらなのか、見分けられるかもしれん」
エレノアの言葉に希望を見出したのか、バークレーは目を輝かせた。
「本当か! でも、なんでそんなこと知ってるんだ?」
「企業秘密だ」
バークレーにはローリーが店に来たことは話していない。依頼の守秘義務があるし、そもそも話す義理もないからだ。
エレノアは別に、どんな事件でも捜査に協力するわけではない。彼に協力する時は、利害が一致したときだけだ。
だがエレノアも、アニーが火を付けた理由は引っかかっていた。




