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04

「え……!?」

 中から飛び出してきたのは、深緑に輝く人影。誰何など必要ない。鹿角だ。

「フン――!」

 瓦礫を吹き飛ばした彼は、真っ先に私の立つ場所へと飛び込んできた。疾風はやてのごとき速度で私の横を通り抜け、とんでもない風圧に私の前髪が逆立つ。

「……あれ?」

 思わず閉じてしまっていた瞼を開くと、ついさっきまで聞こえていた実験体の声が途絶えていることに気付いた。

 辺りを見回すと、姿を現したばかりの実験体らは総じて、鹿角のブレードベルトによって首を落とされ、倒れ伏していた。

 まさに瞬殺だった。

「か、鹿角、くん……?」

 ふらつく鹿角の背中に声をかける。〈獣〉の一撃を受けるまでは綺麗だったコートが、今ではすっかりロウと同じようにボロボロになっている。それだけで〈獣〉の拳の威力のほどがうかがえた。

 肩で呼吸をしている鹿角は、ややの間を置いてから、

「……問題ない。ロウがあのデカブツの相手をしている間は、俺がお前を守る」

 固い声で言って、振り返った。

 私は息を呑む。

 瓦礫の山に叩き付けられた際に失くしてしまったのだろう。鹿角のサングラスが外れ、素顔が露わになっていたのだ。

「うわ……!」

 無意識に声が出ていた。

 端正な顔立ちをしているのだろうとは思っていたが、実際に目にすると予想以上の美貌だった。正直、何も知らずにこの顔だけを見たなら、女性だと思っていたかもしれない。

 だが何より目を惹くのは、色違いの瞳だ。向かって右が青、左が赤のオッドアイ。前にロウを犬、鹿角を猫に例えたことがあったが、まさにだった。高城も大した美男子だったと思うが、残念ながら比較にもならない。

 こんなに美しい男は、生まれて初めて見た。

「……どうした、何を呆けている?」

 失礼だと思いつつもマジマジと見つめてしまう私に対し、鹿角が怪訝な表情を浮かべる。どうやら自らの容姿端麗さに自覚がないらしい。

「え、あ、いや……ご、ごめんなさい……じゃなくて、ありがとう……」

 遅れて不躾なことをしていたと気付き謝罪してから、お礼を言い忘れていたことに思い至る。

 すると、フン、というつまらなげな鼻息が返ってきた。

「礼は不要だ。それより……」

 鹿角が無愛想な言葉を切って、周囲に視線を巡らせる。その途端、再び辺りから不気味な声が聞こえ始めた。

「チッ――まだ残っているな。巴、そこを動くなよ。今となってはお前の安全が最優先事項だ。傷一つでもつけようものなら、俺がロウの奴に殴られる。頼むから余計なことをしてくれるなよ」

「よ、余計なことって何よ!」

 あまりにも憎まれ口が過ぎるのでつい反論してしまったが、鹿角は耳を貸さず、ブレードベルトを手に身構える。

「いいから黙って俺に守られていろ」

 有無を言わさぬ語調で言い置くと、返事も聞かず飛び出して行った。鹿角の姿が深緑の閃光と化し、四方八方から押し寄せてくる実験体の群へと突っ込んでいく。

 剣光一閃――とでも言うべきか。深緑の光の尾を曳いて駆ける鹿角から、さらに白銀の煌めきが蛇のように伸び上がり、周囲を薙ぎ払った。高速で振るわれるブレードベルトの斬撃だ。ロウと同じく余計な痛苦を与えぬよう配慮しているのか、彼の放つ剣閃は必ず実験体の首だけを狙っている。哀れな怪物らの首が、次々と牡丹ぼたんの花のごとく落ちていく。

『アアア、アアアアアアアア――!』

『オオオオオオオオォ――!!』

『ガァアアアァアアァアアァ――!!』

 もはや彼らに命令を出した高城はいないというのに、実験体は動きを止めようとはしない。高城が死んでも、彼らに入力された指令は消えたりしないのだろう。むしろ、無慈悲に仲間達の首を落としていく鹿角を前に、感情的に猛り昂ぶっているようにすら見えた。

「チッ――雑魚がウジャウジャと……!」

 口汚く罵りながら、しかし鹿角は正確な剣捌きをもって実験体らと相対する。それでも〈獣〉から喰らった強打のダメージが残っているのだろう。また、即死させられない場所にブレードベルトを当ててはならないというルールを自らに課しているのか、鹿角の動きは私から見ても明らかにぎこちなかった。

 だから隙が出来てしまうのはある意味、必然だったのだ。

「――!? 鹿角くんっ! う」

 しろ、と言おうとしたのだが、気付くのが遅過ぎた。

 私が警告の声を飛ばすよりも早く。

『オオオオアアアアアアア――!!』

 鹿角の背後、とある実験体が死角から強襲した。つたない足取りながら全力で馳せ、体当たりのように飛びかかる。

 いくら鹿角が規格外に強くとも、畢竟ひっきょう、彼は一人。数の多さはそれだけで暴力となる。ラボのあちこちから湧いて出てくる実験体の数は、軽く見積もっても既に三十を超えており、流石の鹿角もそれだけの相手を一息に即死させるのは不可能だった。

『アアアアアアアアアアア――!!』

 あるいは赤子のように喚き散らす、人間と他の動物とが混ぜ合わさった怪物は、鹿角の背中に抱きつくや否や、鋭い牙の生えた顎を開き、勢いよく肩口に喰らいついた。

「ぐぅ……っ!?」

 長く伸びた牙が深々と漆黒のコートに突き刺さる。鹿角は人間と吸血種のハーフだと聞いているが、当然ながら鉄の皮膚を有しているわけもなく、白皙の肌は容赦なく突き破られた。

 だが、痛みに呻いたのは束の間のこと。

「……おい、まさかお前、俺の血を飲んでいるのか?」

 噛み付いたまま動きを止めた実験体に対し、鹿角が突然、氷点下じみた声音で問うた。

 見ると、確かに実験体は牙を鹿角の体内に深く埋めたまま、何度も喉を鳴らしている。牙を介して鹿角の血液を啜っているのだ。

「――ハ、ハ!」

 突然、鹿角が天井に向かって大きな声を上げた。どうやら笑っているらしい、と気付いたのは一拍遅れてからだった。

 しかし、

「笑わせるな」

 憤怒に満ちた声で呟いた直後、ぐるん、と鹿角の首が回って、真後ろを向いた。

 思わず悲鳴を上げかけた。喉元までせり上がってきたそれを、慌てて両手で口を押さえて噛み殺す。

 鹿角の人間離れした動きはそれだけではなかった。頭が百八十度も回転したかと思えば、首が異様に伸び上がり、さらには端正な顔立ちにまで変化が及ぶ。ぐわ、と鹿角が口を開いた途端、まるで蛇か何かのような勢いで唇が広がり、上下に生えた四本の鋭い牙が――

「ひっ……!」

 我慢できなかった。重ねた掌の下で悲鳴が漏れ出てしまった。

 青と赤のオッドアイを見開き、そこから光すら放った鹿角の顔が半ば怪物のそれと化し、自らに噛み付いている実験体のうなじへとかじり付いた。

 ビクンッ、と実験体の全身が跳ねた。電撃を受けたかのように身を震わせ、気を失ったように脱力する。

 血を吸い返されたにしては早過ぎるのでは、と思った瞬間。

 実験体の体が砂になって崩れ落ちた。

「え……!?」

 あっという間の出来事だった。蛇の『獣人』よろしく変貌した鹿角が、実験体のうなじに喰らい付いて、おそらく一秒ほど。たったそれだけの間で一体何を()()()()のか、実験体は塵を固めた人形だったかのようにサラサラと崩壊したのだ。

「フン――、()()()()()にしてはそこそこ上等な精気だな。この際だ、いくらか()()()()()()()

  足元に出来上がった、こんもりとした砂の山を見下し、鹿角は頭部を元の形状へと戻す。顔が異形から端正な容貌へと戻る中、居丈高な声音だけ変わらぬままだったのがやけに印象的だった。

 鹿角の動きが精彩を取り戻した。〈獣〉の拳の直撃を受け、流石に誤魔化しようのないダメージを受けていたはずなのに、嘘のように元に戻ったのだ。ブレードベルトが稲妻のように宙を奔り、数を恃みに雪崩を打って襲いかかる実験体の首を次々に斬り飛ばしていく。心なしか、鹿角の肌艶が以前よりも綺麗になった気さえする。

 確か、精気がどうのこうのと言っていた。思い出されるのは、このラボへ来る前のロウの言葉。

『吸血鬼は吸血鬼でも、世間一般で云われるコウモリ的なものじゃなくて……あー、精霊? みたいな? 何て言うか、いわゆる『吸血種』ってのは色んなタイプがいて、詳しくは説明しきれないんだけど――』

 詰まる所、鹿角は『吸血種』であっても、正しくは『血に含まれる精気』なるものを吸っている――ということだろうか? もしそうだとすれば、鹿角に噛まれた実験体が塵と化して崩れたのも、感覚的に納得がいく。精気なるものが具体的にどんなものかはわからないが、それが俗にいうところの『生命エネルギー』だとするなら、全てを吸い尽くされたものが塵と化すのは、自然な道理なのではなかろうか。

 鹿角はさらにもう一振りのブレードベルトを腰元から抜き放ち、二刀流になった。左右の腕がそれぞれ別の生物のように動き、剣光が空を裂く。銀髪の美男子は舞うようにして、実験体の首を落としていく。その最中、何体かに対しては先刻のように大口を開き、首元やうなじにかじりついた。ほぼ一瞬で精気を吸収し終えているのか、拍子抜けするほどあっさり実験体が細かい塵に分解され、崩れ落ちる。

 苦しむ暇すら与えていない、という意味では、斬首も吸精もさほど違いはないように見えた。

 動いている実験体の数が目に見えて減少してきた頃。

「オオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」

「UUUUUUWWWWWWWWWWWOOOOOOOOOOOOWWWWWWW――!!」

 人狼と化したロウと〈獣〉の雄叫びが、なんと頭上から響いた。次いで、分厚いコンクリートが打ち砕かれるような爆音が轟く。そう、ちょうど廃工場でロウがコンクリートの壁をぶち破った時のそれによく似ていたのだ。

 慌てて天井を仰ぐと、予想通り、そこには大穴が空いていた。

 もう既にロウと〈獣〉の姿はないが、どちらか片方が蹴り上げられ、高速で天井に激突したらしかった。

「映画か何かなら、これCGいらずね……」

 もはや『うそ……』とか『そんな……』という反応をすることに飽きた私は、現実味の失せた頭でそんなことを思う。

 そうして視線を下ろした時には、あれだけいた実験体の群れは全て、鹿角の手によって片付けられていた。

 異形の姿に変えられた哀れな人々が、骸となってそこいらに転がっている。中には跡形もなく塵の山と化した者までいる。

 悲しむべきなのだろう。この凄惨たる光景に嗚咽の一つでも漏らすべきなのだろう。理性ではそう思う。

 だが、もはや私の神経は麻痺してしまっていた。これまで受けた刺激が多すぎてオーバーロードしたのだ。

 怒りも悲しみもない。こんなにも誰も助けられなくて、高城も死んで、自分はここでこうして無力でいるだけなのに――涙すら出ないのだ。

「ごめんなさい……」

 だから、私は手を合わせて祈った。せめて、彼らの冥福を――と。

 そこへ突然、鹿角から鋭い声が。

「――巴っ!」

 目を瞑っていた私は何事かと思ったが、瞼を開くより先に何かがぶつかってきて、ふわり、体が宙に浮くのを感じた。

「えっ……!?」

 全身に吹き付ける猛烈な風と、すぐ近くで轟く爆音。目を開いた時には、自分が鹿角にお姫様抱っこされた状態で宙を飛んでいることを理解した。また、音の発生源に視線を向けると、そこには未だ死闘に明け暮れるロウと〈獣〉の姿が。

「ボサッとするな。あれだけの怪物なんだ、どこにいても巻き込まれる時は一瞬だぞ」

 天井の配管の一部にブレードベルトを巻き付け、ターザンのように宙を滑空する鹿角が苛立たしげに忠告してくれる。私の頭側の腕をやや上げてブレードベルトを握っているため、かなり密着して抱き寄せられている状態だ。お姫様抱っこと言うよりは荷物の運搬に近い形か。それにしたってロウと比べて線が細いのに、凄い腕力である。

「あ、ありがとう……」

 私は反射的に首を竦めつつお礼を言ってから、思いがけず絶世の美貌が間近にあることにびっくりした。なんてきめ細やかな肌なのか。おまけに、あれだけ激しい戦いをした後だというのに、なんだかいい匂いまでする。一体どういうことだ。これで本当に男なのかと疑いたくなる。彼の種族はこのレベルがデフォルトなのだろうか。もしそうだとしたら、トップモデルの中にはかなりの率で『夜の一族』が含まれているのではないかと思えてくる。

 鹿角のブレードベルトが天井から離れ、私達は揃って自由落下する。比較的瓦礫の少ない場所めがけて、鹿角が膝を屈伸させながら着地した。驚くべき事に、私にかかる負担はほとんどなかった。口こそ悪いが、鹿角の手付きは私のことを気遣った、実に紳士的なものだったのである。

「……まずいな、アレはもう完全に覚醒している。ああなるともう、ロウでも止められるかどうかもわからん」

「えっ?」

 ロウと〈獣〉の戦っている方角に二色の目線を向けていた鹿角が、苦虫を噛み潰したように言うので、私は素で驚いてしまった。

 あのロウが止められない? ただでさえ強い彼が、ああして人狼に変化したというのに?

 そう思って鹿角につられて彼らの戦闘を見ると、さもありなん、とすぐに得心してしまった。

「オォオォルルルルァアアアアアアアアッッ!!」

 狼男となって肥大化した筋力に、さらにはコートに走る深緑の幾何学模様。こうして距離が離れてようやく、ロウの劇的なスピードが視界に収まる。彼は跳弾のように〈獣〉の周囲を飛び回り、ヒット&アウェイ戦法で巨大な怪物を滅多打ちにしていた。

「UUUUURRRRRRRRWWWWWWWWWOOOOOOOOOOOOOOOOOOO――!!!」

 だが一方の〈獣〉も黙ってやられているわけではない。竜巻を起こす勢いで長い両腕を振り回し、常に空恐ろしい風切り音を鳴り響かせる。一体どういうことか、二本だったはずの腕がいつの間にか()()に増えていた。ロウを打ち落とすため、戦いの中でさらに変化したというのか。

 と、その有様に度肝を抜かれた私の眼前で、〈獣〉に更なる変貌が訪れる。

 肉と骨が軋む音。発生源は〈獣〉の背部。血飛沫が迸るがごとき勢いで、脊椎部分の皮膚を突き破って()()が生えた。

「な……!?」

 既に摩耗しきっていた神経にすら、それは新鮮な驚きを与えた。

 翼――コウモリのような骨格の、皮膜型の羽だ。一体どこにしまわれていたのか、勢いよく体内から飛び出した羽の骨格に皮膜が張られ、瞬く間に大気を押す形状が完成する。信じられない速度の変化。両翼の大きさは、巨大な〈獣〉の全身を覆ってなお余りある長大なものだった。

 何をするつもりなのか。まさか飛翔するつもりか。しかし、こんな地下空間で飛んだところで一体どうするというのか。

 そう内心で首を捻った瞬間、

「UUUUUUUURRRRRRRRROOOOOOOOOOOOWWWWWWW――!!」

 〈獣〉が激しく羽ばたきを始めた。烈風が巻き起こり、嵐が吹き荒れる。

 そうか、()()()()()()()()()だ。空中に浮かばずとも、大気の攪拌はできる。あれだけ広大な翼で、〈獣〉の筋力をもってすれば。

 あまりの風力にそこらに転がっていた瓦礫が宙に浮く。するとそのまま風に乗り、こちらまで飛んでくるではないか。

「ちょ――!?」

「チッ」

 私が悲鳴未満の声を上げると、まだこちらを抱きかかえたままの鹿角が立ち上がって華麗なステップを踏んだ。次々に唸りを上げて飛来する瓦礫、培養槽の破片などをスムーズに回避する。そうしながら、

「ロウ! いったん離れろ!」

 反応は迅速だった。〈獣〉が巻き起こす豪風に押されたのもあってか、ロウは他の瓦礫などと同じように風に乗って後退してきた。大きく跳躍してきた人狼が、私と鹿角のすぐ近くに着地する。

「おいおいおいおい、ちょいと洒落抜きでやばくなってきたぞ。あいつ面倒臭すぎるって。いくら殴っても肉抉ってもすぐ回復するし、しまいにゃアレだぜ? はねて。本格的に暴れ出したらこの空間ミキサーになっちゃうぞ? どうやって倒せばいいんだ? いや本気でわからんのだけど」

 顔は狼だというのに、ロウの話す言葉はイントネーションがそのままだった。むしろ人間臭さが過ぎて違和感を覚えるほどである。獣化した高城や黒服たちは言葉を発することすらできなかったようだが、薬で無理やり肉体を変化させたものとは違うということなのだろうか。

 強い風が吹きつける中、鹿角が私を地面に下ろす。こんな短時間の間に、二人もの男にお姫様抱っこされることになろうとは、正直、夢にも思わなかった。

「あの〈獣〉はどうやら、図体を大きくすることで拒絶反応の抑制に成功しているようだな。あくまで()()()()、だが。いくら拒絶反応が出ずとも、あれほど巨大化して理性まで失うようなら、実験は失敗の烙印を押されていたに違いない」

 冷静に〈獣〉の状態を分析する鹿角。

 身構えたままのロウは金色の瞳で〈獣〉を見据え、首肯する。

「なるほど、よくわからん」

 わからんのかい、と突っ込むわけにはいかなかった。私も理解度が足りていないことには自信があったのだ。

「そんなことより鹿角、何か対抗策はねーのかよ。あんな奴が実在できる理由はどうでもいいから、対策はよ。教えてクレメンス」

 緊張感が漲る口調で、緊張感の欠片もない言葉を口にするロウ。鹿角が瞬間的に苛立つ気配が、私にもわかった。

「言いたくないけど、ロウ……本当に色々と台無しだわ……」

 格好いいところはものすごく格好いいのに、とは口には出さない。なるほど、鹿角からロウへの当たりが厳しくなるわけだ――と納得する。TPOにそぐわない言動をする点においては、ロウはあるいは高城以上かもしれない。

「……………………対策は、ある。俺達の持っているアレルギー抑制剤だ。これを奴の体に打ち込めば、あるいは細胞を不活性化できるかもしれない」

 色々と言いたいことを全て黙殺したであろうことが如実な沈黙の果て、鹿角はコートのポケットからジェット・インジェクターを数本、取り出した。高城らが使っていたのとよく似ているが、微妙な形状の違いがある。色も銀ではなく、赤金あかがね色だ。

「UUUUUURRRRRRRWWWWWWWWOOOOOOO――!!!」

 吼え猛る〈獣〉が起こす風がますます強くなり、比例してこちらに飛んでくる瓦礫の密度が上がってきた。ロウと鹿角がそれぞれ、四肢の爪とブレードベルトを振るってこちらに当たりそうなものを叩き落としてくれるが、いつまで保つことか。

「あるいは――って何だよ? ダメかもしれないってこと?」

 尖った木やガラスの破片、石材の欠片を素早く弾き飛ばしながら、ロウが露骨にがっかりした声で聞き返した。

「奴の体がデカすぎるんだ。人間用の麻酔を象に打って即座に効くと思うか? 俺とお前の手持ちを合わせても全然量が足らん。まるきり無駄とは言わんが……」

 飛来する物体から身を守るという点においては、鹿角のブレードベルトは最適な道具だった。全身を動かすロウと違って、鹿角はほとんど手首のひねりだけで防御の結界を張っている。

「あー、そんじゃこのままだとジリ貧かー。どうする? いっそ逃げちゃうか?」

「全員では不可能だ。この地下空間に来るにはお前達が使ったエレベーターしかない。当然、帰りも一本道だ。奴がエレベーターホールまで来てみろ、唯一の脱出路が取り返しのつかないことになる」

 鹿角が『全員では不可能』と言ったのは、彼一人であれば例の霧になる能力で脱出が可能だからだろう。ロウもその気になればどうにかして地上へ戻れるかもしれない。しかし、ただの人間である私にはそれすら叶わないのだ。

「第一、あんな危険な奴を放って逃げられるか。総裁に何と言い訳するつもりだ?」

「えーだってー、こればっかりはしょうがなくない? 力押しは無理、抑制剤も足りないし、人数も少ないし、かといって増援は期待できないだろうしなぁ」

 はぁぁぁ、とこれ見よがしに深い溜め息を吐くロウ。

 はぁ、と鹿角もまた小さく溜め息を吐いた。

「……大仰にボヤくな。代案がないとは言っていない」

「えっ!? マジでぇ!? ほんとにー!? やっぱ鹿角ってば天才じゃーん!!」

 両手をピストルの形にして鹿角を指差すロウ。あからさまな掌返しに、鹿角も私も呆れる他ない。私は心の中で『こいつ、このセリフを言う準備をしていやがったな』と確信した。

 狼の顔でコミカルに瞳をキラキラさせるロウに、鹿角は石のような無表情で、虫ケラでも見るような視線を向けた。

「……………………代案を説明する」

 再び濃密な感情が圧縮された沈黙を破って、鹿角は語った。

「俺達の抑制剤だけでは足りないが、足りないなら()()()()()だけだ。幸いここには抑制剤の原材料になる人間がいて、一応は道具もある」

 鹿角は取り出した銅色のジェット・インジェクターをいったんポケットに戻すと、別のポケットから新たなものをいくつか取り出した。

 銀色のジェット・インジェクター――高城や黒服が使っていたものだ。

「落ちているものを拾っておいた。後で詳しく分析するつもりだったが……巴」

 整った顔の眼窩に収まっている、二色の宝石みたいな瞳が私を真っ直ぐに見た。一瞬、絵画のような美しさに息を呑みそうになってしまうが、そこらを飛び交う瓦礫や破片が私の意識を現実に引き戻す。

「巴、これに()()()()を入れて欲しい。無論、精製したほどの効果は出ないだろうが、それでもお前の血に含まれる因子は強烈だ。生のままでもあのデカブツには凶悪な毒になる。必ず効果があるはずだ」

「私の、血……?」

 思いがけない提案に、私は鹿角の掌にのっている銀色の圧縮注射器をまじまじと見つめる。

「ロウが言っていただろう。お前の血、そこに秘められた〝無変異種イミューン〟の因子は〝ルナティック〟によって変貌した細胞にとって劇物だ。今の奴は〝ルナティック〟によって変化した細胞が暴走しているのに、拒絶反応がないためデタラメな増殖を繰り返している。そこにお前の持つ因子を注入すれば、一体どうなると思う?」

 試すような質問に、ごくり、と生唾を嚥下した。どうなるのか大体予想はつくが――

「どう、なるの……?」

 敢えて問い返した。すると、

「暴走の勢いそのまま細胞に毒が回り、その上でさらに増殖を繰り返す。これ以上手足を増やしたり、別の器官を新たに作りだそうとすれば、最終的に自死アポトーシスが連鎖、拡大して全身を埋め尽くす――」

 なるほど、今の〈獣〉はとても大きく強く、また細胞の活性化によって変化も早い。だがそれ故に私の血に潜む因子を細胞に混ぜると、瞬く間に全身に毒が回って死ぬ――そう理解できた。

「抑制剤の中の因子は死んだ細胞のものだ。だが、お前の体から直接抜いた生き血なら、生きた因子がそのまま注入できる。結果が違うのは、容易に想像できるだろう?」

 乳酸菌みたいなものだろうか。生きて腸に届いた方がいい的な――と、口に出すと流石に馬鹿にされそうなのでやめておいた。首肯するだけに留める。

「うんうん、なるほどなー。そんじゃま、それまでは俺がアイツを引きつけておくから、準備ができ次第、巴から注射器を受け取った鹿角が抑制剤と血を注入する――って流れでOK?」

「それでいこう」

 ロウの示した大まかな作戦に、鹿角が頷きを返した。

「よっしゃ! そんじゃ、あんじょうよろしく頼む――ぜっ!」

 言うが早いか、吹き荒ぶ烈風に向かってロウが飛び出した。アーミーブーツの先端から飛び出した爪を地面に引っ掛け、弾丸のごとく〈獣〉へ突っ込んで行く。

「巴、手を出せ」

 鹿角はこの場に止まってブレードベルトの結界を張ったまま、私に指示した。私が素直に鹿角に向かって手を出すと、

「少し痛むぞ、我慢しろ」

「――ッ……!」

 風を切って襲い来る瓦礫や破片を弾いていたブレードベルトが、一瞬だけ私の掌をかすった。鋭い痛みが走り、直後、一文字に走った傷から真っ赤な血が滲み出てくる。下手をすれば指どころか手首ごと切り飛ばされているところだが、鹿角の剣捌きは流石の一言だった。

「さほどの量は必要ない。一本につき一滴か二滴、それだけあれば充分だ。拾った注射器は四本ある。悪いが、全てにお前の血を入れてくれ」

「わかった」

 私は痛みを忘れた振りをして、鹿角の手からジェット・インジェクターを受け取った。銀色の筒の後部を開き、その上で傷の入った手を強く握り込む。疼痛はあるが些細なものだ。掌の傷から滴る赤い血を、どうにか注射器の中へと落とし込む。一滴と言わず二滴か三滴が入ったのを確認すると、蓋を閉めて側面のボタンを押した。これで注射器内部の空気が圧縮され、次に先端を対象に押し付ければ、中身が勢いよく噴射されるはずだ。私は同じ要領で四本のジェット・インジェクター全てに自分の血液を封入した。

「出来たわ、鹿角くん。これで――」

 銀色の圧縮注射器を渡そうとした、その刹那。

「GGGGGGGGYYYYYYYYYYAAAAAAAAAAA――!?」

 離れた場所から〈獣〉の悲痛な叫びが轟いた。と同時に、あんなに吹き荒れていた強風がピタリと止む。

 〈獣〉の背後に回ったロウが翼の根元に取り付き、力尽くで引き千切っていたのだ。

「オオオオオオオルルルルルルァアアアアアアアアアッッッ!!!」

 雄叫びと共に肉を裂く音が連続する。まずは向かって右側の羽が根元からむしり取られた。

「やった……!」

 思わず声が出る。巨大な風車の羽にも似た〈獣〉の翼はロウの手によって放り投げられ、片翼失ったことでバランスを崩した怪物が転倒する。象ほどの巨大さにもなると、その動きはやたらスローモーションに見えた。

 だが、快哉を上げかけたのも束の間。

「GGGGGRRRRRRROOOOOOOOOWWWWWWWW!!!」

 横倒しになった〈獣〉がなおも吼えた。次の瞬間、〈獣〉の広い背から幾本もの金属質な槍が勢いよく突き出る。

「ガッ――!?」

 一瞬だった。〈獣〉の背中がハリネズミになったかのように、巨大な剣山と化したのだ。

 当然、背中に取り付いて残りの羽をむしろうとしていたロウは、全身を串刺しにされていた。

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