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side【UNKNOWN】前編

番外編。

「高城利之」という人物のバックグラウンドと、本編では語られなかった部分の補足も含まれます。

そのため、本編を読了してから読むことを推奨します。


※この番外編の文章は、不知火が担当しております。

※殺人やそれに関する描写が入ります。苦手な方はご注意ください。


 初めて対面したときの印象は、『ふぅん?』だった。

 それ以外に言い様のない、たったの一言で済むものだ。

 西尾巴――事前に与えられたものと、それよりも少し前に別方面から得たものとで、おおよその事柄は把握していた。

 添付されていた写真画像と目の前に立つ姿とを脳裏で比べ、やはり、『ふぅん』の一言で済ます。


 有り体にいえば()()だった。というよりも、いままで自分の周囲にいた女性と比べると、色々と()()()()()()感じがした。

 失礼のない程度に整えた化粧、同じく失礼のない程度に整えた服装。要するに、最低限のことしかしていない、しかし逆にいえば、変に気張って華美になっていない、大抵の人は「まぁいいんじゃないの?」で見逃してくれるような、そんな状態だ。

 とはいえ、今ここに居並ぶ面々の中で、たった一人の、それも下っ端ともいえる人間の化粧が地味で雑だなんて、一体誰が文句を付けるだろう。まぁ、その逆なら大いに可能性はありそうだったのだが、高城にとっては程々の状態で迎えてくれる相手というのは気楽でよかった。

 変に気合いを入れて出迎えられても困るし、そういう手合いだったらだったで、今後の対策をしっかりと考えなくてはならないからだ。

 と同時に、やはり『惜しいな』とも思った。

 その気になりさえすれば、本来の素材を活かした魅力を存分に発揮できそうなのに。


 そういうわけで、高城が捜査一課への赴任という辞令と挨拶のためにわざわざ集められた被害者……もとい、新しき職場の面々は、それぞれ寝不足やら多忙の合間であることを肩口にちらつかせながら、署長御自らによる長くもありがたい訓話をかれこれ十五分も聞かされていた。年度途中での異例の異動ということで簡単に話を、とのはずだったが、肩書きが偉くなると話したいことも沢山あるのだろう。

 さすが警察官、直立不動とまではいかずとも、それぞれ皆姿勢良くこのくだらない長話……ではなく、ありがたい訓話に耳を傾けている。

 後方では隠れてちらちらと腕時計に目をやる者の姿も高城の目には見えていたが、失礼とは思わずに、むしろ軽い同情を禁じ得なかった。なにしろ、そういった意味では紛れもなく自分も被害者の側にいるのだから。


 時計の秒針がもうあと二周ほど進むかどうかという頃になって、ようやく言いたいことを喋り尽くして満足した署長が話を終えた。

「それでは、高城警部補より一言を」

 自分が話すことなんかもう無いのでは、と一瞬思ったものの、こういうことは何事も初めが肝心なのは重々承知している。とてつもなく面倒くさいけれど。

 頭で思うのとは裏腹に、自然に出た笑みを顔に張り付けて、高城は一歩前に出た。

「ただいまご紹介にあずかりました高城です。若輩者ゆえ、皆さんのご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします」

 当たり障りのない一言で挨拶を述べて頭を下げる。(まば)らながらに返ってくる拍手に顔を上げると、居並ぶ面々のそれぞれの顔には、やれやれやっと終わったよという安堵が浮かんでいた。

 では解散! と号令がかかったわけではないが、それぞれが持ち場に戻りかけたとき、署長の後ろに控えていた総務課長がひょこひょこと前に出てきて、声をかけた。

「榊警部、それから、えーと、西尾巡査」

「はい」

「はい!?」

 これから世話になる部署の責任者でもある榊警部には、あらかじめ通達が行っていたし、数日前に顔合わせもしていた。だが、おまけとばかりに突然呼び止められた西尾巡査は驚愕のあまり、ひっくり返った声をあげた。

 そんな彼女を見て、このひとあまり隠し事のできない子だな、というのを知れて、高城は少しだけ嬉しく思った。


 そして、やっと解放されたと思ったのに、まだ話があるの? しかも自分に? なにかマズイことでもやったかな? という顔をしていた巴は、直後に聞かされた内容に、やはり露骨とまではいかずとも、困惑しきった視線を高城に投げて寄越したのだった。


 †


「ランチ、ですか?」

「ええ、ランチです」

 端からみてもうわぁ早速面倒なことになったなという表情を隠しもせずに、そしてしまったという顔を一瞬だけ見せた巴が、視線を天井へと泳がせながら「うーん……」と悩んだ声をあげる。

「だって、僕、まだこの周辺のことわかりませんし」

 ニコニコと愛想良い笑顔を浮かべて追撃する高城に、それもそうだと思い直したのか、巴が頷き返す。

「……そうですね。警部補には、この地域のこともいろいろと知っていただかないといけませんし……」

 いやさすがにそこまで深く考えてはいないんだけど。高城は内心で一人ツッコミを入れたが、でもまぁいいか、と落ち着く。

 とにかく彼女のことを知りたかった。

 大体の生い立ちと経歴は把握している。人事の評価も、普段の働きぶりも、一応は知っている。しかし、高城が知りたいのはそういうことではない。

「あー……でも、ちょっと待っていただけますか? この報告書だけ先に上げちゃいたいので……」

「はい、構いません」

 内心でガッツポーズをしながら、高城は自分に与えられた席に一旦戻った。戻ったところでまだ具体的な仕事を与えられているわけではないので、卓上の端末機の影からチラチラと彼女の様子を観察して時間を潰した。

 そうしてじっくり見れば見るほど、『惜しいなぁ』という気持ちが沸き上がってくる。

 忙しさにかまけて数ヶ月は美容院でカットしてもらってません! と主張しているような少し癖のある黒髪は、烏の濡羽といっても差し支えないほどの艶やかな色をしていた。

 モニターを睨んでいる意志の強そうな角度をした太めの眉も、目鼻立ちも、悪くない。小柄ながらに適度に引き締まった、スレンダーな身体だって。

 良い。

 そして、伸びた襟足の髪とワイシャツの襟との間、こんな季節だというのに内に着こんだ薄手のハイネックシャツの下にある喉。そこに刻まれているであろう〈(しるし)〉――

 注視しすぎたせいだろうか、巴がはっとしたように顔をあげ、高城を見た。

 巴は、

「すみません、あとちょっとです」

 と謝罪すると、猛烈な勢いでタブレットのパネルキーを叩きはじめた。どうやら『あとちょっと』という具合ではなさそうだ。

 高城は自分の視線に気付かれたことに驚きながらも、にっこりと笑い返した。

「いえお構い無く、大丈夫ですよ」

 お偉い面々との顔合わせはとっくに済んでいるし、総務の担当者から施設の案内もしてもらった。後は引き継ぐ業務内容と、今の部署が扱っている案件についての確認をするだけなのだし、時間はまだたっぷりある。


「お待たせしました。では、行きましょうか」

 言いながら、あまり気乗りしていない様子で外出の準備を済ませた巴が高城を招く。といっても、着古したモッズコートを羽織っただけだが。

 高城は、自分が彼女に対して無茶振りをしているのは重々承知していたので、大人しく「はい」とだけ返事をして巴の後に付いて署から出た。


 巴が向かったのは、署から歩いて数分の場所にある定食屋だった。

 その間、巴が署の周辺に何があってどんな施設があるか等の説明をしてくれるのを、高城はうんうんと頷きながら聞いていた。赴任前に下見しているので大体のことは既に把握しているのだが、折角の厚意なので、聞いておくにこしたことはない。


「こんちわー」

「おっ、トモちゃんいらっしゃい!」

 暖簾を潜った途端、威勢のいい声がかけられた。

「どうした、今日は遅かったじゃん。また始末書か?」

「違うわよ、失礼ね」

 カウンター奥に居た主人とおぼしき男に巴が反論し、頰を膨らます。が、

「あんまり遅いから、今日は来ないかと思っ……あれ? そちらは? 彼氏?」

「ちょっ……っ!?」

 続けてとんでもない発言をぶちかまされ、巴が慌てる。

「なに!?」

「おお、やっとか」

 異口同音に声をあげて振り返るのは、店内にいた客たちだ。

「待って、違っ――! す、すいません警部補、違うんです、あのっ!」

 主人と客、そして背後に立つ高城にとそれぞれに同時に弁明をしなければならず、巴が慌てふためく。

「どうもはじめまして、高城と申します。今日から西尾さんと同じ部署に配属になりまして」

 なんだ彼氏じゃないのか、残念だな、とあからさまに興味を失う面々に、

「ちょっと、おっちゃん達、警部補に失礼でしょ? んもー、すみません、やっぱり違うとこにすればよかった――!」

 恥ずかしいやら申し訳ないやら情けないやら、大混乱という状態の巴が頭を抱えて身を捩る。

「いえいえ、気にしないで下さい」

 高城は笑って、手近な空いている席へと巴を促した。

 明らかに『失敗した』という赤い顔で恐縮する巴の対面に腰を下ろしつつ、高城は一通り店内を見回し、それから卓上に置いてあるメニューを手に取った。

 なるほどここは彼女の馴染みの定食屋で、それなりに人気もあって、警察関係者だけでなく、それ以外の一般市民も多く利用する店なのだな、と高城は理解する。

「うちは海鮮がおすすめだよ。たっぷり食べたきゃ天丼もいいね。トモちゃんなんて、いっつも大盛りでさ」

「大将、ちょっと、もう黙ってて。あっち行って」

 巴が、テーブルにお冷やを置く大将とやらをぐいぐいと押し退けようとするが、恰幅の良いオヤジはびくともしない。

「警部補さん、て言った? じゃあ、榊さんの部下で、トモちゃんの上司さんってことだな」

「そうなりますね」

 高城は穏やかに答えた。

 これから自分は彼女の上司として行動を共にする――それは間違いない。そのために異動を願い出たのだし、そうなるべく各所へと手を回したのだ。

 その事実を、そっと噛み締めながら、高城は大将がオススメだというものを無難に選んで、注文をした。

 当然ながらすぐ出来上がるわけではないので、その間に別の客――常連客の一人が高城に話しかけてくる。

「トモちゃんと同じってなると、刑事さんか。事件とか、いろいろ当たるんだろ?」

「そうなるでしょうね」

 ちょっとあんた達何聞き出そうとしてんのよと、口に出さずとも視線で充分物語ってる巴の手前、高城は曖昧に微笑んだ。さすがに自分とて守秘義務くらいはわかっている。

 とはいえ、実際に現場に出ることは少ないかもしれない。本来の自分が相手にするのは、半分以上が書類なのだ。しかし、それをここにいる面々に説明しても仕方がないだろう。彼らが思い浮かべる刑事さんとは、テレビドラマやフィクションでの存在と同じものなのだから。

「じゃぁ、あれだ。ほら、こないだのとか」

「あぁ、そうだな」

 常連客たちが一同に神妙な顔つきになって、頷き合う。

 皆まで聞かずとも、高城にはわかっていた。

 彼らが一体何を指しているのか。

 何を気にかけているのか。

「物騒な事件も増えてきたし、早く解決してくれよな。期待してるよ、警部補さん」

「はい、頑張ります」

 と、にっこり笑った高城の目の前に、どん! という音と共に注文したものが置かれた。

「うわぁ」

 浮かべた笑顔のまま、素で声をあげてしまった。

 特大とまではいかずとも、それなりのサイズはある立派な海老天がそそり立っていた。それが、三本も。

 はて、メニューではその半サイズほどのものが二本ではなかったか?

 高城は首をかしげて手元にあったメニューの写真を見直す。

 いや待て、海老どころか、その土台となっている白身魚もやたらと大きい。それから添えられているナスもカボチャも大葉の天ぷらだって増量して、丼から盛大にはみ出ている。

「就任祝いってやつだよ。サービス、サービス」

 ガハハと笑った大将とは逆に、丼を挟んで対面に座る巴の顔がひきつるのが見えた。


「……あの、警部補」

「……はい」

「ええと、その……すみません」

 いえ、お気遣いなく、と答えようとして、高城は込み上げるものを辛うじて片手で抑えると、残ったもう片方の手で自分の意思を伝えた。

 それを見て、巴がすっかり恐縮したというふうに俯く。

 さすがに出された全てを平らげることは出来ず、途中でギブアップした。

 サービスといいつつ、その実嫌がらせをしてきたんじゃないだろうかとの考えも過ったが、巴の様子をみるとどうもあの店では()()が常らしい。

 そして、彼女が()()を米粒ひとつ残さずに完食できるのだということも知れた。

「……あの、ほんとに、すみません。配慮に欠けていました。次はもうちょっとマシなとこをご紹介しますんで……」


 やった。次も連れていってくれるんだ。


 親睦を深める口実ができたことに、高城は内心で本日二度目のガッツポーズを決めた。

 これぞ怪我の功名だと思ったものの、しかしだからといって、それでこの胸焼けと胃もたれが収まるはずもない。

 たった数分の距離をよろめきながら歩く新任の警部補と、それを脇から介助する巡査の姿は署の内外問わず多くの者に目撃され、暫くの間、話の種となるのだった。


 †


 現場にはあまり出ないかもしれない、というのはどうやら高城の思い込みだったようで、直属の上司となった榊は、意外にも高城をあちこちの現場へと連れ出した。

 高城のようなキャリア出身者など、本来ならばある程度の経験を積んだら、それこそ数年でさっさと出ていってしまうような身分だ。

 ゆえに、そんなに熱心に教育しなくてもいいだろうにというのが周囲の意見であったが、榊はもともと現場第一主義だったし、ただでさえ人手が少ない部署のこと、担当しなければならない案件も増えている。使える奴ならもちろん使うし、そうでないならそれなりに鍛え上げてやっぱり使い倒す、というのが彼の持論だった。

 そんなわけで、榊のある意味ありがたくもお節介でしかない配慮によって、多忙な日々を過ごしていた高城だったが、彼自身は存外悪くないと思っていた。

 もちろん、好んで仕事をしているわけではないが、それ以上に望んだ状況が整ったということが、高城の内を満たしていた。

 何より、

「高城警部補、この間の報告書、早く仕上げてください」

「あれっ? 僕、まだ出してませんでしたっけ?」

 すっとぼけた返答に、巴の眉間にぎゅっと力がこもる。

 ――そう。こうして常に彼女が自分の側にいて、いろいろと面倒をみてくれるようになったからだ。

「すみません、すぐ用意します」

 平謝りをして、作業に取りかかる。

 彼女に怒られるのはやぶさかではないが、折角の美肌に皺を刻むなど、高城の本意ではない。

 普段からあまり化粧っ気がないひとだとは思っていたが、そんなものをしなくても彼女の肌は充分綺麗だった。

 赴任以来、高城が日夜たゆまず巴を観察し続けて確信したのは、おそらく彼女は署にいるどの女性たちよりも肌が綺麗で、若々しいということだった。

 それはとりもなおさず、彼女自身の体質によるものだろう。そして高城は、彼女が化粧をしない理由にも合点がいった。

 つまり、ファンデーションやらなんやら、いろんなものを塗りたくったところで、若々しい肌はすべてを弾いてしまうのだ。

 いつだったか高城は、巴が「やだなー、皮脂のせいかなー。もう歳かなー。アラサーだもんなー」などとぼやいているのを耳にしたことがあったが、その逆だ。

 彼女の肉体は見た目と実年齢がかけ離れていて、異様なほどの若さを保っている。それも、おそらくは十代前半の、文字通りぴちぴちとした年代を。

 もっともその秘密を知るのは、今のところは高城と、彼にその情報をもたらしてくれた者だけなのだが。巴本人に至っては、自身の本当の素性すら知らない。

「警部補、ニヤついてないで早くしてください。大体、その報告書、三日も前の件ですよね。榊警部にも査閲してもらわないといけないのに、今まで何やってたんですか」

 その警部も大した確認もせずに承認の電子判子を押すだけなのだし、そもそも彼自身もこの書類の存在を忘れているようだから別にいいじゃないですか、などと口先まで出しかけた高城だったが、辛うじて飲み込んだ。彼女に沢山怒られるのは構わないが、小言お説教でこの後の休憩時間を無駄にしてしまうことの方が惜しい。いやそれはそれでご褒美と言ってもいいのかもしれないが――などと高城が仕事用領域と二分した(ただ)れた思考の片隅で器用に考え事をしていた時だった。

 机の上の、電話が鳴る。

 慌てて応答に出た巴が、チラリと高城を見る。

 外回りに出ていた榊からのもので、高城と巴とで要請のあった現場へ行ってくれとの連絡だった。


 †


 フィクションでの世界で描かれるような刑事に憧れると、(ろく)なことにならない。

 それはどの職業においても共通して言える事柄なのだが、とりわけ人の本性というものが剥き出しになった現場をみると、尚のこと思い知らされる。

 高城と巴が向かった現場での出来事は、事件としてはありきたりのものだった。

 痴情のもつれが招いた刃傷沙汰――結果できたのが、もの言わぬ躯となった被害者が数人。容疑者は既に取り押さえられていて、現在は取り調べの真っ最中とのこと。高城達は、事件の起こった現場の見分をしてこいというのが榊からの指示だった。

「これは、なかなかの……」

 込み上げるものをどうにか我慢しながら、高城が呻き声をあげる。ハンカチで鼻と口を押さえて、現場となった部屋の外、アパートの廊下で蹲りながら。

 まだ鑑識が動き回っているため、中には入れない。入れたとしても、鼻を直撃するこの臭いが無理だった。

 最近、とみに弱くなった気がする。嗅覚ではなく、胃袋が。

「高城警部補、大丈夫ですか?」

 そう声をかける巴もまた眉間に深く皺をよせ、意識を極力別方面へと向けるのに苦労しているようだった。

 なにしろ梅雨の合間の出来事である。密閉した部屋で起こった事件だ。数日は経っていた。付けっぱなしのエアコンが多少涼しい空気を送ったところで、これだけ大量に血が出ていれば、嫌でも意識せざるを得ない。否、だからこそ発見までに数日もかかってしまった、とも言えるのだが。

 そんな状況下でもテキパキと己の仕事をこなす鑑識官たちの働きぶりは、なかなかのものだった。

 内臓がボロリと出ていようが、そもそも原形をとどめていなかろうが、彼らは黙々と己の作業をすすめていく。それは、この後で遺体を相手にする検死官も同じだ。

 自分にはとても真似できそうにない。するつもりもないけれども。

 しかし、こんな自分でも一時期は医者を目指していた時もあったのだな、と、高城はぼんやりと思い返してみる。

 実際には医者どころか、その卵になるための準備段階にすら落ち(こぼ)れたわけなのだが。

 ――まぁでも、それはそれで結果的に良かったのかもしれないと、再び込み上げる悪寒めいたものに首を竦めながら、高城は考える。

 高城は昔から血を見るのが嫌だった。何かもやもやとしたものが腹の底からこみあげて、同時に皮膚の下を得体の知れないものがぞわぞわと這い回るような感覚に襲われ、いてもたってもいられなくなるのだ。

 実家の母は、息子を花形の外科医にしたかったようだったが、しかしこんな体たらくでは採血だってままならないだろう。早いうちに諦めてくれて良かった。

 だからといって警察官などには、もっとなりたくなかったのだが。

「西尾さんは、大丈夫ですか?」

 蹲ったまま、高城は傍らに立つ巴を見上げた。

「大丈夫ではないですけど、まぁ、なんとか」

 口をへの字に曲げながらも、巴が微かに笑い返す。

「強いですね、西尾さんは」

「……そ、うでしょうか」

 珍しく躊躇いを見せた彼女が、高城から視線を反らす。

 おや? と高城は思った。

 周辺の野次馬が息をつめて、あるいはひそひそと何事かを囁きながらこちらの方を窺っている気配が如実に伝わる中でも、その微かな変化は手に取るようにわかった。

「私は……ガサツなだけです」

 ふい、と顔を背けて、巴が呟いた。

 高城は目を瞬かせて巴を見上げた。初めてみる表情だった。

 何か言った方がいいのか、それとも黙っていた方がいいのか考えあぐねている間に、巴の方が先に口を開いた。

「あの、高城警部補」

「はい」

「今ここで言うのもアレなんですけど」

「ええ」

 躊躇いがちに、巴が言葉を繰る。

「……今日は、行くのやめておきます」

 今日は何事もなければ定時で上がって、署員の間で開催される親睦会に参加する予定だったのだ。

 ――と言っても、本来なら巴は参加するどころか、誘われてもいない立場だったのだけれども。

 理由は実に単純明快。主宰である庶務課の女子連中が、巴を意図的にハブったからだ。


 親睦会などと銘打っているが、その実は単なる婚活パーティーのようなものだ。

 こと、出会いの少ない職業、職場においては、高城のような顔が良くてスタイルも良く、家柄も良くて階級だって適度にある上、将来も半分くらいは約束された優良物件、放っておかれるはずがない。

 実をいえば、高城は赴任した当初から彼女達から誘われていた。しかしその誘いに応じたことは一度もなかった。なんとなく――どころか、わりと露骨にぐいぐいとアタックをかけてくるその姿勢を前に、『またか』と察してしまったのだ。

 世の大半の女性が嬌声をあげて熱狂するような顔面を所持している高城は、学生時代からモテまくっていたし、お陰でそういった手合いの考えがわかってしまうのだった。

 なので、赴任したばかりで忙しいからだとか、シフトが合わないからとか、いろいろと口実をつけて断っていたのだが、しかし何度もそうやって逃げ回っているうちに、彼女達の方が業を煮やしてしまったらしい。

 あらゆる手段を駆使したのだろう、催事や業務上で支障の出なさそうな時期を選び、駄目押しで高城のシフトが空いている日取りまで抑えて、一度だけでいいから是非参加してほしい、と迫ってきた。

 いい加減相手にするのも疲れてきたので、高城はこちらの条件を呑んでくれるのならということで、参加することにしたのだった。

 その条件というのが、

「西尾さんも一緒に参加するなら、いいですよ」

 だったため、巴にも親睦会の案内が手渡されたのであった。それも、前日の昼休憩の時間に。

 庶務課の仲良し女子職員らは、いつもの定食屋でカツ丼を食べていた巴のテーブルを取り囲み、絶対に来てね、来るわよね、来ないとただじゃおかないわよ、というどす黒いオーラと共に会合のチラシを押し付け、何が何だかわからないといった巴から参加の言質をとってしまった。

 ちなみにその時の高城は、同じテーブルでご飯の量を少なめにした焼魚定食を食べていたし、巴の返事を聞いて、赴任して以来の何度めかのガッツポーズを内心で決めていた。

 けれども。


 よくある話ではある。

 職場や職種が違えど、それこそ学校内でも昔からよくあったことだ。

 子供じみた嫌がらせと済ませてしまうには微妙なところだが、彼女らとて根は真面目な人間だというのは高城も巴もわかっているし、一般職だの基幹職だのの違いはあれど、普段の働きぶりは至極真面目なのも知っている。決して悪い人間ではない。

 ――ないのだが、人間は徒党を組むと性根の悪さが噴出し、エスカレートするのも高城は知っている。

 だから現状の彼女らにとっては、高城に巴が終始くっついて付きまとっている状況が腹に据えかねたのだろう。実際にはその逆で、高城の方が巴に付きまとっているような状態なわけだが。

 それを差し引いても、相棒(サイドキック)という形で行動を共にしろというのが上層部からの公式な指示なのである。彼女達の行為は、ただの逆恨みでしかない。

 しかし、巴が理不尽な嫉妬の煽りを喰らってしまうのが、半分以上どころかほぼ全て高城の普段の行動に起因しているのも、高城自身は実は自覚していた。

 ゆえに、親睦会に参加することで、その辺りも含めて払拭してやろうかと考えていたのだった。

 しかし、


「……わかりました。じゃぁ、僕も行くのやめます」

「えっ!?」

 慌てたように巴が高城を振り返る。

「だって、ほら、僕こんな状態じゃ今日はお酒やめておいた方がいいでしょうし」

「でも……」

 それではますます自分への風当たりが強くなってしまうのではないか、と巴が焦り始めるのを見て、高城は「あは」と笑った。

「大丈夫ですよ。ちゃんと説明しておきますから。それに、時間までに終わりそうもないじゃないですか」

 蹲ったまま、すぐ脇の事件現場を指差す。

「まぁ……、そうですね……」

 どこか疲れたような、それでいて少しほっとしたような曖昧な顔をして、巴が苦笑した。

 大体、貴女が居てくれなきゃ何の意味もないんですよ、と内心で付け加えながら、高城は自前の携帯端末を取り出し、聞いていた――というより、半ば強制的に聞かされた――連絡先のナンバーに繋いだ。

 キャンセルの旨を伝えたところ、金切り声に近いものが電話口の向こう側から聞こえた気がしたが、無視をして事情を説明し、切る。

 その間わずか一分にも満たない動作であったが、通話を終えた途端、思わず溜め息を漏らしてしまった。これだからああいった手合いは、可能な限り相手にしたくないのだ。言っては何だが、こちらにも選ぶ権利はある。

「すみません、高城警部補」

 申し訳なさそうに巴が言うので、

「いえいえ、全然」

 高城はにっこりと笑って返した。

 そんな会話をしたせいだろうか。普段なら無駄口はやめてくださいとピシャリと言ってくるはずの巴が、再び口を開いた。

「……悪い人たちじゃぁないと、思うんですけどね」

「……そうですね」

「思うんだけど……まぁ、ちょっと……ね」

 苦笑した巴は、再び視線を外し、高城からも顔を背けた。それがなんだか寂しくて、高城はつい言ってしまった。

「西尾さんは、優しいですね」

「え、……はぁ!?」

 今の会話でどうしてその台詞がでてくるんですか、と口には出さずとも表情が物語っている巴をみて、あぁ素が出ていてもこんなに可愛い顔をするんだなぁ、生き生きとしていて大変によろしい、むしろもっといろんな表情を見せてくださいなどと完全に思考が分離しはじめている高城は、分離した勢いで別の思っていた事柄をスルッと口から滑らせてしまった。

「よく『罪を憎んで人を憎まず』って言うじゃないですか。あれ、西尾さんはどう思います?」

「え、ぇ……?」

「僕、あれって結局は第三者の意見でしかないと思うんですよね。だって、ほら、やられた側にいくら言い聞かせたって、それで嫌な思いが帳消しになるわけがないですし」

「……高城警部補?」

 高城は何か得体の知れないものを眺めるような目が自分に向けられているのを察知したが、口は止まらなかった。

「昔から言うじゃないですか。目には目を、とか。ハンムラビ法典ですよ。大昔の人は偉いですね、刑罰の真髄をきっちり明文化したんですから。でもそんなふうに対等とされる罰を与えたって、やられた側に蓄積された恨み辛みって、そんな綺麗に帳消しはならないと思うんです。ここの住人を殺した奴も、案外そういう類だったりして。それに――」

 最後まで言いきる前には、なんとかコントロールを取り戻した。

 自分に向けられている眼差しが突き刺さる。今頃になって、それに気付く。

「……すみません、警察官である僕が言ったらダメなことでしたね」

 最近ちょっとどうかしている、と自分でも思うことがある。

 でも、どうにもならない。

 せりあがってくる胃液と共に、苦い気持ちを無理やり飲み下す。

 巴は、「いえ」とも「そうですね」とも言うのを避けたようだった。

 その代わり、

「まだ少し時間がかかりそうですし、警部補は下に戻って、車内で休んでいてください。ここは私一人で大丈夫ですから」

 と言ってくれた。

 高城は無言で頷いて立ち上がり、現場を離れた。


 階下へと続く階段を一段一段踏みしめながら、高城は考える。

 彼女は過去を覚えていない。自分の身に降りかかった不幸を、災難を、全く知らない。それは普段の行動や、今の反応を見ても間違いない事実だ。

 運命を司る神がいるのなら、それはまさしく彼女に対して与えた恩恵であり慈悲そのものといってもいい。

 だから彼女は、悪感情をぶつけてくる相手を許せるのだろう。無視をするという形で。

 普段は関わらないように思考の外から追いやって、ほとぼりが冷めるまでじっと待って、受け流すのだ。

 賢いといえば賢いのかもしれない。

 けれど。


 しかし。


 もし彼女が過去を思い出したのなら。

 欠片でも覚えていたのなら。

 同じように、人の悪しき心を許せただろうか。


 そして。


 建物の側に停めておいた覆面パトカー、そのシートに身を預けながら、高城は重い息を吐いた。

 昼下がりのまだ眩しく照りつける太陽に、両手を翳してみる。

 フロントガラス越しの強い日差しに晒された細く筋張った手、その皮膚の薄い部分の毛細血管が透けて見えた。

 事件現場の床一面を染め上げたそれと同じものが、心臓の鼓動にあわせて駆け巡っている。

 この手で高城が犯したことを、そしてこれから行うであろうことを彼女が知ったとしたら――?


 忘れていた胃の痛みがぶり返す。

 車載の無線がひっきりなしに何かを喚いていたが、何も頭に入らなかった。



---後編に続く

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