エクストラステージ(後編)
何だかんだで続いておりました。
巴と鹿角、仲好くなれるかな??
直径が軽く三十センチはあるかというタルトはあっという間に跡形もなく消え去った。
勿論、私が一人で平らげたわけではなく、八割以上はロウと鹿角の胃袋に収まったのだけれども。
ロウが自信作と言うだけはあって、目にも鮮やかなフルーツは程好い酸味に控え目な甘さだったし、下に敷き詰められたカスタードクリームとのバランスも良く、また鹿角が煎れてくれた紅茶もさっぱりとした口当たりで、それがタルトの味を一層引き立る。
お陰で、あまりこういった甘味に慣れ親しんで来なかった私でも、気づけばすっかり夢中になって頬張っていた。
「折角の新年だし、本当は外の様子も見せてあげたいんだけどねぇ」
無骨な大きな手で持つティーカップはまるでおままごとの玩具のようにも見えて、なんだかじわじわとした笑いが込み上げてくる。
「バカか、呑気に観光させられる状況じゃないだろう」
対する鹿角はカップだけでなくソーサーも携え、行儀良く上品にお茶を嗜んではいるが、しかし彼もまた常人の3倍くらいは食べたくせに平然としているではないか。
それ以前に、霧に変化したりもできるし、彼の肉体は一体どういう構造になっているのだろう。SEALを普通に使っているということは、脳も神経細胞だのその他諸々の内臓器官も普通にあるわけで。聞いたら教えてくれるだろうか。
でもまぁ、聞いてもやっぱり理解できる気がしないし、あまり深く考えない方がいいのかもしれない。
なにしろ今は、これまでの自分が完全に否定していたオカルト側の世界に居るわけだから。
しかし、
「でもさー、ずっと閉じ籠りっきりだとつまんないじゃん?」
「巴にかこつけてお前が外で遊びたいだけだろうが」
他愛もない話を続ける二人を前にしていると、衝撃的な体験をした年末年始がすべて夢か幻でも見ていたのではないかとさえ思えてくる。……っていうか、この二人の存在自体がすでにおかしなことになっているんだよな。改めて、つくづくと、そう思うわけで。
「まぁでも、巴の体調が安定しているみたいで良かったよ。SEALも問題なく機能しているし、今日からは俺達が付きっきりで見ているのは無しになるから、少しはゆっくりできると思うよ」
「ふぅん……、って、え? あ、そうなの?」
ロウの言葉をうっかり聞き流しそうになったので、慌てて訊き返す。鹿角が付きっ切りで側に居たものだから、てっきりまだ暫くは監視状態が続くのだと思っていたのだが。
「あれ? 鹿角から聞いてない?」
ええ? 初耳ですけど??
「それを伝える前にお前が来たんだ」
鹿角は渋面でロウを睨んでから、私へと向き直った。
「まだこのホテルから出るのは許可できないが、ここに居る限りは好きに過ごしていて構わない。ただし、他のフロアへ行きたい時は、必ず俺達に声をかけるように」
「はぁ……」
「念のために言っておくが、逃げても無駄だからな」
ディシールもそんなことを言っていたが、改めて鹿角に釘を刺されるまでもない。あわよくばホテルから脱出できたとしても、地理もあやういどころか全く見ず知らずの外国にいるのだ。領事館に駆け込む前にロウや鹿角に見つかって連れ戻されるのがオチだし、第一、どう考えても一人でほっつき歩く方が危険だ。
ニュクスという組織のことはいまいちまだよくわかっていないし、かといってオークウッド財団も完全に信用してしまっていいのかまだ迷う部分もあるけれども、後者の方が遥かにマシなのは確かだった。――今のところは、だが。
「……わかったわ」
私が渋々返事をすると、ロウがぽん、と軽く膝を叩いて立ち上がった。
「それじゃぁ、そろそろお開きにしますか」
ロウの言葉に鹿角も頷き、立ち上がる。
「俺は隣の部屋にいる。ロウは廊下を挟んでの対面だ。異変を感じたらSEALですぐに連絡をしろ。いいな?」
「でも、夜とか一人でいて寂しかったら、いつでも呼んでくれていいんだぜ? 添い寝は得痛ってぇ!」
結構ですと私が言うよりも遥かに早く、鹿角の蹴りがロウの脛に炸裂した。脛を押さえてピョコピョコ跳んでいるロウを尻目に、鹿角はさっさとテーブルの上を片付けはじめる。
「……あれ? ねえ、待って。続きは?
SEALの練習、もうしないの?」
休憩を挟んでまた訓練を再開するのだと私は思い込んでいたのだが、鹿角は片付けの手を止めて、怪訝そうな顔で振り返った。
「今日はここまでだと言ったぞ、俺は」
「でも、繰り返しやらないといけないんじゃ?」
「一日で済むわけがないだろう。どうしても続けたいなら止めはせんが、鼻血を出して失神しても知らんからな」
「げっ」
いくら私が夜の一族の血筋だといっても、ロウや鹿角に比べれば普通の人間とほとんど変わらない。脳への過負荷が続けば、深刻な損傷を受けかねないのだ。
再び、高城の最期が思い起こされる。とても忘れ難い、あの姿――
私の表情が暗くなったせいなのか、鹿角が一瞬、気まずそうな身動ぎをした。
「……限界値のデータは採った。次からはその範囲で慣らしていけばいい」
「そうそう、何ならサポート用のデバイスもあるから、デイスに頼めばすぐ手配してくれるはずだよ」
と、ロウがひょいっと鹿角の肩口から顔を覗かせる。蹴られた脛を押さえながらの片足立ちだから、肩にかかる巨体の重圧に、鹿角が心底嫌そうな顔をする。
「鹿角ってば心配症だからさー。巴が怪我したことすっごく責任感じてて、だからいろいろと」
「いいからお前はさっさと帰れ!」
ドカッと音がして鹿角の踵がロウの足の甲を狙い打つ。
「痛ったいって! ちょっと! マジで痛いんだけど!? 最近容赦なくね???」
えーん、鹿角くんがいじめるよー、と泣き真似をするロウが片足を引きずりながら部屋を出ていく。これが犬だったら、さしずめキャンキャン哭いて逃げていくところだろうか。
照れ隠しにしてもやりすぎなのでは……と、思ったりもしたが、
「……ったく」
心底疲れたといった顔で深々と溜め息をついている鹿角を見ると、何も言えなくなった。
わかる。わかるよ。私も以前は君と同じ立場だったもの。直接手を出すことまではしなかったけど。
そんな私の同情的な視線に気付かない鹿角は、途中やりだった片付けを再開しはじめた。賑やかな人が去った室内に、重ねた食器が立てる小さな音だけが響く。
鹿角に対しては、今のやり取りもそうだが、高城の件に関しても言いたいことは山程ある。だが、それらは今この場面で口にするべきではないな、とも思った。
今ここで蒸し返したところで、お互いにまた感情的に怒鳴りあって嫌な思いをするだけだ。
鹿角が言う通り、確かに高城は悪いことをした。あっくんこと晃も、巻き込まれた形ではあったが悪事に手を染めた。でも、だからといって彼等の尊厳までを踏みにじっていいわけがない。
私の我が儘かもしれないけど、これが私にできる彼へのせめてもの罪滅しだろうから、何と言われようとそこだけは絶対に譲れない。
それはさておき、ぼさっと突っ立ってるのも何だし、と思い、私も片付けを手伝うことにした。
あんなに食べきれるのかと訝しんだわりにはあっという間に消え去った巨大タルトの皿を見ていると、なんだか物寂しくなってくる。
同じく空になったティーポットを手に取り、この後は一人で過ごすことになるのかと、しみじみとしていると、
「巴」
不意に名を呼ばれ、私はそちらへと目を向けた。
めちゃくちゃ整った美しい顔が、じっと私を見ていた。
美醜にこだわりはない方のつもりだが、平均的一般人である私には眩しすぎて居たたまれない。そのとんでもなく美しい男が、真剣な眼差しを私に向けて、言った。
「巴は、ロウのことが好きなのか?」
真正面からの真顔で聞かれて、私は持っていたティーポットを危うく取り落とすところだった。あっぶねぇ!
これ一つで私の一ヶ月分の給料全部吹き飛ぶんじゃないか? ――じゃなくて!
「は――? えっ――!?」
突然何を言い出すんだ、この男は。
今までにもいろんな爆弾発言を食らってきたが、今日のもまたとびきり威力が大きい一発だな、おい。
動揺してドン引きしている私を余所に、鹿角が続ける。
「ロウが来たとき、心拍数と血流の値が変化した。俺の時とは全く違う反応だ」
「えぇーー……」
何だそれ。
やっぱり筒抜けなんじゃないか、SEAL。
いや、そんなことより、どう答えればいいんだ、これは。
確かに、ロウと鹿角では自分でも心構えというか、対面しているときの気分が違うのは自覚している。
特に鹿角に至っては、どうしても苦手意識が出てしまうから、緊張して身構えた感じになるのは仕方ない。
でもそれはお互い様じゃないだろうか。そう言う鹿角の方も、先のロウとのやり取りを見ていると、私に対しての接し方とは全く違う。
しかし、だからといってそれを直球で伝えてしまってもいいのかどうか。折角少しだけ打ち解けたと思ったのに、また要らぬトラブルの種を撒くのも避けたいしなぁ……と逡巡していると、鹿角は、ふい、と視線を反らして呻くように言った。
「あいつは女癖が悪い」
「……あ、……そうなんだ」
うん、まぁ、今までの言動からしてすでにそんな気配は察していましたよ。
「それに、嘘つきだ」
それはどういう意味なのかと問うよりも先に、私の口からは全く別の言葉が出る。
「鹿角くんは、ロウのこと嫌いなの?」
「……」
鹿角は答えなかった。固く結んだ口許に、一層力を込める。
何これ。
私は一体何に巻き込まれようとしているんだ。
面倒臭そうな気配がしたから反射的に身構えてしまったが、同時にこれは慣れ親しんだ感覚でもあると気付いた。
――これは、アレだ。
健全な青少年なら十代のうちにとっくに済ませているはずのアレで。
かつて私が生活安全課で数多くの少年少女たちと向き合ってきたアレだ。
「反抗期……」
うっかりボソっと呟いてしまったが、幸いにして音量が小さくて鹿角の耳には届かなかったようだった。
鹿角とロウとの関係がいまいちまだよくわからないのだが、単なる仕事上の仲間というよりは、もっと親しくて近い間柄の印象がある。直接の肉親ではないにしても、ロウの世話焼き具合や今までの発言を顧みるに、鹿角の幼少期から側にいたのは間違いないだろう。
とはいえ、ロウの性格からしてネグレクトということは絶対になさそうだし、DVの線もなさそうだ。いやむしろこの場合DVされているのはロウの方なんだけど。
それはさておき、そうなると鹿角の場合は、よくある非行パターンのような愛情に飢えての反発とはとても思えない。
――と、なると?
SEALの訓練で活性化したおかげか、一瞬でこれらのことが頭の中を駆け巡ったが、私はひとまず、手にしたままでいたティーポットをワゴンの上に置いた。
「……そうね、好きか嫌いかで言うなら、好きで間違いないと思うわ」
途端、弾かれたように鹿角が顔をあげて私を見る。
私は慌てて両手と首を振った。
「あぁ、でも勘違いしないで。そういう好きとは違うから。何て言うの? 側にいて安心出来るっていうか、何が起こっても落ち着いていられる信頼感があるっていうか……ロウって、そういう人でしょう?」
私の言葉に、鹿角はわずかに目線を落とした。肯定の仕草だ。
相変わらず無言のままだが、考えていることはなんとなくわかる。今まで対面してきた子供たちも、こんな具合だったもの。
「でも、嘘をつかれたことがあるのね?」
それがどんな内容なのか、どの程度のものなのは知らないけれど、鹿角の中では許しがたい痼となって燻っているのだろう。
「そのことはロウに言った?」
「……言ってない」
でしょうね。
プライドが高そうだし、鹿角の方から折れたり縋ったりなんてことはまずあり得ないだろう。
私の内心のツッコミを知ってか知らずか、鹿角はまた呻くように呟く。
「言ったって無駄だ。あいつはいつもそうだから」
うーん、そういう決めつけは良くないと思うぞ、お姉さんは。
正直なところ、彼等が喧嘩していようがいまいが、私が首を突っ込むような義理も筋合いも全く無いのだけれども、目の前でこんな表情をされたら放っておけるはずがない。
前日もそうだったが、今の鹿角は傷付いた子供みたいな目をしている。
あんなに好き放題に酷い発言をするくせに、どうしてそんな顔をするのだ。ずるいではないか。
私は小さくため息をついて肩を竦めると、一歩、鹿角の方に踏み出した。
「鹿角くんって変なとこで奥ゆかしいのね」
「な……?」
そんなふうに言われるとは思ってもいなかったのだろう。鹿角が目を見開く。
うっわ、睫毛ながっ。色も髪とおなじだし、まさに人体の不思議といった感じだ。こうして改めて見ると、案外まだ幼い感じがしないでもないな――などという余計な考えは横に置き、私は先日お前呼ばわりされた時にもやったように胸を張り、下から鹿角を見据えた。
「駄目よ、そういうことはちゃんと言わなきゃ。有耶無耶にして飲み込んだって、後で自分が辛くなるだけなんだから。っていうか、ロウってあんまり隠し事できない感じだし、そもそも嘘をついてる自覚、全然持って無いかもよ? 『えっ、そんなことあった? ゴメンゴメン~』って言うんじゃないかしら」
なはは、とロウの真似をして笑って見せる。
「そんで、もし覚えてないなーとかふざけたことを言ったなら――」
「――!!」
鋭く繰り出した正拳突きを、鹿角の胸の寸前で止める。
「その時は改めて一発お見舞いしてあげればいいのよ」
うむ。十日も寝ていた割には身体はスムーズに動いた。よしよし。
不意打ちは卑怯かな、と思わなくもないが、鹿角には散々酷いことを言われた意趣返しも少しある。面食らった相手の顔を見て、私は少しだけ溜飲を下げた。
腕を引いて構えを解くと、鹿角がまた顔を反らし、片手で口許を覆った。
ふ、ふ、と空気の漏れる音がする。
良く見てみれば、小刻みに肩を震わせているではないか。笑った顔を見られたくないらしい。ケチ。見せてくれてもいいじゃない、減るもんでなし。
ひとしきり笑ったあと、鹿角は小さく咳払いをして私に向き直った。
「……そうだな。確かに、巴の言う通りだ」
いつも通りの仏頂面をしようと苦心している様がありありと伝わってきて、これはこれでしてやったりという気分にもなる。ただ、
「では、そのときは渾身の一発を見舞ってやることにしよう」
不敵な笑みを浮かべながら指をボキボキ鳴らすのはやめてもらっていいですかね。ロウは一体何をやらかしたんだか。
自分で焚き付けておきながら、言っても言わなくても結局ボコられるであろうロウが可哀想に思えてきた。実行の際はお手柔らかにお願いいたしますよ?
まぁでも、鹿角の表情が少し柔らかくなったような感じもするし、お節介を焼いたのは無駄ではなかったと判断してもいいのかもしれない。
あとは当事者同士で頑張って解決して欲しいものだ。というか、頼むからこれ以上は私を巻き込まないで下さい。痴話喧嘩――もとい、親子? 兄弟? その辺は良くわからないけど、とにかくそういうゴタゴタは人間社会でもう十分だから。
ロウが忘れて行ったワゴンを片付けて、鹿角も退室する。扉が閉まった途端、やたらと広いこの部屋の静けさが刺さるような気がして、私は思わず両腕で自分を抱き締めた。
やれやれと大きなため息をつき、足取りも重くソファーへと戻り、腰を下ろす。
今までも一人で居ることが多かったし、今さら一人が寂しいなんて歳でもないし、などといろいろ考えてはみるものの、やはりこの軟禁状態というのはことさらメンタルに来ていけない。何とかせねば。
しかし、
「……あ、しまったな」
何か暇潰しになるようなものを頼めば良かった、と気付いても後の祭り。
ルームサービスに電話をかけようか。日本語の通じるスタッフが出てくれるだろうか。いやそれよりも使わせてもらえるのだろうか。それとも、今までは全てロウや鹿角が間に入って手配してくれたりしてたわけだから、彼等に頼むのが早いのか?
教わったばかりのSEALを励起させて、通信用の補助スクリーンを開く。あれだけ練習をしたおかげか、そこまでは苦もなくスムーズに使うことができた。
「んー……でもなぁ……」
逡巡した後、私はどちらとも通信をすることなく、ARのスクリーンを閉じた。
ロウたちに頼ってばかりなのも駄目なのでは、とも思ったからだ。
「ま、いっか。今日は疲れたし……」
独り言でも呟いていないと静寂に押し潰されそうで怖かった。
こんな時、普通の人なら友人や家族に連絡をして長話をするのだろうけれども。
「友達かー……」
親しい友人が全く居なかったわけではないが、いずれにせよこの状況では外部に連絡などできるはずもない。
「あ、そうだ、榊警部……」
部下二人が突然消えたばかりかとんでもない事件がとんでもない結果になったのだ。間違いなくしんどい状況に追い込まれているに違いない。
申し訳なさすぎて、でも今の自分には何か出来るわけでもない。もしまた彼に会うことが出来たなら、そのときは土下座して謝り倒そう。許してもらえるとは思えないし、そんなチャンスが来るとも思えないけど。
「あー、駄目、だめだ。一人で考えるとロクなこと思いつかない。やめよう」
ふるふると頭を降り、モヤモヤとした感情を吹き飛ばす。
部屋に備え付けのテレビをみても多分言葉もわからないだろうし、となると、残りの選択肢は一つしかない。
「……寝よ」
私はソファーに寝そべり、大きく伸びをする。
特製タルトで栄養成分の補給はしたものの、やはり脳の疲労と精神の疲労はかなり蓄積していたらしい。
私の意識はすぐに睡魔に襲われ、微睡へと沈んで往く。
うつらうつらとしながら、これまでの事と、これからの事をぼんやり考える。
先が全く見えない不安はあるけれども、今までだってどうにかなってきたし、これからも多分なんとかなるはずだ。きっと。
とりあえずは、もっと強くならなくては――そう心に誓う。
もう二度と奪われないために。
そして、奪わせないためにも。
泥のような昏く重たい意識の底から、懐かしい声が聞こえた気がしたが、誰のものなのかは思い出せないまま、私は眠りについた。
【終】
ということで今度こそ。
次章との間、インターバル的な内容となりましたが、いかがでしたでしょうか。
⭐️やいいね、感想等是非是非よろしくお願いいたします。励みにさせていただきます。
次章も楽しんでいただけるようがんばります。




