第11話 「仏ヶ浦」 シノビ・ホークアイ
奈津に案内され、フィーナ達は青森港にやってきていた。
青森港は市街地のすぐそばにある。青森駅から歩いて3分だ。この港では、海の魚や、食用にできる魔物を獲りに行く魔族の漁師が盛んに船を出している。
「ここの漁師は、海のタクシーのような仕事もやっているんです。交渉次第では船に乗せてくれるんですよ」
「あたしらは船に乗って仏ヶ浦に行くわけだね」
「はい、そっちの方が早いんです。車で行くと2時間以上かかりますから。船なら1時間ちょっとで済みます」
奈津は、誰かに気づいて手を上げた。すると向こうから手を上げて男がやってくる。
半魚人の男だった。サメを思わせる風貌は凶悪そうだが、奈津に近づくと愛嬌のある笑顔を見せる。
「よぉ、奈津の嬢ちゃんか。仏ヶ浦まで行くんだってな。ならオレの船に乗ってけよ」
「どうも、ケイン。安全運転でお願いします」
よろしく、と軽く挨拶をしてフィーナ達はケインと呼ばれた半魚人と握手をする。
「今日はお世話になります」
「おう、いいぜ。船は揺れるかもしれんが、あんたら船酔いは平気だよな?」
「私は問題ないわ」
「あたしも平気だと思う」
「……船酔い? 何それ?」
楓だけがきょとんとした顔で首を傾げた。
「楓、船ってのはね、ゆらゆら揺れるのよ。だからそれに乗ってると気分が悪くなることがあるわけ。分かる?」
「んー……わかんない! でもまあ平気だべ! 何しろ吾ぁは鬼なんだもん。わんつか揺れるくらいで気分悪くなるとかありえねーし! 大丈夫、吾ぁも問題なし!」
満面の笑みで答える楓だが、フィーナはそこはかとなく不安を覚えるのだった。
◆◆◆
「うーん……目の前が回る……マジであんべ悪いよぉ……」
地上では笑顔だった楓は、船に揺られて10分で船酔いに陥り、完全にグロッキーになってしまっていた。
「大丈夫、楓?」
「話しかけないでけぇじゃぁ……吐きそう……」
「こりゃ重症ね」
フィーナは背中をさすってあげたが、楓はいっこうによくならず、船内で横になってしまった。
「ありゃダメだ。地上に着くまではあんな感じじゃないかな」
「鬼だから平気だろうと思ったんですが、酔い止めを用意すべきでしたね」
「仕方ないわよ。到着まで寝かせておくしかないわね」
見渡す限りの海。船に乗って仕事先へ向かうのはフィーナにとっても初めてだった。うっすらと前に見える陸地は下北半島だろう。
「そうだ、奈津には教えておくよ。あたしと真冬と、楓の能力について」
フィーナは手短にそれぞれの所持スキルについて説明する。奈津はふんふんと頷き、懐から取り出したメモ帳にメモを取り始めた。
「なるほど、ありがとうございます。氷結魔法と爆破魔法はかなり心強いですね」
「そちらのスキルも教えてもらえます?」
「僕のスキルはコレです」
奈津は自らの目を指さす。
「ん? どういうこと?」
「僕は目がいいんです。「ホークアイ」というスキルでしてね。動体視力、暗視能力を持ってます。双眼鏡みたいに遠くの物も見られるし、他にもサーモグラフィみたいに温度を見ることもできます」
「へぇぇ、凄いなぁ」
「試してみましょうか。フィーナさん、コインは持ってますか?」
「あるよ」
フィーナは懐からコインを取り出す。
「それをコイントスしてみてください。表裏を簡単に当てられますから」
「へぇ……何だか手品師みたいだね」
奈津は二歩ほど下がり、距離を置いた。フィーナはピンとコインをはじき、手の甲で受け止める。すると、即座に奈津が口を開いた。
「表ですね。簡単です」
手を開けると、まったくその通りだった。フィーナは思わず拍手する。
「へぇぇ、すごいすごーい!」
「ちなみに、コインは2年前に造られたものですね。表面の上の方に、わずかな黒い汚れが付着してます」
「……本当ね」
奈津の言う通りだった。いずれも細かいポイントで、注意してみないととても分からない。当てずっぽうでは分からない部分まで正確に言い当てていた。
「頼もしいなぁ。それじゃ、ずーっとホークアイを起動させてれば、怪しいものがあってもすぐ分かるわけだね」
「それはちょっと難しいですね。ホークアイを起動させっぱなしにすると脳に負荷がかかって眩暈がしちゃうんですよ。連続起動するとなると、10秒くらいが限界です」
奈津が申し訳なさそうに言う。
「そっか。休み休み使わないといけないんだね」
「そういうことです。それから……生き物の、体内までを透視するのは難しいです。30分ほど時間をかければ透視できるんですが、戦いではほぼ役立たないでしょうね」
「透視はほぼ難しい、ね。了解」
「奈津の目のすごさはわかったわ。すごいものね。ただ、戦闘能力の方は?」
「そちらのスキルはないんです。鍛えた肉体と武器で頑張ってきました」
奈津は傍らに置いたバッグから手裏剣と小刀を取り出す。
「うお、手裏剣じゃん!」
「この手裏剣と小刀には魔力が籠めてあって、魔物にも通じます。手裏剣は投げた後に僕の手元に戻ってくるようになってるので、回収の手間いらずです。僕の大事な武器ですよ。戦闘スキルがないので、これでずっと頑張ってきました」
「へぇー、なんだかカッコいいなぁ」
「恐縮です」
ホークアイによる動体視力で、魔物を屠る。忍者らしいスタイリッシュな戦い方だ。
フィーナに褒められても奈津は表情をあまり変えなかった。極めてクールで、冷徹な印象すら感じる。だが不思議と嫌な気分にはならなかった。
「僕には「ホークアイ」のスキルがありますから、手裏剣の投擲は基本的には百発百中なんです」
「それは頼もしいわね。さすが忍者ってところかしら」
「……ええと、奈津、ちょっと質問したいんだけど」
フィーナがおずおずと手を上げた。
「何でしょう。僕に答えられることならお答えしますが」
「う、うん。実はずっと聞きたかったんだけど……忍者について詳しく教えてくれないかなっ!?」
「え、そこ気になります?」
「気になるに決まってんじゃん! 青森に忍者がいたなんて初耳だよっ!」
フィーナは興奮を隠しきれない。生まれて初めて見た「忍者」なのだ。質問しない手はないと思った。
「どんだけ興奮してるのよ、フィーナ。子供じゃあるまいし」
「いーじゃん! 真冬だって気になるでしょ!?」
「……まあ、そうね。奈津、どうせ到着まで時間あるし、教えてくれない? 忍者はいつ頃結成されたのかとか、どういう忍術を使うかとか」
「うーん、今回の依頼とは全然関係ない話になりますよ。それでもいいなら」
「ぜひ教えてくださいませー!」
「分かりました。それなら」
おほん、と咳ばらいをして奈津は話し始めた。
「青森の忍者組織……「早道之者」は、江戸時代に結成されました。杉山吉成という男がきっかけとされています」
「杉山吉成……聞いたことないわね」
「無理もありません。青森の武将はマイナーですから。ただ、有名人の血を引いているんですよ。真冬さんは知ってる人だと思いますが」
「有名人?」
「はい。吉成は石田三成の孫にあたります」
「え、本当に? 石田三成ってあの石田三成?!」
真冬は驚愕の声を上げる。残念ながらフィーナにそこまでの知識はない。
「真冬、その石田さんって有名人?」
「有名人よ。あとでスマホで調べときなさい」
石田三成──豊臣秀吉に仕えた男。徳川家康と敵対し、関ケ原の戦いで激戦を繰り広げ、敗北した武将である。
「関ケ原の戦い……西暦1600年の日本の運命を決める大戦。東と西に分かれて戦ったわけですが、西軍を率いた石田三成は負けて処刑されてしまいます」
「そうか、石田さんは負けちゃったんだ。かわいそうだね」
「ええ。ただ、三成の次男は津軽に逃れていたんですよ」
「しかしどうして、次男が津軽に逃げてきたわけ?」
「津軽家の殿様は、石田三成や、さらにその上司だった豊臣秀吉と親交が深かったんです。その縁で、次男を受け入れてくれたんですよ。津軽というのは、そう……「敗れた者」が行き着く先でもありましたから」
まったく予想外に、歴史の授業のようになってしまった。だが、予想外に面白い話でもある。フィーナは続きを促した。
「それで? どうしてそれが忍者を結成することになるの?」
「きっかけになったのは、北海道の調査です。当時、北海道は蝦夷と呼ばれていましたが、江戸時代の初期に、蝦夷の先住民族であるアイヌが蜂起するという出来事がありました。吉成も軍勢を率いて蝦夷地に向かっています。実際に戦闘には参加しなかったそうですが……それ以来、蝦夷を調査する必要性が強くなった。北を護らねば、と吉成は考えたのです。それが「忍者組織」ができたきっかけと言えるでしょう」
「なるほど。北の調査……か」
「あとはまぁ、青森の東側は南部藩といって、津軽家とは別の大名の領地でした。しかもお互い敵対関係にありましたから、津軽の忍者は南部への諜報活動もしてたんです」
「ん? すると、青森というのは、もともと東西で分かれていたんだね」
フィーナの問いを、真冬が引き継いで答えた。
「そうよ。東側に行くと方言も違うわ。津軽弁じゃなくて南部弁になるし、気候も違う。冬でも向こうはそこまで雪が積もらないし」
「へぇぇ……」
「そんなわけで、吉成が死んだ後──津軽家は、甲賀流忍者である中川小隼人という忍をスカウトしました。その中川を中心として結成されたのが、忍者組織・早道之者です」
「あ、そうか。それじゃ奈津、貴方って……」
「そうです。僕の名前は中川奈津。津軽の忍者の血脈を受け継ぐ者です」
ほんのわずかに、奈津の瞳にまっすぐな色が混じった。
「へえ! それじゃ、先祖代々忍者なんだ」
「そういうことですね。一応僕で18代目になります」
時代が変わり、世界が異世界と一体化してもなお、忍者の心を受け継ぐというのはどんな気分なのだろう。フィーナは想像してみるが、自分にはとても実感できないと思う。気が遠くなるような話だ。
奈津は海の向こうを眺め、何か思い出すように遠い目をした。
「僕の父は色んなことを教えてくれました。忍者のことはもちろん、青森の地理とか、歴史とか……おいしい喫茶店の場所か。そういう、色んなことを。いい父であり、いい教師でした」
「さっきのも、父親から教わったんですか?」
「そうです。頑固なところもありましたが……決して理不尽な人ではなかった。優しい人でした。父には結局、感謝もお別れも言えずじまいでした」
少しずつ、船は海岸に近づいていく。大きな岩が密集した、ごつごつとした浜が見えてくる。
「……その父を奪った奴が、あそこにいるはずです。力を貸して欲しい」
「そうね。行きましょう」
「ようし。いっちょやったろう!」
フィーナと真冬は一斉に頷く。
海岸にある、人の背丈の何倍もある岩石群は、まさに「奇岩」である。
目的地、仏ヶ浦。船は1時間の旅を終え、そこにたどり着いたのだった。
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