第45話 展望浴場カタルシス
雪が、わらわらと降っている。
雪が、のつのつと積もっている。
今日の雪は「ぼた雪」であった。ひとひらが大きく、くっつきやすい雪だ。それが風に乗り、斜めに降ってくる。
青森市の中心から、車で30分ほどかけ、フィーナ達は浅虫にたどり着いた。
「やっと着いたーーー!! 道、混んでたねぇ!」
「そりゃ雪が積もってるもの。冬の青森は混むわよ。滑るし、道は狭いし、雪道ってほんとめんどくさいわ」
「うひょおおお、しばれるなぁ!」
「海沿いですからね。ダイレクトに海風が来ますよ」
青森市を東に突き進むと、海沿いの道にたどり着く。その道に沿うようにして、たくさんのホテルや旅館が並んでいる。それが浅虫である。
予約した旅館の自動ドアをくぐると、暖かな暖気を感じ、フィーナはほっと息をついた。
4人は入り口で体に付着した雪を払い落とし、受付でチェックインする。昨日電話してみたところ、部屋が空いていたので無事に予約できたのだ。旅館は宿泊客でにぎわっており、様々な人種が廊下を行きかっていた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
従業員に案内され、フィーナ達は和室に通された。
「おお! これが噂に聞く和室かぁ! タタミだぁ!!」
部屋に敷かれた畳を見て、フィーナはテンションが上がってしまう。畳もまた、知ってはいるが触れる機会のないものであった。床に寝そべり、ゴロゴロと転がりまくる。
「うわーい! タタミ~~!」
「ちょっとフィーナ、ここで転がらないでよ。埃が立つでしょ」
「わはははは。吾ぁも真似してタタミ~~~~!!」
「子供か! 貴方らは!」
「いやぁほら、畳を見たら一回は転がるのが礼儀かなと思って」
「独特すぎる礼儀ですね」
旅館の和室というのは、フィーナにとって、転がりたくなるほど素敵な場所なのだった。
◆◆◆
温泉は、旅館の9階にある。
早速入ってみよう、と一同は脱衣所に向かう。楓は素早く衣服を脱ぎ捨て、駆けだそうとするが、真冬に肩を掴まれた。
「貴方、そのままで行く気? 髪を留めときなさいよ」
「えー、面倒ー」
「しょうがないわね。クリップ貸したげる。後ろ向きなさい」
真冬は手早く楓の後ろ髪をまとめ、ヘアクリップで留める。こうしてみると何だか姉妹のようなやり取りだった。
浴場はとても広い。北側がガラス張りになっていて、海が一望できる作りになっていた。
「すごいすごい! 海見えんじゃん、海!」
「展望浴場ってやつですね」
「いい眺めね。雪を見ながら温泉につかるのも乙かも」
温泉に浸かりに来た客は多い。老いも若きも、人種にかかわらず、幸せそうに入浴を楽しんでいた。
髪や体を洗い、湯船に浸かる。湯加減は丁度よかった。慣れると体が解きほぐれ、芯から体がほかほかに温まっていった。
「ふぅ……あったまるわねぇ……」
「良いですね。癒されます」
「あずましい湯っこだ。ぬぐだまるのぉ」
4人とも足を延ばし、雪の降る青森湾を眺めた。
冬の青森は日が暮れるのが早い。外は少しずつ薄暗くなりつつあった。雪国の海は暗い色をしている。だが淀んではいない。混じりけのない、気高い藍色だ。そんな暗い色の海とは対照的に、地面は真っ白に染められている。
しばらく、とりとめのない話に花が咲いた。
「あたし、エルフじゃん? この季節、耳が冷えて困るんだよねぇ」
「へえ、冬のエルフって耳が冷えるんだ」
「エルフ用の耳当ても売ってますよね」
「そうそう、服屋に行った時感動しちゃってさ」
「耳が長いと、ただでねぇのぉ」
特に意味のない雑談。湯につかりながら、仲間と何でもない時を過ごす。それはとても心地のいい時間だった。
やがて、話が途切れた。誰も口を開かない。不快な沈黙ではない、ゆったりとした沈黙だった。
「あのさ」
それを破ったのはフィーナだ。
「この間、ピートさんが言ってたよね。青森のどこかで、ヨルムンガンドみたいな魔物が目覚めるかもって」
「ええ」
「フェンリル、と言っていましたね」
「またヨルムンガンドみたいな事が起こるのかな。だとしたら……やっぱり、怖いね」
「あの時みたいに食べられないでよ」
「分かってるって、真冬。気を付けるよ」
あははと笑い、フィーナは湯で顔を洗った。そして、
「……あたしさ、この青森っていう土地に、何だかんだ愛着が湧いてるな」
降りしきる雪を見ながら、呟くように言った。
「最初は、異世界との融合が起こって、成り行きでやってきただけだった。ただの「場所」でしかなかったんだ。けど、冒険者になって、みんなと出会って、いろんな人に感謝されて……そうやって過ごすうち、ここが、あたしの大事な「居場所」になってる気がする」
居場所というものは、最初からどこかにあるわけではなく、きっと、いつの間にかできているものなのだ。フィーナはそう思う。
「だからさ、フェンリルって魔物が出てきて、青森が大変な事になるなら……冒険者として、ここを守らなきゃって思うんだよね。「使命」なんていうと大げさだけどさぁ」
「私も同じ気持ちよ。青森を壊させてたまるものですか」
真冬は頷く。奈津も、楓も同じように首肯した。
「魔物によって、街が壊されるのを見るのは忍びないものです。護るべき土地ですよ。ここは」
「これまでとやることは変わんねぇべ。魔物が出はったら叩く! ふふん、難しいことはなんもねぇ」
──ああ。みんな、あたしと同じ気持ちなんだなぁ。
そう思うと、フィーナは何だか嬉しくなった。
「えへへへへ」
「何よ、何の笑いよ」
「ううん、何でもない」
いきなり自分の思いを話してしまったが、それをからかうような者は一人もいない。それが、フィーナにとって、何よりも嬉しいことなのだった。
◆◆◆
夕食はバイキング形式だった。ずらりと並べられた食べ物たちは、どれもこれもおいしそうで、フィーナは目移りしてしまう。
「うわあ、なんか全部おいしそうだよ」
「海の幸が目立ちますね。さすが、目の前が海なだけあります」
「うはははは、吾ぁは全種類食べるはんでな!」
何がいいのだろうと悩みながら、とにかくフィーナは適当に食べ物を確保していった。全部おいしそうで悩むというのはなかなかに贅沢な悩みだ。
料理がよくわからないものもあり、奈津や真冬にくっついて、質問しながら歩いていく。
「ねえ、これって何だろう」
「これは貝焼き味噌ですね。ホタテの身を、卵と味噌でとじるんです。見ての通り、ホタテの貝殻を器にして作る料理ですね」
「ねえねえ、こっちのは何?」
「せんべい汁じゃないかしら。八戸の料理よ。南部せんべいを入れた汁料理」
「せんべいが入ってるってとんでもないね!」
「南部せんべいはほぼ小麦粉で作ってあるから、汁の味を邪魔しないのよ。案外おいしいわ」
不思議な料理たちに見とれ、かたっぱしからとっていく。こうなったら食べなきゃ損だと、食欲のままに選んでいった。
席に戻り、早速料理を口に運ぶと、どれもこれも抜群に美味しく、口の中が幸せでいっぱいになってしまった。
「美味ひいなあ」
「ほんと。美味しいわ。ホタテがいい味出してる」
「お米も県産米を使ってるみたいですね」
「旨ぇなぁ。いい料理だ」
「生きててよかったよ。ほんと」
「大げさなのよ、フィーナは」
「おいしいもの食べるとフィーナさんはいつもそうなりますね」
「な、なにをっ。あたしは人一倍感動が強いんだい」
海の幸も、山の幸も、宝石みたいにキラキラ輝いていて、どれもこれもとても美しかった。心も食欲も、幸せに満たされていく。そんな夕食だった。
──食事を終え、部屋へと戻る。外はすでに真っ暗で、街灯がうすぼんやりと道路を照らしていた。眠りにつくにはまだ早い時間だった。
すると、楓が「あ」と声を上げる。
「どしたの、楓」
「いや、実はなあ」
頭を掻きながら楓が笑う。
「さっき、旅館の1階で、ソフトクリーム売ってらったのさ。食べてぇなぁって思って」
「何? まだ食べる気?」
「デザートは別腹なんずや!」
「OK、OK。それじゃ買いに行こうよ。あたしも一緒に行く」
「僕も一緒に行きましょう。せっかくですし」
「分かったわよ。みんなで行きましょ」
旅館のソフトクリームは、間違いなくおいしいに違いない。冬に食べるソフトも、きっと格別だ。
「ちらっと見えた看板には、カシス味のソフトクリームって書かさってあったなぁ」
「カシス? なんか珍しいね」
「青森はカシスの生産が盛んですからね」
「へえ、リンゴだけじゃないのね」
ワイワイ言い合いながら、みんなでエレベーターに乗り込み、売店へ向かう。
カシス味のソフトクリームは鮮やかな紫色で、一口食べると酸味と甘みが口の中で弾けた。
「うまっ!」
「いいわね、これ」
「美味しいです。冬のアイスもいいですね」
「旨ぇなぁ」
──こんな風に、仕事の合間に、みんなで遊びに行くのって、なんだか楽しいなぁ。
ソフトクリームを食べながら、心からフィーナはそう思う。何でもない時間。だがそれがかけがえのない時間だったりするのだ。大事な時間だったりするのだ。
「そういえば、念のためにと思って、トランプを持ってきたんですよ。やりますか」
「あら、奈津、用意がいいじゃない」
「いいねえ! 受けて立つよ!」
「ふふん。ようし、やるべやるべ」
そんな風にして、浅虫の夜は更けていく。気の向くままに遊んで過ごす、陽気な夜は過ぎていくのだった。
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次話は5/21の17時頃に投稿します。




