case2ー3.燃えた屋敷
エレノアは双子たちと朝食を取りながら、再び新聞に目を通していた。
記事によると、本日未明にマイソン子爵邸から出火。懸命の消火活動も虚しく屋敷は全焼し、今朝方ようやく鎮火したそうだ。
そして、焼け跡からは二名の遺体が発見されている。その身元はまだわかっていない。
「亡くなったの……双子の姉妹じゃなきゃいいけど……」
暗い表情のマリアが、ぽつりとそうこぼした。彼女の前にはまだまだ朝食が残っている。どうやら食欲が湧かないようだ。
「そうだな」
遺体が誰かによっては、ローリーの依頼内容も大きく変わってくるだろう。依頼そのものが無くなる可能性だってある。
すると今度は、ミカエルがエレノアの表情を伺うように尋ねてきた。
「姉さま。今日、どうしますか?」
「私はこの後、マイソン子爵邸の周辺で情報を集めてくる。ミカエルとマリアはひとまず店で待機だ。もし私の不在中にローリーが来たら、依頼をどうするか聞いておいて欲しい」
「わかりました」
そしてエレノアは早々に朝食を食べ終えると、どこにでもいそうな紳士の姿に扮して街に出かけた。
* * *
朝も早い時間だと言うのに、マイソン子爵邸の前には人だかりができていた。野次馬たちが敷地内に入らないよう、警察が規制線を張っている。鎮火はしたものの、まだ焦げ臭い匂いが辺りに漂っていた。
エレノアは野次馬に混ざり、屋敷があったはずの場所を見回した。子爵邸はものの見事に焼け落ちて見る影もなく、ただ黒ぐろとした残骸が残されているだけだ。屋敷を囲っている塀だけが、物悲しげに佇んでいる。
屋敷跡では現在、警察の調査が行われているようで、複数人の警官が現場検証をしていた。その中にはエレノアの知人であるバークレーの姿も見える。
早朝から駆り出されたのだろう。バークレーは疲れた顔を隠すことなく、渋面で仕事にあたっていた。
そしてエレノアは軽く目を閉じ、周囲の会話に意識を集中させた。野次馬の中には、火災を目撃した人も混ざっているだろう。何か有益な情報が拾えるかもしれない。
「俺は御者をやってるんだが、たまたま火事があった時にこの近くを通りかかってな。あれは深夜二時くらいだったかなあ」
「そんな夜更けなら寝静まってる時間だろうに、皆よく無事だったな。死んだのは二人だけなんだろう?」
「一体誰が死んだんだろうな」
「この屋敷は随分と使用人を抱えていたみたいだから、そのうちの誰かじゃないか?」
「最近のマイソン子爵家は勢いがあったからなあ」
残念ながら、野次馬たちも誰が死んだのかは知らないらしい。もしかしたら警察もまだ把握できておらず、身元を確認しているところなのかもしれない。
それからエレノアは、もうしばらく野次馬たちの会話に耳を傾けていたが、特に有益な情報は得られそうになかった。
(さて、どうするか……)
誰が亡くなったのか、最低でもその情報を得て帰らないと無駄足になってしまう。最悪バークレーに接触すれば済む話だが、流石に今の格好のまま話しかけるわけにもいかなかった。
エレノアがどうやって情報を得ようか考えていたところ、小声で話しかけてくる男がいた。
「……旦那。旦那!」
まさか変装中に声をかけられるとは思わず、エレノアは少し驚いたが、聞き覚えのある声にすぐに納得する。声をかけてきた男はこちらの変装を見破ったわけではない。この皮を知っていただけだ。
振り返ると、予想通りの人物がそこにいた。茶色い癖っ毛と子犬のような丸い瞳が目印の、頼りなさそうな若い男である。
「ポール。なぜここに?」
エレノアが片眉を跳ね上げてそう問うと、その男はくしゃりと笑った。
「なんとなく旦那が来る予感がして。情報、集めときましたんで!」
ポールはエレノアのところによく来る情報屋だ。ただの情報屋ではない。「くだらない情報ばかり売りつけようとしてくるポンコツ情報屋」なのである。
どこぞの伯爵家の飼い猫が逃げ出しただとか、どこぞの子爵家の幼子が木から落ちて怪我をしただとか、とにかくこの男が持ってくる情報はしょうもないものばかりなのだが、そんな彼にもひとつだけ美点がある。それは、絶対に間違った情報は持ってこない、ということだ。
そして彼は極稀に、ものすごい情報を仕入れてくることがある。そのためエレノアは、彼のことを撥ね除けるでもなく重宝するでもなく、適度な関係を保っていた。
彼はいつもなら「旦那」ではなく「エレノアさん」と呼ぶのだが、今はこちらが紳士に変装しているので気を遣ってくれたのだろう。
それからエレノアは、ポールとともに路地裏に移動し、単刀直入に尋ねた。
「亡くなったのが誰かわかるか?」
「もちろんです。屋敷の住人で安否が確認できていない人物が二人。亡くなったのは恐らくこの二人だろうというのが、警察の見解です」
そこまで言うと、ポールは人差し指を立てた。
「ひとりはマイソン子爵。遺体が発見された位置が彼の寝室と一致することから、ほぼ確定でしょう」
そして彼は、人差し指に加えて中指も立てる。
「安否がわかっていないもうひとりは、子爵の娘のアニーという少女です」
その情報に、エレノアはほんのわずかに眉根を寄せた。しかしポールはそれに気づかず、続きを話し始める。
「物置部屋で遺体がひとつ見つかったもんだから、警察の中でも一体誰だって話になったんですが、使用人たちに事情を聞いたところ、アニーは普段からそこで生活をしていたようで。マイソン子爵から虐待まがいの扱いを受けていたそうですよ。何ともひどい話だ」
「わかった。もう十分だ」
これから延々と話が続きそうだったので遮ると、ポールは焦ったように言い縋ってきた。
「もう!? まだまだ有益情報ありますよ!? 買っていってくださいよぉ!!」
眉を下げながら情けない声を上げるポールに、エレノアは内心うんざりした。この男のこういうところは、面倒くさくて好かないのだ。
「今はそれ以上の情報は必要ない。ほら、今回の報酬だ」
彼に札束を押し付けると、エレノアはさっさと身を翻して歩き出す。
「えっ? あっ、ありがとうございます!」
予想以上の金額だったのだろう。驚いたように慌てて礼を言うポールの声を、エレノアは振り返ることなく背中で聞いていた。
* * *
「ただいま。来客はあったか?」
エレノアは店に戻って開口一番にそう尋ねた。すると、店番をしていたマリアが駆け寄ってくる。
「おかえり、お姉さま。スノウが納品に来たくらいよ。荷物はお姉さまの部屋に運んであるわ」
「ああ、ありがとう。新しい拳銃だ。今度お前たちにも渡そう」
そう言った時、エレノアの帰宅に気づいたのかミカエルが店の奥から出てきた。
「姉さま、おかえりなさい。どうでしたか?」
そう問うミカエルは少し緊張した面持ちだ。マリアも答えを聞くのが怖いのか、顔を強張らせている。
「亡くなった二人は、マイソン子爵とアニーの可能性が高いそうだ」
エレノアが静かに告げると、二人とも視線を下げ表情を暗くした。依頼人の願いを叶える前にその想い人が亡くなってしまい、思うところがあるのだろう。
「そう、ですか……残念でしたね……」
「ローリーは、もう知っているのかしら……」
目の前で俯くマリアの頭を、エレノアはそっと撫でてやる。
「どうだろうな。だが、遅かれ早かれ知ることになるだろう。私たちにできるのは、死者を悼むことだけだ」
「うん……」
何とも暗い空気が漂いどうしたものかと困ったエレノアは、眉を下げながら優しく二人の名を呼んだ。
「マリア、ミカエル」
ようやく顔を上げた二人は、一体何を言われるのかとこちらに視線を向けてくる。
「今日はもう店じまいにして、久しぶりに三人で街に出かけようか」
微笑みながらそう言うと、双子の顔が途端に明るくなった。二人とも、その大きな丸い瞳をさらに大きく見開いて、金色にキラキラと輝かせている。
「良いんですか、姉さま!」
「行く! お姉さまと遊べるなんていつ以来かしら!」
エレノアは毎日のように何かしらの仕事をしているため、遊びに出かけることは滅多にない。だから、三人で街に出かけるというのはとても珍しいことなのだ。彼らの喜びようはそのためである。
「じゃあその前に、ローリーに前金を返送して欲しいんだが、頼まれてくれるか?」
マイソン子爵家には男児がいない。子爵が亡くなった以上、継ぐ者がいないマイソン子爵家は恐らく取り壊しとなる。よって、ローリーとイリスの婚約もなかったことになるだろう。そして、今回の依頼も。
「わかりました! すぐに準備してきます!」
「私も手伝うわ! お兄さま!」
そうして元気よく返事をした双子は、バタバタと店の裏へと走っていった。




