♥️令嬢からの召喚状
「リリアーヌさん、いらっしゃい。」
リリアーヌの足がすくむ。
無理もない。
今、この国を代表する建築物の一つである壮麗な屋敷ー別名蔦城と呼ばれているーのホールで彼女を出迎えているのは、ヴィオレッタ・リリエール公爵令嬢、御歳10歳。
とても三歳年下とは思えない凛とした美しいご令嬢である。絹糸のような白銀の髪に、人というよりは精巧に創られたビスクドールのような完璧な美貌。
人と言うよりは人外を思わせる完璧な容姿を引き立てるように彩る菫色の瞳がきらきらと煌めいてなんとか人間であることを思い出させてくれた。
この美貌にしてこの国の筆頭公爵家一のご令嬢である。
しかもヴィオレッタ様は、その後に二人の系統の異なる美少女二人も従えている。
社交界に疎い自分でも容易に思い浮かぶ彼女達の名前。
凍てつくようなアイスブルーの髪に澄みきった冬の空を思わせる水色の瞳、楚々としてたおやかな美少女は多分アイリス様。
対照的に燃えるような赤髪にキラキラと煌めくルビーのような瞳。一度みたら忘れられない程華やかなカメリア様。
その静と動のコントラストの様な二人を従えても尚霞むことのないヴィオレッタ様の圧倒的な存在感と美しさ、そして10歳とは思えない強烈な威圧感。もはや、覇王の域。
名家のご令嬢同士で、派閥の垣根を越えてがっちりと深い友情を築いたこの三人に、社交界で現在刃向かえるものなど存在しないといわれている。
齢わずか10歳にして、社交界はおろか王室までびびらせる三人に呼び出され、がっちりと取り囲まれてしまったリリアーヌは最早生きた心地がしなかった。
今まで体調不良を理由にことごとくお茶会などを断っていたことが今更ながら悔やまれる。
まさか、初めての社交デビューがこの超難度なお茶会だなんて…。
断る事など断じて許されないヴィオレッタ様からのお茶会の招待状、いやいや召喚状を手に家族一同途方にくれたのだった。
リリアーヌには秘密がある。
父と母しか知らない秘密。
それは、耳としっぽがあること。
建国の遠い昔に獣人が力を貸したと言われており、この国の貴族は獣人の血をひくと言い伝えられている。
稀に獣人の特徴を持って生まれてきた赤子を神からの賜り物として歓迎し、大々的に祝うのだ。
同。
しかし、リリアーヌは違う。
なぜなら、獣人最弱のウサギ獣人だからだ。
かよわく、ただ子供をたくさん産めるだけで短命なウサギ獣人は、貴族の結婚相手として忌避される傾向にある。
しかしながら、厄介な事にその愛らしさから愛玩用のペットとして好事家から狙われやすいという物騒な側面があった。
だから、両親はその行く末を案じて彼女がウサギ獣人であることがバレないように細心の注意を払って育ててきたのだった。
このまま、耳が上手く制御できるようになるまでは、外に出るつもりなどなかったのに、ヴィオレッタ・シュタム侯爵令嬢から、お茶会のお誘いという名の召集礼状が舞い込んでしまったのだった。
リリアーヌの人生初めてのお茶会はとてつもなくハードルの高いシロモノとなった。
「はじめまして、リリアーヌです。」
目の前のアメジストの至宝と呼ばれる令嬢の全てを見透すような澄んだ瞳と一本筋が通ったような凛とした貫禄に震えそうになる身体を無理矢理押さえつけて何とか挨拶をした。
ヴィオレッタはにっこりと頷くと手にした扇で口許を隠しリリアーヌに耳打ちをした。
「貴女、ウサギ獣人なんでしょ。」
リリアーヌは、いきなり冷水を浴びせられたように固まった。ヴィオレッタは、にこやかに微笑んでいる。
「いえ、なんのことだか…。」
ここは、誤魔化さないと。リリアーヌの背中に冷や汗が伝う。
「あら、お耳が…。」
ヴィオレッタの言葉に思わず頭に手が伸びてしまった。
「ふふ、図星だわ。」
ヴィオレッタがいたずらに成功した子供のように嬉しそうに笑った。
「貴女の秘密を知った代わりに私の秘密をひとつ教えて差し上げてよ。さあ、私の部屋にいらして。」
⭐⭐⭐⭐⭐
あの衝撃的なお茶会から一週間後。
リリアーヌは現在馬車の中にいる。
今日はシュバルツ・ウォルトル魔法伯の婚約者を選ぶお茶会だ。
あの日ヴィオレッタ達から受けたミッションがこれだった。
ヴィオレッタの秘密、それは未来が書かれた予言の書を亡くなったヴィオレッタの祖母より託されたという荒唐無稽なものだった。
にわかに信じがたいそれは、しかし、見たこともないような薄く艶のある紙に華麗な色とりどりの彩飾を施した美しい予言の書を見たときに霧散した。
あのように美しい書をリリアーヌは今まで見たことなどなかったのだから。それに、リリアーヌの秘密、ウサギ獣人であること、16で亡くなる事もそこにしっかりと記されていた。
そうして、リリアーヌも彼女達の荒唐無稽な秘密を共有する仲間の一人となったのだった。
その予言の書によれば、未来はこれから選択する選択肢によって変わるという。
リリアーヌはシュバルツ魔法伯の仮初めの婚約者として選ばれる。
しかし、ほとんどのルートにおいてリリアーヌに興味のないシュバルツ魔法伯とは、一度も会わないままリリアーヌは、若くして死を迎える。
ただ、リリアーヌ達が唯一助かるルートでは、シュバルツとリリアーヌは一度だけ出会う機会があるという。
それが今日のお茶会。
しかも、リリアーヌがウサギ獣人であることを知ったシュバルツはリリアーヌの耳を隠してくれる上にリリアーヌを婚約者として手厚く保護してくれるのだという。
まあ、そこに愛はないらしいが…。
今日、しくじればヴィオレッタ達みんなが悲惨な最期を迎えるのだと。
リリアーヌは予言の書をたとえ信じたとしても、これからの令嬢としての人生を考えると、シュバルツに自ら獣人だと伝えるのは得策だとは思えなかった。
ただ、今日リリアーヌがシュバルツと出会わなければヴィオレッタ達みんなが悲惨な最期を迎えるのだと泣き落とされると頷くより他なかった。
馬車から出れば、この先の運命が変わりそうで怖い。
後から到着した馬車に先を譲り続けて、問題を先送りしたもののそれも次のご令嬢が最後。
リリアーヌは、勇気を振り絞って開いた馬車の扉から、一歩足を踏み出したのだった。