第8話 「岩木山」 人に似て、剛なる鬼
楓に先導され、フィーナと真冬は異世界植物樹林を歩く。
「この向こうさ、ゴブリンが集まる縄張りがあるんず」
器用に茂みを乗り越えながら楓は言う。
他の魔物の気配はない。楓が言うように、ゴブリンは岩木山を縄張りにするとき、他の魔物を追い出したのだろう。
「それにしても、楓って……ずっと山に住んでたの?」
「うん。山暮らしだ」
「ずっと一人で? 冬とか大変じゃない? めちゃくちゃ雪降るでしょ」
「うははは。鬼は丈夫なんだ。寒いくらい平気だね」
「凄いな、あたしなら冬になったら凍死しちゃうな」
鬼ともなると、冬の山でも平気なのだろう。
「ずーっと山で暮らすって、退屈じゃない?」
「んだな。退屈だ。そういう時にはな、吾ぁはよく里さ降りて、人に混じって弘前を散歩してるんずや。いい退屈しのぎなんだ」
「山を下りてたんだ、アグレッシブな鬼だねぇ」
「いやあ、今どき、魔族とか珍しくもないべ? 吾ぁみたいなのがいても、誰も騒いだりしないっきゃ。もしかせば、今って鬼が住みやすい時代なんでねえかなぁ」
「鬼も、一人は寂しい?」
「……まあね。一人でいれば、わんつかさみしい時もあるかな」
楓はふっと遠い目をしたが、軽快に歩きながらすぐに笑顔になる。
「まあ、一人ってのも悪くねぇ。気楽に生きられるはんでな。うははは」
そう言って開いた口からは小さな牙が見えた。
「ねえ楓、今のうちに聞いておきたいんだけどさ、君って、戦う力は持ってんの?」
「ん?」
「あたしらはスキルって呼んでるんだけどさ、敵と戦うための能力だよ。何か持ってる?」
「いや、ねぇよ。そったの」
「えぇ?!」
思わず大声が出てしまう。が、楓は涼しい顔だ。
「吾ぁは生まれつき怪力の持ち主だはんで。力だけで生き抜いてきたんだ。こんな風にさ」
楓は道に落ちている、拳ほどもある石ををひょいと拾い上げ、リンゴのように握りつぶした。
「ふんッ!」
瞬間、石は砕け散り、ボロボロとした小石になる。フィーナと真冬は言葉もない。
「す、すげぇ」
「怪力……なるほど。楓にはスキルなんて必要ないのかもしれないわね」
「くっくっく。んだべ」
きっと、人ならざるモノというものはみんなこんな風に、尋常ではない力を使えるのだろう。今の世の中は「スキル」という言葉で全てラベリングされるが、そんなことは関係なく、楓にとってはこれはごく普通なのだ。
「こりゃ頼もしいね。さすがは鬼!」
「そ、そ~お? にひひひ、そった風に言われだの初めてだじゃぁ」
楓は額をさらりと撫でてにやりと笑う。
その時、向こうで何か動いたのが見えた。
すぐにフィーナと真冬はそれに気づく。ゴブリンだ。それも1体でなく、5,6体がばらけて近寄ってきていた。
「ゴブリンだ! いるわよ!」
フィーナはすぐさま「ブラスト・ボルケーノ」を発動させ、左方向にいる2体をまとめて倒す。が、周囲に散らばった他のゴブリン達は果敢にも手に持った石を投げつけてきた。
「うわっ、何か投げてきた!」
「危ねっ! 伏せへ!」
楓は大声を張り上げ、投げつけられた石を殴りつけて地面にたたき落とす。
「失敗ダ!」
「逃ゲヨウ」
残りのゴブリンは一目散に逃げていく。あれを追っていけば、きっとゴブリンの縄張りにたどり着けるはずだ。
「追っかけよう! いけるね、みんな!」
「無論よ!」
フィーナは足腰に気合を込め、樹林を駆けた。
◆◆◆
先へ進むごとに、背の高い木が増え始め、木の枝のトンネルのようなものが現れ始めた。
「どんどん景色が変わっていくね……」
「ははぁ、お岩木の奥って、今こった風になってらんだ。時代は変わるもんだじゃ」
「今んとこ、ゴブリン達はただ逃げてるだけね。妙な動きはないみたい」
見た目以上にゴブリンは軽快だ。なかなか距離は詰められない。だが撒かれてしまうほどでもなかった。
「にひひひひ。追っかけっこするの、何だか楽しいなぁ」
「楽しいって……そう?」
「吾ぁ、ずーっと一人だったはんでさ。人間と仲良くやってたの、何百年も昔の話だ。だんだん人間も、鬼ば気味悪がりだしてな」
楓によると、時代が下るにつれ、人は鬼を怪物と見なすようになっていったという。
鬼は少しずつ姿を消していき、楓も山に引きこもるようになっていった。青森が異世界と一体化したことにより、街に降りても騒ぎにならなくなったのだ。
「だからさ、こういう風に、誰かとシゴトをするって、まんず久しぶりなんずよ」
「……そっか」
ゴブリンの追跡を無邪気に楽しむ楓だが、それはきっと寂しさの裏返しなのだ。
すると、目の前のゴブリンが、木の隙間の脇道にひょいと入った。それを追って、フィーナ達も木の隙間に向かう。
そこは見晴らしのいい高台になっていて、田や畑や弘前市街が一望できた。
「おお、こりゃぁ……」
「うぉースゲー! 景色いいじゃん!」
楓が無邪気にも喜びの声を上げる。
だが、景色を楽しむ余裕はすぐになくなった。両脇からゴブリンの群れが武器を片手に突撃してくるのがすぐに目に入った。
「待ち伏せだ!」
「フィーナは右側をやって! 私は左側をやる!」
「吾ぁは? 吾ぁは?」
「楓は好きに動いて!」
二手に分かれ、フィーナは爆破魔法を、真冬は氷結魔法を放つ。爆風と氷により、ゴブリン達はばたばたと地面に倒れ伏す。
「ふぅ。そこまで強くないのが救いだね」
「おそらく、この群れを副リーダーがいるはずよ。そいつを倒せば依頼は達成できるはず」
その時、背後で「ぱら」と小石が落ちる音がした。
「――!!」
フィーナと真冬が振り向くと、背後にはいつのまにか50匹以上のゴブリンが忍び寄ってきたいた。一番奥には、ひときわ体の大きな個体がいる。それが恐らく「副リーダー」なのだろう。
「オオオオオオォォォォ!!」
鬨の声を上げ、ゴブリンが散開しながら一斉に突撃してきた。フィーナは爆破魔法を放つ。
「ああもう! 多すぎ! ブラスト・ファイアワーク!!」
フィーナを取り囲む10匹ほどに爆破をお見舞いし、無力化するが、次の瞬間、離れた場所にいるゴブリンが、いくつもの物を投げつけてくるのが見えた。
「危なっ!」
はっきりと見て取れた。離れた場所にいる体の大きいゴブリンがこちらへ指をさす。それに応じるように、ゴブリンたちは物を投げつける。それはフライパンや野球ボール、果物ナイフ、金槌――というような、人間が使う道具だった。
「こいつら、人間から盗んだ物を武器にしてんだ!」
「連中はカラスと似たようなものよ。集団で行動し、人の道具を奪って武装する。借り物で暮らしているのよ、奴らは」
「……きさわりぃなぁ、そういうの」
楓が眉をひそめる。その表情には、怒りや憤りが滲んでいた。
「フィーナ、真冬、向こうにいるのは吾ぁがやる! 此処は任せたはんで!」
「あっ、ちょっと!」
楓は大股で、離れた位置にいるゴブリンの群れへ全速力で走っていく。そちらには副リーダーのゴブリンも混じっていた。
歯をむき出しにし、ゴブリンの近くに寄って、力任せに殴りつけた。
「おめェ達やぁ! 盗んだ物で喧嘩ば仕掛けてくんなじゃッ! 頭さ来るんずや!」
殴られたゴブリンが吹っ飛び、崖の下へ落下していく。だが他のゴブリンが怒りの声を上げて楓を羽交い絞めにする。
「喰ッテヤル!」
「旨ソウナ鬼ダ!」
まずい、と一瞬フィーナは思いかけたが、次の瞬間、楓は自分の体にまとわりつくゴブリンを全員放り投げ、崖下へ追い落とす。まるで嵐か竜巻のような勢いだった。
「ナンテ奴だ! 喰ラエ!」
ゴブリンの副リーダーが声を上げ、魔法を唱えた。
「あいつ、魔法を使うんだ!」
「ドレインの魔法よ!」
ドレイン。体力を奪い取る魔法だ。
「なら、こうだ! ブラスト・ボルケーノ!!」
爆破魔法を副リーダー目掛けて炸裂させる。地面が巻き上げられ、土ぼこりが舞った。
思わずドレインの魔法を中断するゴブリンの副リーダー。そこへ、土ぼこりの向こうから、楓が全速力で駆けよってくる。
「よくもここいらを荒らしたな! 好き勝手やってくれたな! おめェ達全員ギタギタにしてやるッ!!」
遠吠えのように、よく通る声。その声に、ゴブリン全員が怯えたようにびくりと身をすくませた。
楓の眼は、爛々と輝いていた。ドレインが解けた瞬間、すぐさま行動を開始できるその瞬発力は、ゴブリンを怯えさせるには十分だった。
「吾ぁを喰うなんざ、100年早いんずよ! 鬼の拳、噛みしめろッ!」
楓の叫びが、鬨の声のように響き渡る。
――喧嘩を売る相手を間違えた。
そんな風に思っているのだろうか、ゴブリン副リーダーの表情は凍り付いていた。
楓は、その拳をゴブリン副リーダーの顔面に叩き込んだ。
鬼の拳。それは、極めてシンプルな圧倒的な物理的暴力だ。
「まだまだ! まだまだ! まだまだッ!!」
2発目、3発目、4発目、立て続けにパンチがゴブリンの顔面にぶち込まれる。重たい音と共に副リーダーの体が揺れる。
「フ……ゴォ……」
10発目の拳で、とうとう副リーダーは悲鳴を上げなくなった。その顔面は壊れた豆腐のようにぐしゃぐしゃに潰れていた。地面に転がり、ぴくりともしない。
鬼に喧嘩を売った代償を、その命をもって支払ったのだ。
「す、すげぇ……」
とてつもない光景に、フィーナも真冬もあっけにとられる。
「くっくっく。勢い強すぎたべか?」
にっと牙を見せて、楓は笑ったのだった。
◆◆◆
副リーダーのいなくなったゴブリンの群れは、ごく簡単に掃討することができた。
本来なら、新しい統率者が出現するはずなのだろうが、楓の活躍で恐慌状態に陥ったゴブリンは、もう群れの体をなしてはいなかった。ものの10分で、ゴブリンたちは物言わぬ亡骸と化した。
フィーナ達はゴブリンの副リーダーの亡骸から、角を摘出する。討伐依頼の際は、可能な限り、その証として魔物の体の一部を取り出し、ギルドに提出する習わしがあるためだ。
「本当に助かったよ、楓。頼もしかった!」
「はっはっはー。もっと褒めてくれていいんずよ? 何しろほら、吾ぁは鬼だはんでな。強くて頼もしくて当たり前だはんで」
にや、としたり顔で楓は言う。
「……それに、まあ、二人は吾ぁのこと助けてくれたしな。食べ物もくれたし、その恩返しも兼ねてる」
「そうですか。それなら、パンを分けてあげた甲斐があったわね」
フィーナは角を摘出し、腰に下げたポーチにしまう。後ろを振り向くと、下の景色が一望できた。一面に広がるのは津軽平野だ。青森県の西側にあるだだっ広い平地には、田や畑が広がっている。気持ちのいい風が吹いて、戦いで火照ったフィーナの体を冷ました。
「……いい景色ね」
真冬が言う。フィーナも同感だった。ここまで必死に山を登ってきた苦労も報われたような気がした。
「さて、そんじゃあたしたちは戻るか。楓はどうする?」
「あー……吾ぁは……とりあえず途中までついてこっかなー」
「分かった。じゃ、行きましょ」
フィーナと真冬に続き、楓はてくてくとその後ろをついていく。
高台を後にし、木のトンネルを歩く。帰りはただ歩くだけだから気楽なものだ。ゴブリン以外の魔物はいないようで、全く持って平和なものだった。
すると、突然楓がフィーナ達に立ちふさがるように前に出てきた。
「ま、待った! ちょっと待った!」
「ん、どした?」
「あ、あのさぁ……フィーナ達って、いつもこった風にシゴトしてるんず?」
「いつもってわけでもないけど、あたしらは冒険者だからね。あちこちでこんな風に仕事をするよ」
「ふうん、ほぉー……」
楓は深く頷く。いきなり何なんだと思っていると、楓が声を張り上げた。
「楽しそうっ!」
「え、ええ?!」
「わや面白そうだべな、あっちこっちさ行って魔物と戦うなんてさ。カッコいい」
「面白そうって、貴方ねぇ」
「……お願い! 吾ぁにも、フィーナ達のシゴト、手伝わせて! 仲間にしてけぇじゃっ!」
楓は深く頭を下げた。見事なお辞儀だ。
「楓、冒険者は別に遊びでやってるわけじゃないんだよ」
「分かってらよ! 鬼ってのはさ、シンプルなんだ! 面白いか、面白くないか、その2つなんだよ! フィーナ達は……ううん、人間は、昔っからずっと面白かった! 面白い人を助けると、吾ぁも楽しくなるんず! だから……!」
楓の顔は本気だった。決して遊びや冗談ではない、本音の響きがある言葉だった。
「それにさ。吾ぁ、ずっと山で一人でさ。仲間とか友達とか、いなくてさ。だはんで《だから》、やっぱ、寂しいんだ。……でも、フィーナや真冬と一緒に歩いてると、何だか楽しいんだ。楽しいことをさ、もっといっぱいしたいと思うんだ」
楓は鬼であり、人ではない。
けれど、人と同じように寂しがりな、一人の少女でもあるのだろう。
フィーナは楓に歩み寄り、問いかけた。
「冒険者の仕事は、決して楽しいばかりではないかもしれない。それでもいい?」
「もちろん! やるからには全力でやるっ! 鬼の誇りにかけてけっぱる!」
「――ということみたいだよ、真冬。楓は心強い味方になってくれるんじゃないかな。私は加入に賛成だけど、そっちはどう?」
「ま、構わないわよ。楓の気持ちが嘘じゃないと、私も信じる。それに強さはさっきの戦いで分かったし」
「おっ! マジ? そぃだば、仲間さ入れてくれる?」
フィーナは楓に歩み寄って、手を差し出す。
「あたしらは冒険者パーティ『ブルー』だよ。よろしく頼むね、楓!」
「おぉー、よろしくよろしくー!」
とびきりラフな挨拶で、津軽の鬼が『ブルー』に加わったのだった。
読んでいただきありがとうございました。
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