第9話「怖くはないのか?」
■登場人物
「リシャ」
十字剣を携える神官騎士。美少女。
「ゴイア」
カルト三人組の一人でリーダー格。普通の体格。
「モルテガ」
カルト三人組の一人で体が大きい。
「ナッシュ」
カルト三人組の一人で体が小さい
「はぅ……あうあうあうあう……ふはあ」
男は恍惚の声をあげた。
頭の中に開闢した小宇宙にさまざまな波長の音楽が流れ込む。七色の小鳥達がぐるぐると踊り狂い、豚が空を飛び、魚は木の上で歌った。リンゴは青い火を吹き、雲は甘いハチミツを降らせる。時間と空間が溶け合うと現実の糸はほどけていき、天と地がひっくり返り、醜い美で彩られた世界で、男はひとり絶頂した。
「おいモルテガ、いい加減にしておけ。仕事はまだ残ってるんだ、勝手にハイになってるんじゃない」
「……あううぅぅぅ」
リシャが悪魔崇拝と呼ぶ三人組、その一人であり大きくも小さくもない不審者である、ゴイヤが言った。
モルテガと呼ばれた、大きな不審者は、非合法ポーションで精神が別宇宙にあるため、その言葉を聞いてはいない。
「ふひふひふひふひぃ……若くて可愛いなぁお嬢ちゃん。ふひふひふひふひ!」
「……」
「おふひひひひ! 怒った顔もいい! ふひふひふひふひ!」
残り一人、小さい不審者はナッシュという名前なのだが、リシャの顔や肢体を舐めまわす様に見ていた。そのあり様は蛇に似ている。
リシャは両手に手枷をはめられたまま、柱に縛りあげられている。両の足首にも鎖が巻き付けられており、少なくともナッシュの無礼に対して、物理的な反撃を行える状態ではない。
「ちょっとだけ! ちょっとだけ! ふひふひふひふひ!」
ナッシュはそう言いながらリシャににじり寄る。両手をワキワキさせながら迫る姿はおぞましく、リシャは侮蔑の表情を隠さない。
太ももか、胸か、おさわりするならどの部位にしようか? ナッシュは真剣に悩んでいる。小柄でスリムな割には実った胸か、やはりオーバーニーソックスが艶かしく食い込む太ももか、どちらも捨てがたい。
とはいえ現実問題として胴体はアーマーに覆われているから、露出した太ももを触るしかないだろう。
ナッシュがそこまでの思考を終えた途端、ゴイアの叱責が飛んだ。
「お前もいい加減にしろナッシュ。余計な事はするなと言われているのを忘れたか」
「アニキィ! ちょっとくらいイイじゃないですかい。ほんのちょっとのおさわりですぜ。ふひふひふひふひ」
「……」
ナッシュの返答にゴイアは応えない。無言による否定だ。
「この娘、どうせ何もおぼえちゃいられなくなりますって! ちょっとくらいいいでしょう? ふひふひふひふひ!」
リシャの顔をまじまじと見つめながらナッシュは言った。リシャもさらに侮蔑の表情を強めると口を開いた。
「何をするつもりですか?」
ナッシュはその質問に待ってましたとばかりに声を張り上げる。
「これから俺達の神様にあわせてあげるよぉ! こいつでさぁ! ふひふひふひふひ! きっと気に入るぞ!」
彼がそう言いつつ、リシャの目の前にかざしたものは小さなガラス瓶だった。薬液を保管するいわゆるポーション瓶と呼ばれる類いのものだ。薄く透ける瓶の中身は少し粘り気のある液体が波打っていた。
「それは……非合法ポーション《ハピネス》っ!」
リシャの表情は侮蔑から怒りへと変わる。次の瞬間に辛うじて自由になっていた頭だけを激しくうち出し、ナッシュの眉間へ頭突きを叩き込んだ。
「げぎゃあ!」
不意の一撃に驚きうろたえたナッシュは額をかばう、その際に手にしていた小瓶を床に落としてしまった。
パリン!
乾いた音が薄暗い部屋に響く。
「うぎぃ! おまえ! こいつがいくらすると思ってるんだっ!」
ナッシュの顔はフードに隠れて見えないが、おそらくネズミのような顔をしているに違いない。彼はネズミの鳴き声と同じようなトーンでリシャに詰め寄った。
「ゲスが……そんなものを飲まされるくらいなら……いっそ殺しなさい」
神官騎士であるリシャにとって、非合法ポーションに侵されるなど決してあってはならぬ事だ。万死に値しよう、生きてその不名誉を得る訳にはいかない。だからこその言葉であった。
「きょいつう! きょいつう!」
ナッシュの声質はより高まり興奮が見て取れた。彼は懐より鋭利な短剣を取りだすと、その刃は松明の光を反射して鈍く光った。
そのような状況下であってもリシャの顔におびえはなかった。彼女は主の御心と共に在るのだ。死への恐れは神官騎士としての矜持が許さない。
「いい加減にしろ。ナッシュ」
何時のまにかゴイアがナッシュの背後まで近づいていた。彼はナッシュの手首を掴まえるとそう言った。
「この娘への危害は許されない、奴との取り決めを忘れたか?」
ゴイアは静かにだが、圧を込めた言葉でナッシュをたしなめる。
「だけどあにきぃ! この娘が!」
「忘れたのか?」
「う……すいやせん」
ゴイアの二度目の圧力はさらに強く、傍にいたリシャですら圧倒される迫力であった。気圧されたナッシュはようやく落ち着きを取り戻す。悪魔崇拝者三人、これまでの言動や力関係を見て取るに、序列のトップは間違いなくこの男、ゴイアであろう。
「娘、たいした度胸だな」
その言葉はゴイアからリシャに向かって発せられた。武装した男三人に囲まれ、薄暗い洞窟の中。手足は縛られ、自由も奪われ、助けの見込みもない。
このような状態にあっては大の男でも正常ではいられないだろう。職業戦士ですら命乞いをしてもおかしくはない、絶体絶命、そんな状況だ。
しかし、リシャは助けを求めなかった。喉元に刃を突きつけられても、命乞いはしないだろう、神官騎士の名を汚す事を拒み死を選びかねない。
己の命、それ以上に大事なものがある、その価値観はゴイアには理解できない。
理解はできないが、彼女が強い女である事は疑いようがない、リシャはゴイアにそう思わせた。
「怖くはないのか?」
ゴイアは目的をもって行動をしている。時間にも限りがあり、無駄話をする余裕はなかったが、彼はリシャに興味を持ち少し話をする事にした。
「……悪魔崇拝者ごときを怖れる理由がありません」
そう応えるリシャの言葉は微かにだがうわずっていた。問いかけたゴイアにも気づかれない程度だったが、普段の彼女の調子ではない。
信仰心で塗りつぶしてはいるが、恐怖という毒は彼女の心を蝕んでいる。
「この状況から……神が救ってくれると信じているのか?」
ゴイアの問いかけに対するリシャの応えはノーだ。信仰の問題ではなく神官騎士としての立場で考えるからだ。
神官騎士は守られる側ではない。教団を、信徒を、主の教えを守るのが職務なのだ。その過程における危険は避けて通れず、自身を犠牲にしてでも成すべき事がある。それが神官騎士である自身に与えられる試練といっても良い、そう考えている。
「……そちらこそ……悪魔があなた方を助け導くとでも?」
質問に質問を返す形であるし、信仰が現状を打破する助けになるのか? ゴイアはそう問うたつもりだったが、リシャからの返答は的が外れている。答えにくい質問だから、意図的に濁したのかもしれない。彼はそこまで考えて、彼女の質問には素直に答えてやる事にした。
「フッ……さっきも同じ事を言ったが、まぁいい。我々の神を悪魔扱いしているのはお前達が勝手にやっている事だ……我々にとっては神に他ならない。悪魔などではないし……」
ゴイアは問答を楽しむかのようにゆっくりと言葉を続ける。
「デカい顔して世界を支配した気になって……腐敗し堕落しているのはお前達の方だろ?……お前達の父とやらの方がよっぽど悪魔だよ」
ゴイアのこの台詞にリシャは激昂する。
「きさま!」
リシャは手枷や足首を縛る鎖に構わず身を震わせた。鉄と鉄が撃ちあう音が響き、張り上げた声も部屋に反響する。
「がなるなよ、響くだろ」
ゴイアは両手をヤレヤレとばかりに持ち上げ言った。そして、さらに言葉を続ける。
「頭にきたのか? お前達が我々にしている事を返しただけだが」
「ふざけた事を……あなた方、悪魔崇拝者は人を堕落をさせるだけ……信徒を救い導く、我が教団と同じなどという世迷い言を捨て置けません」
「……なるほどなるほど、お前達は信者を救っていると言いたい訳だな……くくくく」
「何がおかしいのです?」
「これが笑わずにいられるかよ、実に滑稽だよ……くくくくく……まぁそれはいい」
ゴイアは笑いをこらえて話を続けた。
「信仰には救いが必要だと主張するなら……我々も救っているんだよ、我々なりのやり方でな……」
彼はそう言いながら、足もと、小瓶が割れ、中身が地面にぶちまけられた辺りを見て笑った。
「……そんなものの何が救いか!」
ゴイアは明確に口にした訳ではなかったが、非合法ポーションがもたらす快楽で人を救うとの主張しているのだ。リシャはその事に最大限の不快感を示した。
「いや、救いだね。悩みも後悔も、この世界への絶望も全て忘れさせてくれるんだぞ? 偉ぶったジジイの説教よりずいぶんましだろう?」
「一時の快楽が何になるっ? 主は人生を、魂を、お救いになるっ!」
「だからそれじゃあダメだってんだよ、今だよ、まさに今! 救ってやらなきゃなぁ。お前もきっと気に入るさ、非合法ポーションが欲しくて堪らなくなる。代わりに何を差し出しても良くなるさ」
「そんな事にはならない!」
「くくくく……おいモルテガ! 何時までも呆けてないで、このお嬢ちゃんを抑えてろ!」
「うっ?……ぶふぅうううう、わがっだ」
「大丈夫さ、怖いのは最初だけさ。すぐに良くなる」
モルテガの身長はリシャよりも頭三つ四つ高く、屈強な筋肉に覆われている。両腕も丸太のように太い。
彼はその腕でリシャの両肩を壁に向かって押さえつけた。
「うっ……」
モルテガの巨体と岩肌に挟まれ、リシャの肺から押し出された空気がもれる。
「くっ……離せっ」
そのような状態であってもリシャの表情が曇る事はない、栗色の瞳に宿る輝きはより強まる。
「少々乱暴かもしれないが……許せよ、お嬢ちゃん」
ゴイアはそう言いながら、リシャの顎の付け根に手をやり、強引に掴んだ。
「……うぅぅ……」
リシャは言葉にならないうめきをあげる。彼女の上あごと下あごの間に指が入れられ、口は開け放たれた状態で固定され、閉じる事ができない。
「……こうでもしないと、舌を噛み切りかねんからなぁ……俺もそこまで望んじゃいないぜ……」
ゴイアはそこまで言い終わるとナッシュに顔を向けた。
「おい、ひと瓶、寄こせ」
「へ、へい……あ……あれ? ないな…」
ナッシュは小動物のような動きで、羽織っているローブの中をまさぐる。だが、いつまでたっても目当ての物を見つける事ができないようだ。
「オイラが持っていた分は、そいつにダメにされたので最後みたいでやす」
ナッシュの顔はフードに隠されているが、シュンとした表情をしていそうだ。
「ちっ……じゃあ、あっちに置いてあった分を持ってこい」
ゴイアは舌打ちしつつ逆方向に視線を振った。さきほどモルテガがハイになっていた部屋の片隅。そこには粗末なサイドテーブルが置いてあり、上に小瓶が散乱している。
「へいっ」
ナッシュはネズミのようにそそくさと駆け出し、散乱した小瓶をこれまたネズミのようにかき集める。
「あれ……空だ……こっちは……こいつも空だ……ないないない……モルテガ! おまえ全部飲っちまったのかっ!」
彼は悲鳴のような声をあげると、ゴイアにチラリと視線を送る。まるで悪戯でもして叱られ待ちの子供のような態度だ。
「……よくさがせ……いそげよ」
ゴイアの口調は静かだが明らかに不機嫌そうで、圧がこもっている。リシャの顎を掴む力も強まる。
「へ、へい……こいつは……こいつは……ダメだ……あっ! こいつにゃ、まだ半分残ってる! ありやした! ありやしたよアニキィ!」
ナッシュがそう言いながら掲げた小瓶は封があけられていて蓋もない。モルテガが半分だけ摂取して余らせていた分だ。
「本当にそれだけしか残っていないのか?」
「へいっ……いくら探しても、他には一滴もありやせん……おい! モルテガおまえのせいだぞ!」
「うううう、おでのせい?……ううううう」
「やめろナッシュ。お前への説教も後回しだモルテガ。このお嬢ちゃんの背丈ならその量で十分だ、さっさと持ってこい」
「へいっ」
ゴイアに急かされたナッシュは、そそくさと移動して小瓶を手渡した。
非合法ポーションである《ハピネス》が半分ほど詰まった小瓶、それを受け取ったゴイアはリシャに向かってささやく。
「さぁ我々の神をご覧じろ……頑固なお嬢ちゃんだが……視野が広がって楽に生きられるようになるぞ、私が保証するし、奴もそれを望んでる……」
ナッシュやモルテガと同じくゴイアの顔もフードに隠れている。見えやしないがきっとサディスティックな表情をしているのだろう。うら若き乙女を嬲る……最低の表情をしている筈だ。
「ううぅぅぅぅ~~~!」
リシャは頭を腕を脚を必死に動かそうとするが、強い力で押さえつけられ身動きができない。せめて身動きがとれれば、十字剣さえ手元にあれば……こんな奴らに負けやしない。
せめて口を抑えられていなければ、ゴイアが言うように舌を噛み切ってでも、悪魔崇拝者の思惑には乗らないのに。
悔しい、悔しくてたまらない。死よりもツラい屈辱受け、リシャを涙を流している。
「そうそう、忘れてた。いまの信仰は捨てる必要はないぞ……ウチはかけもちOKだ。おまえの所と違ってわれらが母は寛容だからなっ、ははははははは! 良い顧客だよ、お前達は! はははははははは!」
リシャの唇に小瓶の縁がおしつけられる。むりやり開けられた彼女の唇は生気を失い震えている。その唇からもれる小さなうめき声は、ゴイアの笑いでかき消されていく。
小瓶が傾けられると白濁した内用液が、どろりとリシャの口に滑り込もうとするが……その瞬間であった。
「やめろ! リシャを離せ! その娘は俺のものだ!」
突如、部屋の中に怒声がとどろいた。
目標は週一更新です、誤字脱字は気づき次第修正します。
暫くは加筆修正多めになりそうです、ご容赦ください。
暇のお供になれば幸いです。
よろしくお願いします!