「逆に言えば」の使い方について
ふと思ったことを書きたいと思います。
「逆に言えば/逆に考えれば」という表現がこのように用いられているのをよく見かけます。
「自分を変えるためには勇気が必要だ。逆に言えば、勇気があれば自分を変えられるということだ」
一見すると正しそうに見えますが、語義を考えるとこれは誤りです。「逆に言えば」とは「今言ったことを視点を逆にして言い換えれば」という意味のはずです。この例では、後半部分が前半部分の言い換えになっていません。
これは論理記号「⇒」を用いると分かりやすいでしょう。前半部分の主張は「自分を変えられる⇒勇気がある」となります。一方で、後半部分では「勇気がある⇒自分を変えられる」となっています。つまり、前半で主張した命題の逆の命題を主張しています。ある命題とその逆の命題は真偽が必ずしも一致せず、同値な命題ではありません。これは前半の命題の逆を言ったのであって、前半の命題を逆に言ったことにはなりません。
「逆に言えば」は、たとえば次のように使うのが正しいでしょう。
「AはBに100円貸している。逆に言えば、BはAから100円借りている」
Aの視点で発言された前半の内容をBの視点で言い直しただけで、前半部分と後半部分は論理的に同等です。これならば、直前の命題を視点を逆にして言ったことになります。
おそらくこの誤用は「逆に言えば」と「逆に」の混同が原因でしょう。「逆に」は前後の内容を対比させるときに使う表現です。たとえば、次のように用います。
「AはBに話しかけたがっている。逆に、BはAのことを避けている」
最初に挙げた例文も、「逆に」を用いてこう書き換えれば正しい文章になります。
「自分を変えるためには勇気が必要だ。逆に、勇気があれば自分を変えられる」
この場合は、前半部分で「勇気がある」が「自分を変えられる」の必要条件と主張し、後半部分で「勇気がある」が「自分を変えられる」の十分条件と主張していることになります。確かに前後の内容が対比されていることが分かります。
さて、「逆に言えば」の例文をネットで調べてみると、誤って用いられているものが非常に多く見つかります。むしろ、正しく使われているものの方が少ないようにすら思えます。現在の用法は本来の意味からすでに離れてしまったと考えるべきかもしれません。