01
夢見心地とは、まさに今のような状態を言うのだろう。
暖かくて、柔らかくて。あまりに気持ちがよいものだから、自分は天国に来たのだと思っていた。
「――?」
が、違う。違和感に、寝ぼけていた頭が徐々に覚醒していく。
「……あれ……?」
目を開ける。真っ先に視界に映ったのは、陳腐な表現になるが、知らない天井だった。次いで、ベッドの上にいる自分に気付く。やけに気持ちいいと思ったら、この寝具がひどく上等なものだったのだ。極楽かと思うぐらいフワフワと柔らかくて、なんとも心地いい温もりに満ちている。
「ここ……は……?」
死んだものとばかり思っていたが、どっこい生きていた。まずはその事実を一呑みして、私は身を起こす。
うわ、ベッドマットに手を置いたらすごい勢いで沈んでいくぞ。幸せの沼か、これは。
「……どこ? ホテル……?」
上体を起こすと、今いる場所がそれなりに広い部屋だというのがわかった。落ち着いた配色の内装に、私が眠っていたキングサイズのベッド。少し離れた場所に応接用らしきソファとローテーブルのセットがある。向こうにあるのは執務机だろうか。
「なんで、こんなところ……?」
泊まったことなど一度もないが、雰囲気的に高級ホテルのスイートルームか何かのように思える。置かれている調度が全体的に高価なものばかりに見えるのは、気のせいではないだろう。
まるで覚えがない。どうして自分がこんなところにいるのか、さっぱり要領を得ない。
「――っ……!」
おもむろにベッドから出ようとした瞬間、頭の内側で鋭い痛みが弾けた。次いで、首回りの違和感に気付く。
頭と首、それぞれに包帯が巻かれていた。手触りから清潔なものだというのがわかる。まさかと思って調べたら、手足にも同じように純白の包帯が巻かれていた。ほとんど、あの触手の怪物に噛み付かれた場所である。頭の怪我は転倒した際にぶつけて出来たものだと思うが。
今度は怪我を刺激しないよう慎重に動いて、ベッドから降りる。下は毛足の長い絨毯。裸足でも問題なく歩けそうだ。
ベッドから出ると、自分の服装が違うものに変わっているのがわかった。まるで入院患者が着るようなガウンを着せられている。とすると、ここはホテルではなくて病室だろうか? それにしては豪華に過ぎると思うのだが。
私は何となくの直感で室内を歩き、洗面所に向かった。ホテルでは水回りは往々にして出入り口付近にあることが多い――と思って移動すると、予想通りの場所にトイレがあった。反対側にはバスルームもあるらしい。
脇にある洗面台の前に立って、鏡に自らの姿を映す。そこには、いつもと何ら代わり映えのしない私が写っていた。
少々やつれた顔をしているのと、額と首にグルグルと包帯が巻かれていること以外は。
「……?」
が、妙な違和感がある。包帯がやけに綺麗すぎるのだ。もしや、と思って首に指を触れさせてみると――痛みが走ると予想していたにも関わらず、しかし何の刺激もない。おかしいと思って今度は掌を広げて大胆に触ってみるが、さっきの頭痛ほどの痛みはついぞ感じられなかった。
「まさか……」
妙な予感に駆られて、私はよくないと思いつつも首の包帯を外しにかかった。何故だか手足に些細な痺れがあって、無駄に格闘する羽目になったが、ほどなく包帯を全て剥ぐことに成功した。
「う、そ……」
鏡に映った首回りを見て、私は絶句する。
傷が、ない。
いや、違う――塞がっているのだ。
古い傷痕の上に、新しい傷痕がしっかりと刻まれている。が、それも遠い過去のことだったかのように、完全に治癒してしまっているのだ。
「? ? ?」
ついペタペタと傷痕の上を何度も触ってしまう。痛くも痒くもない。
馬鹿な。死んだと思うほどの大怪我だったはずなのに。いま思い出しても、ものすごく痛かったし、めちゃくちゃ熱かった。傷口から大量に溢れる血を感じたし、口からだって血反吐を吐いていた。血の失われていく体から体温が消え、手足の先から冷たくなっていく感覚さえあったのに。
それが、完全に回復している――?
意味がわからない。
「どういうこと……?」
鏡の中の自分と目を合わせてみても、もちろん答えはわからない。
まさか、夢だったのか? もしかして、私は何かしらの事情でずっとここで眠っていて、あの怪我は幻だったとでもいうのか?
いや、そこを疑ってもいいのなら、高城のことも、『夜の一族』のことも、ロウや鹿角のことだって――
「……ダメだ、よくわからなくなってきた……」
私の感覚は、全てが現実であったと。本当にあったことだと。決して嘘ではないと、そう言っている。だけど、その感覚が今は信用できない。
私はいったんベッドまで戻り、ふかふかのマットの上に腰掛けた。
どうしよう。パッと見、私の私物はどこにも見当たらない。携帯端末はもちろんのこと、服も靴も、下着さえ。服はともかく、靴がなければ外に出られない。いや、いざとなれば腹を括りさえすれば何でも出来るのだろうが――
などと懊悩していたその時、出入り口の扉がノックされた。が、ノックしておきながら返事も聞かず、ガチャリ、とドアノブが回される。誰とも知れぬ訪問者は、形式的にノックしただけらしい。
何者か、と問うより先に、そのデカい図体は否応なく視界に入ってきた。
「……ロウ?」
思わず声が出た。疑問形になってしまったのは、彼が見慣れない格好をしている上に、前髪を下ろしていたからである。
「おっ!?」
白いTシャツにブルージーンズ、その上に黒いシャツジャケットを羽織ったラフな格好の巨漢――ロウ。大きな茶色の紙袋を片手に抱えた彼は、私の姿を見た瞬間、サングラスもかけていない素顔に満面の笑みを浮かべた。
「おお、よかったよかった! 目ぇ醒めたのな!」
ゴツいアーミーブーツではなくルームシューズ――よくサイズがあったものだ――を履いた脚で、ドスドスと小走りに近寄ってくる。
「えっと……」
嬉しそうに駆け寄ってくるロウの巨躯を、私はベッドに腰掛けたまま得も言えない気分で見上げた。
どうやら彼の存在は夢ではなかったらしい。ということは鹿角もそうだろうし、他のあれこれも幻ではなかったのだ。
だが、そうだとすれば、私の怪我が完全に回復しているのは一体何故なのか。
「いやぁ、やっと起きてくれた。安心したよ。あ、気分はどう? どこか具合の悪いところない?」
金色の瞳に優しげな光をたたえて、ロウは穏やかに問い掛けてくる。安堵の息を吐いたあたりを見ると、かなり心配してくれていたのだろう。
しかし、それはそれとして。金色に輝く瞳という代物が、あまりに人間離れしていて、わかっていても少し気持ちが引いてしまった。本当に今更の話なのだが。
そう。彼は狼男なのだ。人間では、なく。
「気分は……あんまり……」
せっかく心配してくれている相手に、おかしな思いを抱くことを申し訳ないと感じながら、私は問いに答えた。
気分がいいとは決して言えない。もちろん、一眠りしたおかげで色々とすっきりはしていた。だが、気を失う前の記憶を思い出すだに、何とも言えぬやるせなさが込み上げてくるのだ。
「ありゃりゃ、まぁ仕方ないか。あ、そうだ。これ飲んどいて。ほら」
ロウはジーンズのポケットから、何やら薬らしきものを取り出した。それを私に手渡した後、執務机の脇にある小さな冷蔵庫を開け、水の入ったペットボトルを取り出す。
「ほい、水。それ、鎮痛剤だからさ。大丈夫とは思うけど、念のために飲んどいた方がいいよ」
明るい笑顔で言ってから、近くのローテーブルに一抱えはある紙袋を置く。先に置けばよいものを、私への対応を優先してずっと抱えていたのだ。
「で、それを飲んだら、こっち食べようか。お腹減ってるでしょ? 君の好物はある程度なら把握しているけど、嫌いなものがあるなら言ってねー」
ガサガサと紙袋から取り出したるは、リンゴやらバナナやら、紙に包まれたホットドッグやらサンドイッチやら、さらには缶コーヒーやらアイスティー等々。
「んー、最初は胃に優しくリンゴかバナナがいいかな? あ、よかったらリンゴすりおろしにしようか?」
すっかりあちらのペースで話が進んでいるので、私は片手を上げて流れを止めにかかった。
「……あのね。待って、ロウ。ちょっとだけ待って?」
「ん? どしたの?」
ピタ、と本当に動きを止めてロウが聞き返してきた。
「食べ物なんかより、まず私が知りたいのは、ここが――」
どこなのかってことなんだけど、と言いかけた時だ。
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ……と、自分で驚くほどの勢いで腹の虫が鳴った。
ぐあ、という感じだった。自分の腹がこんなすごい音を出せるなんて、生まれて初めて知った。
はは、とロウが軽く笑った。揶揄するようではなく、単純に微笑ましそうに。だから余計に私は恥ずかしくなってしまう。顔が熱い。
「ほい、じゃあ先にバナナだ。まずはこれを食べて腹ごしらえってことで」
「……ありがと……」
不本意ながらも差し出されたバナナを受け取り、まずは水で薬を胃に流し込む。ふー、と息を吐き、それからバナナの皮を剥いて口に入れた。意識して、がっつかないよう気をつけつつ。
しばしモグモグとバナナを咀嚼する私を、ニコニコと眺めていたロウが、ふと、
「……あのさ、巴」
突然、神妙な顔付きになって低い声を出した。
何事か、と思って口を止めると、
「それ、ごめんな。本当に申し訳ないというか……」
太い指が、私の首元を指差す。どうやら新しい傷痕のことを言っているらしい。わかりやすく眉尻を下げたロウは、さらに続けた。
「指一本触れさせない――なんて大見得切っておきながら、今度もちゃんと守れなかった。また君を傷付けちまった。本当に、ごめん」
俯き、五指と五指の先を合わせて肩を落とすロウ。どうやら心の底から申し訳なく思って、落ち込んでいるらしい。
けれど、当たり前のことだが、彼が謝る道理などどこにもない。
私は口の中のバナナをいったん呑み込み、
「……何言ってるのよ、ちゃんと守ってくれたじゃない」
努めて冷静に、そう言った。
「え……?」
顔を上げるロウに、私はつい笑ってしまいそうになるのを我慢しながら、続ける。
「体を張って、しっかり守ってくれたじゃない。覚えてるわよ。だから気にしないで。それに、いくら何でもあの大きな化け物の中から、あんなにちっちゃくて変な奴が出てくるなんて誰も思わないでしょ? あなたに落ち度はないわ。だから、その……」
元気を出して、と言おうと思ったが、流石に気恥ずかしくて言えなかった。その代わりと言っては何だが、ふと〝あること〟に気付いた。
「――ちょっと待って? 今、『また』って言った? 『今度も』とも言ったわよね?」
「あ」
しまった、という反応をロウはした。やべ、やっちまった――そんな声が聞こえてきそうな表情をしている。
この瞬間、私は確信した。前に考えついた〝とある可能性〟が、真であると。
「やっぱり……! もう完全に思い出したわ。あたしが子供の時に助けに来てくれたのって、ロウ、あなただったのね……!」
夢で見た金色の瞳。優しくて頼もしい声。年齢的に考えると有り得ない可能性だと思っていたが、そうとも、彼は人外。実年齢が見た目通りとは限らないのだ。
「あー……」
ロウは気まずそうに視線を逸らし、ポリポリと指で頬を掻く。否定も肯定もしないあたりに、完全に図星であることがわかる。
「どうして――」
教えてくれなかったのか。あの時、私を救助したのは自分だったと名乗り出てくれなかったのか。そう聞こうとして、しかし私は舌を止めた。
「――ううん、そっか。そういうことね……」
聞く前にわかってしまったのだ。さっきのロウの謝罪を見れば、彼が自分から過去の話をしなかったのも当然だ。というか、私が話を振ろうとしても適当にはぐらかしていたぐらいである。
ロウはあの時のことを、負い目に感じているのだ。
「お父さんもお母さんも助けられなくて、生き残ったあたしも大怪我をしていたから……自分が助けたなんてとても言えない――とか思ってたのよね?」
「んー……」
得も言えぬ表情でロウは唸る。またしても、否定も肯定もしない。この場合、読み取れる答えはやはり『是』だ。
私は溜め息を禁じ得なかった。
「まったく……単細胞みたいに見えて、意外と色々と考えているタイプなのね、あなたって」
「お、おいおい……単細胞はちょっと言い過ぎでないかい?」
「違うって否定しているんだからいいでしょ。本当は気遣い屋のロウさん?」
「あーもう……」
つい笑って揶揄するように言うと、ロウが心底恥ずかしそうに天を仰ぎ、片手で顔を覆った。
「まいった。口は災いの元とはよく言ったもんだ。まぁ、まだ鹿角のいないところだったからよかったけどさ」
誤魔化すように笑ったロウは、そう言って私の横に腰掛けた。柔らかいマットレスに大きな体が沈み込み、地殻変動が起こる。私の体が傾いて、肩がロウに軽くぶつかった。服越しだが、硬い筋肉の感触が返ってくる。
「ま、そのへんの話は君が元気になってからにしようか、巴。あの時のこととなると、ちょっと話が長くなるし。それに、今の君には他に話さないといけないことがたくさんあるからね」
「そう言って誤魔化そうとしてない?」
煙に巻こうとしても無駄だ、という意味でそう聞くと、
「してない、してないって」
ロウは朗らかに笑って、当たり前みたいな所作で私の頭を撫でた。
「ちょっ……」
いきなり何をする、と振り払おうとして、私は思い止まる。片手がバナナで塞がっていたのもあるが、それ以上に、懐かしい感覚が胸中に溢れて感極まってしまったのだ。
大きくてゴツい、グローブみたいな掌。暖かくて優しくて、子供の頃にもこうして撫でてもらったのを憶えている――いや、思い出した。
「疲れてるだろ? とりあえず食えるだけ食って、もう一眠りするといいよ。そうすれば、目が覚めた時には完全に回復しているはずだから」
「……回復?」
そういえば、と気付く。この男、私以上の大怪我をしていたはずだぞ――と。
「――っ!」
そうだ。〈獣〉の爪や、ハリネズミみたいな棘に何度も何度も体を貫かれていたではないか。血反吐を吐きながら、全身が血塗れになっていたはずだ。
私はちょうどロウがいる側の手が空いていたので、衝き動かされるようにして彼のTシャツの裾を掴み、勢いよくめくり上げた。
よく鍛え込まれた筋肉が露わになり、けれど包帯を巻いている様子もなく、そこには無数の怪我の痕が――
「……ない?」
傷痕がない。全くない。本当に、一つもないのだ。
ツルツルの綺麗な肌があるだけで、あれほどの重傷を負った形跡が、まるでなかった。私にはいくつも残っているのに。
「いやん、最近のオンナノコって大胆ねっ。きゃあぁん」
ロウが無駄に体をくねらせて変な声を出した。その瞬間、自分がどんな行為に及んでいるのかを自覚して、顔に熱を覚える。
「えっ!? あっ、ちが――! ご、ごめんなさいっ! っていやいや、そうじゃなくて!」
慌てて謝罪しつつTシャツの裾を引っ張り下ろしてから、話の本筋はそっちではないと修正する。
「ちょっと待って、どういうこと!? あなたすごい怪我してなかった!? もしかして夢……? やっぱりアレ夢だったの? どこからが夢? どこまでが現実? えっ、待って、本気で待って、意味がわからないんだけど……!?」
私は再び混乱状態に陥った。
「まぁまぁ落ち着いて、巴。大丈夫、君は正常だ。心配しなくていい」
私の頭を撫でていた手が下に降りて、今度は背中を擦ってくれる。
「じゃあ一眠りの前に、気になっていることを説明していこうか。色々とあるから、とにかく落ち着いて聞いて欲しいな」
トントン、と軽く私の背中を叩いたロウは、これまでの経緯について語り始めた。
「まず、実を言うと……君が気を失ってから、今日で十日ぐらいが経過しているんだ」
「と……!?」
十日。つまり二百四十時間。そんなにも長い間、私はここで眠っていたというのか。
思わず大きな声が漏れかけた私の背中を、またしてもロウが優しく撫でる。
「なかなかの大怪我だったからね。むしろ十日で目が覚めたのなら上々だよ。正直、もっとかかると思ってたし。やっぱり、あいつの因子が君の中に入ったのが影響しているのかも?」
あいつ、というのが私の首や手足に噛み付いてきた怪物であることは、何となく察せられた。触手の塊みたいになっていたとはいえ、元は巨大な狼男の中から生まれたものである。そう考えると実質、狼男に噛まれたも同然で、私自身が狼男――狼女?――に変貌してもおかしくはないのだ。今のところ、そのような自覚はないが。
「まぁ、そうでなくても、君には『こっち』の血が流れているからね。肉体の危機に際しては獣人の遺伝子が活性化して、傷の治りが早くなるものなんだ。子供の頃もそうだっただろう?」
そう言われてみると、子供心に傷の治りが早いと思ったことがあったような気もするが、正直なところ記憶が曖昧だ。
「そうだった気が……するような、しないような……?」
「ああ、そっか。そのあたりの記憶もまとめて封印されちゃってたら、わかんないよな」
首を傾げる私に、ロウがうんうん頷いて納得する。
「当たり前だけど、何も自己治癒能力だけでそこまで回復したわけじゃないよ。君が気を失った後、鹿角が治癒魔術で応急処置をして、その後で俺達に合流したチームのメンバーが必要な手当をしてくれたんだ。と言っても、そこからは君自身の生命力に任せるしかなかったんだけどね。内傷はともかく、目に見える傷については三日ぐらいでほとんど塞がっていたかな? 念のため、包帯は毎日交換してもらってたけど」
「三日ぐらいで……?」
感覚だが、かなりの深手だったように思う。それが、たった三日で塞がるとは。我が肉体ながら、なかなかにふざけている。にわかには信じがたい。とはいえ、実際にこうして傷は完治しているので、信じないわけにはいかないのだが。
「腹が減ってるのは、回復にエネルギーを消費したからだよ。一仕事終えた細胞達が補給を求めてるってわけ。ほら、残りも食べて食べて」
ロウは掌で、私の持つバナナを食べるよう勧める。
「わかりやすい話でさ、俺達は食べれば食べるほど体内のエネルギーが増加する。そうすると傷の回復が早くなったり、普通じゃないパワーが出せたり――まぁ、常人には不可能なことが出来るようになるんだ。君は〝無変異種〟だけど、その体には俺達と同じ血がしっかり流れている。つまり、ここからは食べれば食べるほど肉体の回復が早まるはずさ。あ、ホットドッグも食べる?」
まるでどこかの漫画の主人公のような話だ、と思いながら、私はロウの最後の提案に頷きを返した。正直に言うと、バナナ一本だけでは全然物足りなかったのである。ぐぅぅぅ、とさっきほどではないが腹の虫がしっかりとした鳴き声を上げた。
「君の中にある〝無変異種〟の因子は、良くも悪くも俺達特有の力を抑制して、無力化させる。でも、だからといって融通が利かないってわけでもない」
ロウは脇に置いていた紙袋からホットドッグの包みを取り出し、こちらに渡してくれながら説明を続けた。私は遠慮なくホットドッグにかぶりつきながら、ロウの声に耳を澄ます。
「当たり前だけど、優先するべきは宿主である君の肉体、君の命だ。つまり生命の危機に瀕した際、その時ばかりは〝無変異種〟の因子は活動を停止する。その結果、君が本来持っていた『こっち側』の能力が目を覚ますんだ。人間離れした回復力は、それが理由さ。今も昔も、君はそうやって生き残った」
確かに普段から、女にしては力が強かったり、体が頑丈だったり、五感が人よりも鋭敏なところがあった。軽く、ちょっとした特異体質みたいなものだろう――ぐらいにしか考えていなかったが、そういうことだったのか。普段は鳴りを潜めているが、命の危機に瀕した時にだけ発揮される、私に流れる『あちら側』――即ち『夜の一族』の血の力。
なるほど、そう考えてみると当時は幼い子供だった私が、どうしてあれほどの重傷を負いながらも生き延びることが出来たのか。傷痕のひどさから察するに相当な深手だったはずだし、普通の人間なら確実な致命傷だっただろう。それでも私が生き残ったのは、本来持つ『獣人』としての力が本領を発揮したからだったのだ。
皮肉な話である。〝無変異種〟であるからこそ狙われ、傷付き。しかし、〝無変異種〟であったからこそ、致命傷を負いながらも奇跡的に生き残った。
怒ればいいのか、悲しめばいいのか、それとも喜べばいいのか、さっぱりわからない。
口内で咀嚼するホットドッグと一緒に、何とも言い難い微妙な気分を味わっていると、思わず疑問が口を衝いてこぼれた。
「どうして……どうして、私なんかが、こんなことに……」
巻き込まれたのか――と。それは詳しい事情を知りたいというよりは、運命を司る神様に対する訴えのようなものだった。
どうして自分なのか。どうして自分の両親が殺されてしまったのか。神様からすれば誰でもよかっただろうに。それがどうして、よりにもよって、自分だったのか――と。
「どうして、私だけ……」
それはロウに向けて言ったのではなく、ほぼ独り言のようなものだった。だから、
『その件については私から説明しよう』
思わぬ返答があった時はホットドッグが喉に詰まるほど驚いてしまった。




