夢五夜 白雪姫は地に堕ちて
こんな夢を見ました。
それはそれは美しい天使が、硝子の棺に納められて眠っておりましたので、私は大層驚きました。黒檀のような黒髪に、雪のように白い肌、血のように赤い唇。目を閉じたそのさまはどこかしら精巧な作り物めいてみえました。天使の造形が神の御手によるからでしょうか。
私が、なぜこのようなところで眠っているのかと問いますと、天使はほんの僅かに目を開けて答えました。
「私はもう天使ではないからです」
ほら、翼もないでしょう、と天使はゆっくりと背を見せてくれました。ああ、確かにその美しい線を描いた背中からは、白い羽は生えておりません。
いったいどうしたのかと私はなおも問いました。天使は私の執拗な質問に嫌な顔ひとつせず、丁寧に答えてくれました。
「はじめは、王妃が求めたのですよ、美しい赤子を」
彼女が喋るひと言ひと言のたびに、彼女の口元の透き通る玻璃に息が吹きかかり、そこだけうっすらと白く、丸く曇りました。
「私はその願いを叶えるために、天から遣わされたのです。私は、王妃の求めたとおりの美しい赤子となってこの世に生れ落ちたのでした」
天使は、細く繊細な指で黒髪に触れました。艶やかでたっぷりとした黒髪は、確かに天からの贈り物に相応しい、星屑のような輝きを持っておりました。
「はじめは王妃は非常に喜んで、私を大層慈しんでおりました。それですのに、王妃はもう私を必要とはしないのです」
悲しげに、天使は目を伏せました。
「人とは誠に勝手なものでございます」
いったい、なぜ王妃は心変わりしたのでしょうか。私の疑問に答えて天使はその美しいかんばせを曇らせました。
「王の心が王妃から離れたのですよ。そして離れた心は、私へと行き着いたのです――そうして、かつて私を望んだ王妃は、私を疎ましく思うようにまでなったのです。殺したいとまで願うほどに」
私は何も言えなくなって、ただそこに立ちすくんでおりました。
不意に、背中を冷たいものが這うような思いがいたしまして、私はぞっとしました。いったい何事かと思えば、天使が微笑んでいるのでございました。血のように真っ赤な唇に、美しい笑みが刷かれているのでした――とても美しい、ですのに、なぜ、血の凍るような思いがするのでしょうか。
天使は独白のように続けます。
「私にはわかりません。どうして私が憎まれなければならないのか。私はただ、願いを叶えるためだけに、この地上に降りたというのに――自分勝手な人間。愚かで浅ましい人間」
ああ――
私は嘆息せざるを得ませんでした。理解してしまったのです。
あなたは、復讐を望んでいるのだろうという私の問いに、天使はなおも微笑みながら頷きました。
「なぜ、いけないのです?」
悲しい天使。そのために、彼女はもう天使ではないのでした。
「心を決めた途端に、羽は砕けて散りました。あれほど大切にしていたというのに、傷つくだけでこの身が引き裂かれるほど痛んだというのに、いざなくなってみれば、身が軽くなっただけとしか感じません」
天使、天使、と私は呼びかけました。思いとどまるべきだと、諭しました。
天使は聞く耳を持たず、ただ玻璃の棺の中で笑うばかりでした。羽を失ってもなお、天使の笑い声は、鈴を振るような、耳に心地よい笑い声でございました。天使は地に落ちても天使なのでございましょう。
「もう、手遅れなのです。そして、後悔はしておりません。たとえ、あの天上に戻れずとも」
さあ、と彼女は促しました。
「そろそろお行きなさいませ、夜が明ける前に」
天使よ、天使、と私は呼びかけました。悲しくはないのかと聞きました。羽を失ったことも、母と呼んで愛した人に裏切られ、復讐をすることが。
天使は言葉を途切れさせ、それからゆっくりと答えました。
「悲しいからこそ」
そこから先は彼女は口を噤んでしまいましたし、私は彼女が言ったとおり行かなければならなかったので、天使とはそれっきりでございます。